エイシンフラッシュの娘。   作:宮川 宗介

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偉大な母親を持つウマ娘・アデリナが、自身の実力と母親の実績、その親子関係に葛藤しながらも競争生活を全うしようとするお話です。

※オリウマ娘注意です。

登場人物
フラッシュアデリナ

【挿絵表示】

誕生日:4月28日
体重:おおよそ理想
身長:159センチ
スリーサイズ:92・58・86

フラッシュアデリナのひみつ5:実は、お母さんのことが大好き。



最終話

G1に向けてのトレーニングは、過去最高レベルにハードなものとなった。

 

授業が始まる前の早朝トレーニングで、40分の筋トレとマイルのダートを2本をこなす。

朝のトレーニングは前座のようなもので、授業が終わってからのトレーニングが本番だ。

キツイ筋トレはウォーミングアップのようなもので、レースを想定した1000Mのダートを1本、それから全力坂路トレーニングを5本行う。

 

金曜日だけはリフレッシュの意味合いも兼ねて、プールで200Mほど泳いでであとはお休み。

 

トレーナーが言うには、これだけのトレーニング量は現役中でも体力気力ともに最盛期を迎えているわずかの期間にしか、こなすことができないそうだ。

そのハードトレーニングのせいで故障し、最盛期に引退を余儀なくされる可能性も0ではないため、実際にここまでやるウマ娘はほとんどいない。

 

でもあたしは、そのトレーニングをトレーナーに望んだ。

最高の舞台に出る以上、やれることは全部やりたいと思ったから。

 

トレセン学園に入学して以来、あたしは自分の走りに才能があるだなんて思ったことは一度もないけど、体の頑丈さには多少自信があった。

 

それでも正直……。

 

「アデリナ、へばってるんじゃないぞ!まだあと坂路3本残ってるんだからな!」

「……はい!!」

 

トレーナーの檄に、あたしはヤケクソ気味の大声で返事した。

 

キツイ。

休みたい

もう、やめたい……!

 

感情がそう叫びちらしているが、あたしは脚を動かすことのみに全神経を集中させることで、そのネガティブ思考を切り離す。

 

あたしたちのハードトレーニングを見て、『せっかく重賞を勝ったんだから、ケガだけはしないように大事にね』と言ってきてくれたトレーナーさんがいた。

 

クチの悪い、お父さんよりキャリアの長いトレーナーに『その練習量はウマ娘がかわいそうってもんだよ。しかもその子、アンタの娘さんだろう。アンタ、大事な自分の娘と重賞ウマ娘をブッ壊すつもりかい?』とまで面と向かって言われたこともあった。

 

どちらにせよ、あたしたちのことを気遣って声をかけてきてくれたわけだから無下にもできない。

でも、あたしたちは『やれるだけのことをやっておきたいので』と笑顔で返事するだけだった。

 

『才能がない分、努力で補わないと!』

 

そう言って頑張っていたスターちゃんを思い出しながら、あたしは3本目の坂路のスタート地点に向かって駆け出した。

 

 

放課後。

あたしはあさってに控えた大勝負へのはやる心を落ち着かせるように、広いプールの中をゆっくりと平泳ぎで泳いでいた。

2月の室内プールは温水になっていて、普段酷使している筋肉をほぐすのにうってつけだ。

100Mのレーンを往復してから、あたしは設置してあるはしごまで泳いでいき、それに足を掛けてプールサイドにあがった。

自慢の長い髪から水滴がぽたりぽたりとしたたり落ち、乾いていたプールサイドの床を濡らす。

 

「アデリナ。よくこの厳しいトレーニングを耐えきったな……。お疲れ。本当に、お疲れ様だった」

 

プールから上がってきたあたしを見て、トレーナーが尊敬にも似た眼差しを向けてくれているのをあたしは感じ取っていた。

 

「うん。あたしもやれるだけのことは、やりきったと思う」

 

体重は前走より4キロ近く絞れ、筋肉のハリ・ツヤともに今まで体験したことないような仕上がりだ。

体調・やる気ともに絶好調で、これから先、これ以上の状態を経験することはそうそうないだろう。

 

「明日はスプラッシュスターが応援に来てくれるんだってな。言うまでもないと思うが、緩みすぎない程度に楽しんでおいで」

 

