※オリウマ娘注意です。
登場人物
フラッシュアデリナ
【挿絵表示】
誕生日:4月28日
体重:おおよそ理想
身長:159センチ
スリーサイズ:87?・58・86
フラッシュアデリナの秘密3:実はURA公式グッズの写真が現役ウマ娘の中で3番めに売れている。
まるで童話の中から飛び出してきたかのようなメルヘンチックなその建物は、閑静な住宅街の真ん中にあるせいか、少しばかり目立ってみえた。
建物の中からただよってくる、甘い香り。
【ふらっしゅのおかしやさん】
その看板が示すように、この建物は製菓店だ。
で、このお菓子屋さんがあたしの実家だったりする。
あたしは1年と数カ月ぶりに、自分の家に帰ってきた。
学園と寮に提出した休学届には【ケガ・病気療養のため】って一応理由を書いたけど、実際は父親であるトレーナーに『とりあえず1ヶ月は色々考えてみろ』と帰宅命令を出されて、ほとんど強制送還のような形で実家に戻ってきたわけだ。
帰ってきたといっても実はあたしの家からトレセン学園までは、電車で片道一時間ぐらいしか離れていない。
これぐらいの距離なら、寮生活ではなく電車で通学するのが普通だと思う。
じゃあどうして寮で暮らしているのかというと、お母さんに『寮生活は絶対にあなたの人生に大きなプラスの影響を与えますから』という考えがあったからだ。
あたしも寮生活っていうのに興味があったので、特に反対もしなかった。
うちは1階がお店と厨房、2階と3階が家族の居住スペースになっている。
余談だけどこの家は父と母の共同名義になっているらしく、なんでもお母さんが2/3の権利を持っているんだとか。
まあ、稼ぎ(母の方が良い)と建築にかかった費用からするとそんなもんだろうな、とは思う。
小さい頃から『お店の玄関はお客様が出入りするところだから、家に入る時は必ず裏口から入りなさい』と母から言われていることもあり、あたしはそちらに回ることにした。
実家の裏口は当たり前といえば当たり前だけど、あたしがトレセン学園の寮に入る前と特に何も変わっていなかった。
お店や厨房を掃除するための清掃道具などが壁に立てかけてあり、従業員さんたちのエプロンや長靴が洗濯されて干されている。
「ただいま……」
裏口の鍵と扉を開け、まるで泥棒のようにそっと入ると、焼き菓子の甘く香ばしい薫りがあたしの鼻孔を満たした。
実家住まいのときはこの香りに飽き飽きしていたはずなのに、今はただただ、懐かしかった。
誰にも見つからないよう、そっと2階に上がろうと思っていたんだけど……。
「お嬢さん!アデリナお嬢さんじゃありませんか!」
休憩にでも行こうとしていたのか、従業員さんに2階に上がろうとするところを見つかってしまった。
あたしが小さい頃から知っている50歳ぐらいの恰幅のいい女性で、うちで一番古株の従業員さんだ。
確か旦那さんが公務員で、もう社会人の息子さんと娘さんが一人ずついるんだったかな?
