秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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ナタリーの過去

「その様子だと、あの子とうまくいったみたいだね」

 

私があまりにも上機嫌にお茶を淹れているので、ナタリーさんにも伝わったみたいです。

 

「ナタリーさんのおかげで、アイちゃんも元気になってくれました」

「いやいや、アーちゃんの熱意が彼女に伝わったんだよ。あたいは何もしてない。でも、少し昔を思い出した。あたいもクラシックの時は結構荒れてたから」

 

熱々の頂戴ね、そう言って中断していた作業に取りかかりました。ナタリーさんが荒れていたとはどういうことなのでしょうか。今の頼りがいのある先輩という姿からは想像もつきません。

 

「あたいはどうしてもトリプルティアラが欲しかったから、それはもう狂ったようにトレーニングしてたよ。感情がなくなるくらいね。そんなあたいが秋華賞で負けた。その後どうなったと思う?」

 

もう一回作業を中断して、少し重たいトーンで語るように聞かせてくれました。桜花賞、オークスと勝利して、三冠がかかったナタリーさんの不安や緊張、そして周囲の期待は凄まじいものだったと思います。けどナタリーさんは負けてしまった。今の私では想像ができないくらいの絶望が襲ってきたのだと思います。

 

「そう、もう全てがどうでもよくなった。辛くて、苦しくて、途端に自分の生きる意味を失って。アーちゃんの友達と同じだね、走る意味を失った。周りには失望する人もいたし、励ましてくれる人もいた。でもどんな言葉も空っぽのあたいには届かなかった」

 

いつものナタリーさんの顔なのに、瞳の奥が少し濁って見えました。思い出すだけで辛い出来事なのだと思います。私は頷くことも忘れて、黙って聞くことしかできませんでした。

 

「チームの練習にも出なくなって、授業もサボるようになって、日によっては一日中引きこもって。あたいはもう、生きているというよりは死んでないだけ、そんな状態だった。ある日寮にノックがあって、ようやく退学かと思ったんだけど、誰だったと思う?」

 

焦らして焦らして、もったいぶって言いました。

 

「ルドルフ会長だった。最強のウマ娘が、わざわざこんなあたいの部屋までやってきた。髪もボサボサで、目の隈は酷くて、少し痩せて病人のようなあたいを見て最初に言った言葉が、『おつかれさま』だった。なんか胸がドキッとしたよ。廃人になったあたいに退学を言い渡すでもなく、叱るでも指導するでもなく、一言労ったんだ。めっちゃ効いたよね。もう頑張らなくていいんだよって言われた気がして、認めてもらえた気がして。今までもたくさん励まされたけど、極限状態のあたいにはルドルフの言葉が一番強く響いたんだ。彼女は続けた、『君は、その思いを後輩に伝えられる強いウマ娘になればいい。それができるのは君のようなウマ娘だ』って」

 

ほんと、さすが会長だよねと笑っています。ナタリーさんは本気だったからこそ、本気で夢見ていたからこそ勝てなかった絶望に苛まれて苦しんだ。ルドルフ会長はそれを全て知っていて、ナタリーさんの進むべき道を先導したのです。勝つ喜びも、負ける悔しさも、それを誰よりも知っているナタリーさんなら、きっと後輩の良い手本になると確信したのです。

 

「その言葉に救われたあたいは、やっと立ち直ることができて、自分の目的を見出せた。勝つことが全てじゃないと彼女が教えてくれたから、あたいの第二の人生が始まったよね。そんなところにアーちゃんが来たから、あたいもウキウキだったんだよ」

 

くくっと笑っています。絶望を乗り越えて掴んだ幸せが、今のナタリーさんの笑顔なのです。とても愛おしくて、強くて、美しい先輩の笑顔。なんだか涙してしまいそうです。

 

「だから、たくさんたくさん頼ってね。アーちゃんはあたいと違って不器用じゃないからあたいなんていらないかもしれないけど、アーちゃん一筋の先輩としては頼られるのって本当に嬉しいから」

 

らしくない話しちゃったな。そう言って照れながら熱々のお茶をすすっています。ナタリーさんとの距離がグッと近くなったような気がします。先輩なのに、お友達のような、お友達なのに、敬意を払うべき先輩のような、言葉にならない感覚です。

 

「あたいの話はここまで、それで、お友達のレースはどうだった?」

 

私が口を開いた瞬間、ゆっくりとドアが開かれました。

 

「アリアンスさん、いますか」

「お、噂をすれば。はいはい、隣にいますよ。じゃあ邪魔にならないようにあたいは別の場所行くね」

 

ひらひらと手を振って去っていきました。わざわざアイちゃんが寮までやってきてくれて、何か用があるのでしょうか。

 

「ここがアンの部屋、ベッド、良い匂い」

「アイちゃん、あんまり嗅がれるとちょっと恥ずかしいよ」

 

私のベッドの周りを見回してから、ようやく本題に入ります。

 

「アンのチームに入れてほしい」

 

驚いて変な声が出てしまいました。理由を聞くと、トレーナーさんが辞退してしまって新しい人を探しているみたいです。

 

「きっとあのトレーナーなら大丈夫。それに、アンと一緒にいられるし、走れる。だから、アンのチームに入れてほしい」

 

有無を言わせないくらい迫ってきて。私は全然いいのですが、やっぱりユウさんの許可がいります。それにウールちゃんも。なんとか落ち着いてもらって、この後一緒にトレーナー室に向かうことにしました。


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