エイシンフラッシュの娘。   作:宮川 宗介

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偉大な母親を持つウマ娘・アデリナが、自身の実力と母親の実績、その親子関係に葛藤しながらも競争生活を全うしようとするお話です。

※オリウマ娘注意です。

登場人物
フラッシュアデリナ

【挿絵表示】

誕生日:4月28日
体重:おおよそ理想
身長:159センチ
スリーサイズ:87?・58・86

フラッシュアデリナの秘密2:実は最近胸が大きくなってきて悩んでいる。



第6話

呼吸も落ち着いてきたあたしは、トレーナーの手を借りてなんとかバ場から立ち上がった。

 

もう一度、掲示板を確認する。

 

1着 11

2着  2 ハナ

 

間違いない。

あたしが、勝ったんだ。

 

あたしが……。

 

「…………」

 

電光掲示板に表示された無機質な番号が、あたしの心を激しく揺さぶった。

 

声は出ない。

ただただ、ボロボロと静かに熱いものがあたしの頬を伝っていく。

 

トレーナーは何も言わず、あたしを静かに見守ってくれていた。

 

「アデリナちゃん」

 

ガラガラ声のした方を振り返ってみると、大きな瞳を真っ赤にしたスターちゃんが、あたしの目の前に立っていた。

 

「スターちゃん……」

「優勝、おめでとう。私も嬉しい……いや、ごめん。ほんとはメチャクチャ悔しい」

 

瞳の端に涙をためながら、スターちゃんはそういって苦笑する。

 

「……うん、ありがとう」

 

こんな時、なんて言えばいいのか、あたしには分からなかった。

 

「あ~、それにしても惜しかった!胸の差で負けたのかなぁ。アデリナちゃん、スタイル良いもんね~」

「かもねぇ」

 

そんなバカなことを言いあって、あたしたちは泣きながら笑いあった。

 

これはスレンダーなウマ娘が僅差で負けたときの常套句みたいなもので、一種のブラックジョークである。

実際にはウマ娘は頭から突っ込むような体勢でゴールするので、バストの大きさが勝敗を決するなんてことは起こり得ない。

 

こんなバカげたことでも言っていないと、負けた方はやっていられないのだ。

 

「でも、これで引退かぁ。結果にはちょっとばかり悔いは残るけど、今までやってきたことにはなんの悔いもない。最後、親友と本気で戦えて本当に良かった」

 

スターちゃん……。

こんな遺恨試合みたいなレースのあとでも、彼女はあたしのことを【親友】と言ってくれた。

 

「アデリナちゃん、これからもどんどん勝ち進んでね!それでね、アデリナちゃんが将来G1に出走したら、周りの人に自慢するんだ。私はあの娘とハナ差の勝負をしたことがあるんだよって!」

 

そういって彼女は、あたしに背を向け駆け出していく。

 

もう、我慢できなかった。

 

あたしは今度こそ、声を上げて小さな子供のように泣きじゃくった。

 

 

ライブ前の、ステージ袖。

 

(センター。……あたしが、センターで歌う……)

 

もちろん、ステージに立つのは初めてではない。

バックダンサーとしては、過去13回舞台で歌い踊ってきた。

センターで歌う娘を見ながら、次はあたしの番だと言い聞かせて。

それは、周りでバックダンサーを務めていた娘も同じだっただろう。

 

それにしても、この時期の未勝利戦優勝ウマ娘が【センター】として歌えるのは幸運なことで、本当に人に恵まれた。

 

この時期の未勝利戦ウイニングライブは、勝ったウマ娘以外ステージを辞退する娘も多い。

自身は武運つたなく敗れて引退していくのに、バックダンサーとしてステージに立とうという気になれない、というのはよく分かる(数ミリ違えば、あたしがその立場だった)。

 

だから関係者も、その辞退を無理に引き止めるようなことはしない。

 

そういった事情があり、今の時期の未勝利戦ウイニングライブは、ソロライブになることのほうが多いのだ。

でもあたしの場合、2人の娘がステージを盛り上げてくれる。

一人はスターちゃんで、もうひとりは3着に入ったローズフレイアさんだ。

 

