自分の意思で
ここまで歩いてきた
本当に?
後悔はない?
友も国も部下さえも失ってなお、何故貴方は歩くのか?
その先に明日はあるのか?
グランベルがシレジアがレンスターが
そしてトラキアが
それぞれ生き残りをかけて血みどろの戦いへと突き進もうとしていた頃、『貧しき国』トラキアは少しずつ
だが、確実に変化しようとしていた
とある鍛治師の回想
俺はアグストリアで曾祖父さんの代から鍛治師をやっている家に生まれた
王都であるアグスティで主にアグストリア騎士。その中でも近衛隊にすら依頼される程度には王家より信頼されていたと思う
曾祖父さんも爺さんも親父も、そして俺も
アグストリアの騎士に
そして王家に俺たちの
息子は武器鍛治ではなく、包丁や農作業に使う鎌等を取扱う鍛治師になった事こそ不満ではあったが、それでも息子に俺達の技術が受け継がれていく事を親父や嫁と共に喜んだもんだ
ところが、そんな平穏な日常があっさり崩れさるなんて事を俺たちは理解していなかった
グランベル王国に南方にあるウェルダン王国の軍勢が攻め寄せたと城下で噂になった
別に王家が報せた訳ではない。アグストリアの商人達にとってウェルダン王国は良質な木材や獣肉などを取り引きしてくれる上客だ
だからこそ、商人達はウェルダン王国の動きに注目していた。そうだから王都にまでウェルダン王国の動きが伝わった
続報ではグランベル王国に攻め寄せたウェルダン軍はグランベル王国の軍勢により壊滅。そしてグランベル王国のシグルド公子とその軍勢はアグストリアとウェルダンの国境に接するエバンスに兵を入れたとも
だが、そんな話を聞いても俺たちからすれば殆ど関係のない話だった
その無関心さが命取りになるとも知らないで
ウェルダン王国を制圧したシグルド公子の軍勢
しかし、俺たちにとってもっと問題になる事が起きていた
賢王と呼ばれ、グランベル王国と長年の間緊張状態にありながらもそれを維持し続けてきたイムカ王の容体が悪化したのだ
イムカ王の子息であるシャガール様はこれを国内に知らせる事を是とした
元々近頃体調を崩しがちだった王の補佐を積極的に行なっていたシャガール王子
誰もが王子が跡を継ぐ事に不安を抱くはずはないと思っていたのだ、俺たちは
シグルド公子らがウェルダン王国に侵攻した際、シャガール王子は攫われたユングウィ公女について『これ以上の武力侵攻による解決』を不安視。グランベル王国の名誉もあり、ウェルダン王国の東端であるジェノアの制圧を以てグランベルの武威は示された。とした
その上で、これ以上ウェルダンへの侵攻を止めさせるべくハイラインのボルドー侯にエバンスへの派兵を命じる
拠点であるエバンスへの攻撃があれば、たとえ血気に逸るシグルド公子とてエバンスへと戻らねばならない
そう考えたからだ
本来ならば、ノディオンのエルトシャンへ命じるところであったがシャガールはシグルド公子とかの人物に協力しているレンスターのキュアン王子がエルトシャンと既知の間柄である事を知り、敢えてボルドー侯に命じたという背景があった
エルトシャンとて騎士だ
だが、それはそうとしても友人に剣を向けるのは辛かろう
シャガール王子は当時ボルドー侯を動かす事に納得のしていない者達にそう話したという
シャガール王子より命を受けたハイライン侯ボルドーは速やかにエバンスへの戦力を編成した
だが、ハイライン侯爵軍の主力は動員する事なく、あくまでも機動力を重視したハイライン騎兵団、通称『ハイランダー』のみとした
アグストリア諸侯連合やグランベル王国などは国内の有力な侯爵や公爵が率いる軍勢に特色がある
アグストリアにおいては名高きノディオン騎士団『クロスナイツ』は騎兵のみで編成されている
アンフォニー侯マクベス配下の軍勢は直属兵は全て重騎士であり、機動戦力として傭兵ヴォルツが率いる傭兵騎士団が
マッキリー侯クレメントの軍勢は魔道士と高台からの狙撃兵が主兵力
だが、ハイラインは違う
