エイシンフラッシュの娘。   作:ソースケ2021

8 / 18
偉大な母親を持つウマ娘・アデリナが、自身の実力と母親の実績、その親子関係に葛藤しながらも競争生活を全うしようとするお話です。

※オリウマ娘注意です。

登場人物
フラッシュアデリナ

【挿絵表示】

誕生日:4月28日
体重:おおよそ理想
身長:159センチ
スリーサイズ:92・58・86

フラッシュアデリナのひみつ4:実は、走ることが大好き。


第8話

>>

『さあ、残り200Mを切ったぞ!後ろを大きく突き放した、これは強い!フラッシュアデリナ、今一着でゴールイン!フラッシュアデリナ、これでプレオープン、オープン、そしてG2東海ステークスと休み明け3連勝!エイシンフラッシュの娘という良血が、遅咲きながらダート路線で、今完全に花開きました!』

 

>>

肌に突き刺さるような寒さを感じる、1月の中京レース場。

空気は凍りつきそうなほど冷たいのに、あたしの顔と体、それに限界まで酷使した脚は燃え盛りそうなほどに火照っていた。

 

「はぁっ……はぁ……」

 

あたしは荒い呼吸を繰り返しながら、掲示板を確認した。

 

……審議もなく、あたしが間違いなく一着である。

 

勝てた。

勝った。

あたしが、非才なウマ娘のあたしが、重賞を制した……!

 

「やったぁあぁああぁあぁ!!」

 

あたしは人目も気にせず、その場で喝采を上げ、ガッツポーズを作る。

それは、自然に溢れ出た感情表現だった。

 

 

控室に戻ると、トレーナーが珍しく満面の笑みであたしを出向かえてくれた。

 

「アデリナ、よくやった!おめでとう!」

 

オープンまでは勝っても控えめな微笑みで「おめでとう」と言ってくれるだけだったのだけど。

 

「ありがとう」

 

あたしも笑顔で返事して、差し出してくれたよく冷えたスポーツドリンクを受け取った。

レースのあとはいくら水分を補給しても足りない。

あたしは早速それのふたをパキッと開け、一気に中身を飲み干した。

全力を尽くして乾ききった体に、水分が、ミネラルが行き渡っていくのを感じる。

 

「……ぷはー!」

 

勝ったあとに飲む冷えたスポーツドリンクよりうまい飲み物を、あたしは知らない。

これから何度でも、味わいたいものだ。

 

水分を取って一息ついたあたしは、ようやく椅子に腰掛ける。

 

「アデリナもとうとう重賞ウマ娘か……本当に、おめでとう。ここまで、長かったな」

「ちょっと、まるで終わったようなこと言わないでよ。むしろこれからでしょ?」

 

思わず苦笑しながらそう言うと、トレーナーも同じような表情を浮かべる。

 

「いや、もちろんそうだ。そうなんだが……」

 

そこから先は、言葉にならなかったらしい。

……あたし、トレーナーでもあるお父さんに本当心配かけつづけたもんな……。

 

 

ライトハローさんのお話を聞いたあと、あたしはひたすらに自分との対話を繰り返した。

 

あたしに、なにができるのか。

あたしに携わった人たちに、なにができるのか。

そんな人たちに、なにかお返しできるのか。

 

あたしは、なにがしたいのか。

 

あたしの中から、いろんなアイデアが湧いて出てきた。

 

勉強を頑張って、たくさんの人の役に立つような仕事につく。

高校を卒業したあと、社会に出て懸命に働く。

今すぐ家からも飛び出して、とにかく自分の力で生きてみる。

地方のトレセン学校に転校して、イチからレース人生をやり直す。

 

他にも現実的なことから非現実的なことまで、様々な将来像があたしの中から浮かんでは消えていった。

 

でも、結局残った想いはたった1つだった。

 

走りたい。

 

あたしは確かに、平凡なウマ娘かもしれない。

走ることしかしてきてないのに、ちっとも速くなれないで、現役を終えるかもしれない。

 

それでもあたしは……。

 

たくさんの思い出がある、たくさんの人とつながったトレセン学園で、走り続けたい。

 

何度も確認した。

それでいいのか。

一度は逃げ出そうとしたその道に青春を費やして、後悔はないのか。

 

結論は、【わからない】だった。

 

でも、やりたいと思ったことをやらずに後悔するより、やって後悔するほうが絶対に自分の選択に納得できると思った。

 