髪をショートカットにしていて、いかにもサバサバした女の子といった感じの彼女は『あれだけのレースを見せられたんじゃあ仕方ない。わたしも納得してトレセン学園から転校できるってもんだ。わたしで良ければ、バックダンサー務めさせてもらうよ』と快くステージに残ってくれた。

 

ステージ袖で少し話してみたところ、彼女はレースから身を引くわけではなく、地方のトレセン学校に転校して走り続けるようだった。

彼女の実力なら、転校してすぐにでも初勝利を上げることだろう。

 

「本番5秒前です!」

 

スタッフさんが、声をかけてくれる。

なんとあたしは、引退がかかっていたさっきのレース前より緊張してしまっていた。

 

「toi,toi,toi……」

 

心が落ち着く、魔法のオマジナイ。

 

大丈夫。

 

今日応援してくれた人たちに、今日まで応援してくれた人たちに、そして今まで一緒にあたしと戦ってくれたすべてのウマ娘たちに、感謝の歌を届けよう。

 

スタッフさんの無言の合図とともに、あたしは初めてセンターとして、ステージに駆け出した。

 

 

センターから見る観客席は、今までの景色と全く違っていた。

 

色とりどりのペンライト。

勝者を称える歓声。

あたしの名を呼ぶ観衆たち。

 

みんな、あたしだけを見てくれている。

 

これがセンターからの景色か……。

 

必死で歌い、必死で踊っているにもかかわらず、その光景はどこか他人事で、夢見心地だった。

 

歌い終わり、ペコリと観客席に向かってお辞儀をすると、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

その拍手が鼓膜を打ち、あたしの胸の奥から、ようやく勝ったことによる歓喜の渦が巻き起こってきたのだった。

 

 

初めてセンターを務めたライブを終え、バックダンサーを務めてくれた二人に改めてお礼をいうと、彼女たちは笑顔でそれぞれの控室に戻っていった。

あたしもいつもより軽い足取りで控室に戻るとトレーナーが待っててくれていて、よく冷えたスポーツドリンクを差し出してくれる。

 

「改めて、初勝利おめでとう。どうだった?」

 

このどうだった?には、きっとふたつの意味があるのだろう。

そう思ったあたしは、トレーナーの質問に感じたままを答えることにする。

 

「そうだね。ああいうレースだったから、勝った実感が湧いたのはライブのあとだったよ。ライブは……本当、最高だった。また勝って、センターで歌ってみんなに感謝を伝えたい」

 

あたしの言葉に、トレーナーは心なしか満足げな表情を浮かべてうなずいた。

 

「そうか。まあ、ここの所ハードなトレーニングをしてたから、しばらくは休養して英気を養うといいだろう。休養明けからは更に上目指してビシバシ行くぞ」

 

そうだ。

ある意味あたしは、やっとスタートラインに立ったのだ。

トレーナーの言葉にあたしは黙ってうなずくと、とりあえずロッカーからスマホを取り出す。

 

以前読んだ小説に【誰もが、この小箱から離れられないようだ】って一文があったけど、あたしも例に漏れず、なにか一段落ついたらとりあえずスマホを見るクセがついてしまっている。

 

通知欄を見ると、そこには色んな人からの【おめでとう】で溢れていた。

 

クラスの友人。

学園の先生。

長く連絡を取っていなかった中学時代の友人もレースを見てくれたのか、わざわざお祝いのメッセージを送ってくれたようだ。

 

……嬉しいなあ。

頑張ってきて、あきらめないで本当によかったな……。

 

メッセージアプリに届いている、たくさんの心温かい祝福を感謝の気持ちで確認していると、その中にひとつ、実にシンプルなものがあった。

 

母:初勝利おめでとうございます。次もがんばってください。

 

……あの人はそういう人だ。

別にさ、歓喜の涙を流して喜んでくれよとまでは言わないけどさ、もうちょっとこう……。

 

「ふぅ……」

「どうした?」

 

しまった、思わず出たため息を見とがめられてしまった。

まぁ、隠しても仕方ないか。

 

「いや、お母さんからお祝いのお言葉が届いてたんだけどさ」

 

そういってあたしはスマホに届いていたそのメッセージを、あたしの父でもあり、エイシンフラッシュの夫であるトレーナーに見せた。

 

「あぁ、なんというか……フラッシュらしいよな」

 

