秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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アイちゃんとバッタリ

「あれ、アーちゃん。どっか行くの?」

 

朝ご飯を終えたナタリーさんが部屋に戻ってきました。私はいつもより少し早く起きて、外出の準備をしていました。紅梅ステークスの翌日なので、一日フリーの今日は、街へお出かけです。この前買ったお洋服に浮かれていました。

 

「はい。気になるお店があって」

「まじか、あたいも一緒に行きたかったな。もう少し早く分かってたら全然ついてったのに。こんなことになるなら適当に返事するんじゃなかった。また今度、また今度行こ!」

 

歯を食いしばって悔しそうにしていました。けれど、ナタリーさんと街を歩いたら、周りの目が気になってしまいそうです。現役のウマ娘でトップクラスの実力を持つナタリーさんを、世間が放っておくわけがありません。そんなことを考えながらお茶をすすって、トレセン学園を後にしました。

 

 

「これ、おいしそう」

 

がんばって流行を追ってはいますが、それでもやっぱり田舎者は田舎者なので、何回来ても真新しいもので溢れています。何百何千と人が行き交う駅も交差点も、雲に届いてしまいそうな高層ビルの群れも、私の想像通りの都会の象徴です。その雑踏の中で、異彩を放つカフェを見つけました。焦香のイメージが強く残る木造の家屋です。無機質な建物が並ぶ場所で、ここだけは生きているように思われました。入ってみると、外の忙しない空間から隔離された静寂がそこにはありました。新聞を読む人や、思わず目を瞑る人、まるで時が止まってしまったかのようです。落ち着いたおばあさんが出迎えてくれて、席に案内されました。どうやら今日のおすすめは、いちじくのタルトとジンジャーティーだそうです。全く耳馴染みがなくて、強く興味をそそられました。他のメニューも目を通しましたが、心はそこにはなくて、結局注文してしまいました。しばらく時間が経って、香色の焦げが美しい扇型のタルトと、癖になりそうな香ばしい匂いを放つジンジャーティーが運ばれてきました。本格派とはこのことを言うのでしょうか。見た目も匂いも、全てのレベルが、私が今まで見てきたものとは違いました。フォークの入りはあまりにもスムーズで、その瞬間から甘い匂いが広がりました。サクサクという音の度に、上品な甘みが広がって、それをはちみつを入れないジンジャーティーが刺激で包み込むのです。はぁ、この上ない幸せに、思わず吐息が漏れてしまいました。ゆっくり楽しむのが定石だとは知っていましたが、耐えられませんでした。身体が芯から温まって、お風呂にでも入っているかのような気分になるのです。さらに、十分にタルトを楽しんだらはちみつを入れて、ジンジャーティーを二度楽しむのです。すっかり虜になってしまい、結局他の品まで注文するので退出にはかなりの時間が必要でした。またウールちゃんたちと来よう、そう強く誓いました。

 

 

まだ時間があったので、今度はショッピングモールに寄りました。何ヶ月か前にウールちゃんたちと来たのが懐かしいです。時間を忘れて楽しんでいました。今日は一人なので、それを思うと少し寂しい気もします。どこから行こうかな、地図とにらめっこしているとふと気になる人影が通りました。すらっとした黒の長髪。毛の揃った尻尾。アイちゃんでした。我ながらよく気づいたと思います。これは絶対に何かの縁です。アイちゃんと仲を深める大チャンスなのは、言うまでもありませんでした。

 

「アイちゃんも来てたんだね。アイちゃんがよければ、一緒に回らない?」

 

しばらく冷たい瞳をしていましたが、渋々納得してくれたようでした。どこか行きたいところはないのか聞いてみると、地図上のアイスクリーム屋さんに指を指しました。私は今日だけでいくつデザートを食べてしまうのでしょうか。先が思いやられます。

 

「アイちゃんは何が好きなの?」

「チョコミント」

「私も大好き。あとは、オレンジソルベも好きなの」

 

私はオレンジ味のアイスを、アイちゃんはチョコミント味のアイスを買いました。空いてる席に座って、アイちゃんは黙々と食べ進めます。これでは、せっかくのチャンスが無駄になってしまいます。こういう時、ウールちゃんならどうするのでしょうか。私なりに思考を巡らせました。観察するようにアイちゃんを見つめていると、一つの案が浮かびました。

 

「どうしたの、そんなにジロジロ見て」

「私、アイちゃんのも食べたくなっちゃったの。もらってもいいかな」

 

静かにコーンを差し出してきました。別にいいよ、そう言い終わる前に、私はアイちゃんのチョコミントを優しく食みました。

 

「ちょ、そこ食べたら」

 

チョコの甘さとミントの清涼感が口に広がりました。それとは対照的に、アイちゃんは顔を赤らめて、明らかに動揺を隠し切れていませんでした。

 

「いつも食べるチョコミントよりもおいしい。アイちゃん、ありがとう」

「べ、別にいいけど、そこ食べるのはよくないというか。わざわざそこじゃなくても、他にあったでしょ……」

 

小さな声で呟いていました。いつもクールなアイちゃんは、今はいつも以上にかわいかったです。

 

 

私の今日最大の目的が、まだ完了していないのです。落ち着いたアイちゃんと共に向かった場所には、指輪がたくさん並んでいました。ここに来るのが、一番の楽しみでした。お手軽なものから高級品まで、都会にはこんなハイブランドなものまであるのです。もちろん私にはそれを買うほどのお金は無いのですが、値段だけがその物の価値を決めるわけではないと思います。悩ましく顔をしかめていると、意外にもショーケースを見つめていたアイちゃんが、声を発しました。

 

「アリアンスは、指輪好きなの」

「うん、とっても好き。昔、お母さんに見せてもらった指輪がすごく綺麗で、その時から指輪に興味を持ち始めたの」

 

今日初めてアイちゃんから話題を振ってくれました。それが嬉しくて、私は続けました。

 

「私が小指につけてるのがその指輪で、だから私もお返ししたいと思って、高いのは買えないけど、今の私が買うことが大事だと思うの」

 

私が話に夢中になってしまって、慌ててアイちゃんの様子を伺うと、少しだけ微笑んでいるように見えました。

 

「ふーん。悪くはないと思うよ」

 

結局、私の貯めたお小遣いの範囲で、小さなルビーが埋め込まれた指輪を買いました。

 

 

帰り道、私はふとこの前の全日本ジュニア優駿を思い出していました。もちろんアイちゃんに直接その話をすることはできませんが、何か悩みがあるのは私でも分かりました。どうにか解消してあげたい、その思いが募っていきました。

 

「次のレースは決まってるの?」

「すばるステークス」

「私、絶対応援に行くから、がんばってね!」

 

少し不機嫌そうな顔をしました。けれど、ここで引き下がるわけにもいきませんでした。

 

「この前のレース、見てたでしょ。私はもう弱いよ、走れない。見る価値なんてないから、わざわざ来ないで」

 

強い圧迫感を感じました。心の底から何かを憎悪しているような鋭い視線を、私に向けました。レース本番の時のような緊張感に、辺りは包まれました。

 

「じゃあわたしもう帰るから、おつかれ」

 

ちょっと待って、そんな声も届かぬまま行ってしまいました。今日の一日が楽しかったのは事実です。しかし去り際がこれでは、結局私は何も解決できなかったことに他なりませんでした。まだまだアイちゃんについて知らないといけません。こんなことで挫けてはダメです。燃える夕日に新たな決意を誓って、私も帰路に着きました。




本来、すばるステークスの方が紅梅ステークスよりも前に開催されているのですが、諸事情で前後させてしまいました。お許しください。
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