先に挙げたハイランダーとボルドー侯の副将フィリップが指揮する重騎士団2つを有しており、その兵力はアグストリア諸侯の中で最大
今回本気でエバンス制圧を企図するのであれば、フィリップ将軍配下の部隊も一部なりとも動員すべきである
が、ボルドー侯もシャガール王子もそれをしなかった
何故ならば本気でエバンスを攻め落とす気などなかったのだから
だが、此処でシャガール王子やボルドー侯にとって予想外の出来事が起きる
そう。アグストリアの一員である筈のノディオンのエルトシャンがハイライン軍に敵対したのだ
まさか友人の為に国にすら剣を向けるなど、それこそアグストリアの発展に人生を捧げてきたシャガールやボルドーにとって理解不能な行動
結果、牽制目的の為そこまで練度の高い部隊を動かさなかった事もありハイライン軍はボルドーの息子であるエリオットを残し全滅
その後マーファを制圧したシグルド公子の軍勢はウェルダン王都まで攻め寄せ、ウェルダン王国は滅亡した
隣国であり、少なからず経済的に繋がりのあったウェルダン王国の滅亡は正式に国王となったシャガールにとって憂慮すべき事
何故ならば
グランベル王国による大陸覇権の野心の発露
とも取れるものだったのだから
本来ウェルダン軍によるグランベル侵攻とて、国境にあるユングウィ公爵軍とそれに隣接するシアルフィ公爵軍が主力を配備していればそれこそ鎧袖一触となったであろう
しかし、ユングヴィ主力とシアルフィ主力は当主共々大陸北東部にあるイザーク遠征に動員されていた
ユングヴィとシアルフィはグランベル王国『南西部』に領地を持つ
派兵するのであれば『近くに拠点を持つ』者が動くのが常道
ましてやグランベル王国には各公爵家が有する精鋭騎士団があり、武器の相性面で不利となるドズル公爵家騎士団グラオリッターですらイザーク軍と互角に渡りあえると見られていた
どこの騎士団を出しても問題ない
そう周囲から思われる程グランベル王国の各公爵家が擁する戦力は強力なのだから
ウェルダンがグランベル王国に侵攻した理由の一つは『国境付近』の戦力の低下である事は恐らく事実
なお、大陸西部にあるアグストリアで集めた情報においても『グランベル王国によるイザーク遠征』を正当化するに足る根拠を見出す事は出来なかった
発端はダーナにおけるリボー族長らによる虐殺
確かにこれは大問題だろう
しかし、大国グランベルではそうでないが『国家に対する帰属意識』が低い者というのは決してこの時代珍しくない
リボーは確かにイザークの領土だ
故にリボー族長の不始末をイザーク国王たるマナナンがつけるのも道理。しかし、マナナン王はリボー族長を始めとしたダーナにおける虐殺に関わった者達を自ら処断し、その頸をもってグランベルへ謝罪に向かった
少なくとも、アグストリアではそう伝わっている
だが、グランベル側は謝罪しにきたマナナン王を捕え、処刑
その後国王不在で混乱するイザークへ侵攻
それがアグストリアから見たグランベルによるイザーク遠征なのだ
アグストリアは前王イムカの代において、険悪であった北の国家であるシレジアとの関係を修復しておりイザーク王国と友好関係にあるシレジア経由でイザーク王国の事情を把握していた
であるからこそ、イザーク遠征について危機感を持っている。その上ウェルダン制圧となればグランベルの領土的野心を絵空事と断じる事は出来なかったのである
それ故に
当時の俺たちにからすれば、エルトシャン様の行動は理解の範疇を超えていた
いや、理解出来なかったというべきだったか
そう鍛治師の男は述懐する
当然だが、このエルトシャンの行動はアグストリアの諸侯より疑問視される。直接被害を受けたハイラインにおいてはノディオンの在り方について不満が噴出
騎士と言えど、ハイライン領に家庭を持つ者ばかりであるが故にこの一戦で家族や友人を亡くした者達は同じアグストリアの一員でありながら剣を向けてきたエルトシャンに不満や怨嗟の念を抱く事となる
