エイシンフラッシュの娘。   作:ソースケ2021

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エイシンフラッシュの娘。に登場したファルコンレアのストーリーです。

登場人物:ファルコンレア
※オリウマ娘注意です。
こんな感じの娘です。

【挿絵表示】

よろしければ皆様の読書の
一助にしていただけると幸いです。

誕生日:5月5日
体重:絞れていい感じの仕上がり。
身長:171センチ
スリーサイズ:84・58・84

ファルコンレアのヒミツ7・実は、練習が嫌い。



side story ~ファルコンレア~ 7話

わたしはベッドの中で、今夜何度か目の寝返りを打った。

……どうも、寝付けない。

 

明日はメイクデビューの日だというのに。

 

小さい頃から、大きなレースの前の日はいつもこうだ。

わたしは翌日に大事なことがあると眠れない性格らしく、大レースの前夜にぐっすり寝た記憶というのがほとんどない。

 

眠れないときの対処は色々あると思うが、わたしの場合、睡魔が襲ってくるまでは無理に寝ようとしない。

わたしはベッドから身を起こし、枕元においてある時計で時間を確認する。

 

1時か……。

浅い眠りと覚醒を繰り返しているうちに、日付を超えてしまったらしい。

 

わたしはため息をひとつ付くと、眠ることをあきらめてキッチンに向かった。

 

当然家族はもう寝静まっていて、家の中は真っ暗だ。

キッチンに行くまでに両親の部屋の前を通るので、わたしはできるだけ足音をさせないよう、ゆっくりと歩く。

 

ちなみにうちの両親は、それぞれ違う自室で寝ている。

これは別に夫婦仲が悪いからというわけでなく、お父さんは徹夜で将棋の研究をしている時があるし、お母さんも朝までライブの練習やネット配信をしてたりするからだ。

 

仕事熱心な両親を見ていると、わたしも将来それだけ夢中になれる仕事を見つけることができるといいなあと思う。

 

キッチンに到着したわたしは、パチリとスイッチを入れて明かりをつけた。

テーブルの上には、一枚のメモが置いてある。

 

それを手に取り目を通すと、丸っこい文字でこう書かれていた。

 

【レアへ。きっと、眠れないのでしょう?冷蔵庫にバナナヨーグルトを作ってあるから、食べてね。無理に寝ようとしなくても、レアなら大丈夫。明日はレースを楽しんできてね! ファル子☆】

 

文末が【母より】などではなく、色紙などに書く署名のサイン文字になっているところがなんともお母さんらしい。

お母さんはレースの前になると眠れなくなるわたしのために、ネットや本などで不眠について色々調べてくれた。

その結果バナナが不眠に良いと分かったらしく、それからはレースの前の夜には必ずバナナを使ったお菓子を作ってくれているのだ。

 

わたしは冷蔵庫を開け、綺麗なガラスの器に盛られたバナナヨーグルトを取り出すと、テーブルに戻ってありがたくこれをいただくことにした。

 

正直これを食べたからと言ってぐっすり眠れるわけでもないんだけど……お母さんが作ってくれたバナナのお菓子を食べると『自分はひとりで戦っているわけじゃないんだ』と思えて、とても心が安らぐ。

 

「ごちそうさまでした」

 

バナナヨーグルトを平らげたわたしはお母さんの丸っこい顔を思い浮かべながら、空になった器に手を合わせる。

温かい感情に満たされたお腹をさすり、わたしは自分の部屋に戻ることにした。

 

 

デビューの地・大井レース場にはトレーナーのゲンさんと一緒にいくことになっている。

待ち合わせ場所は、わたしの通う南関東トレーニング学校の正門前だ。

 

約束の時間の15分前には到着するつもりで自宅を出たが、ゲンさんはもう正門前で待っててくれていた。

 

……呑気に歌なぞ歌いながら。

 

「はしれ~はしれ~ウマ娘~。本命穴ウマかきわけて~。ここでお前が負けたなら~おいらの生活なりたたぬ~」

「……おはよう。なんて歌うたってんのよ。そこは『ここであの娘が負けたなら ライブで応援できないぞ』じゃなかったっけ?」

 

というか、トレーナーにそんなの歌われたら、プレッシャー半端ないんだけど。

しかもなんか妙にぴったりあっている歌詞が、プレッシャーにさらなる拍車をかけていた。

 

「おう、おはよう。いやあ、お前さんが負けたら生活しんどくなるのは確かだからな!俺の今季の査定はキミの成績にかかっている!がんばって俺の給料を上げてくれ!」

「実際そうでも、担当ウマ娘にそれを言うかしら……」

 

わたしは大切なレースを前にして、ただただ呆れたため息をつくしかなかった。

 

