予定よりだいぶ遅れましたが、過去編です。
少し閲覧注意です。
2008年 春。佐世保女子海洋学校。
桜の花が散っている。港に停泊する艦の甲板に降り積もる桜の花びらは、生徒達の新たな船出を祝福しているかのようだった。卒業式を直前に控え、浮き足だってはしゃぐ生徒達を、ショートカットの青みがかった黒髪の少女が艦橋から眺めていた。
「皆はしゃいじゃって……」
憂いを帯びた目で見つめる彼女は、大型直接教育艦『霧島』の艦長、青木彩だ。
「貴女ははしゃがないの、青木艦長さん」
声のする方へ振り向くと、見知った顔があった。少しカールした栗色の長髪を揺らす彼女は、優しく彩に語りかける。
「エリカ……いつの間に来てたんだい?」
山本エリカ。彩の親友で、超大型直接教育艦『紀伊』の艦長だ。
「たった今。黄昏てるとこ邪魔しちゃった?」
「いいや、別に」
彼女は自然と彩の横に来ると、一緒にはしゃぐクルーを眺め始めた。
しばらくそうしていると、風が吹いてきた。エリカは髪を抑え、慈悲慈愛に溢れた笑顔を見せている。
「……キレイだね、エリカ」
彩の言葉に少し驚き、フッと笑い出す。
「急になに? そんなの今さらでしょ」
眩しいエリカの笑顔に、彩はどんどん惹かれていく。
「エリカ」
彩はエリカの顔を覗き込む。何をしたいのか、どうしてほしいのか。エリカは彩を受け入れた。
「いいよ」
エリカの肩に手を回す。お互いの鼻息でくすぐったくなる。そして、唇を合わせ……。
「艦長ぉ、何してるんですかぁ?!」
甲板にいたクルーが声をかけてくる。残念そうな彩の唇をエリカは人差し指でふさぐ。
「残念。またあとでね」
手をひらひらと振って、エリカは足早に艦橋を降りていった。
艦橋には呆気にとられ、ただ立ちつくす彩だけが残された。
クルーの声が、やたらと遠くから聞こえてきた気がした。
2009年 夏。長崎県佐世保市。
暑い夏の昼下がりだった。横須賀と比べてまだ陸地が多く残っている佐世保では、基地や学校などの主要施設のほとんどが陸上に設置されていた。そのため、船よりも車の方が馴染みの深い珍しい街だった。
「…………暇だ」
彩はその日、非番だった。ブルーマーメイドに正式配属になってからは多忙な日々を過ごしていた彼女にとっては貴重な休日だった。……が、同期の友人である久美や千春は休日が合わなかった上、エリカとも連絡が取れていなかったため、1人で市内をドライブするという、実に寂しく、暇な時間を過ごしていた。決して、この3人以外に友人がいないというわけではない。そう自分に暗示していた。
信号に引っ掛かり、考える時間が増える度に悶々とする。そうしていると突然、車の窓をノックする音が聞こえた。音のする方を見ると、見覚えのある青いワンピースの人物がいた。
「エリカじゃないか。どうしてここに?」
その人物は親友兼幼なじみの山本エリカだった。笑顔でこちらを覗き込む彼女に、彩は驚きを隠せない。
「たまたま今日休みになってね。散歩してたら彩の車見つけたから」
彩は驚きつつ、エリカに助手席に乗るよう促す。出会いは意外な所で起こるものだ。
「エリカが今日休みだったなら、こんな寂しいことしてなかったのに」
苦笑する彩に、助手席に乗り込みながらエリカは申し訳なさそうに言う。
「今朝入港したんだよ。ごめんね、連絡もせずに」
両手を合わせて悪戯っ子のように謝る彼女が眩しかった。理由なんてどうでもいいほどに可愛らしい笑顔だ。
「いいよ、気にしなくて。……それよりも行きたい所あるかい?」
その言葉に、エリカは少し考えるポーズを取ったあと、じゃあと前置きして答えた。
「セイルタワーがいいな」
「学生時代にも何度も行ったじゃん。相変わらず好きだね」
そう返しながら、彩は車を発進させた。
海上安全整備局 佐世保史料館。セイルタワーと呼ばれ、親しまれている佐世保のランドマークだ。旧海軍からブルーマーメイドに至るまでの日本の海上安全整備機構に関する展示物が多い歴史博物館でもある。古い建物と新しい建物が融合する、今のブルーマーメイドを象徴する建造物の1つだ。
その3階、ブルーマーメイドの歴史に関する展示コーナーの人気は少なかった。平日だからか、疎らに人がいるだけの館内は静かだった。そのため、2人の来館者は展示物をじっくり、時間をかけて眺めることができていた。