「こ、こんにちわ……」
そうあいさつしたあたしの笑顔はきっと、不法侵入を見つけられた泥棒のように引きつっていただろう。
「お帰りになるなら連絡くださればお迎えに上がったのに!水臭いですよ!」
あいかわらず、元気なおばちゃんである。
そういえばあたしがトレセン学園に合格したときも、まるで自分の娘が名門高校に受かったかのように喜んでくれていたっけ。
……まあ、変に気を使われたりするよりよっぽどいいか。
「いやあ。みんな忙しいの知ってるし……」
「それを水臭いって言っているんですよ。オーナー、オーナー!アデリナお嬢さんがお帰りになりましたよ!」
あたしの心境や状況を知ってか知らずか、古株さんは今一番会いたくない人を大声で呼んでしまった。
そうはいってもいつまでもお母さんと顔を合わせないわけにもいかないだろうから、さっさと言葉をかわしておいたほうが気は楽かもしれない。
呼ばれてから少しすると、パリッとした制服に身を包んだ、いかにもコンディトリン(ドイツ語で女性の菓子職人)といった感じのウマ娘が厨房の奥から現れた。
「おかえりなさい。アデリナ」
久しぶりに会ったお母さんはあたしを見て微笑を浮かべるでもなく、かと言って怒るでもなく、学校から帰ってきた娘を普通に出迎える感じでそう言った。
お母さんもどういう状況であたしがうちに帰ってきたか、知っているはずなんだけど……。
「……ただいま」
あたしは今の状況で、お母さんとどう接すればいいのかわからなかった。
だから中学の時と同じように、帰宅のあいさつをするしかなかった。
「リビングにシュネーバルが置いてあります。お腹が空いているなら、食べてください。紅茶もいつもの棚にありますよ」
「あ、うん。ありがとう……」
それだけ言うとお母さんは、さっさと厨房に戻ってしまう。
うーん……。
あいかわらず、よくわからないお人だ。
お母さんもあたしを愛してくれていると思うし、あたしもお母さんのこと尊敬しているけど、正直あたしとお母さんって、昔からどうにも波長が合わないんだよね……。
「あはは。オーナーもアデリナお嬢さんが帰ってきて嬉しいんでしょうけど、ああいう性格の人ですからねぇ。ま、あまり難しく考えないで、普通に接してあげればいいと思いますよ」
古株さんはどうやら、今の会話の雰囲気であたしとお母さんの心境を察したらしい。
この人は昔からそうで、あたしとお母さんが微妙な状態になってしまっている時はその空気を感じ取って、押し付けがましくないアドバイスをくれるのだ。
そして多分、オーナーと従業員という距離感を絶妙に保ちながら、お母さんの方にも【母という役目の先輩】として色々アドバイスをしているんだと思う。
正直、この人がいなかったらお母さんとの仲はもっとギスギスしたものになっていただろう。
「そうだね。それが一番、いいかもね」
「じゃあわたしは休憩に行きますね。また時間があるときに、トレセン学園の土産話でも聞かせてくださいな」
「うん。……いつもありがとう」
あたしがお礼を言うと、古株さんは軽く手を振りながら足取り軽く裏口から出ていった。
今日の夕食は玉ねぎの肉巻きとカボチャの煮物、それにご飯と味噌汁だった。
お母さんは洋菓子職人だからといって和食が作れないわけではなく、作ってくれるご飯はふつうに美味しい。
ちなみにカボチャはあたしの大好物だ。
「どうですか、久しぶりの家のご飯は?」
「あ……うん、美味しいよ。あたしがカボチャ好きなの、覚えててくれたんだね」
「娘の好物ですからね。当然です」
「おやつにおいてくれてたシュネーバル、久しぶりに食べたけどおいしかったよ。やっぱりお店でもあいかわらずの人気?」
「ええ、遠くから買いに来てくださるお客様もいらっしゃいます。ありがたいことですね」
そういってお母さんは味噌汁を音も立てずにすすり始めた。
……久しぶりの会話だからどこかぎこちない、というわけではなく、あたしとお母さんの会話はいつもこんな感じだ。
ちなみに、お父さんは今日はいない。
担当するウマ娘がいなくても、研修やら資料のまとめやら、それにレース関係の人達との付き合いとかでトレーナーという仕事は結構忙しいらしい。
だから小さい頃から、こうしてお母さんと二人で食事することが多かった。
「あの……お母さん」
あたしが話を切り出そうとすると、お母さんはお椀をテーブルにおいて首を横に振った。
「もう、あなたも小さな子供ではありません。自分でとことん考え抜いて、納得のいく答えを探し出してください。それがどのようなものでも、私はあなたを応援しますよ。もちろん、考える過程で行き詰まるようなことがありましたら、いつでも相談してくださいね」