「まあ、冗談はともかくとしてだ」

「……本当に冗談だったの?」

「……こほん。その目を見る限り、あんまり良く寝られなかったようだな」

「小さい頃から大きなレース前はこんな感じだったから。実は見た目ほど体調は悪くないのよ」

 

これは本当の話で、睡眠不足が原因で力が出しきれなかった、という経験はほとんどない。

 

医学的なことは分からないけど、おそらくそういう状態でレースを走るということに体が慣れてしまっているのだろう。

 

「そうか、期待してるぞ!お前さんが負けると家のローンは払えず、女房と子供に逃げられ、飼っているネコがねこまんまさえ食えずに餓死してしまうからな!いや、もう女房と子供には逃げられてしまったが!」

「ごめん、さらっと重たいこと言わないで。で、その重責をわたしに押し付けないで」

 

一人の男が人生を懸けて背負うべき重荷を、わたしに押し付けられても困る。

その中でわたしに期待していいのは、せいぜいネコのご飯代ぐらいだ。

 

そんなバカ話をしているうちに、わたしはすっかり脱力してしまい、眠気もどこかへ飛んでいってしまっていた。

 

 

大井レース場の控室は、中学時代まであてがわれていた模擬レースの控室とは一線を画す広さと綺麗さだった。

 

これがトゥインクルを走るウマ娘の待遇であり、この待遇に見合うレースをしてくださいね、ということでもあるのだろう。

 

「どうだ、緊張してるか?」

「多少はね。でも、このぐらいの緊張ならパフォーマンスに影響なさそう」

 

わたしがにっこりほほえみながらそう言うと、ゲンさんはうむ、とうなずいた。

 

「メイクデビューだから対戦相手のデータはないに等しいが……追い切りのタイムを見るに、今日のお前さんの相手になるウマ娘はいないよ。自分のレースさえできれば、悪い結果にはならないはずだ」

 

どんな相手でも油断をするつもりなどないが……そういってもらえると、少しばかり安心できる。

 

「時間ね」

 

壁がけ時計を確認すると、そろそろパドックへファンに顔見せしに行く時間だ。

控室のドアノブに手をかけたわたしに、ゲンさんが一言だけ「がんばれよ」と声をかけてくれる。

 

わたしは軽く手を振って、それに応えた。

 

 

わぁああぁあぁあっ!

 

わたしがパドックに足を運ぶと、大歓声が出迎えてくれた。

模擬レースの時ももちろん観客はいたけど、トゥインクルを見に来てくれるお客さんの数はまさに桁違いのようだった。

 

「きゃあぁあぁっ!レアさーん!がんばってー!」

「ファル子の娘!がんばれよ!」

 

そんな声が、あちらこちらから聞こえてくる。

飛んでくる声援を聞きながら、わたしは大観衆に向かってぺこり、と頭を下げた。

男性ファンの方が圧倒的に多いのかな、と思っていたのだけど、見た感じ女性も3・4割はいてそうだ。

 

大井レース場第2レースメイクデビューの出走ウマ娘全12人中、今日の一番人気は一応わたしで、単勝推し率が40%を超えているらしい。

つまり、この中の40%もの人がわたしが勝つと信じているわけだ。

 

たくさんの人の期待に、応えたい。

 

そんな闘志を胸に秘め、わたしはパドックの輪の中に戻った。

 

 

本バ場入場はスムーズに行われた。

メンタル的な問題か、ゲート入りに手こずる娘もいるけど、わたしは小学生時代から一度もゲート入りを嫌だ、と思ったことはない。

むしろ、ゲートインしてしまえば気持ちが落ち着いてフツフツと闘志が湧き上がってくるぐらいだ。

 

がちゃん!

 

ゲートが開いた。

 

スタートはまずまずだった。

 

わたしは先日ゲンさんと練った作戦通り、ハナを奪いに行くことにした。

先頭を陣取ろうとするわたしに、ひとりのウマ娘が競りかけてくる。

きっと彼女も、先頭でレースを作りたいのだろう。

 

どうする?