そのことを両親に伝えると、お父さんは黙ってうなずき、お母さんは……ボロボロ涙をこぼして喜んでくれた。

お母さんの笑った顔や怒った顔はよく見知っていたが、泣いている顔というのは初めてみた気がする。

正直、あたしが現役を続けることをお母さんがなぜあんなに喜んでくれたのか、理解できなかった。

 

ひょっとしたらそれは、あたしが母親の立場になった時にわかることなのかもしれない。

 

 

休学が明け、学園に戻ってからのあたしは今まで以上にトレーニングに取り組んだ。

 

『故障のリスクを負ってもいいから、あたしが限界を超えられるよう、厳しく鍛えて欲しい』

 

あたしはトレーナーにそう懇願した。

あたしの言葉に、トレーナーは『わかった』と一言だけ力強く返事してくれた。

 

好きなことを突き詰めたい。

そして、もし図らずも走ることをやめなくてはいけなくなった時に、後悔したくない。

 

そう考えると、自分の限界を押し広げるための厳しいトレーニングにも耐えられた。

 

体はきつかったが、その分メキメキと自分の実力がついていくのを感じた。

毎週のようにタイムは自己新記録を更新し、そのことは大きな自信になった。

その自信はハードなトレーニングを耐えるためのメンタルの安定につながり、良い循環が生まれていく。

 

そして11月に阪神レース場プレオープン・ダート1800Mの復帰戦を皮切りに、12月のオープン戦、そしてシニア級初戦であった今日の東海ステークスまでなんとか3連勝することができたのだった。

 

 

「重賞、それもG2を勝ったとなると……次は当然、G1を目指すことになるな」

 

トレーナーのその言葉に、あたしの全身が震えた。

G1。

レースを走るウマ娘なら、誰もが憧れる最高の舞台。

 

その舞台に、あたしが出走する。

出走制限ギリギリで未勝利を脱出し、自分の才能や人間関係にうじうじ悩み、周りの人間を困らせ続けたあたしが。

 

こんなことが現実に起こるだなんて、いまだに信じられなかった。

 

「いよいよ、G1に挑戦かぁ……チャンスがあるとすると……」

 

少しこわばった声でそういうあたしに、トレーナーが力強くうなずく。

 

「東京で2月の最終週に行われる、ダート1600M・フェブラリーステークスだな」

 

東京ダート1600M。

あたしが、未勝利戦を脱出した距離と場所。

……そしてあたしの母、名ウマ娘・エイシンフラッシュがダービーと天皇賞を制覇した地でもある。

 

「挑戦するつもりなら出走登録をしておくが……どうする?」

 

あたしの答えなんて分かりきっているはずなのに、トレーナーはそんなことを聞いてくる。

トレーナーはきっとG1という最高の舞台に立つ覚悟を問うているだけなんだろうけど、そんなことをされるとあたしもちょっとばかり、いじわるなことを言いたくなる。

 

「いやー。春先はG2・3路線で力をためて、秋冬のJBCとかチャンピオンズカップに備えたいかな~」

「……勘弁してくれ。ウマ娘と競争できるほど、もう俺は若くないんだ」

 

お母さんを真似た戯言に、トレーナーはそんなユーモアと現実が入り混じった言葉で切り返してくれた。

 

 

中京競馬場からトレセン学園の寮に戻ってくると、もう夜の9時を回っていた。

消灯時間は一応9時となっているが、土日は今回のあたしのように関東圏外まで遠征していたウマ娘が結構遅い時間に帰ってくるので、この時間でも寮には結構な人の出入りがある。

 

あたしはコンコン、とノックをしてから、

 

「ただいま」

 

と自室の扉を開けた。

 

「おかえりなさい、アデリナさん」

 

部屋には一人のウマ娘がいて、あたしを笑顔で迎えてくれる。

彼女はあたしが休学中に地方のトレセン学校から転校してきた、ファルコンレアさんというウマ娘だ。

 

涼やかなツリ目が特徴的な美人系の顔立ちで、艶のある栗色の髪を少し肩にかかるぐらいのセミロングにしている。

身長は170センチという長身で、スラリとした体型はまるでモデルさんのようだ。

 

「あ、まだ起きてたんだね」

「ええ、どうしてもお祝いを言いたかったものですから。重賞初制覇おめでとうございます」

「……うん、ありがとう」

 

祝辞に返答したあたしの笑顔は、どう見ても不自然なものだっただろう。

 

「次走はフェブラリーステークスですか?」

「たぶん、そうなると思う」

 

彼女の質問に、あたしは顔をこわばらせないようにするのが精一杯だった。

 