そういってお父さんは苦笑いを浮かべる。

 

「そりゃG1勝ったお母さんからすると、あたしの未勝利戦勝ちなんて大したことないんだろうけどさ。もう少し喜んでくれても良いような気もする」

 

あたしがグチ気味にそういうのを聞きながら、お父さんはなぜか自分のスマホを取り出して、あたしにそれを手渡した。

 

表示されていたのはメッセージアプリで、メッセージのやり取りは1週間ほど前のもののようである。

 

「!」

 

それは、お父さんがお母さんを今日のレースに誘ったときのものだった。

そのメッセージの返信はこうだった。

 

『これから何度でも観戦の機会があるでしょうに、なぜわざわざそのレースを見に行く必要があるのです?』

 

今日ここに来る前の会話の中でこの言葉をあたしに伝えなかったのは、どうやらプレッシャーにならないよう気を使ってくれたかららしかった。

 

それにしても……

 

「偏屈すぎない?あたしのお母さん……」

 

脱力したり、泣いたり笑ったり、また泣いたり、今日はなんとも情緒不安定な日だ。

母に泣かされたのは小さい頃、友達に見せびらかしたいがために仕事道具を勝手に持ち出して、優しく諭されたあの日以来である。

 

まったく、偉大な母親を持つと苦労するものだ。

偉大な母親というのは、叩いたり、怒鳴りつけたりしなくても、こうして子供を泣かせることができるのだ。

 

この点に関して言うなら、どこのお母さんも同じようなものなのかもしれない。

 

あたしはきっと、一生お母さんに勝つことなんてできないんだろう。

 

 

感動の初勝利から1週間が経った。

あたしはレース前のハードトレーニングの疲れを癒やすべく、1ヶ月の休養に入っている。

休養期間のトレーニングはストレッチと筋力を維持するための軽い筋トレぐらいで、激しい走り込みなどは一切なしだ。

そんなわけであたしはゆっくりしたものだったけど……ルームメイトのスターちゃんはこの一週間、慌ただしくあちこち動き回っていた。

 

「っと。これで全部かな」

 

あたしはスターちゃんのクローゼットから衣服を全部ダンボールに詰め、一息ついた。

 

「ごめんね、手伝わせちゃって……」

「いやいや、これぐらいさせてくれないと。スターちゃんには散々お世話になったしね」

 

申し訳なさそうなスターちゃんにあたしは笑顔で返事して、持っていたガムテームでダンボールに封をする。

 

結局スターちゃんはURAに引退届を提出してレースからは完全に身を引き、トレセン学園から地元の高校に転校することになった。

 

家族にそのことを報告する時、『期待されてた分、やっぱり申し訳ないよね……』と言って部屋から出ていったけど、ご家族には【今までよくがんばった。長い間、ひとりきりにして申し訳なかった。早く帰っておいで】と労われたみたいで、そのことを泣きながらあたしに話してくれた。

 

「でも、明日からはこの部屋に一人きりか……寂しくなるなぁ」

 

そんなことをあたしが言うと、スターちゃんはすこしビターな微笑を浮かべる。

 

「また家族と一緒に暮らせるのは嬉しいけど、アデリナちゃんと離れ離れになるのは私もやっぱり寂しいよ。それに、新しい学校でうまくやれるかな……」

「スターちゃんはいい子だから大丈夫!それにカワイイから、絶対男の子にモテるよ。カレシができたら、絶対教えてね!」

 

あたしは湧いてくる寂しさを誤魔化そうと、わざとらしい大げさジェスチャーで笑顔を振りまく。

 

「そうだね。別に私は可愛くなんてないけど……もし彼氏ができたらアデリナちゃんに一番に教えるよ」

 

レースで先着されたんだから、恋人ゲットレースぐらいは先着したいね、とスターちゃんは冗談っぽく言った。

そんな冗談を飛ばせるようになったということは、彼女の中でレースのことはもう、ある程度吹っ切れているんだろう。

 

それからあたしたちは、夜がふけるのも忘れておしゃべりした。

 

出会った日のこと。

お互いなかなかレースに勝てず、励まし合いながらトレーニングに勤しんだこと。

内緒で食べた色々なお菓子のこと。

将来のこと。

 

そして、最後のあの激闘のこと。

 