そう言われては、こちらとしてもこれ以上会話のしようがない。
お母さんは遠回しに『今は話をしたくない』と言ってるのだろうから。
あたしは機械的に箸で切り分けたカボチャをつまむと、それを口に放り込んでもぐもぐと咀嚼する。
大好きな、お母さんの作ってくれたカボチャの煮物のはずなのに、ふた口めのそれはなぜか美味しいと思えなかった。
>>
彼は少しばかり、酒が入っていた。
今日もレース関係者との飲み会で、帰宅が日付の変わる前になってしまった。
トレーナーにとってレース関係者との飲み会は単に酒を飲み交わす席というだけでなく、人脈を広げるための貴重な社交場でもある。
こういう場所で顔をつなげて信頼を得ておくと、思わぬ有益な情報が流れてきたり、小学校や中学校でウマ娘を指導しているトレーナーや先生に『トレセン学園のあのトレーナーさんは腕もいいし、人間的にも信頼できますよ』と彼女たちやその親御さんに口コミ的に紹介されて、それが縁で素質ある娘を担当することになる、なんてこともよくあるからだ。
そういった事情を理解して、呑んだくれて夜遅く帰ってくる自分に何も言わないでいてくれる妻に、彼は心から感謝していた。
酔い醒ましに水をいっぱい飲もうと思ってリビングに向かうと、そこから灯りがこぼれている。
朝が早いフラッシュはもう明日に備えて寝ているはずだし、今日から自宅に帰ってきているアデリナが夜更かししているのだろうか。
「フラッシュ?」
彼がリビングに入ると、意外なことにフラッシュが頭を抱えてソファーに座り込んでいた。
「ああ、あなた……おかえりなさい」
「ただいま。こんな時間まで起きているなんて、一体どうしたの?」
0時近くまで彼女が起きているなんてことは、結婚してから一度もなかったはずだ。
クリスマスやハロウィン、それにバレンタインなどの繁忙期以外は、夜はどんなに遅くてもいつも10時には寝ているはずのに。
「わからないんです」
彼女は憔悴しきった表情で、首を横に振りながらそうもらした。
こんなエイシンフラッシュを、彼は見たことがなかった。
「わからない?なにがだい?」
「アデリナの考えが、気持ちが、全然わからないんです」
「…………」
彼はとりあえずフラッシュの話を聞こうと、そっと彼女の隣に腰掛けた。
「どうしてあの娘は、引退するなんて言い出すのでしょう?確かに、友人とのお別れはとても悲しかったのでしょう。それがあのような形になってしまったことも、本当に辛かったのだと思います。でも、そうしたことをバネにして走り続けるのが、ウマ娘というものではありませんか?」
彼は愛する妻の、困惑に満ちた言葉をただ傾聴する。
「私だって現役時代は、辛いことや悲しいことがたくさんありました。でも、あなたと話し合い、たまには衝突することでたくさんの困難を乗り切ってきたではないですか。それなのにあの子は、第一に信頼すべきトレーナーであるあなたに何も言わない。おそらくアデリナは、私にも決して心の内まで明かそうとしないでしょう。どうして?私たちは、そんなに頼りないのでしょうか。なぜ私たちは、それほどまでにあの娘に信頼されていないのでしょう?わからない。もう、私には何もわからないのです」
熱を帯びたフラッシュの困惑は、途中から切ない嗚咽に変わった。
そうして気持ちを吐露し終えた彼女は、ただただ静かに涙を流す。
「あの子がわからない。もう、あの子が怖いんです……」
性格も考え方も、そしてウマ娘としての境遇もまるで違う娘との接し方に混乱し、途方に暮れるフラッシュに彼ができることといえば、優しくそっと抱きしめてやることぐらいだった。
「俺もアデリナが何を考えているのか、何を思っているのか、よくわからないよ。俺もアデリナが引退すると言ってきた時、言葉を尽くしたいと思った。……でもきっと、俺の言葉ではあの子の心に届かない。俺はしょせん、トレーナーでしかないから。それを歯がゆくも思う。ただ、アデリナも俺たちのことを信頼していないわけじゃないと思うよ」
「それなら一体なぜ、アデリナは私たちに本音を話してくれようとしないのです?確かに、私たちにも至らないところはあったでしょう。ですが、私たちはあの子を精一杯愛する努力をしてきたではありませんか」
フラッシュは間違いなく、尊い無償の愛をアデリナに与え続けてきた。
母親には劣るかもしれないが、彼も娘の父親として、できる限りのことは精一杯やってきたつもりだ。