あっさり譲ってしまって、二番手に構えるか。

それとも……。

 

スタミナが許す限り、先頭争いを演じるか。

 

わたしは今までの練習量とトレーナーの指示を信じて、先頭を譲らないことにした。

 

わたしが一歩、前に出る。

彼女も負けじと競りかけてくる。

 

そんな鍔迫り合いに、メイクデビューのレースとは思えないほどの歓声がわく。

 

600Mあたりまで小競り合いが続いたが、結局彼女は先頭をわたしに譲って二番手でレースを進めることにしたようだ。

 

ようやくここで、わたしは単独で先頭に立った。

 

さて、これが吉と出るか凶と出るか。

 

自分の感覚では、それほどスタミナを浪費した感じはしていない。

ペースもさほど、早くなっていることはないだろう。

 

残り400Mを切った時点で、わたしの脚色にはまだまだ余裕があった。

それに、後ろから足音も聞こえてこない。

 

ふむ。

いつもはこのあたりからスパートを掛けるのだが。

前半戦のこともあるし……ひょっとすると後続の娘たちはハイペースと思っていて、仕掛けを遅らせているのかもしれない。

 

ハイペースでレースが流れているなら、今わたしがラストスパートを掛けると、少しばかり早仕掛けになってしまって後ろの娘に捕まえられる可能性もある。

 

いや。

そうなったら、そうなったときだ。

 

仕掛けを遅らせて脚を余らせるより、脚を使い切って負けるほうがまだマシだ。

 

わたしが判断に迷った時は、積極的な決定の方に身を委ねることにしている。

少し怖かったが、わたしはギアを最高速に切り替えた。

 

さあ、最後の直線!

まだ、後続の足音は聞こえてこない。

 

わたしの脚には、まだ余裕がある。

 

……このまま、勝てるのか?

 

いや、トゥインクルに出てくるような娘達を相手にしているのだ。

最後まで、油断できない。

 

わたしは歯を食いしばり、更に脚を伸ばした。

 

残り200M。

まだ、後ろから足音は聞こえない。

 

残り100M。

聴こえてくるのは割れんばかりの大歓声と、わたしが蹴り上げる砂の音だけ。

 

無我夢中でゴール板を駆け抜け、ギャロップから駆け足へを速度を緩めながらゆっくりと立ち止まった。

 

そこで後ろを振り返ってみると……ようやく2着の娘が、ゴールしているところだった。

それから、掲示板を確認してみる。

 

1着 3

2着 7 大差

3着 ……

 

ジュニアレコード

タイム:1・10・3

 

着差とタイムが表示されると、観客席から大きな拍手が巻き起こった。

 

なんとそのタイムは、ジュニアレコードを更新するものだった。

自分で言うのもなんであるが……メイクデビューのレースタイムとしては、相当なものだろう。

 

「……よしっ!」

 

それらを見てようやくわたしは、勝った実感が得られたのだった。

 

 

レースの熱と比べると、ウイニングライブの盛り上がりは正直今ひとつ、いった感じだった。

まだ午前中ということもあるのだろうけど……重賞レースクラスのウイニングライブならともかく、メイクデビューしたばかりのウマ娘たちのそれがみたいという人は、そんなに多くないのだろう。

 

実はわたしは歌ったり踊ったりするのが結構好きだ。

……ウマドル、なんてガラじゃないから、お母さんが勧めてくれた活動は丁重にお断りしたけれど。

 

まばらな観客席を見渡しながら、わたしは精一杯踊り、歌った。

そしていつか満席の、大レース後のウイニングライブでセンターを務めてみたいと強く思った。

 

 

「デビュー戦勝利おめでとう、よくやったな」

 

控室に戻ってきたわたしに、ゲンさんは短くも力強い祝辞を述べてくれた。

 

「ありがとう。ゲンさんの、普段の指導の賜物ね」

「担当ウマ娘にそういってもらえると、トレーナー冥利に尽きるってもんだ」

 

そういいながら彼は「ほれ」と冷えたスポーツドリンクをわたしに手渡し、荷物をまとめ始めた。

わたしは帰り支度をゲンさんに任せて、飲み物をいただくことにする。

 

「お、そうだ。終わったばかりでなんだが、次走の話だ。次は2週間後の川崎レース場のプレオープン1400Mを予定してるから、そのつもりでいてくれ」

「……ずいぶん間隔を詰めるのね」

 

中1週でのレース出走というのが珍しいわけではないが、ウマ娘の出走のペースはだいたい3週間から1ヶ月に1度くらいが平均的とされている。

 

「ああ。今のお前さんを見てたらそんなに疲れもなさそうだ。それに、今日のようなレースができるなら、当然年末の全日本ジュニア優シュンも視野に入れたい。G1を目標にするなら、お前さんにはできるだけレース経験を積ませてやりたいし、出走ポイントも稼いでおきたいと思っている」

 

出走ポイントというのは、その名の通りレースの着順に応じて与えられるポイントである。

もしあるレースの申込みが多数で定員オーバーになってしまった場合、この出走ポイントが少ないものから足切りされていく。

ポイントが同じ場合は、出走する権利は抽選で決められるというわけだ。

 

まあG1を見据えるなら、確かに経験はできるだけ積んでおきたい。

彼の見立て通り、今日のレースでそんなに疲労が蓄積されたわけでもない。

 