「そうすると、わたしたちはライバルですね。わたしはここを勝ってドバイにいくつもりですから……負けませんよ」

 

不敵な笑みを浮かべるわけでもなく、あくまで自然体でそんなことをいう。

それが嫌味にならないのが、この娘のすごいところである。

 

「G1は初出走だけど……あたしも精一杯がんばるよ。ごめん、今日は疲れたからそろそろ寝るね。あたしが帰ってくるまで、起きててくれてありがとう。おやすみなさい」

 

あたしはできるだけ友好的な笑顔を作りながらそう言うと、そそくさとベッドの中に逃げ込んだ。

 

レアさん自身はとってもいい娘なんだけど……色んな意味で付き合いにくいタイプなんだよね……。

 

 

ファルコンレアさんは地方で実績を積んでトレセン学園に転校したという、よくあるパターンでここにやってきたわけだけど……この娘の場合、経歴がちょっと並じゃない。

 

ジュニア級の8月に大井レース場でデビューすると、ジュニアG1の全日本ジュニア優シュンも含み、クラシック級のジャパンダートダービーを制覇するまで8戦全勝。

すべてのレースがレコード、もしくはそれに近いタイムでの大楽勝で、この時点で早くも【ダートでは国内に敵なし】と噂されていたらしい。

 

彼女はジャパンダートダービーを勝ったあとすぐ、さらなる強力なライバルと充実したトレーニング環境を求めて、トレセン学園に籍を移す。

時期的には、ちょうどあたしが実家でウジウジしていたあたりだ。

彼女は寮生活を望んだらしく、スターちゃんが転校して空いていたあたしの部屋に入寮することになったそうだ。

 

トレセン学園転校後、8月に行われたレパードSを大差をつけての圧勝で制覇し、中央のバ場でもレースに何ら問題ないことを世間にアピールしてみせた。

 

あたしが正式に復学したのは夏休みが明けた9月からだったので、この注目の転入生のことは知らなかったし、初顔合わせはそのときだった。

 

……休学中は意図的にレースの情報を見ないようにしていた、ということもある。

 

普通転校生と在校生の初対面というのは、当然のことながら転校してきた娘が緊張するものだろうけど、あたしの場合は立場が逆になってしまっていた。

 

トレセン学園のカーストが、暗黙のルールで年齢やクラシック級・シニア級という階級より、レースでの勝ち星や勝ったレースの格に重きを置かれているからだ。

 

こんなウマ娘はほとんどいないが……極端な話をすると、ジュニアG1を勝ったウマ娘が、G1未勝利でシニア級を走っている年上のウマ娘に『私には敬語を使いなさいよ』と言い放ったとしても、それをとがめることはなかなかできない空気感がある。

 

もし、すでにG1をも制しているこの転校生の性格が上下関係をはっきりさせたいタイプだった場合、彼女がどれだけ高圧的に接してきても、あたしは我慢するよりない。

 

さいわいレアさんはそんなタイプではなく、初対面のときに『この度南関東トレーニング学校より転校してきたファルコンレアといいます。よろしくお願いします』と丁寧に挨拶してくれた。

 

あたしは少しホッとしながら、敬語なんて使わないでタメでいこうよ、と言ったんだけど、彼女は『先輩相手にそんなクチの利き方はできません』と譲ってくれなかった。

 

本当にいい娘で、謙虚なタイプだったのは良かったんだけど……今度はあたしのほうが彼女との距離のとり方に戸惑うことになった。

 

キャリアは段違いであちらが上だけど、トレセン学園ではあたしのほうが先輩。

それでいて、年齢や階級は同じ。

 

名前の呼び方ひとつにしても、結構気を使わせられたもので。

 

『えーと……ファルコンさんって呼んでいいかな?』

『いえ、できればレアと呼んで下さい。ファルコンだと母と混同されることもありますので』

『あ……じゃあレアさんのお母さんって……』

『ええ。わたしの母はスマートファルコンです。確かあなたのお母様とルームメイトだったと聞いていますけど』

 

あたしのお母さんはスマートファルコンさんと今でも仲が良いらしく、関東圏以外での仕事が多いらしいスマートファルコンさんとは、たまにメッセージアプリなどでやり取りしているとお母さんから聞いたことがある。

ちなみにスマートファルコンさんのご職業は【ウママドル】。

あたしのお母さんとさほど変わらない年齢(少しファル子さんが年上だった気もする……)で、現役当時と変わらないダンスと歌声をネットの動画などで披露していらっしゃる。

 