アデリナが両親の惜しみない愛情を感じ取っているのは疑いのないことだし、彼らも娘がまったくその愛を感じてくれていない、とは思っていない。
ただ、今回のことはちょっとばかり、アデリナにとって現実が重たすぎたというだけだ。
父や母への愛情や信頼が、少々揺らいでしまうほどに。
それにもう一つ、本当は絆でつながっているからこその、親子間での問題がある。
「……アデリナが本心をさらけ出してくれないのは、俺たちが信頼されていないとかじゃなくて、きっと距離が近すぎるんだ。俺たちにもあっただろう。親には話せなくても、友達とか信用できる身近な大人には話せた、なんてことが」
夫の言い分に、フラッシュは心当たりがあった。
そしてそんな話を聞いてくれていたのは、一体誰だったかにも。
「アデリナも襲ってきた現実にどう対処して、どう気持ちを整理していいのか、分からないのだろう。厳しい現実への立ち向かい方は人によって違う。誰の、どんな言葉が自分の心に突き刺さるかも。今はあの子を信じて、見守っていてあげようじゃないか」
愛する人の真摯な言葉に、フラッシュはその胸の中でうなずくことしかできなかった。
>>
朝、目を覚ますともう9時を回っていた。
こんな時間に起きたのは一体いつぶりだろうか。
寮では起きたら真っ先に髪の手入れをしていたけど、今はほとんど謹慎中の身。
誰にも会うこともない。
それなら身だしなみに気を使う必要もないだろう。
ボリボリお腹を掻きながら、そういえばお腹すいたなあと感じたのでリビングに向かう。
朝ごはん、どうするかなあ。
寮にいる時は食堂に行けばよかったけど、家に戻ってきたらそうもいかない。
……さすがに朝から忙しいお母さんやお父さんにあたしの飯を作れ、という気にはなれなかった。
昨日の晩ごはんとかお母さんたちが食べた朝ご飯でも残ってないかなあ、なにも残っていなかったらコンビニでもいくか、と思ってテーブルに近づくと、朝ごはんの準備と1枚のメモ用紙、それによく見知った1枚の紙切れが置いてあった。
メモ用紙には綺麗な字で、こんなことが書いてある。
【おはようございます。朝食は準備しておきました。昼食は作りに戻ってきます。これはお小遣いです。息抜きにでも行ってきてください。 母より】
そんなメモと共に、1万円札が置いてあるのだ。
……こんなお金、もらえないよ。
自分の身勝手な理由で家に帰ってきて、ニートみたいな生活してて、もらって喜んで使えるわけがない。
1万円は、大金である。
うちで売っているいちごのショートケーキが、1個300円。
原価やら人件費やら消費税やらの難しい話を抜きにしても、1万円を稼ぐにはこれを30個以上売らないといけない。
あたしは絵に描いたようなバカJKで、アルバイトの経験すらない世間知らずだけど、それがどれだけ大変なことなのかぐらいの想像はできる。
あたしは1万円札が風で飛んでいかないようにテーブルソルトをその上に置いてから、ありがたく朝食の目玉焼きをいただくことにした。
お昼ごはんを作りに来てくれた時、お母さんは『そんな気を使わなくても大丈夫ですから、使ってください』と1万円札を渡そうとしてきたけど、あたしは『まだ今月もらったお小遣いが残ってるから大丈夫だよ』と言い返してそのお金を決して受け取ろうとしなかった。
少し気まずい空気の中、昼食を済ませるとあたしは逃げるように自室に戻った。
といっても、何するかなあ……。
トレセン学園では平日は朝のトレーニング、昼間は授業、放課後はまたトレーニングをして、それが終わったら寮に戻ってお風呂に入ってご飯食べて、あとは部屋で寝るだけ、というシンプルな生活を送っていた。
休みの日はクラスの友人や……スターちゃんと連れ立って、繁華街を歩いたり、遊園地とかに遊びにいったりしていた。
しつこいナンパを追い払ったり(あんまりしつこいので蹴ってやろうかとも思ったが、さすがにやめておいた)、ジェットコースターに乗って気分が悪くなって、みんなにからかわれながらも看病されたりしたことが、妙に懐かしく思い出される。
そういえば退屈するのなんて、一体いつぶりだろう。
中学時代、ヒマなときって何してたかなあ……。
そうだ、スマホだ。
中学の時、買ってもらったばかりのスマホにとりあえず流行っているゲームとか、興味のあるゲームをダウンロードして遊んでいたのを思い出した。
あたしは久しぶりに、メッセージアプリ以外のアプリを起動させた。
……1年半ぶりぐらいに起動させたポーカーのアプリ内の大会に参加したら、どうにもならない不運が重なり続け、3回も参戦したのにどれもまともな成績を残すことができなかった。