「わかったわ。また2週間後のレースの勝利を目指して、がんばりましょう。……でも今日のわたしって、とってもがんばったと思わない?」

 

わたしのおねだりアイコンタクトに、彼はわかったわかったと言わんばかりにうなずいた。

 

「じゃあ初勝利のお祝いも兼ねて、ステーキでも食わせてやるよ。ここのレース場にある【マイケル】って店が、旨い肉食わせるんだ」

 

そうそう。

トゥインクルにデビューするって決まったときに、ちょっと楽しみにしてたのが各レース場のグルメ巡りなのよね。

 

「さすが南関東1の名トレーナー、佐神先生!ウマ娘の気持ちがわかっていらっしゃるわ!ごちそうになります」

 

嬉しいことを言ってくれる彼に、わたしはとびっきりの笑顔でお礼をいう。

 

「調子のいいこと言ってやがるなぁ。行くぞ」

 

若干あきれたため息をついて控室から出ていこうとする彼のあとを、わたしはスキップせんばかりの歩調でついていった。

 

 

お母さんとお父さんも、もちろんわたしの初勝利を喜んでくれた。

お母さんはわたしが勝つと信じて疑っていなかったらしく、夕食にちょっといいお肉を使ったすき焼きを用意してくれていた(トレセン学園の件は忘れたってことにしておきましょう)。

今日一日の献立は昼食にステーキ、夕食にすき焼きという、貴族もそこのけのぜいたくなものになってしまった。

お腹が一日中好物で満たされているときほど、人間幸せなことはない。

 

しかもそれがレースに勝った日であるなら、なおさらだった。

 

 

わたしが生きてきた中でも指折りに幸福な一日を終え、自室に戻ってきた。

 

「ふぅ……さて、と」

 

ベッドに潜る前にスマホを確認すると、シルヴィを始めとして友人知人からたくさんのお祝いLANEが来ていた。

わたしはしまらないニヤケ顔のまま、祝電をくれたひとたちにお礼の返事をしたためる。

お礼のLANEを送信するたび、祝辞をくれたひとりひとりの顔が笑顔で思い浮かんで、なんだかそれがとっても嬉しかった。

 

「今日は、本当にいい日だったわ」

 

そんなことをつぶやき、わたしは満ち足りた気持ちでベッドに潜り込んだのだった。

 

 

2週間後。

わたしは川崎レース場で行われたプレオープンをあっさり勝ち上がった。

2着に10バ身差以上をつける楽勝だった。

 

うん。

この調子なら、トゥインクルでも十分にやっていけそうだ。

 

わたしにはきっと才能があるのだ。

ケガをしないように、普通に競走生活を送っていれば、わたしはきっといい線までいくウマ娘になれる。

 

少しがんばれば、お母さんのようにも、なれるかもしれなかった。

 

 

放課後の、ダートコース練習場。

 

「……レア。俺は目一杯追ってこいと指示を出したはずだが」

 

ゲンさんが珍しく、渋い顔してわたしに問い詰めてくる。

 

「あ~。なんかちょっと、体調悪くて」

 

彼の指摘を、わたしは愛想笑いを浮かべてごまかした。

実はそんなこともないんだけど、なんだか今日はちょっとやる気がしない。

ここのところレース間隔も詰まっていたし、練習もいつもと同じようなメニューだったので、モチベーションが下がっているのだ。

 

それに……こんなスパルタな練習を毎日こなさなくても、わたしの能力ならどんなレースでもきっと勝ち負けできる。

 

だいたい、初めて会ったときゲンさん自身がわたしの素質はお母さんより上、って太鼓判を押してくれていたではないか。

 

「……そうか。G1の前にもう一つ、レースを使いたいと思っているから、しっかり走り込んでおいてほしいと思ってるんだがな」

「あ、全日本ジュニア優シュンのステップレースを決めてくれたのね。そうすると、北海道で行われるJBCジュニアクラシックかしら?それともG2の、園田で開催される兵庫ジュニアグランプリ?」

 

どちらもG1のステップレースにふさわしい重賞レースである。

わたしの前2走の勝ち方からしてどちらのレースに出走してもおかしくないし、きっと優勝争いが期待されることだろう。

 

「いや、JBCと同じ日に行われるプレオープンを予定している。川崎の1600Mで、本番と同じ条件で走れるしな」

 

前哨戦を走るのは、やぶさかではない。

でも……。

 

「どうして重賞レースじゃないのよ?わたしはもう2勝していて重賞に出走する権利を持っているし、その力も十分に身についているはずだわ」

「レースの格はともかくとして、本番と同じ条件のコースを走っておくのはお前さんにとって悪いことじゃないからだ。それに……」

「それに?」

「いや、なんでもない。それより、今日はもう疲れてるんだろ?家に帰ってゆっくり休め」

 

