「っ!」
最初に気付いたのはアダムであった。
張り巡らせた防御プロトコル、自身との演算を共有した外部切除式。その全てが余りにあっさりと掻い潜られた事に。
「……ZZ、お前」
最大の動揺はその全てがZZの意思によって行われた事。彼が自分からプロトコルを掻い潜って博士が仕込んだ何かを起動したのだ。
こうなってしまえばもう防護の意味は無い。ただ起動したそれは、要求通りの働きを見せるだろう。
「全員、逃げ──」
その言葉が終わらない内に、何もかもが湧きあがった黒雲に飲み込まれた。
「何……だありゃ!」
「終末だ。神へと至る、な」
自分の相対していた相手に似る、その上で根本の出力が違う何かの出現に動揺するゼロエル。対して博士には動揺も驚愕も無く、達成感に包まれた表情でそれを見据えていた。
「……アレがテメエの終着点か!?」
「そうだとも。一万年、長い時間だ。ここまで続けた甲斐があったと言う物だ──」
ゼロエルの叫びも、博士の安堵も、黒雲は全てを飲み込んだ。
「……どう見る?」
「獄地は死んだか?」
「どうでしょうね。彼もアレで三番手ですから」
キリカル、カセカル、天元の順で語られた言葉は彼らの同僚の無事を案じる内容であり、同時にあの黒雲の規模を探る言葉でもあった。
「アレが極天に至るのにどれだけの時間がかかる?」
「そればかりは我々では。上の方に聞くしか無いでしょう」
「結局そうなるか」
黒雲が極天に至る事を確定事項として行われる会話。それ即ち、現在彼らだけで到底対処できない存在の出現を意味していた。
「今の所は監視に留めておきましょう。撤退か、攻勢かはアレの動きを見てからに」
政府軍がその黒雲に気付いたのは発生から五分後の事であった。
即座にその危険性が判断され、驚異的な速さで以て兵器使用の許可が下りる。
行われた一斉攻撃はしかし、黒雲に飲み込まれ消えた。
光速の五十パーセントの速度で発射されるニ十トンの鉄塊が、衝撃波に指向性を持たせて威力を集中させる装置が、確率性の熱を凝縮し冷却と焼却を同時に行うパラボラアンテナが、ミクロン単位の針を打ち込み物質を裁断する断裂機が、空間を圧縮し強度を無視した破壊を行う兵器が、秒間二万七千発で極超音速の弾丸を乱射する無数の歩兵銃が。
何もかもが、黒雲の前に飲まれ、消え去った。
「……う……あ……?」
「起きましたか。大丈夫では無さそうなのでもう少し寝ていて下さい」
「ZZ……は……?」
「今は気にしない方が良いでしょう」
起き上がろうとしたXXXがパン、と手を叩いた音に合わせるように倒れ込む。単なる音の響きだけで停止命令を実行されたのだ。
「……言わなくて良いの?」
「言ったらマズい事になります。修復も終わっていないのにアレに突っ込むだけ無駄でしょう」
千桜四石はそう言って湧き上がる黒雲……ZZと呼ばれていた物を見据えた。
物質を食らい、自身に置き換え増殖を続けるナノマシン。グレイグーと謳われた終末の形。ZZはそうなり果てたのだ。
「今の所こちらに来る事は無いですが……それも後二時間までですね。その時点でアレは空間の分断を食い破って現実に浸食し始めるでしょう」
「その空間の分断って何? 千桜何かやったの?」
「私は何も。ただ、アレが世界の軛を真っ先に取り込もうとしているだけです」
「……それ、まずくない?」
「マズいですね。それが終わった瞬間世界の法則がめちゃめちゃになります。科学者は全員首を吊る事になるでしょう」
ZZの変化したナノマシンの恐ろしい点は、一つ。それが実体でなかろうと分解し取り込んでしまう事だ。
例えば形の無いエネルギー。例えば、概念。例えば、法則。
そう言った本来干渉できない筈の物にまで安々と食らいつき、己の一部に変えてしまう。