うんざりしながらスマホを放り投げて窓の方をなにげなしに見てみると、もう夕日が部屋に差し込んでくる時間になっている。
なんというか、あんまり有意義な時間の使い方とも言えないけど、他にすることもない。
でも、勉強だけは引退したときのためにしておかないとなあ……。
高校受験の時は偏差値73ぐらいあったし、学園でもテストの成績は一応トップクラスだった。
だけどそれは学業的にはそんなにレベルの高くないトレセン学園での成績なので、他の高校の編入試験を受ける際には、そのことをあまり過信しないほうが良いだろう。
じゃあとりあえず、晩ごはん食べてから寝るまでの時間は勉強しようと決めると、あたしはまたポーカーのアプリで夕食までの時間をつぶすことにした。
そんな生活を続けて、2週間が過ぎた。
夕食を食べてから寝るまでの間の3・4時間勉強する以外、何一つ高校生らしいことはしていないし、人の役に立つようなこともしてない。
皿洗いぐらいはするかと思い、生まれて初めてキッチンに立って洗い物を始めたまではよかった。
けど、洗い終わるまでにコップを2つ、お茶碗を1つ割ってしまって、洗い物をしている時間よりそれら破損物を片付けている時間の方が長くなってしまうという体たらくである。
そんな有様をお母さんに見られ、『今度は一緒に皿洗いしましょう。コツを教えてあげますから』と苦笑いされてから、もうそれすらやっていない。
……あたし、社会に出てやっていけるのかなあ……。
よくよく考えてみれば、あたしは走ること以外、人生でなんにもやってきていない。
もちろん走ることに関してはそれなりに努力してきたつもりであるが、その努力はつまり、他の人がやっているはずの努力を放棄してやってきたことなのである。
例えば、勉強・最低限の家事・人との付き合い方・etcetc……。
そして、あたしの努力はいろいろな労力で支えてくれている人がいるからこそ、できていた努力なのだと今更ながらに気がついた。
それならもっと、人の役に立つことにその努力を振り向けるべきじゃないのかな……とあたしは最近考えるようになった。
じゃああたしは、一体何にその努力を使うべきなんだろう?
走ること以外やってきてないあたしに、その答えがすぐに見つかるわけもない。
なんか、モヤモヤしてきたなあ……。
そういや実家に帰ってきてから、コンビニ以外どこにも出かけていない。
あたし、マジでニートみたいな生活してるな……。
そんな厳しい現実はともかくとして、夕食までにはまだ少し時間がある。
ちょっと、出かけてみるかな。
小さい頃から悩みごとがあったら、いつも出かけてたあの場所に。
裏口から出かけようとすると、お母さんがペットボトルを片手に持って、壁に寄りかかって休憩を取っていた。
あのペットボトルの中身は、お母さんが自分で抽出している自家製ハーブティだったりする。
「お母さん」
「お出かけですか?」
「うん。ちょっと河川敷まで」
隠すようなことでもないので、あたしはお母さんに行き先を伝える。
こうしてお母さんもお父さんも一生懸命働いてくれてるから、あたしは走り続けることができていたんだなあ……なんて柄にもないことを考えたが、罪悪感に押しつぶされそうになったので、あたしは慌ててその思考を意識的に中断させた。
「そうですか。気をつけていってきてください」
お母さんはほぼニートなあたしにお小言も言うでもなく、微笑を浮かべて手を小さく振って送り出してくれた。
あたしが家に戻ってから、引退や進路についてお母さんやお父さんがなにか言ってきたことは一度もなかった。
もう呆れられているのか……あたしがなにか答えを見つけるまで、見守っていてくれるつもりなのか。
考えてもわからなかったので、あたしは「うん」とだけ返事して、河川敷に向かって歩き始めた。
休日は家族連れやボール遊びをする子どもたちで賑わう河川敷も、平日の夕方となれば誰もいない。
あたしは敷き詰められた芝生に腰掛け、なにするでもなく流れる川を眺めていた。
小さい頃から、こうして川の流れや海辺で波の満ち引きを眺めているのが好きだった。
それだけで少し、あたしの心は安らぎを覚える。
……走りたいな……。
しばらく水の流れを見ているうちにそう思ったあたしは、立ち上がって軽く屈伸し、芝を蹴って駆け出した。
早足から駆け足へ。
駆け足から、疾走へ。
ぐんぐん、景色が後ろに流れてゆく。
風が、あたしの頬を、髪をなでる。
気持ちいい……!