「ほらこれ、佐世保校の初期の姿。今とは違って小さなフロート艦の集まりだったんだよ」
「学校で習ったよ」
はしゃぐエリカのすぐ横で、ばっさりと返す彩。昔から言いたいことはすぐに言う性格だった。
「さっきから彩そればっかりでつまんない」
頬を膨らまして大袈裟な怒り顔になるエリカに、彩はまた少し笑う。
「はは、だってもう数えきれないほどここにきてるじゃん。その度に同じこと言われたら飽きるよ」
バサバサ切り捨てる彩だが、エリカも負けていない。
「そしたらその度に私を楽しませないと。デートの基本だよ」
「え、デ……は!?」
急にデートなどというワードが出てきて彩はわかりやすく狼狽える。
「ふふふ、彩のその驚いた表情可愛いから好き。でも声は抑えないとね」
人差し指を唇にあてるジェスチャーするエリカ。あわてて口を抑えるも、他の来館者がこちらをみていた。恥ずかしい思いをしたものだ。
「エリカってば……」
困り顔の彩に満足したのか、次の展示を見に行くエリカ。心なしかスキップしているようだ。
そしてふと、とあるショーケースの前で立ち止まる。あぁ、いつもの場所か。そう思った彩はエリカのあとを追いかける。ショーケースの写真の人物は、ブルーマーメイドなら誰もが知っている伝説の男だった。
写真の下に置いてあるプレートにはこう書いてあった。
─横須賀女子海洋学校初代主席教官 山本五十六─
「エリカの……ひいおじいさんだね」
小さく頷くエリカ。彼女の姓である山本は
「……会ったこともないひいお祖父さんと比べられるのはもう慣れっこだけどね」
それでも、と一言おいてエリカは続ける。
「やっぱりわかんないよ。ただ彼のひ孫っていうだけで皆から勝手に期待されて、勝手に失望されて、勝手に褒められて……恨んだことないなんて言えばウソになるね」
いつもそうだ。ここに来ると必ずエリカは彼と対話を試みる。会ったこともない曾祖父に振り回される人生など、彩には想像もつかないことだった。
そして、こういう時に気の効いた台詞を言えないのが彩だ。だから彼女は何も言わず、ただ話を聞き、彼女の横に立っている。
「……エリカは……これでいいの?」
エリカの手をゆっくりと、優しく握りながら尋ねる。
「うん」
エリカは短く答えた。その後はしばらく2人で、写真の中の彼を眺めていた。
セイルタワーの帰り、駐車場に止めていた車内で、2人はキスをしていた。
なるべく時間をかけて、お互いを深く味わうように。
エリカが舌を入れてくれば、彩は負けじとやり返し、彼女のピンク色の艶やかな唇を舌で濡らす。
それを繰り返している間は、2人にとって至福の時間だった。誰にも邪魔されない、2人だけの時間。
エリカが唇を離せば、それが終わりの合図だった。
「……甘い……」
彩はポツリと呟く。エリカの全てが、彩にとっては間宮に勝るほどの甘味だった。
「へんたい」
クスリと笑い、エリカがそう言うのがいつものやり取りだった。
「今日は楽しかったよ。卒業以来久しぶりに会えて」
彩の言葉に、エリカははにかみ顔になる。
「私も。お互い仕事が忙しいもんね。私なんて呉勤務だし」
卒業後、エリカは佐世保ではなく呉に配属されることが決まっていた。というのも、彼女は元々呉本校に入学することが決まっていたのだが、色々あって佐世保校に入学することになったらしい。詳しくは知らないし、教えてくれないが、恐らく家の都合だろう。
「勤務地が離れると辛いね」
「だよね」
エリカの笑顔はまぶしい。近くで見るとよりそれを実感する。こんなに可愛い娘をついさっきまで自分は……。
そう思うと征服欲と独占欲、そして何故だか少しの罪悪感を感じた。
「……」
「……」
少し気まずい。勢いでするからいつもこうなるのだ。雰囲気重視なのはいいが、すこし向こう見ずすぎる。どうやらその場のノリに任せる癖があるようだ。
そして、その空気を打開しようと手を打ったのは彩だった。
「ねぇ……もう一回しない?」
反省しない女である。自分の口から出た言葉を耳で受け止めながらそう思う。だがしかし。
「いいよ」
あっさりとエリカは了承した。またあの眩しい笑顔で。
「うん」
エリカの肩に手を回し、彼女の顔を覗き込む。吐息がほほを湿らせ、柔らかな唇に舌を這わそうとする……が、直後に鳴ったケータイの着信音でコトは中断してしまった。
