神の座。
それはあらゆる存在が意識無意識にせよ手を伸ばし続ける頂である。
宇宙とは神を作る為の坩堝であり、内に産まれた存在達はあらゆる手段で神を目指す。
人は形を似せた。魔は形と力を、機械は精確さを、星はその絶大さを。
あらゆる存在が神を目指し、そして一歩も近づけず滅んでいく。
「我々は一歩たりとも神に近付いて等いない。我々が存在と言う矮小な器に押し込められる限り、神に迫る事など無いのだ」
「……それがどうした」
博士は、咆える。
諦念と共に語られる意味をかき消すように。
「私はたどり着く! 永劫だろうとも、不可能であろうとも!」
「無駄だ。お前では何も出来はしない。……この場で私に負ける程度の存在が、可能性を掴める筈も無いだろう?」
「何──」
幼翁の言葉に博士は即座に周囲を警戒し、距離を取る。
だが、何かが来る事も起きる事も無かった。
「ハッタリを──」
「そう思うか? ならばそこまでだ」
直後、あらゆる外からの一撃が博士を切り裂いた。
「な──」
「私の
最も、神の座等には遠く及ばない……高々現存する存在全てに取って外、と言う程度だ」
二つの驚愕が博士を襲う。
一つは、自らを切り裂いた攻撃の異質さ。
それは如何なる性質にも合致せず、如何なる法則にも従わず、如何なる理解も拒む全ての外。
それに乗った破壊の意思は、博士と言う意識を完全に断ち切り、殺し尽くすと言う事。
もう一つはそれでさえ神に及ばないという事だ。
「馬鹿な──」
その言葉を最後に博士は崩れ消えていく。一万年の妄執、その終わり。
一見すればあっけない物ではあるが……極天による直々の死は、僅か一万年という年月を生きた程度の存在に対して、過分極まる程仰々しい物だ。
「さて、アレは終わりで良いだろう。……問題は──」
幼翁は、見る。
未だ変わらず、形を性質を概念を変え続ける黒雲を。
「コレか。……外斬も無駄だろうな。総当たりで強引に解析するだろう。もう少し……あの男のように小さく区切れば滅ぼせるだろうが……」
今それを行えば期を逃す──そう呟いて幼翁は視線を下に向ける。
その先では、黒雲の内を走り抜ける機械とサイボーグが有った。
「アダム! 後どれ位!?」
「残り一分! 場所は見えてる!」
指差された先、特に何かがある様には見えない空間。だが、終着点。そこへ向けて俺達は着実に近づいていた。
残り一分。本来百メートルも離れていないあの場所へたどり着くには一秒とかからない。だが、広がる黒雲がそれを遮る。
「っ! 危な!」
「気い付けろ! 死ぬぞ!」
「分かってる! 千桜さん! これこのままで大丈夫ですか!?」
視界を次々に湧きあがる黒雲が埋め尽くす。既に体の一部でさえ通り抜けられはしないだろう。
『あんまり大丈夫じゃないです! 右に2cm!」
「!」
アダムが微細に動いた瞬間、真横を黒雲が通り過ぎた。
全く光を通していないそれはもう雲と言うよりただの壁だ。
『……前方5mm、左1.22cm』
聞こえる声からは、明らかな焦燥が伝わって来た。
(この、この状況で追いついて来るか!)
千桜四石が心中で叫ぶ。
あらゆる存在を吸収し、存在の極致へ至ろうとする終末機構はこの局面にて一つの変化を遂げた。
即ち、千桜四石のそれに匹敵しうる未来予測演算。
千年後の天気をミリ秒単位で当てる彼女の頭脳へ迫ろうと、黒雲は胎動した。
「千桜、鼻血出てるわ」
姦の言葉にも返事を返さない。彼女は今、人生で経験の無い事……即ち自身の脳を限界以上に使用すると言う暴挙に出ていた。
(糞! ええい、ここが限界か!)
