秋の向こうへ、その向こうへ。   作:たいたい35

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もう一人のトレーナー

息は少し荒く、両手に積まれた大量の本で身体の半分が隠れていました。くせ毛をアンテナのように揺らしながら部屋に入ってきたその女性。もちろん私たちははじめましてでした。自分の入室の間の悪さを恥じているのか、その女性は慌てています。

 

「あ、いや、その……」

「そんなにたくさん持ってきてくれたんだ。ヒナ、ありがとう」

 

私たち四人全員が、頭の上に巨大なはてなを浮かべています。「それもそうだよね、説明しないといけない」そう言って女性が持ってきた資料をユウさんが受け取りました。

 

「ちょうどみんなが旅行に行っている間に、トレセン学園で新米トレーナーとして活動することになった、僕の同い年のヒナだよ」

「あわわ、その、私……」

 

その女性、ヒナさんは目を泳がせて、言葉に詰まっているようでした。頭が真っ白になっているヒナさんに、ユウさんは暖かい言葉をかけます。

 

「大丈夫、落ち着いて。アリアンスたちなら快くヒナを受け入れてくれるはずだよ」

「あの、私、つい先日からここでトレーナーとして活動することになりました、その、ヒナといいます……!至らない点も多いかと思いますが、わ、私、精一杯サポートするので、その、どうかよろしくお願いします……!」

 

ヒュンと音が聞こえてしまうほど勢いよく、直角に頭を下げます。エアコンが効いた清涼な一室で、ヒナさんの一滴の汗が照明で輝いているのが見えました。まるで目上の上司のような扱いを受けているので、当然私たちは困惑です。頭を上げたヒナさんは、私たちの機嫌を伺うような弱気な瞳をしていました。面接のようにピリピリとした空気が流れる中、それを切り裂いたのはやっぱり頼れるコートちゃんでした。

 

「ここには世代最強クラスのウマ娘が四人もいるのだから、緊張するのも無理ないわ。ふふっ、そうよ、私たちはすごいんだから。なーんて、ヒナさん、こちらこそよろしくね」

 

私はコープコート、そう胸を張って告げた後、ダンスを踊るように優雅にカーテシーを行いました。裾を持ち上げる動作は凛々しく、気品に満ちています。さすが名家のお嬢様です、ほんの小さな所作なのに、思わずうっとり見惚れてしまいました。

 

「あんた、そういえばお嬢様だったもんね。今見てて思い出した」

「な、どういうことよ。私だって礼節くらいわきまえてるわ」

 

いつもの二人のやりとりに、ヒナさんの口元の震えが止んだ気がしました。私としても、もっと気楽に、むしろどっしり構えて応対してくれるくらいでも丁度いいと思います。その一歩として、少しでも安心していただけたのなら、これ以上ない喜びです。

 

「それで、担当ウマ娘は決まったんですか」

「まだ、何も……」

「しばらくは僕の近くで、皆のサポートをお願いすると思う。ヒナには、アリアンスたちを支えていく中で自分に合ったウマ娘を見つけ出してほしい」

「よろしくお願いします、ヒナさん。私、アリアンスっていいます」

「あわわ、こちらこそ、どうかよろしくお願いします……!」

 

入学したばかりの時、ナタリーさんに対して、今のヒナさんのような動揺ぶりで挨拶を交わしていたような気がします。それなら私は、心配しなくていいよ、そう伝えなければいけない気がしました。

 

「ヒナさん、緊張、していますか?不安、ですか?」

 

アメジストの瞳でヒナを見上げるアリアンスは、心配しているというよりは、どこか子をあやすような温かな口調だった。まるで彼女のことを全て理解しているようだ。さらにその張り詰めた不安と緊張の糸をゆっくりと解こうとしている。それが彼女の天性の優しさだった。それが、ふわりとヒナを持ち上げて、そのまま包んでしまうような錯覚を起こした。思わず彼女は、はいと答えてしまう。

 

「ヒナさん、すごいです」

 

今度は尊敬の眼差しで、ヒナを見つめていた。

 

「私、自分のマイナスな気持ちを正直に伝えられる人って、とっても素敵だと思うんです」

 

トレーナーの方は、ウマ娘の前だとどうしても弱みを見せようとしない人が多いです。余計な心配をかけたくなくて、自分が取るに足らないトレーナーだと思われたくなくて。お父さんは言っていました、美しいトレーナーは、自分の強みも弱みも全部担当ウマ娘にさらけ出して信頼を得ようとする、と。彼女たちがどんなに巨大なモノを背負って走っているのか、それがどれだけ苦しいことかを理解しているトレーナーは、自然と自分の弱みを吐露し、歩み寄ろうとしてくれます。ウマ娘が背負うものは、レースの身体的辛苦だけではありません。自分や誰かの思い、背負うもの全てに押しつぶされそうになりながら走っている。そのことを理解できるトレーナーは、「自分だってこんなに情けない人間だから、君も完璧である必要なんてないよ。少しでも苦しくなったら、嬉しくなったら、何でも全部教えてほしい。素敵な報告なら僕も心から嬉しいし、冷たい話題なら、こんな僕だからこそ寄り添える部分もあるはず。どれだけ些細なことでも一緒に乗り越えていきたい、だから君のこと、全て教えてほしい」と言うのです。どこまでも対等であろうとするのです。ひたすらトレーニングメニューを指示し、ウマ娘を機械のように扱うだけでは、いずれ壊れてしまいます。まして、自分を崇高な存在だと告げるのはもってのほかです。さっきの言葉は、ユウさんが私に告げてくれたものです。その言葉で、私の心は救われたような気がしたのでした。そして今、ヒナさんにどこか似たような感覚を覚えたのです。小さな感覚でしたが、ヒナさんを離してはいけないと、そう言っているように感じたのです。この人はウマ娘を理解できる人だと、そう言っているのです。

 

「だから、ヒナさんに私たちのサポートをしてもらいたいです。一緒に頑張りたいです。だから、よろしくお願いします……!」

 

ヒュンと音が聞こえてしまうほど勢いよく、直角に頭を下げました。垂れた髪が目に当たって痛みを感じます。反射で、するっと涙が二粒、滴りました。

 

「あたしもアーちゃんと同意見!せっかくならみんな改めて自己紹介しないとね!」

 

ウールちゃんのいつもの爽やかな大声が、いっそう響き渡りました。

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