パドックでアリアンスと別れて、全体が広く見渡せる場所から、ターフを見ていた。けれど争えぬ血なのか、みすぼらしい親父も、同じ場所に来ていた。今日はアリアンスとコープコートちゃんの戦いの日であり、僕と親父の戦いの日でもあった。僕はコープコートちゃんに親父の方針を少し重ねていた。極限まで計算されたスケジュールと体調管理。もちろんコープコートちゃんのトレーナーさんが親父ほど腐っていないのは承知の上だが、少し似ている節があった。親父のような方針の元で鍛えられたコープコートちゃんにアリアンスが勝つことができれば、それはすなわち僕が親父を超えたことになる。天才と呼ばれた男が間違っていたことの証明になる。それに気づくのは僕と父だけかもしれないが、それで十分だった。引退してもなお偉そうにふんぞり返って他者を評価している横暴な天才を、玉座から引きずり下ろしたかったのだ。
「お前のボンクラ、三番人気だってな。マイルを走るというのにそんな甘い仕上げじゃ、スピードも出なければ根性も無い。中途半端な出来だな。何かの事故があっても一番人気には勝てんだろうな。力の差があり過ぎる」
「あんたならそう言うと思ったよ。あんたの教えに忠実に育ってきたようなものだからね。ただ、レースは何があるか分からない。おしゃべりは身体に悪いよ、黙った方がいい」
「俺は絶対を創った男だぞ、お前みたいな夢しか見ない馬鹿とは違う」
相変わらず虫唾が走るような男だ。アリアンスをボンクラと非難し、その努力を否定しようとする。全てのウマ娘が勝利のため努力をしている世界で、それを罵倒するなどあってはならない。怒りを隠さずにはいられなかった。
「俺はあんたの何もかもが嫌いだ。こんなのを少しでも敬愛していただなんて、冗談でも恥ずかしい」
「周りは俺を尊敬して止まないがな。お前も、お前の下で育っていくかわいそうな子も、一生世間に認められない。まあお前が何をいったところで、このレースが全てを教えてくれる」
「皆綺麗なスタートを切りました!ハナを取ったのは三番!流れるように隊列が決まっていきます。八番コープコートはやはり最後方、余裕綽綽、前の出方を伺っています」
アリアンスは綺麗なスタートダッシュで前へ、予想通り三番の逃げでレースはスタートした。皆落ち着いた様子で軽々と走っていた。この感じなら大きく体力を欠くことはないだろう、定石通りなら。けれどあの三番の足取りは間違いなく周りの体力を削りにきている。初めてのG1でこれほどの博打が打てるのは、世代のレベルの高さを物語っていた。しかしアリアンスも、一筋縄ではいかない勝負根性と冷静さを持っている。持ち味が出せれば、身体がスローに反応してくれるはずだ。けれども正直、冷や汗が止まらなかった。
「おっとアリアンスが早くも動いた!なんと先頭に立ったぞアリアンス!今日はアリアンスの逃げ切りだ!」
思わず拳を握った。やはりアリアンスは強い。これなら自分は体力を温存して、さらに相手を疲弊させられるのだ。周りを見て冷静に判断できる、その能力がこの大舞台で発揮できるのは、アリアンスの強さそのものだった。
「これはスローペースだ!この良馬場で、前代未聞の逃げが一人!特にコープコートには厳しい展開になりました!皆辛そうな顔をしています!さあ最終コーナーに差し掛かる!アリアンスさらに足を伸ばした!ぐんぐん逃げていく!これを差し切れる子は現れるのか!」
アリアンスはさらに足を溜めていた。ついに最終コーナーを曲がって、一気に解放した。二馬身、三馬身。後ろを突き放し、加速していく。けれど綺麗なコース取りで、内からコープコートが迫ってきていた。アリアンスはおそらく限界、コープコートも今にも後退していきそうな走りだ。どちらが勝ってもおかしくない、あとは根性の差だけだ。けれど次の瞬間、アリアンスは少しずつ速度を落としていくのだった。
「なんとコープコートが差し切った!アリアンスはハナ差の二着!今ここに女王が誕生しました!コープコート、無敗のG1制覇です!その末脚は、確かに世代の頂点まで届きました!」
アリアンスの思いは、残り数メートルで散ってしまった。けれど、僕の胸は充実感に満たされていた。あのコープコートを相手に、G1という大舞台であそこまで完璧なレース運びをしてみせたのだ。咎められる部分は一つもなかった。自身の強みを最大限発揮し、作戦を瞬時に切り替えて戦ったアリアンスは、紛れもなく世代最強だ。僕の教えは、間違いじゃなかった。虚勢は姿を現した。アリアンスの走りは、僕を正しいと認めてくれた。目頭が少しずつ熱くなっていった。心の奥が沸々と煮えて、もう親父の罵倒も気にならなかった。
「どうだ、完封された気分は」
「本当にそう思っているなら、節穴だよ、お前」
「負け惜しみは見苦しいぞ、クソガキ。何笑ってんだ、気持ち悪い」
ありがとう、アリアンス。君はやっぱり強い。僕の教えを吸収して、よく戦ってくれた。何回も考えた、これで正しいのだろうか、僕は、アリアンスに対して適切な練習を与えてあげられているのだろうか。決して口には出せなかったが、自信がなかった。けれど今日、それを正しいとアリアンスが証明してくれたのだ。ひたすらに健気でひたむきで、純粋なアリアンスだからこそ、ここまで強くなることができて、それに僕は心を動かされるのだ。これをどうして笑わずにいられるだろうか。
「負けたくせに、ニヤニヤと往生際が悪いな。お前らはこれからも負け続ける、次のレースが決まったらまた見にきてやるよ。あ、そうだ、俺にすがるなら早い方がいい」
小さな猫背は去っていった。僕が超えたいと思っていた壁は、こんなに小さかったのかと思った。田舎の家のブロック塀を軽々と飛び越えるような感覚を持ったら、余裕で跨げる大きさだった。間違いない、僕たちはまた一つ、前へ進んだ。今回のレースで得たものは、僕とアリアンスを前へと押し進める大きな材料だった。次にアリアンスに会った時、かける言葉はもう決まっていた。