ハンマーで殴られたような痛みが頭を襲い、急激に視野が狭まって行く。呼吸をしても酸素は足りず、体内に存在するブドウ糖が瞬間的に消費される。
最早生命維持に必要な機能の一部さえ停止させて脳を働かせるが、それでも尚、終末の変化に届かない。
「……後方
火が脳内に在ると錯覚しかねない程の熱を感じる。視界は最早小さな光だけ、音は少し前からまるで聞こえていない。
それらに使う身体機能が惜しい。千桜四石は意図的にそれらを切り捨てた。
目はどこも映さず、耳は何も聞かない。触覚からの情報を閉ざし、血の込み上げる口腔からの信号を遮断、錆びた匂いの漂う鼻孔は意識の外へ。
ただ相手を読み切る機械へとなった千桜の思考が、神憑り的な冴えを得る。
それでも、尚。
「……前方1cm、左方4mm」
終末が追いすがる。
死神が骨の手で頭蓋を抱いている感覚さえしてきた。
考えても、考えてもそれが降り切れない。
己の脳に悩まされ続けた千桜に取って、思考の不足等初めての事だ。
今尚続く幼翁による牽制が無ければ、瞬時に指示を振り切られてしまうだろう。
「左方4*10⁻⁶⁷mm、前方2.111431*10⁻⁵¹³mm0.2秒後前方2cm1.25秒後右方9nm……」
指示が止まらない。
濁流のように止め処なく溢れる言葉は片端からアダムの体を動かし、紙一重で以てXXX達を生かす。
しかし、それもジリ貧。膨れ上がる黒雲はいずれ二人を飲み込む。それで終わりだ。
(冗談じゃ、無い!)
遠ざかる意識に喝を入れる。諦めかけた心を蹴り飛ばす。彼女は、奮起する。
(まだ見たい物が有る。知りたい事が出来た! ここまで来て、諦められるか!)
七千年弱、長い時間の果て、千桜四石は遂に一つの境地へたどり着く──
「左7nm! 完了後右2m! その後直進! 目的地まで!」
絶叫は確かな指示と伝わり、鋼鉄の体躯を震わせた。それを確認する事も、思考する事も無く、限界を超えた彼女はその場で意識を失った。
「行くぞ! 準備は出来たな!」
「おう!」
通信から響いた叫び、それに従いアダムが動く。最早後は突き進むだけだと言うのは俺にでも分かった。
体に凄まじい圧が掛かる。一瞬でも気を抜けば意識が落ちる。アダムめ、俺への配慮を止めたな?
だが、それでも、まだ遅い!
視界の端から黒雲が迫る。音を振り切った超高速も今のZZにとっては止まっているような物だろう。
間に合え、間に合え、間に合え!
「──ぁ」
前を、黒い壁が閉ざした。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああ!!!!!!」
咆哮が轟き、衝撃が駆け抜ける。
直後、黒壁に突き立った金棒がそれを粉微塵に砕き散らした。
「行っけええええええええええええええええええええええ!!!!」
体を前に乗り出す、後僅か、ほんの少し──
「今!」
「了解!」
放り出された空間で思う。
あの研究所で出会ってから、今までの事。
たまに喧嘩して、怒って、怒られて、遊んで、遊ばれて、一緒に馬鹿をやった。
また一緒に馬鹿な事をしよう、無謀な冒険をしよう、また一緒に──
「戻ってこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!!!!!!」
また、お前の兄貴に!
信号に乗せるのは俺の思い。あらゆる感情、その全て。
単なる停止命令だろうとそれは伝わると信じて、放つ。
ああ、世界が、遠い──
「……兄貴?」
それは目覚めた。
何かをしていたような気がする。何か大事な事だった気もする。
けれど、それにとってその声は最も大事だったから。
それは光に手を伸ばす。声の元に戻る為──
「兄貴!」
「ZZ!」
黒雲が寄り集まり、見慣れた坊主頭を作り出す。
ZZだ、ZZが帰って来た!