彼等を纏めるべき立場にあるハイライン侯ボルドーとて、自軍を失わせ事もあろうに
実際戦闘を行ない、ハイライン騎士達の献身により辛うじて命を繋いだエリオット。彼は部下達を失い、父やシャガール王子の気遣いを無駄にしたエルトシャンとその配下の騎士達を恨んだ
己は騎士。敵と相対して命を落とすのであれば、それは戦闘の結果である。そこに怨恨を挟む気は毛頭ない
が、今回の一件に関してはとても納得が出来なかった
そして、ウェルダン制圧後も国境のエバンスに尚も駐留し続けるシグルド公子の軍勢
既にウェルダン王国を滅ぼしたという前科がある軍勢
となればアグストリアとしても警戒を解く訳にもいかない
その一方でアグストリア国内において動きがあった
ウェルダンを滅ぼし、イザークに兵を送り出し、尚もエバンスに兵を置くグランベル。本来であればシアルフィ公子であるシグルド公子は『ユングヴィ公女エーディンの救出』の為に兵を動かした
となれば目的を果たした以上、
にも関わらずシグルド達はアグストリアとの国境にあるエバンスに未だ駐留していた。ウェルダンについては後続のグランベルの役人などが統治体制を整えつつあり、既にまとまった軍勢と呼べるものが存在しないウェルダンである。それこそ役人達の護衛としてウェルダンに派遣された少数の騎士でも充分対応できるのだ。更に紛争の元ともなり得ないデリケートな場所にまとまった兵力を置く事についてはアグストリアとグランベル間で話し合う事が通例となっていた。その為グランベルはアグストリアに対して領土的野心を抱いていると判断せざるを得ない
しかしその動きに対してノディオンのエルトシャンは異を唱えた
それ自体に問題はない
問題があるとしたら
前王であるイムカの意志に背くとシャガールに直言した事である
確かにアグストリアは諸侯と呼んでいるものの、ノディオンなど各地は国として機能している部分はある
侯爵としているものの、領民などからすれば国主として受け入れている者も多く、それ故にアグストリアにおいても帰属意識の低い者は存在する
が、前王であるイムカには従いながら現国王たるシャガールに前王の名を使い進言するというのはあまりにも危険な事であった
諸侯はシャガールの権威を認めていたものの、あくまでも『現時点』という但し書きが付くものであり、まだまだシャガールを頂点とした新体制は固まりきっていない
しかもエルトシャンはエバンスへの派兵を妨害し、ハイライン軍に甚大な被害を与えていた
いわばエルトシャンの真意はどうあれ第三者から見れば『反シャガール派』と取られかねない行動を既にしている
実はハイラインがエバンスに牽制の兵を派遣した際、エルトシャンは事の些細を知らされていなかった。とはいえ、シャガールの意を無視している。その時点では王子であったシャガール。だが今はアグストリアの国王であり、その決定に異を唱えるとしてもエルトシャンの立ち位置が非常に悪かった
その為シャガールはエルトシャンをアグスティに拘束するほか無く、更にノディオンを一時的に掌握する様ハイラインに命じる。ノディオンにおいてエルトシャンの求心力が高すぎた。それこそアグストリア王家に背きかねない程に
それ故に一時的にノディオンに
南部アグストリア諸侯の筆頭と目されるハイラインであれば、それだけの軍勢を動かしても何ら問題なかったのだから
そこでノディオン側がハイライン軍を受け入れれば問題なかった
が、留守を預かっているラケシスはこれを拒否。事もあろうに緊張状態にあるグランベル王国のシグルド達に救援を求めた
この報がハイラインにもたらされた時点でノディオン攻めは避けられぬ事となってしまった。外敵であるグランベルに通じたのだから
この動きに対して、若いエルトシャンに対して好意的だったマッキリーのクレメントはボルドーとシャガール王に対して『中立』を申し出る。
外敵を招き入れたノディオンは許されるべきではないが、かと言ってノディオン側の考えもまた騎士の正道に通じるものが多少なりともあると考えたからである