「あ、ごめん」
申し訳なさそうにケータイを確認するエリカ。仕事のことだったら遅れれば一大事だ。だから彩も何も言わず、彼女がケータイを見ることを許した。
「……久美からメールきてる。仕事終わったから一緒にお茶でもどう? って」
それはいい案だ。そう思うと同時にコトの最中を中断されたことに少しヤキモキする。
「いいね。久しぶりに3人集まれるし」
しかし、仮にもブルーマーメイド隊員だ。切り替えの早さは自慢できる。
彩の言葉に、エリカが付け加える。
「3人じゃなくて、4人……ね。千春も来るって」
笑顔で言う彼女に、彩は頬を緩める。
「じゃあ、久しぶりにあの紅茶が飲めるのか。それは楽しみだね」
千春の淹れる絶品の紅茶に胸を躍らせる彩。と、その横で少し浮かれない表情のエリカ。
「う~ん……たしかに千春の紅茶は美味しいけど、私コーヒー派なんだよね」
そういうエリカに対し、彩は。
「いいじゃないか、たまには……ね」
「それもそうね」
気持ちを切り替え、エンジンをかける彩。さっきまでの湿っぽい空気はすっかり入れ替わり、友人との一時を楽しみにするごくごく普通な光景に戻っていた。
2人を迎えに行くため、彩は車を発進させた。
2012年 秋。ブルーマーメイド沖縄第4フロート艦。
「エリカ、本当に行くの?」
フロート艦ドッグの第5
間も無く日が落ちるという時間だったが、作戦準備のために隊員たちは慌ただしく動き回っていた。
そんな中、心配そうな表情の彩はエリカを引き留めようとしていた。
「もちろん。命令だからね」
エリカはいつも通りの笑顔を見せてくれる。何でもないと言う彼女の言葉が、今回ばかりは逆効果だった。嫌な予感は増幅する。
「たしかに、命令だけど……。そうじゃなくて、今回の敵は今までとはワケが違うんだ。あの男、大河原は……」
そこまで言うも、エリカは彩の口を人差し指でふさぐ。落ち着いて、という彼女のジェスチャーだ。
言う通り、少しばかり頭を冷やした彩は、泣きそうな顔でエリカを見つめている。
「わかってる。心配してくれてるんでしょ?」
眩しい笑顔だ。この笑顔を見ると、気持ちが和らぐ。深呼吸して心を落ち着かせた後、改めて彼女に問う。
「……本当に行くんだね。ならもう止めないよ。けどあの男には十分気を付けるんだよ、いいね?」
エリカの肩を掴み、冷静に、丁寧に彼女の目を見て問う。エリカは静かに頷いた。
「作戦のことなら心配はないよ。だって彩が考えた作戦だもの。絶対成功するよ」
優しく彩を抱き締めながら、エリカは言ってくれた。安心できるあの声で、いつも励ましてくれたあの声で。
「うん……うん……」
泣きそうな声を圧し殺して、彩はただ頷いた。そしてふと、エリカは吹き出す。その笑い声に、彩もつられて笑い出す。大丈夫だ、もう心配ない。彩は親友兼幼なじみに任せることにした。
「変なの。今生の別れってわけでもないのに」
「大袈裟かな?」
「そうだよ」
エリカはまた笑う。可愛らしい彼女の笑顔に、彩の不安は取り除かれた。
「山本艦長ー、間も無く出航です。ブリッジへ来てください!」
『るもい』のクルーに声をかけられたエリカはすぐ行くと伝え、艦長帽を被り直した。
「じゃあ、エリカ。どうか無事に帰ってきてね」
彩は敬礼でエリカを見送る。彼女が答礼したのを見届けて、彩も旗艦に戻ろうとした。振り返った直後。
「彩!」
彼女が呼ぶ声に振り向くと、彩に決意表明を送ってきた。
「人は生まれる場所は選べないけど、死ぬ場所は選べるんだよ。私は……私はここで死ぬ女じゃない」
力強い彼女の決意、エリカの一番の魅力はその芯の強さだった。誰にも負けない心と、強い信念を持つ彼女に怖いものなどないのだ。
その気迫に圧されることなく、彩は力強く、ただ一言答える。
「しってるよ、僕は」
お互いが背負うべきものを背負い、2人は踵を返して持ち場へ戻った。2人とも振り返らなかった。
重巡洋艦『るもい』が消息を絶ったのはその日の深夜だった。
さらに3日後、艦長山本エリカ2等保安監督官以下、45名のクルーの内、42名が無惨な遺体となって発見された。
艦長山本エリカも発見時には既に死亡が確認されていた。
同年。ブルーマーメイド佐世保基地作戦部オフィス。