走るのって、こんなに気持ちよかったっけ……。
こんな気持ちで走るのはここしばらく……いや、幼い頃自由に大きな公園を走り回った時以来かもしれない。
半マイルくらいは走ったのだろうか。
たったそれだけの距離なのに、レース用に整備されているわけでもない芝生を久しぶりに全力で走ったせいか、あたしは疲れ果ててその場に倒れ込んでしまった。
ゼイゼイと激しい呼吸を繰り返しながら、ごろんと仰向けになってオレンジ色に染まりきった空を見上げる。
あたしやっぱり、走ることが好きなんだ……。
でも、走ることが好きなのとレースを続けたいという気持ちは、また違うもののような気がする。
レースを続けるとなると、また戻ることになる。
失うものばかりが大きくて、得られるものがあまりにも少ないあの世界に。
走ることによってなにかを失うなんて、もうゴメンだった。
……やっぱり、引退しよう。
今日それを、お母さんとお父さん、それにスターちゃんに伝えよう。
そう決心して立ち上がろうとしたあたしの背後から、単調な拍手が聞こえてきた。
「さすが、現役のウマ娘は違いますね」
声がした方にあたしが振り向くと、そこには一人のウマ娘が立っていた。
歳はお母さんより、少し上ぐらいか。
この人には、見覚えがある。
確か年末の恒例ライブの時に紹介されてた……。
「ライトハロー総合企画部長」
ってなんかすごい肩書の人だった気がする。
「その呼ばれ方も慣れないんですけどね。よかったらライトハローって呼んでください」
年齢に似つかわしくないと言ったら失礼なのだろうけど、彼女はそう言って意外とかわいらしい微笑を浮かべた。
「こんにちわ。アデリナさん……ですよね?」
「ええ」
いえ、エイシンフラッシュです、とか名乗ろうと思ったが、さすがに悪ふざけがすぎると思ったのでそれはやめておいた。
彼女はあたしの名前を確認すると、スポーツドリンクを差し出しながら隣にちょこん、と腰掛ける。
「あ、どうも……」
一瞬受け取って良いものか迷ったが、目上の人の好意を無下にするのもそれはそれで失礼な気がしたので、ありがたく頂戴することにした。
しばらく居心地の悪い沈黙が続いたが、話を切り出したのはライトハローさんの方だった。
「お父様とお母様から聞いたんですけど、引退を考えているそうですね」
……まぁ、そんなところだろう。
一介の、それも1勝クラスウマ娘のところに有名プロダクションの部長が来るなんて、なんらかのしがらみがあること以外考えられない。
G1ウマ娘のお母さんはともかくとして、平トレーナーであるはずのお父さんも、なぜか妙な人脈を持っていたりする。
この部長さんもきっとそうなんだろうし、意外なところでは樫本理事長ともわりと親しい間柄らしい。
「はい、まぁ」
あたしは色々勘ぐりながら、彼女にあいまいな返事をした。
この場所がわかったのは、あたしが出かけてからすぐにお母さんが彼女かお父さんに連絡を取ったからなんだろう。
そして彼女がここに現れた理由は……たぶん両親になにか言われて、あたしを説得だか説教だかに来たんだと目星がついた。
しかし、両親とどんな繋がりがあるのかは知らないけど、わざわざ大企業の部長さんがねぇ……。
ひょっとして部長というのはヒマなんだろうか。
「どうしてです?」
「いやまあ、いろいろと」
どうして?はこちらのセリフである。
どうして初対面の、ほとんど知らない人にそんなことを話さなくてはいけないのか。
「実は私も昔、トレセン学園に所属してトゥインクルを走っていたんですよ。残念ながら、結局一度も勝てずに引退することになってしまったんですけどね」
「そうなんですか」
あたしは川面を眺めながら、気のない相槌をとりあえず打っておいた。