この時点で王都アグスティでは近衛騎士団に所属する騎士達かもしもの事態に備えて、武器の修復を行うべく王都にある鍛治師の元へと向かっている
鍛治師の男は彼等から少しばかり事情を聞き、絶句した
イムカ王から代替わりしてまだ数年にもならぬと言うのに、ここまでアグストリアが乱れるとは思ってもみなかったのだから
しかも近衛を束ねるザイン将軍やシャガール王はグランベルによるアグストリア侵攻の手が止まる可能性はそこまで高くないと判断しているそうだ
アグストリアの諸侯の中で最も王家の意に従っていた筈のノディオンは既に彼等の中では潜在的敵であり、そのノディオンを抑えるハイラインは現在交戦中
楽観視など出来よう筈もなかった
国内での戦闘に伴い、アグストリア南部における物流は寸断された
戦地に物を売りに行く商人は大陸全土を見渡せばいなくもないが、その殆どはグランベルかレンスターの商人
言うまでもなく危険だから、である
ノディオンを
アンフォニーのマクベスは傭兵ヴォルツの傭兵団を迎撃に当たらせるも、ヴォルツ傭兵団のNo.2であるベオウルフが離反。混乱した所にシグルド等に攻撃され壊滅した。その後寡兵でアンフォニーを守備するもあえなく戦死した
更にアグストリア中央部にある農村地帯。此処はノディオン支持者が多かった事もあってか、シグルド公子らに恭順
アグストリアにてシレジアの王子を捜索していたシレジア天馬騎士団。彼女達はシグルド公子側にレヴィン王子がいると知るなり、シグルド側に対する攻撃を中止。部隊の指揮官であるフュリーはシグルド公子等に協力し、残存部隊はシレジアへと帰国
事態を静観していたマッキリーのクレメントであったが、最早シグルド公子等グランベル軍の目的はアグストリア侵略と判断
救援目的であったノディオンを救援した以上、アグストリアに深入りする理由はない筈
エルトシャンの解放を望んでいるとも聞くが、それはあくまでもアグストリア国内の問題であり、他国の人間であるシグルド公子が介入して良い話ではない
シグルド公子等グランベル軍を招き入れたノディオン勢。特にエルトシャンの妻ですらないラケシスが決定したとなるとその正当性にも疑問が残る。ラケシスはあくまでも『エルトシャンの妹』に過ぎず、外交などについて権限を有しているわけではないのだから
そしてなによりも問題なのが
救援目的の一つであるラケシスがどうして前線に出ているのか?であった
加えてラケシスの護衛との名目でノディオンの騎士。イーヴ、アルヴァにエヴァの三名がシグルド公子等に同道している
護るべき存在を前面に出す。戦力が多いところで護る。理屈としては分からなくもない
が、それはあくまでも『当主』や『騎士』としての立場のある人物であればこそ
はっきり言って、この時期のラケシスは回復の杖を振うのがやっとの姫君
同じ様な立場としてはユングヴィのエーディン公女が居たが、彼女はウェルダンにおける激戦を経て、既に初級とはいえ攻撃魔法も扱えるハイプリーストとなっていた
護身すら出来ないラケシスとでは全く事情が異なる
面倒なのが、ラケシスを守護する筈の三人
彼等はラケシスの護衛が任務であるにも関わらず『眼前の敵』を討ち果たす事に注力していた
つまり
『ノディオンの騎士』が直接他のアグストリア諸侯の兵を害していたのである
如何にエルトシャンが素晴らしい人物だとしても、グランベル軍を招き入れた挙句、友軍である筈のアグストリア諸侯の軍勢に剣を向けるのであれば、最早シャガールやクレメントとて甘い顔をしている訳にはいかなかった
シャガールはアンフォニーが制圧されたとの報を受けると速やかに近衛を束ねるザイン将軍にグランベル軍への攻撃を指示すると共に、マッキリーのクレメントにも徹底抗戦の命を下す
その後の事はアグストリアの民にとって余り語りたくない話となった
王都のしかも王家や近衛からも信をおかれていた鍛治師であったが、鍛治師とはきちんとした設備や人が居て初めて十全の能力を発揮出来るもの
