それは単なる力だ。
人間が拳を振るうのと、武器で殴りつけるのと、何も変わらない。
複雑な道具を扱った訳でも、理論立てて組み上げた訳でも、精密に条件を作った訳でも無い。
単に一撃、最も単純な力を撃ち放っただけ。
それだけで湧き上がる黒雲の二割が消し飛んだ。
だがそれを行った幼翁からすればその程度の成果した与えられない事に驚愕するべき事である。
「恐ろしい。やはりあのIすら喰らいかねん」
幼翁の眼前で削られた体積を即座に修復し、より精密に、より正確に防御を組み上げる黒雲の存在。
極天の一撃に耐え、次に備えるその姿は終末たる黒雲が正しく極天である事を表していた。
「まだ世界の軛も食らっていないのにこの有様。一世界の法則の学習すら終えていないと言うのに」
懸念した通りだ、と呟いた幼翁は時間を置き去りにした速度で以て連撃を放った。
一撃一撃が多元宇宙を無限に近しい数消し飛ばす攻撃が、黒雲を形作るナノマシンの数より多く放たれる。
だが、それでさえ瞬く間に対応され吸収される。
単なる速さや威力の問題では無い。どれだけの威力であろうと黒雲は学習し対応する。それを超えるにはそれこそ今の物さえ彼方に置き去りにする攻撃を絶え間なく続ける必要が有るだろう。
「単なる出力勝負では分が悪い、か」
虚空に呟き、幼翁は攻め手を変えた。
矛盾する。
其処に有る物が無く、無い物が有る。
観測と未観測が入り混じり有意と無意が入れ替わり攻撃と防御が逆転し勝利と敗北が交錯し生と死が反転し男と女が置換されあらゆる矛盾が巻き起こった。
結果、事象は崩壊する。
押し付けられた無限の矛盾に耐えられる存在等在りはしない。どれ程の物であろうと生死の狭間に消え去るか、状況を理解できず崩壊するかの二択を迫られる。
仮にこれを対処するのであればその時点で対処できないと言う矛盾が発生し、再び連鎖的に無限の矛盾に飲み込まれるだろう。
「……分かってはいたが……自分が通じない、と言うのは……ふむ、コレはコレで少し新鮮ではあるな。ついこの間もIを相手に味わったが」
無限の矛盾の渦、それを矛盾する事無く飲み込んだのはひとえに黒雲の持つ可能性が幼翁のそれを凌駕しているからだ。
相手の容量を無限ループで超過させるような幼翁の攻撃は、無限ループをそのまま飲み込んだ黒雲に通じない。
それが分かって尚、幼翁に対した動揺は無かった。
「さて、この世界の存在はコレにどう抗してみせる?」
「絶望ですね」
幼翁の全力すら対処してのけた黒雲に千桜が呟く。
単に対処された、だけならまだ良い。問題は学習、吸収された事。
元々極天の器であったとは言え、出力不足で厳密には極天の座に届いては居なかった。だが、今の攻撃で器に中身が満たされてしまった。こうなればただの極天、真っ当な存在では傷の一つも付けられない。
「へい千桜! どーすんの!?」
「防御は続けておいて下さい、余波で私が死ぬ」
「こっちも死にそうなんだけど!?」
「死んでも私を守って下さい。本当に死ぬ」
喉を震わす事無くゴム紐を素手で揺らして生成された声が、平然と666相手に会話を行う。
曲芸の類ではあるが一言たりとも無駄に出来ない現状では少し有用だ。
「クリテルマは後退セルトラニアは防壁を全力で展開外灯は右方12.2度に向けて魔力投射フォルドマルクトは重力を反転させて後退キャタラトムはバンテラリアに保護魔法を……」
止め処なく紡がれる指示は時に光速さえ置き去りにする神速の戦いの最中でさえも状況に追いつく精密な物。
それでさえ、あの黒雲の対応力を打ち破れない。
頼みの切札は未だ切れる状況では無い。今使えば飲み込まれて終わりだ。
こちらを吸収しようと、観測しようとしている状況でありながら同時に攻撃を行っていない状態を作り上げられなければXXXによる停止信号も効果を発揮しないだろう。
つまり、まだ一手が必要だ。
(この状況でアレを一瞬止める一手……ええい、無茶苦茶な!)