そのおしゃべりは朝日が昇ってスターちゃんが出発する時刻になるまで、尽きることはなかった。

 

 

スターちゃんはどうやら飛行機で地元に戻るらしく、学園の正門前で『別れが辛くなるから、ここでいいよ』と言ってくれたのだけど、そんな彼女に強引に付き添ってあたしも空港までついてきていた。

 

「アデリナちゃん。本当にありがとうね」

 

搭乗前。

スターちゃんはあたしの手をしっかり握って、泣き笑いしながらお礼を言ってくれる。

 

「あたしの方こそ……スターちゃんに会えて、良かった」

「それは私の方だよ。アデリナちゃんに会えて……トレセン学園にきて、本当に良かった」

 

その言葉に、涙腺が思わず緩みそうになる。

でも、あたしは懸命にそれをこらえた。

 

忘れてはいけない。

彼女に引導を渡したのは、あたしなのだ。

 

最後まで、彼女を笑顔で見送る。

 

あたしには、それが勝者の義務のように思えた。

 

「じゃあ、行くね」

 

握っていた手をそっと離すと、スターちゃんはその手を小さくあたしに振る。

今度こそ、本当にお別れの時だ。

 

「うん、元気でいてね」

「アデリナちゃんも。がんばってね」

 

あたしはスターちゃんから初めて、『がんばれ』という言葉を聞いた気がした。

彼女は誰よりもレースに、トレーニングに、勉強にがんばっていた。

だからこそ、人に気軽に『がんばれ』という言葉を使わなかったのだろう。

 

そんな彼女の『がんばれ』という言葉は、今まで聞いたどんな【がんばれ】よりも、重く、尊いもののように感じられた。

 

「がんばるよ、あたし」

 

スターちゃんの分まで、とは言わなかった。

ウマ娘は常に自分のために、自分を応援してくれるファンのためにがんばるのだ。

 

そういうあたしに笑顔でうなずいてくれると、スターちゃんはきびすを返し、さっそうとした足取りで搭乗ゲートに向かっていく。

そしてもう、彼女はこちらを振り返ることはしなかった。

 

 

スターちゃんを見送って寮の自室に戻ってくると、すでに夕日が部屋に差し込む時刻になっていた。

 

「ただいま」

 

そう言っても、返事してくれる人はいない。

スターちゃんのいなくなった部屋は、少しばかり広く感じられた。

彼女はそれほど、物を部屋に持ち込むタイプではなかったのだが。

 

思い返してみれば、スターちゃんはあまり物を持たないタイプの子だった。

 

服も制服やジャージを含めてダンボール1箱に詰められるぐらいしか持ってなかったし、いつも机の上にあったのはいくつかの小物と文房具だけだった。

 

いつだったか、中学の頃から使っているというノーブランドのショルダーバッグの中身を一度見せてもらったことがある。

その中に入っていたのはスマホとリップクリーム、絆創膏とハンカチにティッシュ、それに小銭の入った小さな古い財布だけというシンプルさだった。

 

財布にしても普段はスマホで支払っていて、【何かあったときのために一応】持っているだけだったらしい。

 

本棚には教科書と参考書だけが並んでいて、マンガや小説のような、趣味の本は全部スマホで読めるようにしていた。

 

『勉強するのは紙の本のほうが良いけど、楽しむだけの本なら場所を取らないスマホでいい』と言っていたのを思い出す。

 

ふと彼女が使っていた机に目をやると、昨日おしゃべりしながら食べたおまんじゅうの空き袋が一つ残っていた。

もちろん本来は、持ち込んではいけないシロモノである。

 

スターちゃんがあたしに差し出してくれるお菓子は、基本的には和菓子ばかりだった。

初めて会って好きな食べ物の話になった時、『甘いのは好きなんだけどね。でも、うちって実家が洋菓子店だから、ケーキとかクッキーって飽きちゃっててさ』と言ったのを覚えていてくれていたのだ。

 

そういう、細かい気配りをしてくれる子だった。

 

おしゃべりにしても、スターちゃんはすごい聞き上手だった。

あたしの大して面白くもない話を時にはオーバーアクションで、時には傾聴して、真剣に聞いてくれていた。

彼女との会話は、結局あたしが7割ぐらい話していたように思う。

 