歯切れ悪くそう言い、まるでわたしを追い払うかのように手を振ってトレーニングの終了を告げる彼の態度は、はっきり言ってまったく面白くなかった。

 

 

天気の良い昼下がりの土曜日。

わたしは久しぶりに、街に遊びに出かけていた。

 

「いやー、ごめんねシルヴィ。急に誘っちゃって」

「それは別にいいんだけど……」

 

私服姿のシルヴィは食べていたいちごクレープを飲み込むと、少し困ったような表情を作った。

 

「レアって明日、レースじゃなかった?いいの、こんな食べ歩きなんかしてて」

「ああ、いいのいいの。わたしなりに、ちゃんとトレーニングもしてきたし。こういう息抜きも大切よ」

「そういうことなら、いいんだけどね」

 

そういうと彼女ははむっといちごクレープを再び口にする。

シルヴィにはああは言ったものの……実のところここ数日、あんまりトレーニングに身が入っていない。

 

あの日以降、それとなく重賞に挑戦してみたい、とゲンさんに伝えてはいるのだけれども、彼は『まあ、そのうちな』と気のない返事をよこすだけ。

 

練習内容は単調だし、次に出るレースは一度勝利を収めているプレオープンのクラスだ。

出走表のメンバーを見てみたけど、気をつけるべきは前走の未勝利戦をちょっといいタイムで勝ち上がってきた娘ぐらいである。

 

どうやっても負けるわけがない。

 

こんな状況で、どうやって高いモチベーションを保てというのだろう。

気の合う友人と美味しいものを食べて遊ぶ以外の方法があるのなら、教えてほしいものである。

 

「ま、ま。今日ぐらいはレースのこともトレーニングのことも忘れて楽しみましょうよ!ね、次はカラオケいかない?RENの新譜歌ってみたくてね」

「あ、いいね。じゃあお互いの推しアイドルの持ち歌縛りで点数勝負しない?負けたほうが、部屋代持ちで!」

「よし、受けて立つわ!」

 

そうしてわたしたちはいつも行っているカラオケ屋になだれ込んだ。

さんざん歌い倒して、カラオケ屋を出たのはすでに日付が変わった時刻になっていた。

 

 

「どうした?今日も寝不足か?」

 

いつものように集合場所の正門前に行くと、すでにゲンさんが待っててくれていた。

 

「うん、まぁ……」

 

カラオケで歌いすぎた翌日特有の、ガラガラ声でわたしは返事する。

 

「何だ、その声。風邪でも引いたのか?季節の変わり目だから気をつけろよ」

「そうね……」

 

さすがに、昨日夜遅くまでカラオケで遊び倒したせいでこんな声になっている、とは言えなかった。

 

「じゃあ、行くか」

 

それだけ言うと彼は、何も言わずにスタスタと歩き出した。

今日はどうしたのだろう。

いつもなら、なにかしら雑談でもしながら駅に向かうのだけれども。

 

まあ、彼も人間だし機嫌が悪いときもあるか。

わたしが勝てばきっと、いつもみたいに喜んでくれて機嫌も直るに違いない。

 

黙って歩き続けるゲンさんに、わたしの方から話しかけるようなこともしなかった。

 

 

それから特に彼とは言葉をかわすこともなく、いつもどおりに控室で着替えてパドックでファンに顔見せし、地下バ道を通って本バ場に入場した。

 

今日の一番人気はもちろんわたしで、単勝推し率はなんと75%にも上っていた。

それはそうよね。

デビュー戦はジュニアレコード勝ち、前走は10バ身つけての圧勝劇。

 

わたしが負ける要素なんて、どこにもない。

与えられた枠もおあつらえ向きに、逃げたいわたしが欲しかった内枠の3枠3番である。

へそ曲がりな予想記者は初のマイル挑戦に若干の不安、なんて書いていた人もいたけど、体幹の欠点を克服した今のわたしなら、なんの問題もなくこなせる。

 

ゲートイン完了。

 

ガチャン!

 

スタートはいつもどおり、いい感じで切ることができた。

わたしはその勢いに任せて、ハナを奪いに行く。

みんな前2走のわたしの走りを知っているのだろう。

誰もわたしに競りかけてこない。

 

こういう展開になると、もう独擅場である。

先頭にいるわたしが、好きなようにレースを作れるのだから。

 

結局誰もわたしに鈴をつけに来るようなことはせず、淡々とレースは進む。

もう完全に、わたしのペースだ。

 

誰も、わたしに追いつけない!