あたしは久しぶりに、優しいお父さんの笑顔を見た気がする。

 

「わかってるよ、ありがとう」

「それと……フェブラリーステークスには、お母さんも観戦に来てくれるそうだ」

「!!」

 

お母さんが。

あたしの引退が懸かったレースさえ見に来なかった、あの偏屈のお母さんが、レースを見に来てくれる。

 

「あ、そうなんだ。がんばらないとね」

 

あたしは興味なさげにそっけなく答えたけど……心の奥からこみ上げてくるものを抑えるのに、それをお父さんに悟れられないよう無表情を装うことに、必死だった。

 

 

あたしがトレセン学園の前でぼんやり道を眺めていると、駅の方からスターちゃんが歩いてくるのが見えてきた。

 

「アデリナちゃん!久しぶり!」

 

あたしの顔が見えたのだろう、スターちゃんはそう言ってこちらに手を振ってくれる。

……彼女のとなりには、あたしたちと同じぐらい歳の男の子。

あの人がおそらく、件の彼氏さんだろう。

 

「久しぶり!元気だった?」

 

長らく会ってない友人に聞きたいことや話したいことはたくさんあるけど、結局一番知りたいのは【元気でやってる?】ということなのかもしれない。

 

「おかげ様で。アデリナちゃんは……聞くまでもないみたいだね」

 

スカートから伸びたあたしの太ももを見て状態を見抜くあたり、さすが元ルームメイトである。

 

ちなみに現ルームメイトのレアさんはいつも通りに朝起きて、いつもどおりの休日を過ごすのだろう。

レアさんの休日は部屋で本を読んでいるか、彼女のクラスメイトと一緒にどこかにでかけていることが多い。

キャリアの違いもあってあたしからは遊びに誘いにくかったし、彼女もあたしが遠慮しているのを薄々感じとっているのだろう、必要以上にあちらから距離を詰めてくることもなかった。

スターちゃんとの付き合いと比べるとちょっとさみしい気もするけど、あたしとレアさんはきっとそれが良い距離感なんだろうと思っている。

 

「ところで、そちらの男性は?」

 

あたしは少し意地悪な笑顔を浮かべて、スターちゃんに彼の紹介を促した。

なぜだか彼がちょっと、いや、かなり緊張した面持ちなのが気になっているんだけど。

 

「あ、うん。……ほら、自己紹介してよ」

「そ、そうだね……」

 

普段はきっと男の子らしいしっかりした声なんだろうけど、今はやっぱり緊張で震えているようだ。

彼女がいるような男の子でも、初対面の女の子との会話というのは緊張するものなのだろうか。

 

「はじめまして。も、盛岡 優真(もりおか ゆうま)といいます。どうかよろしくお願いします」

「はじめまして。フラッシュアデリナっていうんだ。よろしくね」

 

あたしが手を差し出すと、ちょっと困ったような顔をされてしまった。

ん~。

握手はすこし、なれなれしく感じさせてしまったかもしれない。

そんなに汚い手じゃないとは思うんだけど。

 

「え?いや、その……いいんですか、握手……」

「あ、ごめん。なれなれしかったかな?」

 

あたしもちょっと戸惑っていたところに、スターちゃんが助け舟を出してくれる。

 

「あのね。この人、小さい頃からレースファンみたいで、ウマ娘のことをとてもリスペクトしてくれてるの。アデリナちゃんは初めて間近で見る現役ウマ娘で、それも重賞を勝った娘ともなると、彼からすると憧れのアスリートにご対面!って感覚なんだよ」

「そうなんだ!」

 

いやいや。

そんなことを聞いてしまうと、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

「あたしたちのことそう思ってくれてるの、とっても嬉しいよ!これからもぜひ、応援してね!」

 

あたしが改めて手を差し出すと、彼はおずおずといった感じでそれを握り返してくれた。

彼の手は男の子らしい大きな手で、ちょっと汗ばんでいたのは緊張している愛嬌みたいなものだろう。

 

「あたし明日レースだからそんなに遠出できないんだけど、まずは喫茶店でも入ろうか。スターちゃんは懐かしいんじゃない?」

「まだ転校してから1年も経ってないからそうでもないかな……と思ってたけど、なんだかもう、やっぱり懐かしいね」

 