そんな昔ばなしを聞かされても、だからなんなんだ、としか言いようがない。
わざわざ口に出すようなことはしなかったけど。
「私のラストランは、5月のダービーの日でした。今でも鮮明に思い出せますよ。あの日の空。あの日の熱狂」
「……」
もう帰りたいなあ……と思ったが、【人のメンツを潰すのは、そいつを殺す予定があるときだけにしておけ】という物騒な海外の格言を思い出したおかげで、いきなりその場を立ち去る、という真似だけはせずに済んだ。
「当日、私は一番人気でした。一番人気なんて祖母も母もG1ウマ娘、ってことで期待されていたメイクデビュー以来でしたから、気合が入ったものですよ」
「……なるほど」
ふーん、あたしと似た境遇のウマ娘だったんだな。
レースに関する話だと、ついついこの大きな耳を傾けてしまうのは結局あたしもウマ娘だからだろうか。
「気合も乗って絶好調。体調も体も完全に仕上げて、展開的にも負けるわけがないと、私もトレーナーさんも思っていたのですが……」
なぜか、そこでライトハローさんの言葉が詰まる。
どうしたのかと思って彼女の表情をチラミすると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、きゅっと唇を噛んでいた。
……彼女の年齢から推測するに、それはもうあたしが生まれる前の話であるはずだ。
それなのに、その時のことを思い出すだけで、大の大人が泣きたくなるのをこらえなければならないほど、悔しかったのだろうか。
「でも、結果はアタマ差の負け。私を負かしたのは、クラスで特に仲良くしていた二番人気の娘でした」
「……悔しくなかったんですか?」
それは、あまりに底意地の悪い質問だったと思う。
でもあたしは、どうしても聞かずにいられなかった。
「そりゃあもう、悔しかったですよ。3日ほど眠れませんでしたし、大人たちが眠れない時にお酒を飲んでいたのを思い出して、年齢も量も考えずにガバ飲みする、なんてバカな真似をするほどには」
そんなことして、大丈夫だったのだろうか。
「まぁ、吐き散らして病院に急性アルコール中毒で救急搬送された挙げ句、周りの大人からは『私、怒られ死ぬんじゃないか』と思うぐらい怒られまくりましたけどね」
「そりゃあそうでしょうね」
どこまで本当の話かわからないが、それぐらい悔しかったのは事実なんだろう。
同じ境遇だったら、お酒を飲むかどうかは別にして、きっとあたしもそれぐらい荒れたに違いない。
「……その、仲の良かった友人さんとはどうなったんですか?その娘のことを、憎く思ったりしなかったんですか?」
優柔不断なあたしにしては、勇気を振り絞ったほうだろう。
あたしは一番聞きたかったことを、単刀直入に聞いてみた。
そうすると、彼女は朗らかな笑顔を浮かべた。
「悔しくは思いましたが、負けたのは私の力不足ですから、彼女を憎く思ったことなんて一度もありません。彼女はその後、オープンまで勝ち上がって重賞にも出走しました。何度か応援に行って、勝てずに一緒に悔しがったのもいい思い出です。彼女とは、今でもいい友達ですよ」
「……あなたの夢を、将来を奪った相手だったのに?」
「負けた方はそうは考えないものです。それこそ自分勝手な話ですが……せっかく自分に勝って現役を続けるのだから、彼女にはたくさん活躍して欲しいと、自分の夢を重ねてしまいましたけどね」
自分を負かした相手に、自分の夢を重ねる、か……。
スターちゃんが彼女と同じように考えているかは、もちろんわからない。
でも、スターちゃんが今でもあたしのことを【自分の将来を奪った相手】と思っている、とあたしが勝手に罪悪感を持つのは、あまりに彼女に対して失礼ではないのか。
