「今日は贅沢に鮭いくらかなー」
ホープフルステークス。一年最後のG1レース、あたしはその一番人気を背負って出場する。考えれば考えるほど思考が窮屈になっていってしょうがなかった。第一に言えるのは、作戦がうまく決まらないと勝てないということ。いくつも考えてはいるけれど、正攻法で勝ちにいけるほどあたしの能力は高くはない。それを不満に思うことはあっても、言い訳にはしたくなかった。むしろだからこそ、あたしは強くなれるとすら思っていた。レースは技巧派が一番かっこいい、その点においては、やはりアーちゃんの阪神ジュベナイルフィリーズは一年で一番盛り上がったと言っても過言ではないと思う。アーちゃんはあたしと練習していくうえで、あたしの長所まで吸収してしまった。アーちゃんのことは、言葉も出ないくらい尊敬している。コートもその作戦に動じることなく正攻法を貫き勝利した。二人とも、おこがましいとは思うけれど、私の誇りだ。だからこそあたしも続かなければいけない。あたしはあたしの走りで、二人に答えてみせる。慣れない味のおにぎりなんか買って少し贅沢したのは、浮き足立っているからなのかもしれない。
ホープフルステークス当日、ウールちゃんは控え室でお茶をすすっていました。パドックの熱気は砂漠のようで、ウールちゃんも華麗に登場していました。皆、ウールちゃんの戦術を楽しみにしています。そして、今日のために耳飾りを新調したみたいです。バラがいつもより何割も増して輝いていました。エンターテイナーは観客をも惑わす。『トゥインクル』のウールちゃん特集ページの文言です。ウールちゃんの思いもよらない走りに、期待が高まります。
「一番人気、さすがウールちゃん。パドックとってもかっこよかった」
「まあね、今日もウールちゃん勝っちゃうから」
「絶対勝てるよ、がんばってね」
ウールは数をこなしてレースに慣れてきたら、爆発的に勝てるようになる。最終的にレースで勝つのは、能力値が高いウマ娘じゃなくて、ただ強いウマ娘。ウールの頭の柔軟さは、いつかG1の頂に手が届くから、今は焦る必要は全くない。そうユウさんも言っていました。今回は様々な環境に慣れるための訓練だということも言っていました。
「まったくトレーナーさんもあたしを甘く見過ぎだよね。そんなことくらい分かってるって。それを承知のうえで、あたしは完璧なレース運びで一着を取って、さらに上を目指す。だってあたしは強いからね!」
ピースを私に向けて、ターフへと軽い足取りで向かっていきました。ジュニア級最後の聖戦の幕が上がろうとしています。中山の熱気は最高潮、バ場に含まれた少しの水分でさえ蒸発してしまいそうです。飛び出しそうな心臓をなんとか静めながら、コートちゃんたちのいる観客席に戻りました。
「本日の中山で、新たな世代の希望が誕生します、ホープフルステークス!一番人気はご存知九番ショートウール!未だ無敗の天才ウマ娘の前走は、記憶に新しいでしょう。今日も見事なトリックが炸裂するのでしょうか!」
ターフに現れたウールちゃんは、真っ先に私たちの方にやってきました。
「なかなか似合ってるじゃない。私に恥じないレースをしてもらわないとね」
「もちろん。あたしの走りをみんなの心に刻みつけてやらないとね。当然、二人にもね。いつか二人を超えるために、今日はその最初のステップだから」
オーラと呼ぶのでしょうか。ウールちゃんが纏っていたそれが一段と濃くなりました。周りの雰囲気が少し重たくなって、ウールちゃんの顔も少し険しくなりました。
「じゃ、見ててね」
ゲートへと向かうウールちゃんの後ろ姿には、阪神ジュベナイルフィリーズの時にコートちゃんに感じた覇気がありました。間違いなくウールちゃんは、ここにいる誰よりも速い。そう否応無く思わされます。
「ピッドからは二人が出走です。二番人気は六番ナイズ!安定した走りで順当に勝利を勝ち取り参戦です。そして三番人気、十四番ミールラプソディ!リベンジを図ります!名門の刺客を振り切り、ショートウールは勝利を手にできるのか!中山メイン、ホープフルステークスのスタートです!」
盛大なファンファーレが響き渡り、ゲートに数人ずつ収まっていきます。ピッドの二人は、ウールちゃんを徹底的にマークするはずです。それどころか全員から狙われる状況で、ウールちゃんは力を出し切れるのか、その不安が心に重くのしかかってきました。きっとウールちゃんが抱えるプレッシャーは私の不安なんかとは比べものにならないほど大きいはずです。けれど、それを跳ね返してみせるのを信じるしかありませんでした。
「落ちる夕日に照らされて、十五頭は並んでスタートです。ミールラプソディが先頭に立って、続いて強引に番手を取りにきた、ナイズです。ショートウールは三番手、三強は最前に固まっています」
まずいな、ユウさんは一言呟きました。理由を聞くと、あれはブロックの形だと言います。どう考えても二人で結託して、ウールちゃんを外に回す気です。相手のチームは、そういう八百長にも似た行為を平気でしてくるようなチームだそうです。それに、もし先行しなかったら、ウールちゃんは間違いなく揉まれていました。さすがの英断です。けれど危ない状況ではあります。数百メートルが過ぎて、前の状況は依然として変わりません。
「でも、ウールちゃんなら、二人くらい」
「それはそうなんだけど、特に逃げのあの子がちょっとまずいかもしれない。このペースだとひたすらウールの体力は削られる。外を回るわけにはいかないし、早めに内を通るしかない」
「さあやはりハイペースでミールラプソディが逃げていきます。レースは残り半分を切りました。後続も少しずつ差を縮めにかかります。ショートウールはここからどの位置を取るのか」
後続がウールちゃんに被さるような形で迫ってきたその時でした。ウールちゃんは大地を大きく蹴って、全力で加速しました。内で抜け出せないのを嫌い、外から攻める決断に出たのです。一気にミールラプソディちゃんとの差を縮めて、外へ。そのままナイズちゃんを抜き去りました。けれどその影響で最終コーナーを外から大きく回ることになりました。しかしその甲斐あって、ミールラプソディちゃんとの一騎打ちです。
「外を回ってきたショートウール!さあミールラプソディとの一騎打ちだ!ミールラプソディはもう息が限界だ!しかし後ろからナイズだ、ナイズがやってきた!内から影に隠れてナイズが迫る!」
ウールちゃんを後ろから睨みつけていたナイズちゃんが、一気にウールちゃんと並びました。ミールラプソディちゃんも必死で粘って、三強の叩き合いです。
「残り100メートル!ミールラプソディが失速していく!ショートウールももう限界か!ナイズが差した!しかし差は広がらない!ショートウールが差し返す!」
もうとっくにウールちゃんの体力が限界を迎えていることは、誰が見ても明らかでした。しかし、ウールちゃんの勝利への執念がそれを許さないのです。ただ根性に突き動かされるままに、一瞬ナイズちゃんを差し返しました。
「しかしナイズがさらに差し返し今ゴールイン!クラシックへの希望が見えたか、ナイズが一着です!ショートウールは惜しくも二着!両者一歩も譲らない一戦となりました!」
ウールちゃんの執念はあと一歩のところで届かず、栄冠はナイズちゃんの手に渡りました。走り切ったウールちゃんは少しふらついて、その場に座り込みました。そしてそのまましばらく動きませんでした。