そんな話をしながら、あたしたちは喫茶店を目指してぶらぶら歩き始める。

 

あたしとスターちゃんは思い出話に花が咲いたけど、彼にはちょっと退屈だったかもしれない。

そこであたしは、彼にも話を振ってみた。

 

「盛岡くん。盛岡くんはスターちゃんのどういうところが好きになって、付き合おうと思ったの?」

「ちょっ……アデリナちゃん……!」

 

テレ顔で手をブンブン振りながら話を中断させようとしているけど、内心喜んでいるのがバレバレである。

……元々結構わかりやすい娘ではあったけど、昔はここまでではなかったんだけどねぇ。

 

「あ~……そうですね……」

「ああ、敬語なんてナシでいいよ。同じ歳でしょ?」

「そうですけど……」

 

リスペクトしてくれるのは嬉しいんだけど、プライベートでヘンに距離を置かれてしまうのも、それはそれで寂しいものだ。

 

彼はチラリ、とスターちゃんの方を見る。

スターちゃんはその視線を感じたらしく、微笑でコクリとうなずいた。

 

……いいなあ。こういうやり取り。

あたしもいつか、素敵な男の子とこんなアイコンタクトを交換する日が来るんだろうか。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。好きになった所、尊敬するところっていっぱいあるんだけど……」

「ちょっと、ユウ!」

 

顔を真っ赤にしてスターちゃんは彼に抗議するが、彼はそんなスターちゃんの反応に慣れているようで、からかうような微笑を浮かべるだった。

というか、カレシのこと【ユウ】って呼んでるんだね。

 

あ~。なんだかちょっと、妬ましくなってきたなぁ!

 

「優しいところ、気遣いができるところ、それに……メチャメチャがんばり屋なところがすごく尊敬できるんだ。スプラを見てると、俺も勉強と部活、それにバイト気合い入れなきゃ!って頑張れるんだよね」

 

カレシができても、スターちゃんの根本的なところは変わっていないらしい。

で、スターちゃんは彼からは【スプラ】なんて呼ばれているんだね。

 

……どうしてだろう。

仲睦まじい二人を見ていると、なんだか急に死にたくなったきた。

なぜあたしは晴れ舞台のG1初出走を前にして、死にたくならねばならないのだろう?

これはもう、一種の哲学ではなかろうか。

 

もちろん、こんな内心は顔に出さない。

それは恋愛未勝利(こんな切ない未勝利が存在するなんて!)ウマ娘の、せめてもの意地だった。

 

「あ~、わかるわかる。スターちゃん、学園にいたときも4時には起きてトレーニング行ってたもん」

「マジで?」

 

スターちゃんに似て、彼は素直な青年らしい。

おそらく普段使っているであろう短い言葉で、驚きをあらわにしてくれた。

 

「マジで」

「やっぱスプラはすげえなあ……」

 

そういうと彼は優しく彼女を肩から抱き寄せた。

スターちゃんも寄せられるまま体を彼にあずけると、頭を肩口に乗せて幸せそうな微笑を浮かべている。

 

はたから見ればただ単にいちゃついてるカップルなのかもしれないけど、あたしにはそれがとても自然なスキンシップのように見えて、羨ましかった。

 

 

喫茶店につくとみんなとりあえず上着を脱ぎ、スターちゃんはカフェラテ、盛岡くんはホットコーヒー、あたしはミルクティの甘めをウエイトレスさんに注文する。

 

「ところでアデリナちゃん」

「はい」

 

神妙な顔をしているスターちゃんに、あたしもなぜか緊張の面持ちで返事してしまう。

 

「そろそろもったいぶらないで、勝負服みせてくれてもいいんじゃない?いくらお願いしても『今度会ったときに見せるから』でかわされてきたんだけど?」

 

なぜか彼氏さんも、スターちゃんの要求にウンウンとうなずいていたりする。

恋人の援護射撃をするのは、当然と言えば当然か……。

 

うーん、さすがにそろそろあきらめ時か。

別にもったいぶっていたわけじゃないんだけどね。

単純に見せるのが嫌だっただけで。

 