 

第四コーナーをカーブして、さあ、最後の直線。

あとはいつもどおりに後続をちぎるだけのレースである。

 

わたしは脚に力を込め、ギアを切り替えようとした。

 

「!?」

 

どういうわけだか、脚の回転がこれ以上上がってくれない。

 

あれっ!?

 

どういうことなの?

 

ギアをあげられる感じが、全くしない……!

 

初めて聞こえてくる、後続の足音。

観客席から聞こえくる、悲鳴にも似た大歓声。

 

うそっ、うそでしょっ……!?

 

もしかして、わたし、バテてしまっているの……?

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

そう意識した瞬間、急に息があがり始めた。

 

呼吸が苦しくなる。

気持ちばかりが焦って、脚がまったく思ったように捌けない。

 

どうして。

 

どうして?

 

どうして!?

 

ひょっとしたらわたしは極端なスプリンターウマ娘で、あまのじゃくな記者が予想したようにマイルでさえ長かったのだろうか?

 

一体、何が原因なの!?

 

今、そんなことを考えたって仕方ない。

理性はちゃんとそれをわきまえていたが、感情のほうが今すぐどうにかできるわけもない疑問を垂れ流しまくってしまって、まったくレースに集中できていない。

 

と、とにかく逃げ切らなければ。

 

わたしは鉛のように重くなった脚に鞭打ち、早くゴール板がわたしを迎えに来てくれることだけを祈った。

 

川崎レース場の直線は大井のものに比べると短いはずなのに……。

今日の最後の直線は、デビュー戦のものよりはるかに長く感じられた。

 

後続の足音が、大きくなってくる。

わたしの視線の端が、ひとりのウマ娘を捉えた。

 

彼女の末脚は、今のわたしなんか鎧袖一触にされそうな、ものすごいものだった。

 

あ……差された……。

 

そう思った瞬間が、ゴールだった。

 

それと同時に、観客席から激励ともヤジともつかない怒声が聞こえてくる。

 

「レア、お前何やってんだよ!お前の力はそんなもんじゃないだろう!?」

「どうしたの、本気で走ってなかったの!?」

 

そんなわけがない。

わたしは、本気で走った。

 

その証拠に今までにないほど呼吸が乱れているし、心臓が今にも肋骨から飛び出してきそうなほど暴れまわっている。

 

見ているだけの人はいいわね!

 

無責任なヤジにそう怒鳴り返したかったが、今のわたしにはそれだけの気力も残っていなかった。

仕方がないので首だけ少し角度を上げ、おそるおそる掲示板を確認してみる。

 

3着から下は着順が表示されていたが、肝心の1・2着がまだ何も表示されていない。

 

……おそらく、負けているだろう。

追い込んできた娘の末脚と気迫は、本当にすごかった。

 

きっと今日のレースに標準を合わせ、ハードなトレーニングを積んできたに違いない。

 

それに対して、どうしてわたしはこんな不甲斐ないレースをしてしまったのか。

 

狡猾でプライドだけはいっちょ前に高い自動思考くんは、それらしい原因をいくつも用意してくれる。

 

初めてのマイルで、うまくペースが掴めなかったのだ。

本当のわたしはスプリンターで、マイルという距離がすでに距離適性外だった。

ここのところレースに使い詰めで、ちょっと疲れが溜まっていただけだ。

 

……ううん。

いくらわたしがバカでマヌケでも、そんな都合の良い妄想に騙されたりはしない。

 

練習不足。

 

今回の結果は、わたしのおごりと怠惰が招いた自業自得だ。

それ以外に、原因はない。

 

トレーナーの指示に従わず練習の手を抜き、レースの前日に夜遅くまで遊び呆けていたツケがこれだ。

 

負けるのは、仕方ない。

 

わたしだって小学生1年生のときに初めて模擬レースに出走した時から、数え切れないほど負けてきている。

 

敗戦は、ウマ娘の日常だ。

 

でも【全力を尽くすべきときにそれをやらなかった。できるはずの準備を怠ってしまった】という事実が、心をズタズタに引き裂くのだ。

 

こんな、競走を始めたウマ娘ならどんな幼子でも知っている当たり前のことを、わたしはすっかり忘れてしまっていた。

 

わたしは、才能あるウマ娘でもなんでもなかった。

 

トゥインクルを走る、一人のウマ娘というだけなのだ。

 

トゥインクルを走るウマ娘は、みんな一戦一戦、人生を懸けてレースに臨んでいる。

そんな厳しい競争環境で自分への手綱を緩めてしまえば、こうなるのは当たり前だった。

 

何が重賞に挑戦したい、だ。

……なにが、お母さんのようになれるかもしれない、だ……!!