その影響もあるのか、レアさんはダンスも歌もむちゃくちゃうまい。

彼女のそれと比べると、あたしのパフォーマンスなんて幼稚園のお遊戯会のようなものだ。

なんでも小さい頃から、歌とダンスは基礎から徹底的にファル子さんから教わったそうな。

 

そんな彼女は秋に入ってからついにシニア級との混合レースに乗り込み、マイルチャンピオンシップ南部杯、JBCクラシック、チャンピオンズカップ、東京大賞典とシニア級ウマ娘をまったく寄せ付けず制覇し、ダートウマ娘としては史上初、三冠路線やトリプルティアラ路線で活躍したウマ娘たちを押しのけて、最優秀クラシック級ウマ娘に選ばれた。

 

去年は三冠路線でもトリプルティアラ路線でも2冠以上制したウマ娘が出なかった、という一面も確かにあるけど、レアさんのシニア級を含むG1・5勝の実績を引っさげての受賞に、誰も文句をつけなかった。

 

実績であたしにどんどん差をつけていくにも関わらず、彼女は恬淡としていて部屋でもあたしとの接し方はなにも変わらなかった。

学園内でもレアさんが誰かに対して偉そうにしていたり、威張ったりしているのを見たことがない。

 

ちなみに勉強もよくできるようで、期末テストでは確か学年8位とかだったと思う。

 

頭も良く、人間も出来すぎていて、彼女を見ていると自分は欠陥だらけのダメウマ娘なんじゃないかと思えてくる。

 

そんなレアさんが唯一と言っていいくらいに人間臭い話をしてくれたのは、彼女のお母さんとのことだ。

 

歌もダンスもウマ娘の中ではトップクラスにうまいレアさんは、彼女のお母さん、つまりスマートファルコンさんにウマドルとして活動することを強く勧められたそうだ。

ただ、彼女は一言、『あまり興味がないから』といって断ったらしい。

その時スマートファルコンさんは少し寂しそうな顔をしたが、それ以来ウマドル活動をやりなさい、とは言われなくなったそうだ。

 

その話をしてくれた時、レアさんは珍しく苦笑いを浮かべて、『あっさり断ってしまいましたけど、もうちょっと考えて返事しても良かったかもしれませんね。歌もダンスも嫌いではないのですから』と言っていたのが印象的だった。

 

 

お昼ごはんのあと、カフェでミルクティを飲みながらぼんやり昨日のレースの余韻に浸っていたら、バッグの中のスマホが鳴った。

電話って珍しいな……と思いながらスマホを手に取ると、そこには嬉しい名前が表示されていた。

 

「もしもし?」

『もしもし、アデリナちゃん?』

 

その声を聞いただけで、あたしはなぜか泣きそうになってしまった。

 

『東海ステークス優勝、本当におめでとう!念願の重賞初制覇だね!私絶対、こんな日が来ると信じてたよ!』

「うん、ありがとう!」

 

通話相手が興奮気味に、あたしをお祝いしてくれる。

その祝福が嬉しくて、返事するあたしの声も少しばかり大きくなってしまった。

スマホの先にいるのは、今は地元の高校に通っているあたしの元ルームメイト、スプラッシュスターちゃんだ。

彼女とは時折メッセアプリでやり取りしていたが、こうして電話をかけてきてくれたのは初めてだ。

 

『G2を勝ったとなると……次はもちろん、G1に挑戦だよね?』

「うん。トレーナーとも相談してて、多分次走は2月末のフェブラリーステークスになると思う」

 

G1に挑戦という言葉を聞いたり、そこに出走すると自分で言ったりするたび、あたしの体は少しばかり緊張する。

今からこんな感じで大丈夫なのかなあ?

 

『だよね!それでなんだけど……』

 

どういうことだか、スターちゃんは少しばかり言いよどんだ。

 

「だけど?」

『あ、あのね?この前できた彼氏がレース好きで……『友達がG1に出るかも』って昨日話したら、じゃあ直接応援しに行こう!って言ってくれてて……』

「はぁ」

 

ほぉ、カレシさんが……。

 

「ええっ!スターちゃん、カレシできたの!?聞いてないんだけど!?」

 

さっきの御礼の言葉なんかよりよっぽど大きな声を出してしまい、図らずも周りのウマ娘たちの注目を集めてしまった。

 

あたしはバツが悪そうに周りを見回してから「コホン。失礼」と誰ともなく謝罪し、少しばかり声のトーンを落とす。

 