……あるじがいなくなった、スチールの枠組みがむきだしのベッドを眺めていると、つらつらとそのようなことが思い出される。

 

「スターちゃん……」

 

いまさら、涙がぼろぼろとあふれ出てくる。

 

勝者の義務なんてカッコつけてないで、親友に抱きついて、『寂しいよ!』と泣き叫び、その胸の中で別れの涙をいっぱい流しておけばよかった。

 

【心の中にぽっかり穴が開く】なんて使い古された言葉があるが、あたしは今、身と心を持って嫌というほどその比喩の意味を痛感していた。

 

 

1ヶ月の休養が明け、あたしはトレーニングを再開した。

だけど……。

 

「どうしたアデリナ。どこか体調が良くないのか?」

「そんなことはないんだけど……」

 

心配そうに、トレーナーが声をかけてくれる。

心身ともに充実していた未勝利戦前と違い、まるで何かが抜け落ちてしまったかのようにあたしの動きは鈍くなっていた。

 

タイムも以前ほどのものが出ないし、フォームもストロークもバラバラになってしまっている。

 

「おそらく【負けたら引退】という極限状態から脱したことで、多少心身のバランスが崩れているんだろう。トレーニングを重ねているうちに、感覚が戻ってくるはずだ」

「そうだよね……」

 

フォローしてくれるトレーナーに、あたしは愛想笑いを浮かべてそう答えるのが精一杯だった。

 

「もうあと坂路2本。行けるか?」

 

トレーナーの指示にあたしは無言でうなずくと、坂路コースのスタートラインに立つ。

合図とともにあたしはスタートを切った。

体調が悪いわけではない。

脚もいうほど、動いてないわけじゃない。

だけど……。

 

「ダメだ、アデリナ。今日は坂路を取りやめて、ダートをしっかり走り込むことにしよう。まずスタミナと走る勘を取り戻すぞ」

 

ストップウォッチをみたトレーナーが、苦虫を噛み潰したような表情であたしに言う。

あたしはうなだれるように首を縦に振ると、ダートコースに向かって歩き始めた。

 

 

シャワーを浴び、食堂で夕食を取ってから誰もいない自室に戻ってきた。

あたしは部屋の灯も付けず、どさっとベットに倒れ込む。

 

……あたしのやってることって、一体何なんだろう。

 

青春のすべてを犠牲にして、毎日汗だくの泥だらけになって、親友を転校にまで追いやって……それで得たものはたった1つの白星だけ。

 

あたしががんばることで、勝つことで喜んでくれる人は確かにいるんだろう。

それは、わかっている。

 

でもそのがんばりや勝利の感動を届けるのはあたしじゃなくてもできることであり、あたし以上にたくさんの人たちにそれらをお届けできるウマ娘は、それこそ星の数ほどいるわけだ。

 

ウマ娘にとってレースというものは、得られるものに対して、失うものが大きすぎるのではないか。

一部の天才ならともかく、あたしのような非才なウマ娘がこんなことをやってて何になるのか。

 

最近こんなことばかりが脳裏によぎる。

 

最初のうちはお父さんの言うように、あのレース前のハードトレーニングの反動でネガティブなことが頭の中を駆け巡っているだけだろうと考えていた。

 

でも、考えれば考えるほど、あたしにとってレースとはなんなのか、分からなくなってしまう。

 

小さい頃は、単純に走るのが好きだったから走っていた。

それがいつの頃からか、走ることは優劣を競い合い、人に認めてもらうための手段になった。

 

あたしは、自分の優秀さを証明するためだけに走り続けたいのだろうか?

あたしは、そんなことを青春をかけてやり続けたいのだろうか?

 

あたしはいったい、なにをしたいのだろう?