「ただいま!」
「お帰り! 無事で……無事でよかった……!」
暢気に叫ぶZZに反射で答えてしまったが……直ぐに思いがこぼれだす。
「心配したぞ……良かった」
「……ごめん。何か強くなれそうだったから……」
「全く……」
ぎゅう、とZZの体を抱きしめる。苦しいと言う声が聞こえるが心配させた罰だ。
ああ、それにしても、本当に、良かった──
視界の端で蠢く黒雲が見えた。
「どうなってやがる!?」
黒雲が動く。
中核である筈のZZは停止した。命令を送る筈の博士も既に倒した。だと言うのに終末の黒雲は動く。
「まさか……変化した!? ZZを必要としないように!?」
アダムの叫び、それは圧倒的なあり得ないと、可能性があるという事が含まれていた。
あり得る、あり得てしまう。無限の可能性を持つあの黒雲ならば。
止まっても動く、そんな無茶苦茶を成し遂げてしまう。無くても在る、そんな出鱈目を成しえてしまう!
「流石にもうどうにもならねえぞ!」
ゼロエルの叫びがその場の総意。もうまともに動ける存在の方が少なかった。
集められた存在の大半が黒雲の内に消え、無事な者も命を保つのがやっとな有様。ゼロエルでさえ体の三分の二が消失している。
到底、不可能だ。今更アレの対処など。
「先ほどまでと違う、小さな視点で動いていない……
博士も、先ほどまでの黒雲も、極天の力を有しては居た。
だが致命的に視点が、視座が欠けていた。
それは矮小な存在では理解できず、強大な者であろうと処理しきれない、極天に生きるが故にたどり着く超超越的視座であり、絶大な力を微細に至るまで完全に掌握する為に必要な物。
それを。それを今、黒雲は獲得した。
たかが一万年を生きただけの矮小な博士では到底辿り着けていない圧倒的視点。皮肉にも彼の手を完全に離れ、今まさに誕生したと言っても過言ではない黒雲は最初からその視座へ辿り着いていた。
「マズい、これではもう止める事など──!」
危機に満ちた幼翁の声を、黒雲が飲み込んだ。
飲まれる、消え去る、吸収される。
黒雲が広がって行く、何もかもを飲み込んで。
こんな時、俺には何が出来るだろう。
……残念な事に貧弱な俺ではそんな事思いつかなかった。
「ZZ……」
掛けて言い言葉も思いつかない。
だから、ただ一つ。ZZを抱きしめる事でその変わりにした。
「……兄貴、ごめん」
「良いよ。今更だ。それにお前に迷惑は散々掛けられた。この程度どうって事無い」
嬉しい。まだ俺を兄と呼んでくれるのか、弟一人守れない俺を。
守れない。力が無い、何も出来ない。
俺達は数秒後に死ぬだろう、黒雲に呑まれて消え去るだろう。
だけど、俺にはZZを抱きしめるしか出来なかった。
「……兄貴」
「何だ?」
「来世とか有るのかな?」
「有るんじゃ無いのか? 世界は広い」
「だったらさ、次も兄貴の弟になりたい」
「俺もお前の兄が良いな」
笑う。何だか久々な気がする。ああ、これが俺達の原点だ。
馬鹿な事を言って、笑って、それでまた馬鹿な事をする。それがいつもの生活だ。
神様、居るのなら次に生まれてもZZの兄にして下さい。
「クソ、クソ、クソ!」
アダムが走る。絶望的に遅い足で。辿り着いても何も出来ない体で。
「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんなあ!」
目の前で彼の親友が消えようとしている。彼を友人と呼ぶ数少ない存在が。彼が助けようと、近くで生きようと思った二人が、今まさに消えようとしていた。
届かない、追いつかない、例え届いても何も出来ない。
絶望がアダムの体を削り、思考を砕き、それでも体は突き進む。
機械の体が、電算の脳髄が、失いたくないと叫んでいる。
それでも、現実は変わらない。
彼の目の前で黒雲が二人の姿をかき消した。
塔の頂にて、黒い男が笑みを浮かべた。
「そうか。アダムに友人が出来たか。喜ばしい。
……少し、手助けが必要だな」
黒い男が剣を携えた。
黒い男と同じく、立体感の無い程黒い、影絵のような剣。
黒い男は剣を振るった。
崩れ落ちる。崩れ落ちる。
アダムの目の前で、
「……何が……起きた」
絶対の黒雲は動きを止めた。つまり?
「……アレ?」
「何か無事じゃね?」
XXXとZZは、無事と言う事だ。