秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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(番外編)八話 彼女のために

アリアンスを追い払ってから、私はトレーニングに出なくなった。トレーナーからの連絡も無視した。彼女さえ無視し、歯車がもう一段階ズレた私はさらに孤独になっていく。それでもレースには出なければいけないから、本番の少し前にトレーナーのところへ向かった。

 

「もうあなたとはやっていけません。このレースを最後に、辞退させてください」

 

当然だった。トレーニングを放棄してさらに自分のために精一杯働いてくれる人を無視したのだから愛想を尽かされて当然だ。表情ではだるそうに話を聞きながらも、歯を食いしばらなければ壊れてしまうくらい心は弱く、泣いてしまいそうだった。私はいつからこんなに涙もろくなったのだろう。トレーナーが去っていった部屋で、いつかの日のように泣いていた。そしてずっと泣きじゃくってから、人がいない道を通って教室へ戻った。ターフには行きたくない。だから一人でいつものように窓を眺めていた。ふと机の中に何か入っていることに気づいた。飴玉とメモだった。かわいらしい字で文字が綴られている。

 

『アイちゃん、次のレース、また応援に行くね。お節介かもしれないけど、私はアイちゃんが大好きだから、笑顔で走ってほしいの。きっと練習で疲れてると思うから、飴も置いておくね。何があっても、私はアイちゃんの味方です』

 

ああ、ああ。涙と共に嗚咽が溢れてどうしようもなかった。もう涙なんてとっくに枯れたはずなのに、止まらない。彼女はいつになったら私を見捨ててくれるのだろう。突き放しても突き放しても私の笑顔をこの子は求めるんだ。私の味方であろうとしてくれるんだ。ようやく、ようやく学園を出ていく決意ができたのに。こんな状態になっても私は結局、自分の全てを肯定して支えてくれる人を最後まで待っていたんだ。レースに興味がないからなんて勝手な理由で走ることを放棄して、本当はいくらでも私に期待してくれている大切な人たちがいたはずなのに。目の前にいたはずなのに。なんでその思いを背負おうと思わなかったんだろう。いや、違う。それに気づいた時には、周りは皆敵だったんだ。惰性で過ごしていたから周りは私を非難した。けれど全部自分のせいだから、強がって周りを拒絶して。私はそんなことできるわけもない涙もろいウマ娘なのに。小さな狐が吠えているだけに過ぎないのに。負のスパイラルの中で私はどんどん居場所を失って、とうとうトレーナーまで失った。それでもまだ強がろうとしていたところを、アリアンスが気づいて手を差し伸べてくれた。結局一番私のことを理解していたのは、私を一番知らなくて、一番理解しようとしてくれた人だった。それに気づいてからはもう涙が止まらなかった。後悔も希望も夢も絶望も全部流し切って、頭を真っ白にした。そして考えた、私はもう、アリアンスのためだけに走ろう。こんな私を見捨てず、支えて認めてくれた彼女のために、私のトゥインクルシリーズの全てを捧げようと思った。やっと、やっと走る理由ができた。堕ちて、堕ちて堕ちて、退学という最底辺まで堕落しようと考えて、ようやく一筋の光が見えた。机の上のいちご味の飴玉を噛み砕いて、誰もいない時間帯を見計らって門限なんか気にせずひたすらトレーニングを行った。

 

仁川ステークス、当日。私は全く不器用で、しばらくまともに練習をしていなかったから全身が筋肉痛だった。こんな状態じゃ勝利なんて夢のまた夢だ。トレーナーに会わないように気をつけながらさっさと会場に到着して、最後の抵抗にストレッチをしていた。控え室に入ると、また小さな飴玉が置いてある。送り主の正体はすぐに分かった。こんなかわいい包装紙の飴を配るウマ娘なんて一人しかいない。相変わらずそれを噛み砕いて、よしと気合を入れ直した。

 

「見ててね、アリアンス。私は今日から変わる。堕ち切ったウマ娘は、あとはもう這い上がるだけだから。あなたに見ていてほしい」

 

絶好の良バ場だった。レースに出走するウマ娘は次々と入場していて、そこには一番人気の姿もあった。確かジュニア優駿三着の子。今の私にはかなり厳しい相手だと思う。それでも、それでも今日だけは負けられない。どれだけ身体が痛くても、どれだけ周りの視線が痛くても、負けるわけにはいかない。

 

「さあ、最後は一番人気、八番ユーレーンがゲートに収まります」

 

ゲートの中ってこんなに窮屈だったっけ。本気になると世界の全てが変わる。窮屈で窮屈で仕方がない。だからこそ、最高のスタートが切れる。勢い良くゲートが開いて、私は思いを全てぶつけるように発進した。

 

「三番フルアダイヤーが良いスタートを切りました。そして少しずつ速度を落として後方へ、ハナはやはり行きました、二番です」

 

私はやっぱりこのスタイルがいい。一気に脚を爆発させるこの感じ、溜めて溜めて放出したい。今までの後悔も、これからの期待も。レースは少し流れて、こんなにスタンドから離れているのに、あの華奢なアリアンスの透き通った声が聞こえてくる。幻聴かもしれないけれど、それでもよかった。

 

「さあ向正面を過ぎて、いよいよ最後のコーナーへ。ここからは緩やかな坂が続いていきます。少し速いペースの中、脚を溜めていた二番がここで飛び出していきました!それを睨むように一番人気ユーレーン、二番人気五番と続いていきます!勝負は最後の直線に託されました!」

 

坂が顔を見せ始め、少しずつ筋肉痛が効いてくる。ここからはもっとスピードを上げないといけないというのに、既にギリギリだった。はあ、はあ、最後の直線に近づいて、いよいよ皆フルスロットルの中、全身の痛みでなかなか差が縮まらない。

 

「フルアダイヤーはまだ来ない!ここで先頭はユーレーン!そして五番、やはりこの二強になるのか!あと300!」

「負けられない、負けたくない!」

 

身体が言うことを聞かない。ここまで堕ち切ったツケの全てが私を今襲っている。五百キロの重りを乗せられているかのように身体が動かない。大穴から這い上がろうとしているのに、下から悪魔が私を引っ張る。

 

「アイちゃん!」

 

ずっと、ずっと聞こえていた彼女の声。スタンドの前でやっとはっきりと届いた。大声が苦手な彼女がなんとか振り絞って精一杯私のあだ名を叫んでいる。ツケがなんだ、悪魔がなんだ、私はアリアンスのために走るって決めたんだ。もう、逃げない!

 

「絶対負けない!!」

「残り200!外から猛追、フルアダイヤーだ、フルアダイヤーだ!恐ろしい末脚、フルスロットル、あっという間に並んだ!しかしもう止まらない、二バ身、三バ身!圧勝で今ゴールイン!!」

 

はあ、はあ、過呼吸で死んでしまうかと思った。重賞でもないのに、私の肺は充実感を取り込んで呼吸している。雲の無い橙の夕焼けが何よりも綺麗で、私の心も澄み切っていた。一番人気のユーレーンを応援していた奴らの罵声が心地良い。私はやったんだ。ようやく這い上がってきた。走る目的を見つけた。アリアンスが目を真っ赤にしてこっちを見ている。今の彼女の尊く美しい顔が、私の全てだった。久しぶりの先頭の景色は気持ちいい。アリアンスが本気で走る理由が分かった気がする。だって、誰かの思いを乗せて走るレースはこんなに楽しくて、気持ちよくて、心が晴れ晴れとするものなのだから。私はレースの時と同じくらい全力の笑顔を彼女に向けた。

 

「アリアンス、見ててくれた?私、やったよ」

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