「え?え?一体いつ頃から付き合ってんの?」

『えーと、去年の夏休みからだから……そろそろ5ヶ月かな?』

「カレシできたらすぐ教えてくれるって言ってたのに……」

 

女同士の友情とは恋愛が絡んでしまえば、かくも薄情なものである。

どこかで『女同士の友情は生ハムより薄い』って読んだなあ……。

 

ああ、あの激闘はすでに過去のものになりにけり。

 

『いや、もちろんそうしようとしたよ!?でもほら、私初めてのお付き合いだったし、すぐ振られちゃうかも、と思ったらなかなか……』

「ふーん」

 

ま、ここは長い付き合いのよしみで一応それを信じてあげるとしましょう。

 

「応援に来てくれるのはもちろん嬉しいけど……。スターちゃんの地元から東京レース場までだと、かなり交通費も掛かるでしょ?」

『それも彼が宿泊費込みで全部出してくれるって言ってて……。私もアルバイトしてるから、当然ある程度は出すつもりでいるけど』

「え?カレシってもしかして、いいとこのお坊ちゃんなの?まさか年上で社会人とか?」

 

そのお金をぽんっと出せる男性というと、そのふたつのパターンぐらいしかあたしには思い浮かばない。

ひょっとしてスターちゃんのカレシというのは、うちの父上と同じご職業の方だったりするのだろうか。

 

あれだけトレーナーだけはやめておけ、といったのに……。

 

『ん、いや。フツーの高校生だよ。だた、人よりちょっとバイト頑張ってるみたい』

 

それを聞いて少し安心したけど……。

好きな女の子のために見栄を張りたい、という男心は恋愛未勝利(こんな切ない未勝利があっただなんて!)のあたしにも、多少は想像できる。

ただ、それだけのために多額のお金を出せるものなんだろうか。

 

まぁ、それだけスターちゃんが愛されているという証なのかもしれない。

だいたい人の彼氏のお金の使い方に口を出すのも、おせっかいが過ぎるというものだろう。

 

「そうなんだ。ま、スターちゃんも出すのなら、多少は甘えておいてもいいのかもね。じゃああたしも当日、恥ずかしいレースにならないようにビシビシ自分を鍛えておくよ!」

『うん、応援してる!ところで、G1ともなると体操服じゃなくて、自前の勝負服着るでしょう?』

 

勝負服。

そういやG1にはそんなシステムがあったような……。

 

「そ、そうだね……」

 

あたしの背に、一筋のイヤーな冷や汗が流れていくのを感じた。

 

『私アデリナちゃんの勝負服って見せてもらったことなかったし、それもすごく楽しみにしてるんだ!試着したら、絶対写真送ってね!』

「う、うん……」

 

あたしは錆びたノコギリ以上に歯切れの悪い返事をして、会話の流れを変えることにした。

 

「ところでスターさん。カレシさんって、どういう人なんですか?あたしには聞く権利があり、あなたにはそのことについて話す義務があると思うのですが?」

『あっ、やっぱりアデリナちゃん、ちょっと怒ってる?』

「イエスマム。あたしは大変怒りに打ち震えております」

『お願いだからそんなに怒らないで……。えっ、えーとね、別にフツーの男子高校生、って感じの人なんだけど』

 

ふぅ。

なんとか話題を変えることには成功した。

 

そのあと昼休みが終わるまで、あたしたちは久しぶりに女子高生らしい話に花を咲かせた。

 

その通話が終わったあと、あたしのお腹はお昼ごはんを腹8分目にしていたにも関わらず、どういうことだかひどい胸やけを感じていたのだった。

 

 

あたしは今トレーナー室にいる。

……一週間ほど前に、仕立て直しをお願いしていた勝負服が今日届いたからだ。

 

「ぴったりですわね!本当によくお似合いですよ」

「どうも……」

 

そう言ってくださる仕立て師さんに、あたしはなんとか愛想笑いを浮かべることに成功した。

 

「私もこの仕事を長くさせてもらっていますが、母娘で同じデザインの勝負服を着たウマ娘さんというのは初めて担当させていただきましたよ。アデリナさんは、本当にお母様を尊敬していらっしゃるのですね!」

「はぁ。まぁ……」

 

彼女のその言葉を聞いて、あたしはちょっとばかり憂鬱な気分になった。

 

 

実はトレセン学園に入るウマ娘のほとんどが、入学前に勝負服を用意する。

 

それはあたしのような、とても将来G1に出場できそうになかった非才なウマ娘も例外ではなく、親や親戚が『早くこれを着てG1に出られるような、立派なウマ娘になって欲しい』という願いを込めてプレゼントするケースも多い。