彼等にも家族がおり、養わねばならぬ人達もいた
シグルド公子等はアグストリアの民に配慮してこそいたが、シグルドとてあくまでも『一公子』に過ぎず、グランベル王国の意を受けた者達の動きを掣肘する事は終ぞ叶わなかった
加えて鍛治師もアグストリア各城下におり、北アグストリアに臨時首都としての機能を移されたマディノにも当然いる
近衛騎士団という大口の需要があったからこそ、王都アグスティの鍛治師達は生活に困る事なく過ごせたが、それが居なくなった事により生活に支障が出る事は容易に想像出来た
しかしながら、彼等とてアグストリアの民に違いなくアグストリアを潰そうとしているグランベル王国に好んで協力したいと思う者はいなかった
そして明らかに非協力的な鍛治師を城下に住ませる必要をグランベルの役人達は認めない
役人達は本国より鍛治師を移住させる事を計画し、元々いたアグスティの鍛治師は様々な理由をつけて追放する事とした
鍛治師というのは武器を供給出来る技能者
反乱の芽を摘むという意味においても、彼等を放置は出来ますまい
とはグランベルから来たとある役人の話
次々とアグスティや南アグストリア各地を追われる鍛治師達
男もまたこのままではアグスティを追われ、生活にすら困る事になると頭を抱えていた
ところが
そんな彼の元にある日使者が訪れる
曰く
その技術を失わせるのはあまりにも忍びない
我がトラキアにてその技術を振るう気はないか?
との事だった
男は戸惑い、考える時間が欲しいと即答を避けた
使者は男の言に
道理ですな。しかし私とて申し訳ないがそこまでの時間はない
七日間は待ちましょう。ご家族達と相談なさるが宜しかろう
と言い残し、その場を後にした
その日の夜
彼は家族を集めて話し合った
彼の息子は既に結婚して、アグストリア中央部の農村地帯で農家向けの鍛治師をしている
彼の妻は残念そうに
仕方ないのかも知れないわね
と呟き
私はどっちでも良いさ。アンタらの足手まといになるのなら此処に置いて行っても構わないしね
と妻の母親は力無く微笑んだ
彼の父親は数年前に亡くなっており、今の鍛冶場は父親から受け継いだもの。だが、その父親もその親から受け継いでおり、王都アグスティにおいてそれなりに有名な鍛治師一族であった
故郷を捨てるのは嫌。だが、マディノに移住したところで他の鍛治師の下につかねば鍛治師として働く事も無理だろう。かと言ってグランベルが支配する王都、いや
彼は翌日、使者が滞在している宿を訪れトラキアへ移住する事を告げた
鍛治師であった彼の様にトラキアへと移住する人間は少ないながらもおり、トラキア国王トラバントの許可を得たクェムはグランベル側に対して『内乱の芽を摘む』という名目を以てウェルダンやアグストリアからの移住者の誘致を認めさせている
本来であれば、国家を跨ぐ移住についてはかなりの制限を受けるのだが、不幸中の幸いとでもいうべきかウェルダンや当時のアグストリア南部は『元』がつく。現在はグランベル王国の一地方に過ぎない以上、グランベル王国の意向で国内として扱える
そこでクェムは練成途中の騎士を編成。実戦経験のある竜騎士を隊長として、即席の移民移動軍団とした。グランベル王国に対して今後数年間敵対しない事を誓約書として書面に残す事を対価としてグランベル王国内の通過が認められる事となる
更にトラキアは反グランベルの感情の色が濃いイザークにも移住者を募る事により、イザーク王国の後方支援体制の崩壊を助長させる事にもなった
先にも触れた通り、イザーク王国の国民の戦意は高い
だが、何事にも例外はつきものである。特にマナナン王により頸を刎ねられたリボー族長に近しい者達はあくまでも自分達の範疇で行なった事であり、それをイザークの人間に咎められる謂れはない。そう思っている者も多かったのである
そういった者達の中には
何故俺たちがグランベルと戦わなくてはならないんだ?