親友兼幼なじみの死から1週間が経っていたが、ブルーマーメイドとしての責務はその感傷に浸り続けることを許さなかった。
被害をまとめたレポートの作成や編成の見直し、詳細調査といった事後処理の他、出入港管理などの一般業務もこなさなければならず、忙しない日々を送っていた。彩にとってはこれが幸いしていた。仕事に邁進することで、エリカの死から意識を逸らし、現実逃避が出来ていたからだ。だがしかし彩は彼女の死をまだ認めきれていなかった。
「ごめん、ちょっと手が離せないからこの書類頼めるかな、エリカ……」
不意に彼女の名前を呼んでしまった。オフィスに流れていた時間は一瞬氷結する。隊員たちのネガティブな感情を孕んだ目線に耐えきれなくなる。彩は静かに立ち上がり、独り言のように呟く。
「……少し……少しだけ休憩してくる……」
返事を待たず、彩は足早にオフィスから出ていった。
他のオフィスから聞こえてくる騒々しい音など、今の彼女には入ってこなかった。
海風にでもあたって気分転換をしようと廊下を歩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「彩……今、時間ある?」
後ろから聞こえてきたのは同期で、もう一人の親友兼幼なじみの神余久美だった。
「……久美か。どうしたんだい?」
力なく答える彩に、彼女は黒いファイルを無言で差し出す。促されるがままファイルを受け取ると、表紙を見て目を丸くする。
──『巡洋艦るもい事件 第1次調査記録報告書』──
「どうやってこれを……?」
彩の疑問に、久美は答える。
「司令に掛け合ったの。本当は調査委員会しか見れないらしいけど、特別にって」
エリカのことを聞いた後、彩ふくめた3人はエリカがどんな最期を辿ったのかを知ろうとしていた。それをようやく見ることができる。彩は真実に近付ける高揚と同時に恐怖を感じていた。
エリカがどういう死に方をしたのか、知らなければならないが、知りたくない。目の前にある情報に震えが止まらなくなる。
「……久美は見たの?」
彩の質問に、久美は首を横に振りながら俯いて答える。
「見てないよ……千春も、私も怖いんだよ。あの子がどうなったのか……」
「怖い……か」
自室に戻った彩は、彼女の言葉を繰り返していた。机上に置いてある黒いファイルをゆっくりと開き、一言一句漏らさず、丁寧に読み進めていった。
思っていた通り、乗員発見時の様子や、凄惨を極める『るもい』艦内の調査結果、犯人たちの情報など、事細かに地獄が記録されていた。
そして、とうとう『るもい』幹部クルーの死因について言及されたページに辿り着く。
憧れ、愛し、共に誓いを立てた親友兼幼なじみの最期は、残酷で唐突なものだった。
彼女の無念、悔しさ、怖さ、その何れからも救うことが出来なかった己の無力さをひどく痛感する
レポートを何度読み直しても、ページに印字された文字が変わるわけではないし、変わったからといって事実には何の不都合もない。
いつの間にか溢れていた涙は、紙面に丸いシミを作り、広がっていく。
止まらない涙は、まるでこれから生きていく間に流す全ての涙を流し尽くそうとしているようだった。
─「人は生まれる場所は選べないけど、死ぬ場所は選べるんだよ。私は……私はここで死ぬ女じゃない」─
頭のなかで、エリカがくれた最期の言葉を思い出す。
彩は嗚咽混じりに、その声に問い詰める。
「……なんでだよ、なんでだよエリカ…………君は死なないって言ったじゃないか……なのに、こんなの……君は、うそつきだ」
消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。もはや2度と届かない声だとわかってても、言わずにはいられない。
「エリカ…………エリカ…………なんで」
この日の慟哭を境に、彼女は人が変わったと言う。
ある者は、前よりも落ち着いているようだ、と。
またある者は、感情がわかりにくくなった、と。
そして、またある者からはこう言われるようになる。
あの事件の後、まるでエリカみたいになった、と。
初めてねっとり百合書いてみました。
死に別れカプもいいですよね……。
あと3話ぐらいで完結予定です。どうか最後までお付き合いくださいまし。