 

 

その日、あたしはひとつの覚悟を持ってトレーナー室を訪れていた。

 

「引退する?アデリナお前、本気で言っているのか?」

 

あたしの言葉に、トレーナーは珍しく語気を荒らげてそう言った。

 

「うん……あたしもう、レース辞めたい」

「……どうして?」

 

父親でもあるトレーナーは、当然その理由の説明を求めてくる。

 

「理由は色々ある。あるけど……いいたくない」

「言いたくない、では済まされんだろう。たくさんの人がお前に期待して、お前のために労力を惜しまず協力してくれているんだ。口幅ったく聞こえるかもしれないが、もちろん俺もその一人のつもりだ。もしどうしても引退するというのなら、その人たちに対しての説明責任がお前にはあるはずだ」

 

それは、そうだと思う。

でもあたしがどんなに真摯に理由を話しても、どうせ大人たちは『それぐらいのことで辞めたいなんて甘ったれてる』『そんなことでは社会に出たらやっていけない』といった【正しいこと】しか言わないだろう。

 

今のあたしにそんな【正しさ】は必要なかったし、聞きたくもなかった。

 

聞きたくもないことを知ったような顔で聞かされるぐらいなら、だんまりを決め込んで叱責を受けたほうがまだマシというものである。

 

いや、大人たちはどうでもいい。

でも、引退したらスターちゃんにだけは、大人のいうところの【説明責任】を必ず果たそう。

あたしがどうして、その決断を下したのか。

 

自分を引退に追いやったウマ娘の勝手な言い分に、優しい彼女でもきっと落胆し、怒りに打ち震えることだろう。

 

それで縁を切られたとしても、構わない。

 

スターちゃんとの関係がどのような結末を迎えても、あたしは彼女に対してだけは、隠し事をしたくなかった。

 

「………………」

「だんまりか。分かった。とりあえずこの一件は預かる。それから、お前はしばらくここを休学して実家に戻れ。これは【トレーナー命令】だ」

 

トレーナー命令と来たか。

トレセン学園で使われるこの言葉の意味は重い。

もし従わないのであれば理事会の承認を経て、ウマ娘との契約をトレーナー側から一方的に破棄することすらできるからだ。

 

「分かりました。仰せのままに」

 

あたしは持ってきていた引退届を机の上に置くと、慇懃無礼に頭を下げてこの部屋からさっさと出ていくことにした。

 

 

>>

「まったく、困ったやつだ……」

 

大きなため息をつき、トレーナーは疲れ果てたかのようにどかっと荒々しく椅子に腰を下ろした。

実際あのやり取りには、かなり神経を消耗させられた。

 

彼にはもちろん、アデリナがあんなことを言い出した理由は分かっている。

 

あのハードトレーニングと負けたら引退というレースという重みが、アデリナの心身に想像より大きなダメージを残してしまい、彼女が一種のバーンアウト症候群に陥っていることがひとつ。

 

それにそのレースが心ならずも、ルームメイトでもあった親友に直接引導を渡すような形になってしまったことも、アデリナの燃え尽きかけていたメンタルに追い打ちをかけたのだろう。

 

そのことを彼女は自責し、深く傷ついている。

 

アデリナもそれが自分の責任ではないと頭では分かっているのだろうが……そう簡単に割り切れない気持ちも彼は理解していた。

 

アデリナにそのことを指摘し、『甘ったれるな』とか、『そんなことは生きていればこれからいくらでもあることだぞ』と言って叱ることは彼にとっては簡単だった。

 

もし彼がチームプレイ競技のトレーナーなら、迷わず彼女をそう叱責していただろう。

そうしないと、チームの規律が保てないから。

 

しかしそこがウマ娘のトレーナーという仕事の難しいところで、基本的に彼女たちとは1対1の関係であるから、もう少し慎重な言葉選びが必要になってくる。

 

しかし今の状態のアデリナに、トレーナーの自分がなにを言ってもその言葉に説得力を持たせるのは難しいだろう。

 

「……彼女なら、もしかしたら……」

 

彼はスマホを取り出すと、電話の連絡先を表示させて通話マークをタップする。

しばらく呼び出し音が鳴って……。

 

「もしもし、ライトハローさんですか?ご無沙汰してます。お変わりありませんか?……」




今回も長文読了、お疲れさまでした。

実は今回の話で合計文字数が5万字を超えてしまいました。

一般的な文庫本の小説が10万字ほどと言われているので、
皆様にはその半分ぐらいお付き合いしていただいたことになるんですね。

拙い文章と物語にここまで付き合ってくださった方々には、
感謝の言葉しかありません。

本当にありがとうございます。

よかったら次のお話もまた、ぜひ読みに来ていただけると幸いです。

それではまた近いうちに、次話のあとがきでお会いしましょう!
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