親友を、信頼していないのではないだろうか。
「ライトハローさんは、あたしの両親に引退撤回の説得を頼まれて今日はここに?」
ここまで話してもらったんだ。
これぐらい聞いても、失礼に当たらないだろう。
すると彼女は首を横に振った。
「アデリナさんのご両親に頼まれたのは『あなたの経験をあの子に話してあげて欲しい』と、ただそれだけですよ」
彼女の真剣な表情を見るに、それは嘘でも方便でもないんだろう。
「私にそれ以上のことはできませんし、するつもりもありませんでした。引退するのか、現役を続けるのか、決めるのはあなた自身です。あなたはトゥインクルで活躍する、一人前のウマ娘なんですから」
一人前の、ウマ娘。
そんなふうに言われたのは、初めてだ。
あたしはたしかに皿洗いすらまともにできない世間知らずで、勝ち星をひとつ上げただけの、平凡なウマ娘に過ぎない。
でも、ことレースに関していていうなら、それぐらいの自覚やプライドをあたしは持ってもいいのかもしれなかった。
「では、私はそろそろ会社に戻りますね。……あ~、また部下に『勝手に外回りに出られては困ります。少しは自重してください』って小言言われるんだろうなあ……」
「あ、偉くなっても小言って言われるんですね」
そうぼやいたライトハローさんの顔が、いたずらをして母親に怒られるのを覚悟している子供みたいに見えて、あたしは思わず笑ってしまった。
「偉いと言いましても、しょせんCEOですからねえ……」
「CEO?部長って聞いてましたけど、それだとメチャメチャ偉いじゃないですか」
CEOって確か、最高経営責任者って意味だった気がする。
社長とどう違うのかあたしにはよくわからないけど、とにかく偉い人のはずだ。
「いえ、ちょっとだけえらいおばさんの略です」
ライトハローさんは、キメ顔でそんな愚にもつかないことを言う。
オヤジギャグという言葉があるが、つまらないことを言うのに性別はあまり関係ないようだ。
……そんな面白くもないことを言うことで、彼女があたしの張り詰めた心を解きほぐしてくれようとしているのは、人の機微にさとくないあたしでもさすがにわかったけど。
「すみません。正直、つまらないです」
「……部下と同じ反応をしないでください。悲しくなりますから。ともかく、専務からはお尻叩かれるし、部下からはせっつかれるしで、部長って言ってもあんまり偉くなった気がしないんですよね」
「大人は大変ですね」
「その分、やりがいもあるってもんです。自分で選んだ道でもありますしね」
彼女はそう言うと、待たせてある車の方に歩き始めた。
「ライトハローさん!」
「どうしました?」
「その……ありがとうございました」
お礼を言うあたしに、ライトハローさんは笑顔で手を振ってくれる。
そして彼女はそのまま車に乗り込こむと、会社へ戻っていった。
自分で選んだ道、か。
今あたしはきっと、その道を選ぶ分岐点に立っているのだろう。
あたしは芝生から立ち上がると、一つの覚悟を胸に黄昏時の帰路についた。
今回も長文読了、本当にお疲れさまでした。
親子の関係というのは、仲が良いにせよ悪いにせよ、嫌でも長い付き合いで密になってしまう分、いくつになってもどちらの立場からでも難しいものですよね。
毎回のことですが、今回も長文読了、本当にありがとうございました。
こんなに長く書かないで何話かに分けたほうが読んで下さる方々も読みやすいよな、と思いつつ、書いていくと『ここはまとめて読んでいただきたい!』というエゴに勝てず、結局毎回長くなってしまっています。
こんな作者の駄文ですが、よかったら次回作もまた読みに来ていただけると幸いです。
それではまた近いうちに、次話のあとがきでお会いしましょう!