とイザーク王家の為に戦う事を良しとしない者もいた
彼等からすれば、グランベル王国と戦争するとなると最前線はリボーであり、当然最も被害を受けるのもまたリボー
王都イザークはリボーの東に位置し、同じイザークにあるソファラはリボーの北部にある山岳地帯を越えた先
どちらもリボーにグランベル軍が攻め寄せたとしても即座に援軍を差し向けられる程近くなかった。しかもイザーク王国の兵力全てが歩兵。つまり徒歩で移動するのだから、当然騎馬よりも時間を要する
ただでさえリボーは族長以下主要な人物を欠いた状態。それでグランベル軍を押し返すのは難事どころか無茶振りである
更にマナナン王の跡を継いだマリクル王子改め、マリクル王はイザーク全土を利用した戦闘を指示
つまり、リボーは見捨てられるのだ
いくらなんでも命は誰しも惜しいもの
リボーにいた者達は命を長らえようと逃げ出したとて何の不思議があろうというのか?
しかし、彼等リボーの民とて意地があった
自分達を追い詰めているグランベルや、交易を積極的にしておきながらあっさり見殺しにするレンスターには頼りたくない。理解し難いだろうが、それでも彼等にとっては譲れない一線
ではシレジアに逃れるか?と言われてもそれも難しい
何せリボーからシレジアに向かう為には、グランベル王国領リューベックという障害をどうにかせねばならないのだから
そんな中、トラキアから移住の話が舞い込んできたのである
トラキアは現在グランベルと友好関係を築きつつあるが、国力の面ではグランベルが圧倒的に勝る。かと言って過度な干渉をグランベルがしてくる訳でもなく、あくまでも独立国家としてのトラキアを尊重する事をグランベル王国宰相レプトールは自身と国王アズムールの名で保証しているとの事を説明されていた
大国であるグランベル王国。その国家元首とその国の実務最高責任者が連名で約したとなれば万一があって、彼等を欠いたとしてもその後継も無視出来ないというレプトールの思惑だ
トラキア王国に人が集まれば、当然食料の消費量は増える。種子を提供したからといって、それが上手くいく保証もない
よしんば上手くいったとしても、そんな短期間で劇的な改善が見られる程にトラキア王国が抱える『飢餓』は甘くも優しくもない。そこにウェルダンやアグストリアにイザークを吸収し、肥大化したグランベル王国の手を出す余地が出る。レプトールはそう考えていた
加えて、グランベルからトラキア王国に配慮している姿勢を見せる事により、大衆はグランベルに対する敵意を少なくしてゆくだろう
そして、トラキア王国の安定はグランベル王国にとって目下邪魔者であるレンスター王国への圧力となる
レンスター王国はトラキア本国による搾取が原因となり興った
そこにレプトールは一つの可能性を見た
レンスターの市民は分からないが、所謂知識階級や支配階級と呼ばれる者達。彼等は何よりも『貧しさ』を嫌うのではないか?と
トラキアの一部であった頃レンスターはトラキア王国全土の為に度々食料や資金を徴発されている
それが当時のレンスター住民の一部が耐えかねて独立した
となればその可能性はある
レプトールは日々の政務の合間を見て、レンスター王国について調べ始めた
すると、レプトールからすれば妙な事に
大規模な出兵の後には必ずと言って良い程、マンスターなどから資金を臨時に徴収していたのである
無論、貧しさを厭う気持ちは良くわかる。レプトールとて好んでその様な生活を送りたいとは思わない
が、貧しい生活を送っている者達が必ずしも能力や人格において劣っているとレプトールは思えない
特に若い連中で生まれながら騎士の家系にいる者達に多い考え方だが、そういう連中に限って『向上心』や『危機感』が欠如している者が多いとレプトールは常々感じている
レプトールが指揮をとるゲルプリッターにおいて1番若い人物であっても三十代半ば
グランベルの武の象徴とも目されるグラオリッターでもやはり主力部隊になると平均年齢は上がる
指揮官のスレイターや当主であり、総指揮官であるランゴバルド曰く
つまらない考え方をする者より、自身を磨き上げる努力をする者の方がマシとのこと
グラオリッターの場合は二十代の人物もそれなりにいるが、偏見を持っていたとしてもそれを表に出す事は禁じられている
仮にそれを表に出して、問題となった場合にはスレイターが直々に