 

バカだ、バカだ。

わたしは、大バカだ。

 

……でも、もう自分がバカだということを自覚しよう。

自分は天才でもなんでもなくて、勝利を目指すひとりのウマ娘にすぎないということを受け入れよう。

 

今回の敗戦を教訓にして、きちんとやるべき練習をしよう。

 

そのためには、まずトレーナーに謝らなければ。

 

ここ数日、彼が不機嫌だった理由が、バカのわたしにもようやく理解できた。

 

最後に、敗戦の記憶をしっかり刻んでおこう。

そう覚悟を決め、わたしはもう一度掲示板を確認しようと首を上げる。

その瞬間、1着と2着の番号が表示され、確定のランプが灯った。

 

1着 2

 

やっぱり、彼女が勝ったのだ。

掲示板には、残酷なまでにしっかりとその結果が表示されていて……。

 

 

2着 3 同

3着 ……

 

「同……」

 

え?

同ってことは……。

 

その結果に、観客席からはなんとも言えないどよめきが起こった。

それから少し間をおいて起こる、大きな拍手。

 

……その拍手は不甲斐ないレースをした一番人気の【負けなかった】ウマ娘に向けられたものではなく、素晴らしいレースを魅せてくれた【勝った】ウマ娘に対して贈られているものだということは、バカなわたしでも理解していた。

 

わたしは、今日の同着のレースを忘れない。

わたしと同じぐらいの才能を持ったウマ娘なんてたくさんいるのだ、努力なくしてその中を勝ち抜くことなんてできないのだ、と思い知らされた今日のレースを、絶対に忘れない。

 

 

1着が同着だった場合、ウイニングライブは【ダブルセンター】という形で行われる。

めったにないことなので、ダブルセンターの振り付けの練習をしているウマ娘なんてほとんどいない。

わたしたちもその例にもれなかったので、急遽舞台袖で簡単な振り付けの変更の確認を行うことになった。

 

その時のことだ。

 

「今日のレアさんの調子が本調子だなんて、私も思っていないよ。それはちょっとくやしいけど……でも、勝負は勝負。結果は結果。今日は私も堂々とセンターとして歌わせてもらうわね」

 

能力があり、これだけ志の高いウマ娘が一つの白星を目指してしのぎを削っているのが、トゥインクルという世界なのだ。

 

楽に勝てるレースなんて、存在するわけがない。

敗戦という形で慢心と怠惰の代償を支払わずに済んだのは、本当にただの偶然だった。

 

【勝者】としてそう宣言する彼女に、わたしはなんとか作った笑顔で「わたしももちろん、そのつもりよ」と強がっているふりをするぐらいしか、できなかった。

 

 

「負けなかったんだな、おめでとうよ」

 

ゲンさんは目一杯皮肉を利かせた笑みを浮かべて、わたしを出迎えてくれた。

……彼にはきっと、わたしの腐った性根も行動も、全部お見通しだったに違いない。

 

「……本当に、ごめんなさい。わたし、ちょっと連勝できてたからって調子に乗ってたみたい」

 

わたしは精一杯の反省と謝意を込めて、頭を下げた。

 

「お前さんが自分でそのことに気づいてくれるなら、黒星ひとつぐらい安いもんだ、と思って今まで何も言わなかったんだがな。最近あれだけいい加減な練習してて負けなかったのは、2戦目までは必死にやっていた貯金だよ」

 

どうしょうもないウマ娘であるわたしを、そう言って彼はフォローしてくれた。

 

「……本当のこと言うと、わたしあんまり、トレーニングって好きじゃないのよね……」

 

そんな彼に、わたしは爆弾発言を放り込む。

 

わたしもウマ娘であるから、走ることは好きだ。

ただ、それでもやっぱり練習となると辛いな、と思うことはあるし、筋トレやストレッチなどは正直、できるだけやりたくない。

 

もちろん本来なら、このようなことはトレーナーに言うべきではない。

でもゲンさんなら、わたしの本心を受け入れてくれて、その上で解決方法を考えてくれるのではないか、と思った。

 

彼のことをそう信頼した上でわたしは思い切った告白をしたわけだが、それでもあきれられるか、ひょっとしたらひどく激高されるかもしれないと覚悟していた。

 

でも、ゲンさんはさもありなん、とうなずくだけだった。

 

「レアの練習嫌いは、担当についてすぐに気づいていたよ。最初、俺の練習メニューにひとこと言ってきたときにもそう思ったし、たいていのウマ娘は決められている練習が終わっても、体調が良いときやモチベーションが高い時は追加の練習をトレーナーに申し込んでくるもんだ。でもお前さん、それ一度も言ってきたことないだろ?」

 

……そういう些細な事からでも、練習嫌いってバレるのね……。

 

