秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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阪神ジュベナイルフィリーズ 前編

もうとっくに紅葉は散って、朝は布団が身体にまとわりついて離れません。日の出が近い今も、こうして重いまぶたと重い布団と私は戦っています。もう少しだけだからと布団に潜ると、ふと日頃の授業が思い出されます。ウールちゃんやコートちゃんは上着をはおって、特にウールちゃんは一日中ぶるぶると震えているのです。夏とは一変した教室が、そこにはありました。何度か意識が落ちかけましたが、なんとか布団を脱出できました。気持ちよさそうに寝ているナタリーさんの横で温かいコーヒーを用意して、頭を強引に働かせます。しばらく静かに練習用のノートを読んでいると、ナタリーさんが毛布を蹴飛ばしました。それを直して、厚着をして、マフラーを着て、私は部屋を後にしました。

 

鼻が真っ赤に腫れて、息は雪のように白くて。そうはいっても、ここは雪はめったに降らないのですが。ちょうど日の出と重なって、昇る朝日が一日の始まりを告げています。

 

「冬の朝は、こんなに静かなんだ」

 

早朝から外に出るのは久しぶりで、自分以外は無機物になってしまったのかと疑ってしまうくらい、私の独り言は響いたのでした。夏はこれみよがしに激しく鳴いていたセミも、目を凝らさなければ前が見えないような時間帯からターフを走っていたウマ娘も見えません。冷たい世界に一人っきり。果たしてこの世界の時は止まってしまったのでしょうか、そんなことまで思ってしまいました。けれど、けれども、今日はいまだかつてないほどに白熱する。燃え盛る熱気が会場を包む日なのです。この静寂は、嵐の前の静けさなのです。静かな夜明けは、私を戦場へと送り出してくれています。今日は負けられない、私の今までの全てをぶつける日です。阪神ジュベナイルフィリーズ。ジュニア級の頂点を決める戦いを前に、私は身を震わせました。

 

「おはよう、やっぱり朝は寒いね。車の中はあったかいから安心して、さあどうぞ」

 

ユウさんが目の前に現れました。お礼を述べながら乗車して、差し出されたチョコを食みました。それと合わせて温かい緑茶もいただきました。寮を出た時よりも吐息は温かくて、白さは無くなっていました。

 

 

入念に体操をして、入念にアップをして、控え室に向かいました。朝から準備していたのは、万全の状態でレースを迎えるためです。馬場の調子も一日中観察して、私の戦略はそれに沿って、パズルを完成させるようにつくられていきました。いつもは心臓が飛び出るほど緊張してしまうのですが、今日は朝から心の準備をしてきました。イメージトレーニングの数も比較になりません。むしろ精神的余裕に満ち溢れているとさえ思われました。ただ静かに時を過ごしていると、ユウさんがやってきました。

 

「アリアンス、そろそろパドックの時間だ。いよいよ勝負服のお披露目といこう」

 

「十番、アリアンス」

 

なるべく傷まないように上着を脱ぎ去りました。照りつける日光が勝負服に吸収されていきます。温かくて丈夫なのに、この上なく走りやすい、このフィットした感じ。そしてこの可憐なデザイン。やっぱりこの勝負服は美しいです。この美しさに私自身が負けている気がしてなりませんでした。周囲の視線が痛いです。けれど、せっかく私に与えられた物なので、たとえ似合っていなくても、結果で証明してみせます。これを着る資格は、自分で勝ち取りたい、そう思う自分もいました。

 

パドックを終えて、控え室にて他の出走ウマ娘の録画を見ていると、ウールちゃんが入ってきました。羨望の眼差しで私を見つめています。嫌な予感です。

 

「アーちゃん」

 

今にも噴火しそうな表情で、そう呟きました。一瞬の静寂が流れて、ウールちゃんの瞳が光りました。

 

「超良かったよアーちゃん!めっちゃかわいかった!イメージにぴったりでもうあたし感動しちゃって、まさに妖精さんだったよね。天使か妖精が降臨したのかと思っちゃった。周りのお客さんも完成度の高さに驚いてて、ほんと、さすがアーちゃん。モデルさんみたい。今日は、みんながアーちゃんの走りに釘付けになって、未来の女王が誕生するんだよね!」

 

顔から火が出そうな思いでした。耳までピクピク動かして、ただウールちゃんの賞賛を聞いていました。嬉しいのか恥ずかしいのか、不安も大きかった分、複雑な思いでした。そんな私には構わず、外から歓声が聞こえてきました。きっとコートちゃんが姿を現したのです。まるで私を威嚇しているようです。けれど私には、ウールちゃんがいます。ユウさんがいます。お母さんがいます。

 

「とっても嬉しい。ウールちゃんにそう言ってもらえて、自信が持てたの。ありがとう、ウールちゃん」

「ちょ、今の天使アーちゃんに言われたらさすがのあたしも照れちゃうって!あいつも来てるみたいだし、もう観客席行ってるから、頑張ってね!」

 

焦って部屋を飛び出していきました。恥ずかしかったのか、それとも私を緊張させないようにしてくれたのかは分からなかったですが、笑みがこぼれてしまいました。ユウさんからも、さっきエールをいただきました。アリアンスが走りたいと思ったように走ってほしい、それで結果が出ても出なくても、僕はそれが一番嬉しい。そう話していました。作戦は、私自身の身体が決めます。そのための練習はしてきました。あとはぶつけるだけです。

 

白黒の勝負服に身を包んだ白髪のウマ娘は、リボンを結び直して、ゆっくりとターフへと向かったのだった。

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