我等は誇り高き騎士
主君に従い、力無き民を守るべきものである。その重みが理解できぬ愚か者に騎士の名は相応しくない。騎士としての名誉を汚すくらいならば、私が騎士としてヴァルハラに送るとしよう
とスレイターは先代の騎士団長からの教えを忠実に守っている
その為、ドズル公爵家に仕える騎士はその敷居が尋常ならざる程に高い
確かに現ドズル公爵ランゴバルドとフリージ公爵レプトールは共謀して同じ公爵であるユングヴィ公爵リングを亡き者とし、シアルフィ公爵であるバイロンやエッダ公爵クロードに叛逆者の汚名を着せて始末するつもりだ。大逆の徒との誹りは免れまい
近頃体調の優れない国王を補佐するべきクルト王子
隣国で
あくまでも自身の支持をしている。その一点でのみ安心している始末
事情を知るレプトールやランゴバルドは口を閉ざしているが、前ヴェルトマー公爵ヴィクトルと公爵夫人シギュンの事もある
シギュン
それは事情をどの程度知っているかで全く感じ方の違う女性だ
詳しい事情を知りもせぬ者達は、一様にシギュンを愛さなかったヴィクトルにこそ非がある。或いはシギュンにこそ非がある
と言うだろう
だが、詳しく事情を知るものからすればそうではない
事情を知る彼等はあまりの悍ましき所業に
…いや既にレプトールとランゴバルドは引き返せないところにいる
今更ヴァルハラにあるかも知れない王子の事など些事に過ぎない
為政者として、武人としても破格の実力を有するのが彼等
だが、だからとて自分達のみで全てを動かせると思う程に彼等は自惚れてもいない
父と子
時と場所は移り、グランベルリューベック
ふん。この程度か?
シレジアの風使いセティの血を色濃く継ぐシレジア王子ですら、このザマとはな
グランベル王国の入り口たるリューベック
既に機動戦力であったドズルの斧騎士スレイターと彼の率いていたグラオリッター。それに父リングの跡を継いだアンドレイが率いるバイゲリッター。その2つを打ち破ったシグルド達をランゴバルドは彼なりに認めその評価を改めていた
力無き理想は絵空事であり、それならば唯の害悪
ランゴバルドは常々そう思っていた
もしも、この大陸から戦争が無くなったとしたら力無き理想もまた価値あるものなのかもしれない。が、現実として武力を用いねば解決の叶わぬ問題があり、話をいくらしても話にならない者達も一定数存在するのだ
少なくともランゴバルドはこの歳になるまでの間、『平和的』に解決した物事を見るよりも『血を流して』解決した物事の方が多かった
女性の悩みにつけ込んで、部下の妻を奪おうとした者
戦争により自分の立場を押し上げようとした者達
国よりも個人の情を優先し、国を滅ぼした者
勿論、自身もまた主家の王子を害し同じ主君を持つ者を手にかけた
言い訳はしない。それが最善だと思えばこそのことであり、たとえその結果自身が斃れたとしても何一つ恨む気はない
だが、今目の前にいる者達は弱い
今もって指揮官であるシグルドには迷いが見える
それは良い
何よりランゴバルドが許せないのは
ふん、シグルド公子について戦功を挙げたと聞いたが何一つ貴様は成長しておらんな
ランゴバルドにとって長男ダナンにせよ、次男のレックスにせよ然程に扱いを変えるつもりはなかった
そう思い定めていた
幸いと言うべきか、嫡男であるダナンは聡明でも勇猛でもないがだ
それに対して父親である己に対しての反発からか、物事を素直に受け止められぬ性根になったレックス。それはそれで構わないとランゴバルドは思っている
右も左も分からぬ
そのままの道を突き進むもよし、どこかで道を改めるもよし
そうランゴバルドは思っていたが故に何も語らなかった
ウェルダンがユングヴィ領に攻め入ったと聞いたレックスは友人であるヴェルトマーのアゼル公子と共に救援に向かった。そう聞いた時ランゴバルドは内心では
あれもあれなりに考えてあるのだな
と多少なりともレックスの行動を認めたものだ
だが、その後の彼の動き方はまるで自身の立場を理解していないかの様なもの
シアルフィのシグルド公子の軍に加わったとはいえ、全く発言権がなかったとは思えない
にも関わらず、アレは流されるままにウェルダンを滅ぼし、アグストリアをも滅ぼす事に加担した
ドズル公爵家公子としての立場など問題ではない
騎士として、グランベル王国の一員としてアレは動いた自覚はあるのだろうか?