「別にそのことを『やる気のない奴だ』と責めているわけじゃない。オーバーワークしたがるウマ娘も、それはそれで困りものだしな。ただまぁ、それもあって普段から少し負荷の高いトレーニングを組み立てている、ということはある。お前さんは確かに練習嫌いだが、真面目なところもあるから言われた練習メニューは不満な顔しながらでも、こなしてくれていたからな。最近は少しばかり、手抜きしてたようだが」

 

彼はそう言ってハッハッハ、と快活に笑いながら、ぽん、とわたしの肩に手をおいた。

 

「今日のレースで、トゥインクルが甘いもんじゃないってことを身をもって知ることができたろ?昔のアニメのセリフじゃねえが、勝負事ってのは【もう何も怖くない】って瞬間が一番怖いんだ。自分は今順調だ、と感じているときほど、気を引き締めなきゃならねえ」

 

ゲンさんのありきたりな言葉に、わたしは真摯にうなずいた。

確かに彼の言葉はありきたりなもので、同じようなシーンで、たくさんの人が同じようなことを言われているのだと思う。

 

だからこそ、それはきっと真実を含んでいるのだろう。

 

「トレーニングも、嫌いなもんはまぁしょうがねぇ。好きになれ!とトレーナーに怒鳴りつけられたところで、好きになれるもんでもないしな。でもな、その中にでもなにか楽しい、面白いと思えることを探してみろ。例えば筋トレなら、持ち上げられる重さやできる回数が増えていくことに成長を感じてみる、というのも悪くないぞ。いろんな筋トレ器具を試してみて、ちょっとでも面白さを感じられるものを使うようにする、というのもいいだろう。もちろん俺も、レアが少しでも興味を持ってトレーニングに取り組めるよう、工夫するつもりでいるけどな」

「……面倒かけるわね」

「それがトレーナーの仕事だ。気にすんな。さ、昼飯食って帰るぞ。なんか食いたいものあるか?」

 

今朝のわたしの思惑とは違った形になったが、そう言ってくれる彼の雰囲気から察するに、かなり機嫌を直してくれたようだった。

 

「そうねえ……。そうだ、もつ煮込ってのを食べてみたいわね。ここの名物なんでしょう?」

「また酒が飲みたくなるメニューを……。ま、今日は勝ったことだし、昼間から一杯やっても許されるだろ!」

 

まったく、なんか調子のいいことを言ってるわね。

今度はわたしが観察眼を発揮しなければならない場面だ。

 

「ダメです。今日は負けなかっただけなんだから、勝利の美酒は次のレースに取っておきましょうよ。それにゲンさん、最近お酒の量増えてるでしょ?たまーに二日酔いでわたしの指導してるの、知ってるんだから」

「バレてたのか」

「わたしの練習嫌いより、よっぽどわかりやすかったと思うわよ?」

 

わたしの皮肉に、彼はバツの悪そうに苦笑した。

 

「それはひどい。ちょっと酒は自重するかな」

 

結局ゲンさんはノンアルコールのビール片手に、やっぱ本物が飲みてーと言いながらもつ煮込とおでんをつまんでいた。

 

わたしももつ煮込とおでん、それにとりのから揚げをごちそうになった。

もつ煮込というのは初めて食べたが、思ったよりクセもなく、出汁がモツに染み込んでいて絶品だった。

 

ひょっとしたら、わたしも酒飲みになるのかもしれないわね。

 

お酒が飲める歳になったら、この飲んだくれのトレーナーとお酒を飲み交わすのも悪くないのかもしれない。

 

その酒の席で彼に、『お前さんは確かに練習嫌いだったが、それなりにがんばってトレーニングに取り組んでいたよな』と言われるぐらいには、一生懸命練習しよう。

 

そして、今日のようにレースのあと後悔が残るような、いい加減な練習は二度としない、と固く自分の心と彼に誓ったのだった。

 




読了、お疲れさまでした。

今回も最後までお読みいただき、まことにありがとうございます。

どんな人にでも敗戦があり、失敗した経験があると思いますが、
その挑戦に対して準備や練習を精一杯やってきたのなら、
ある程度はあきらめがつくものですし、場合によっては
やりきった、と思うことができますよね。

でも、やろうと思えばもっとやれたはずなのに……
努力する時間もリソースもあったはずなのに……という
後悔の残る挑戦には、失敗した時は言うに及ばず、
たとえうまくいったとしても、妙な後味の悪さが残るものです。

今回のレアのように、その代償を払わずに済む、というケースは
きっとほとんどないのでしょうね。

私の場合、山ほどその代償を支払うことが多かったので……(笑)。

それではまた、近いうちにあとがきでお会いしましょう!

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