まあどうせ明日レース場に行けば、たくさんの人の前であの衣装を晒すことになる。

 

あたしはため息をつきながらスマホを操作し、お父さんが撮ってくれた勝負服姿の写真を表示させて渋々それを二人が見える位置においた。

 

「うわぁ、かわいい!この勝負服って確か、エイシンフラッシュさんと同じ衣装だよね!」

「うん。まぁ……」

「アデリナちゃんエイシンフラッシュさんのこと色々言ってたけど、お母さんと同じ勝負服を着たい!と思うぐらい、やっぱりすごく尊敬してたんだ!」

「そうかもね……」

 

キラキラした瞳で見つめてくれるスターちゃんに、『いや実は自分がG1に出られるってみじんも思ってなかったから、デザイン考えるのがメンドーでお母さんと同じ衣装を作ってしまった』なんて真実を伝えることはどうしてもできなかった。

それに……うん、あたしも別にお母さんを尊敬していないわけじゃないから、まったくの彼女の勘違いというわけでもない。

 

知らぬが仏という言葉もある。

ここは照れたふりして曖昧な笑みを浮かべておこう。

 

で、カレシさんはというと……食い入るようにあたしの勝負服姿の写真を見つめている。

いや、男の子に目の前でそんなことされると、けっこう恥ずかしいんだけど。

 

「ユウ!どこ見てんのよ!」

 

じっとあたしの写真を見ている自分の彼氏に、なぜか急にスターちゃんがキレだした。

正直、ちょっと怖かった。

 

「え、いや。普通にカッコいいなと思って写真見てただけだけど……」

「ウソ!アデリナちゃんの胸のところ、じっと見てたでしょ!?」

 

そうなの?

恋愛未経験のあたしがいうのもなんだし、それがはっきりわかるとさすがにちょっと嫌だけど、男の子はある程度は仕方ない気もする。

 

「いや、違う。誤解だ!それに、アデリナさんに対しても失礼だろ!?」

「なによ、アデリナちゃんをタテにして言い逃れするつもり!?」

「だから、違うって!ちょっと落ち着いてくれ、スプラ。話せばわかるから」

「問答無用よ!あんたはいつも女の子の胸ばっかり見てるでしょ!そんなにおっぱいが好きなら、胸の大きい女の子と付き合えばいいじゃない!」

「だから、違うって!」

 

なんだかよくわからないうちに、痴話喧嘩が始まってしまった。

スターちゃん、別にまったく胸がないわけじゃないけど、どっちかといえばスレンダーな方だからなあ……。

なんて思っていたら、思わぬ方向から矢玉が飛んできた。

 

「アデリナちゃん、なんか思った!?」

「いえ、なにも」

 

あたしは無表情で、ただただ首を横に振った。

なんだろう、この娘は読心術にでも目覚めたのだろうか。

 

「なんで君はそうも思い込みが激しいんだ!話を聞いてくれ!」

「話を聞かないのはユウの方じゃない!」

 

彼の必死の懇願にもかかわらず、スターちゃんはその大きな耳を彼に貸すつもりはないようだ。

あ~……けっこう大きな声で言い合いになっていて、ちょっとばかり恥ずかしい。

 

少し困ったような顔で飲み物を持ってきてくれたウエイトレスさんに、あたしは手刀と苦笑で謝罪しながら注文したものをそれぞれの手前においてくれるようにお願いした。

 

 

結局彼のほうが全面的に非を認め、地元に帰ってから【スイートキャロットスペシャルパフェ】をスターちゃんにおごることで合意が成立したようだ。

状況的にはほとんど彼氏さんの無条件降伏である。

 

お母さんがちょっとした夫婦喧嘩のたびに言っている、【人間がウマ娘に勝てるわけがないのです】というのはこういうことだったのか。

ひとつ、勉強になったなあ。

 

ところで彼、スターちゃんがお手洗いに行っている間に、「勘違いさせるようなことしてごめん。これだけキレイに撮れている勝負服姿のウマ娘さんの写真って見たことがなかったから、ついつい不躾なことをしてしまって……本当に申し訳ない」と謝ってくれたので、あたしは笑顔で小さくうなずいておいた。

 