更にシレジアにおいては自分やレプトール卿が圧力をかけたとはいえ、シレジアの王弟を手にかけた
スレイターやアンドレイを破ったから多少なりとも成長しているものと思っていたが
成長、していないだと?
口だけは一人前か
貴様はドズル公爵家を出てから何一つ変わっておらん
レックスはランゴバルドの発言に反論しようとした
が、出来ない。レックスは自身を見る
まるで
貴様が儂を嫌っておる事など知っておるわ
そんな事はどうでも良い。ユングウィの倅とてリングの事を内心疎んでいた
だが
それがどうした?
ランゴバルドの纏う雰囲気が変わる
気に入らぬからと目を背ける
そんな者がこのグランベルの明日を創ってゆけるものかよ
理不尽と思えば、糺せ
力が無ければ集めよ
話し合っても意味がなかろうが、相手を理解する努力を怠るな
その程度の事すら出来ない者が、何故新たな明日を掴めると思うたか
っ!
挙句、自分達と共にあれた筈の者を死なせ
手を差し伸べた国を破壊した
レックス
これが貴様らが我らを倒す為に必要として贄か?
断言してやろう。仮に儂やレプトール卿を討ち破ろうとも貴様らに明日はない
ならばせめて苦しまぬ様此処でヴァルハラに送ってやるとしよう
グランベルの
親父っ
激戦であった。風魔法『フォルセティ』を使い熟しシグルド軍最高の回避力を持つレヴィンは早々に戦闘不能
神弓『イチイバル』を妹エーディンより託されたブリギットもまた遠距離反撃が可能であったランゴバルドによりあっさり沈められている。敢えて手加減したのか不明であるが、『スワンチカ』ではなく威力の低い手斧であった。しかし、ランゴバルドの膂力の乗った手斧の威力はブリギットに深手を負わせるのに問題なかったようだ
父バイロンより託された『ティルフィング』を手にランゴバルドへ挑んだシグルドもあっさりうちのめされている
それでも彼等がランゴバルドに与えた傷はそれなりのものであったらしく、動きの鈍ったランゴバルドに対してアイラとホリンがそれぞれ『流星剣』と『月光剣』(本来月光だが、変更している)により更にダメージを与える
最後はレックスが勇者の斧によりランゴバルドを討ち果たした
が、父を超えた筈のレックスの胸に去来するものは高揚感でも歓喜でもなく、戸惑いであった
父ランゴバルドが何を想い、何を成そうとしたのか
レックスは遂に知る事はなかったのである
壊滅的な被害を受けたシグルド軍はリューベックにて各員の治療の為、進軍を一時中止する事となる
彼等は知らなかった
その時間もし、進軍出来ていれば或いは防ぐことか出来た悲劇が起こっていた事を
イザーク、ウェルダン、アグストリア、シレジア
大陸各地で悲劇が、惨劇が起きた
その大乱の結末まで、あと僅か
誰もがより良い明日を望み、そして砕かれる
手を伸ばされても、掴めない者もいる
掴んだとしても諸共に落ちる者もいる
本当に苦境にあって助けられる者はごく僅か
目を背け続けた対価を支払う時だ
次回
悲劇の先へ