極天である幼翁ですら止める事に苦慮する怪物。加えて言うならその停止も極天から見ての一瞬、高々超越存在程度ではそれを認識する事さえ出来ない。
戦況は兎に角幼翁を中心として支援しながら、同時にそれを盾として使い被害を限界まで減らす形式に移行していた。
何もかもが消失する。
己を中心に戦況が動き、そう誘導されている事も幼翁は自覚していた。
故に、指示に従い
「私の攻撃範囲を見もせずに把握してのける、か。彼女も相当な存在だ」
一切配慮を行わない全力攻撃に今や億に届きうる軍勢を巻き込まないよう指揮する規格外の頭脳。
幼翁からしてもそれは並外れた技である。
やろうと思えば
「なら、私も応えよう」
矛盾が起きる。
先程のように相手の内で起こすのではなく、自らの内で。
有が無が一がゼロが男が女が勝利が敗北が不可能が可能が何もかもが何も無しが矛盾を引き起こし無限の膨張を引き起こす。
矛盾故の無限、本来ならば即座に受け止めきれず爆ぜるそれを、受け止めると言う矛盾で包み己のエネルギーとして使う。
極天故に出来る荒業にして、離れ業。
元の出力も、要求される精密さも次元を果てへ追いやる狂った規模。
それを以て一撃が放たれる──
「……流石に許容外だと言わせてもらおう」
無限が。
無限の矛盾が。
無限の矛盾が無限に続く、無限大の一撃が。
止められる。
「……その光景は私にとっても許容外だ」
黒雲の一部が揺らめき、人型を取っていた。もしこの場にアダムかXXXが居たならば、それを博士と呼んだだろう。
「成程、極天であっても驚く事はある様だ。良いサンプルになる」
放たれた一撃を受け止めた博士は淡々と言葉を紡ぐ。そこには驚きも、恐怖も無い。
「……想像以上だ。この黒雲、極天を産むのか」
極天に抗する者、即ち極天である。
ならば今、博士は極天の座にたどり着いているのだ。
黒雲は極天である。博士も極天である。黒雲に際限は無い。
「ああ。無限にな。正確に言うならば無限のリソースが尽きない限りだが」
「……全ての存在を食らい、それを一つに纏める気か」
博士の僅かな言葉から幼翁は黒雲……博士の作り上げた終末機構の正体を暴く。
それ即ち、あらゆる存在を一つに束ね、神の座へ至る収集装置。或いは、史上最大の記録装置だ。
「ふむ。極天とはそこまで理解が早い物か。侮っていた。とはいえ、この様子だと後数時間もあればお前の吸収も済むだろう。そうなれば世界の軛も必要ない。そちらの方がより神に近いのだから」
博士の言葉が響き渡る。
無限さえ超える幼翁の生、それを後数時間と言ってのける一万年生きた程度の学者。恐るべき事にその言葉は真実なのだ。
それを聞いて幼翁の内に一つの感情が湧きあがった──
『さて、最終段階です。覚悟は出来てますか?』
「ZZを助ける為なら幾らでも」
『なら大丈夫です。細かいポイントはアダムさんに指示しますので、合図が有ったならその時点で信号を』
「分かりました」
アダムに掴まれた状態でZZの変化した恐るべき黒雲へと近づいて行く。
余りのサイズに加え、不気味に蠢動するそれは距離感を掴めなくさせるには十分だ。
「アダム、今アレから何キロ!?」
「二百五十キロだ。何事も無く近づける限界距離!」
吹き荒れる黒雲は触れただけでアダムは疎か、それよりもっと上の存在でさえ消し去す恐怖の代物。
だが、俺からすれば単にいつもと同じ当たったら死ぬだけの物だ。ZZを助ける為なら何とでも乗り越えて見せる。
「アダム、一応俺を優先してくれよ?」
「覚悟決めたんじゃ無かったのか?」
「ZZ、俺が居なくなったら泣くだろうし」
「じゃあお前が無事な状態でアイツを助けて後で泣くまでアイツボコボコにしてやる」
「どうしてそうなる!?」
謎の回転を見せたアダムの思考に突っ込みを入れ……俺達は黒雲の渦へと突入した。