その性質を獲得した上で真っ先に襲い掛かった対象が世界その物。これが取り込まれたが最期、世界は本来あるべき形を保てず崩壊するだろう。
超越の領域と呼ばれる世界に伍する存在であればその状態でも問題は無いだろうが……そんな物、この世界にさえ十人もいない。
「私も特に頭が良い以外は外れていないので、アレが食い終えた瞬間死にますね」
「まずいじゃん! 早く何とかしないと……」
「何ともなりませんねー」
全てを諦めた千桜は投げやりに言い放つ。
「起動した時点でこの世界の存在では対処不可能。アイギス連中がなんやかんやするでしょうが、それもまあこの世界が滅亡した後でしょうし、そもそも連中でもどうにもならないでしょう。アレは極天です。限界無しにどこまでも膨れ上がって行くでしょうね」
それを聞いてリオは唖然とした表情を浮かべる。
千桜とは頻繁に会う遊び仲間なのだが、五年近い付き合いの中でも千桜がここまで悲観的な事を言うのはまず無かったからだ。
そして、長い付き合いな以上千桜の性質もよく知っている。
即ち、彼女が無理と言った事は無理なのだ。
その上で。
「じゃ、止める方法探さないとね」
一切、諦めない。
不可能も、絶望も、叩き伏せて見せると言わんばかりにリオは拳を打ち鳴らした。
「貴女ならそう言うと思ってましたけどね……まあ協力はしますよ。数少ない友人ですから」
「よしその意気だ! 行くぞー!」
「今行っても駄目ですよ。せめて可能性は高めていきましょう」
えー、と言うリオを押し返して千桜は黒雲の内を眺める。
彼女の予測通りであれば、直ぐにでもそれは来る筈だが……
「っと! 降りろ、テメエら」
「いや、助かった。流石に礼を言うぞ」
『今回ばかりは心の底から感謝しておこう』
アダム、天道、極。
超越存在たる三人の追加。
だが、この状況ではそれでさえ心もとない。
「とは言え戦力として期待は出来ますし……存分に使い潰しますか」
「何だテメエ開口一番に。何か用か」
「はい。簡潔に言えばこれからは暫く私の指示に従ってください」
その言葉に露骨に不服そうな顔を見せるアダム。しかしそれでも金棒を振りかぶり始めた天道と最初から従うつもりの一切無い極よりは大分マシだ。
その事に内心で溜息を吐きながら千桜は言葉を紡ぐ。
「一応この場で最も正確且つ正解に近い指示を出せるのは私です。それは理解していると思いますが」
「……チッ」
舌打ちをしながらもアダムはその場に腰を下ろし、待ちの姿勢に入る。指示を聞く気にはなったようだ。
「先ずですが、ゼロエルの回収。深く巻き込まれたアレは自力で脱出出来ていないようです。外から穴を開ければ直ぐに復帰してくるでしょう。
次にXXXの修復。状況の解決に必須です。
加えて戦力の追加。使える伝手から全て募って下さい。それでもまるで足りませんが」
「あー分かった。が、XXXの修復が最初じゃねえのはどういう意味だ。五秒もかからんが」
「その五秒で間に合わなくなります」
きっぱりと言い切った千桜にアダムは即応する。
瞬時に装甲を広げ大規模な変形を繰り返し、黒雲に風穴を開ける用意を整えた。
「右に20.342、上35.3302威力は目一杯で結構です」
「言われなくとも全開だ!」
状況に追いついていない天道ら三人を無視して行われる指示と、その実現。
それは最速で以て最善策を実行するに至り……狙い過たず黒雲に大穴を開けた。
瞬間、閃光が迸る。
「っがあああああああああああああ!!! 糞が! 何だ一体よお!」
咆哮と共に全身をズタズタに引き裂かれたゼロエルが黒雲の穴から姿を見せる。
これでまた巨大な戦力が千桜の手元に訪れた。
だが、それでも到底盤面を返すには足りない。
そう考えて千桜は眠り続ける少年を見る。
「貴方が希望なんですから、しっかりしてくださいね」