あたしのおっぱいを凝視してたかは、問い詰めなかった。

 

ひとしきり彼の謝罪が終わると、「わかってくれたらいいよ」とスターちゃんは笑顔で今回の件を手打ちにした。

きっとこれが彼女たちなりのコミュニケーションなんだろう。

 

それからしばらくはふたりが知り合って付き合い始めた経緯とか(夏休みの夏祭りで……とか聞いた時はなんてベタで羨ましいんだ!と悶絶しそうになった)、彼が中学の時から陸上部に入っているのは、小さい頃からウマ娘のレースを見ていた影響だったとか、そんな話を聞いていたんだけど、ふと話題が途切れたときにあたしはちょっとした好奇心で質問してみることにした。

 

「でもこっちまで来るの、大変だったでしょう。親御さんたち、心配しなかった?」

 

あたしがそんなことを聞くと、二人は顔を見合わせる。

二人の表情を伺うに、やっぱり高校生二人が東京まで泊まりでレース観戦しに行くことを説得するのはかなり大変だったようだ。

 

「まぁちょっとは両親に反対されたけど、結局【可愛い子には旅をさせよ】ってことで納得してくれたんだ。親も俺がレース好きなのは知ってくれてたしね」

 

そう言ってくれたのは盛岡くんの方だったけど、苦笑しているところを見ると本当はそんなに簡単な話でもなかったんだろう。

 

「ユウって小さい頃からレースをテレビとかで見てたそうなんだけど、私の話を聞いてどうしてもG1レースを生で見たいって気持ちが抑えきれなかったんだって。今回も『レースを見たいっていうのは、俺のわがままだから』って言って、旅費はほとんどユウが出してくれたんだ」

「金のことはあまり言わないでくれよ」

 

照れ隠しなのだろう、彼はわざとらしく不機嫌な声を作って少しばかり顔をしかめた。

なるほど。

あたしたちウマ娘のレースを絶対に自分の目で見たかったからこそ、貴重な休日を使い、決して安くない交通費を支払って東京まで来てくれたのだ。

 

あたしはウマ娘を応援してくれる人のリアルを、初めて目の当たりにしたのだと思う。

 

こうした人たちの熱い思いが、あたしたちの生活やトレーニング、そしてレースを支えてくれているのだ。

 

そう思うと魂が震え、涙腺が緩みそうになる。

 

「それを聞くと……明日は絶対、無様なレースはできないね」

 

自分で思っているより真剣な声色になってしまっていたのだろう。

二人が同時に、びくり、と震えるのが分かってしまった。

驚かせてしまったことは申し訳ないと思ったけど、今の言葉は嘘偽りないあたしの本心だった。

 

 

それからウインドウショッピングやお昼ごはんなどを楽しみ、カラオケで歌い倒してゲームセンターで遊んでいたら、あっという間に日が暮れてしまった。

 

「いやー、遊んだ遊んだ!ここのところトレーニング三昧だったからほんと、いい気分転換になったよ。やっぱ人間、遊ばないとバカになる!ふたりとも、本当にありがとうね。楽しかった!」

「レース前って充実してるけど、やっぱり緊張もすごくするもんね。私もとっても楽しかったよ!」

「俺も。その上アデリナさんの気分転換にしてもらえたんなら言うことなしだね」

 

そんな言葉をかわしながら、あたしたちは大きな声で笑い合う。

ホント、これだけ楽しい気分になったのっていつ以来だろう。

 

「でも、そろそろ門限かな」

 

あたしがスマホで時間を確認すると、その時刻が迫っていた。

 

「じゃあ今日は、このへんで解散かな?」

 

名残惜しそうなスターちゃんに、あたしも苦笑いしながら首を縦に振る。

明日はさすがに、ふたりと言葉をかわしている時間はないだろう。

レース場で話すことも難しいだろうから、残念だけど今回はここでお別れである。

あとはあたしが全身全霊のレースを見せて、観客席で応援してくれる二人に応えるだけだ。

 

「アデリナちゃん。今日は色々ありがとうね」

「ううん、こちらこそ。来てくれて、本当に嬉しかった」

「明日は、がんばってね」

「もちろん!」

 