 

かくいうあたしも、両親の勧めで一応作ったんだ。

勝負服はもちろん本人が希望したデザインを元に作られるわけなんだけど、あたしはどうせ自分がG1になんか出られるわけがない、と高をくくっていたから、『じゃあお母さんと同じ勝負服で』とテキトーにお願いしてしまったんだよね……。

 

……こんなことになるなら、あの時もうちょっと真剣に考えて用意しておけばよかった。

後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

でも、着ることになってしまったものは仕方ない。

それだけならまだ良かったんだけど、入学直後に作ったものだから、少しばかりサイズが合わなくなってしまっていた。

 

いや、身長とかはほとんど変わっていなかったんだけど……胸だけがどうも少し大きくなってしまったらしく、どうしても仕立て直す必要があった。

 

高校生になったら胸が大きくなるって本当だったんだ……。

 

数字になおすととうとう90代に突入してしまい、乳のデカさだけはおそらく現役当時の母に勝っているだろう。

 

……ちっとも嬉しくない。

 

しっかし、この衣装……。

 

「これ、走っていてポロリ、なんてことないですよね?」

 

ドイツの民族衣装をモチーフにしたものらしいが、胸元が必要以上に大きくはだけていて、バストの三分の一以上が見えてしまっている。

脚に履いているオーバーニーもガーターベルトで止めるタイプのもので、ふとももをやたらセクシーに強調するような作りになっていた。

なんだろう、ひょっとしてうちの母親は、若い頃は鍛え上げた自慢のボディを見せつけたいタイプの女の子だったのだろうか。

普段は割と、シックな感じの服装を好んでいるのだけど。

 

「それだけは絶対にありえませんよ。レースでそんなシーン見たことないでしょう?万一にでもそんなことがあったら、その仕立て師はもう業界にいられませんからねえ」

 

確かにそれはそうだ。

 

発言してから『しまった、彼女の仕事へのプライドを傷つけてしまったかな』と反省したが、彼女は気を悪くしたふうでもなく、苦笑いを浮かべてそう言ってくれたので少し安心する。

 

「いやー、ジャストフィットしてるんで本気でそんな心配したわけではないんですけど、ちょっと胸元見え過ぎかなーって心配で……」

 

なにかフォローしようと仕立て師さんに話しかけていると、コンコンとノックが鳴った。

 

『アデリナ、着替え終えたか?』

 

あたしが着替えている間、『コンビニに行って飲み物でも買ってくるよ』と言って外に出てくれていたトレーナーが戻ってきたようだ。

 

「うん、大丈夫だよ」

 

あたしの返事を聞いてから、トレーナーが扉を開けた。

 

「!!」

 

あたしの姿を見るなり、なぜかトレーナーは硬直して手に持っていた袋を床に落としてしまった。

……そして、普段は理知的なその瞳からボロボロと涙がこぼれ出る。

 

「お、お父さん……?」

「あ……いや、すまない。すまない……」

 

謝る声は嗚咽まじりで、お父さんは手で目尻を拭うけど、涙は次々に溢れ出てきて止まりそうにもなかった。

 

「アデリナ、気分を悪くしないでほしいのだが……」

「うん」

「君の勝負服を見ていたら、フラッシュと駆け抜けた日々を思い出してしまってな。そしてまた、娘と一緒に栄光のG1に挑戦できるのだと思うと……。いや、本当にすまない。君は、君だ。お母さんとは違う。君は一人の、立派なウマ娘だ」

 

……やっぱり、この勝負服にするのはやめておけばよかったかな。

お父さんを泣かすのは、花嫁衣装を着たときと小さい頃から決めていたのにね。

 

お母さんと比べられたり、オーバーラップされたりするのは正直気分がいいわけではなかったけど……今回ばかりは、男泣きに暮れるお父さんを責める気になれなかった。




今回も長文読了、本当にお疲れさまでした。

実は今回の話、書き進めていた第8話の前半部分でして…。

8話として書いていた話の文字数が2万字を超えてしまい、
これはさすがに分けたほうが良さそうだ、と思えたので
少しブツ切れ感がありますが、このあたりで投稿させていただくことにしました。

毎回のことですが、今回も長文読了、本当にありがとうございました。

物語もそろそろ終盤です。
よろしければ、アデリナのストーリーに最後まで付き合っていただけると
嬉しいです!

それではまた近いうちに、次話のあとがきでお会いしましょう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。