そう言ってあたしたちは、今度こそガッチリと握手を交わした。

そんなあたしたちを、盛岡くんはなにか崇高なものを見るように静かに見守ってくれていた。

 

「じゃあ、私達はそろそろいくね。明日は精一杯、応援するから!」

「うん」

「アデリナさん。勝ってください!なんて俺たちからはとても気軽に言えません。でも、後悔のないレースをしてください。応援しています!」

「……ありがとう」

 

彼が敬語を使ったのは初対面のときのようにあたしに対して距離を保とうとしたからではなく、あたしを一人の競技者としてリスペクトしていることを表してくれたのだろう。

 

二人の声援に、払ってくれている敬意に、あたしはより一層身が引き締まる思いがした。

 

二人は控えめに手を振ると、あたしに背を向けて駅の方へ歩いていく。

あたしはスターちゃんたちの背中が見えなくなるまで、その姿を見送った。

 

 

あたしがスマホのアラームで目を覚ますと、レアさんはすでに起きていて、もう出かける準備を済ませていた。

 

「おはよう」

「おはようございます。今日が初めてのG1出走だというのに、ずいぶん熟睡されていたようですね」

 

こういうところは、さすがに勝負師だ。

ただ、あたしも一応、一廉のウマ娘。

言われっぱなしではいられない。

 

「うん、あたしは8時間寝ないと体が動かないタイプだから。ゆっくり寝られてよかったよ。今日はいい感じで走れそう」

「それは楽しみです。では、東京レース場で会いましょう」

 

そういうとレアさんは王者の余裕すら漂わせて部屋から静かに立ち去った。

……ひょっとしたら、少し震えながら言い返したのもバレていたかもしれないな。

 

でも、それでいい。

あたしは今日、日本レース史上最強のダートクイーンとまで言われているウマ娘に挑む挑戦者なのだから。

 

 

身支度を済ませると、待ち合わせ場所の正門前に向かうために寮から出る。

外は空気が肌に突き刺さってくるような寒さだった。

2月の冷たいからっ風を頬に感じながらなんとなく空を見上げると、今日の空はどんよりとした曇模様。

あたしたちウマ娘は雨風の中を走るのは慣れたものだけど、見に来てくれる人たちは大変だと思うから、なんとか持ちこたえてほしいと思う。

 

正門前に到着すると、いつものようにトレーナーが先に待っててくれていた。

いつもは動きやすいジャージ姿のトレーナーだが、今日はG1ということもあってか、ビシッとスーツで決めている。

 

「おはよう。やっぱなんか、スーツ着てると変な感じだね」

「おはよう。そんな軽口が叩けるということは、けっこう落ち着いてるようだな」

「まぁね。G1に出る、って実感が単にまだないだけかもしれないけど」

 

そんな会話を交わしながら、あたしたちは駅に向かって歩き始めた。

 

「昨夜はどうだ、眠れたか?」

「うん、引退がかかったレースのときとか、初めての重賞のときもそうだったけど、あたしの場合大レースの前に眠れなくなる、ってことはないみたい」

「それは大きなアドバンテージだ。そういや昨日はスプラッシュスターと遊びに出かけていたんだったな。ここのところトレーニングばかりで遊べなかっただろうから、良い息抜きになったんじゃないか?」

 

最近気づいたんだけど、レース前のこういう雑談は意外と大切だ。

話すことによって気分が落ち着いたり、緊張感がほぐれたりすることは確かにある。

トレーナーもそれがわかっているから、積極的にあたしに話しかけてくれるのだろう。

 

「うん、とっても楽しかった。スターちゃんが彼氏連れできたのが、正直羨ましかったけど」

 

カレシの一言にお父さんの表情が、面白いぐらい厳しいものに変化する。

 

「……アデリナ。現役中は恋愛厳禁だぞ。わかってるな」

「わかってるよ。なんでそんな怖い顔してるの?」

「その禁忌を破って恋人を作って、トレーニングやレースに集中できず成績不振に陥ったウマ娘をたくさん見てきたからな。だから俺の担当するウマ娘には、それだけは絶対に守らせている」

 

ああ、人間とはどうしてこんなに残念な生き物なのであろう。

この目の前の男のように、自分はするくせに人には禁止したりするのだ。

 

「自分は担当するウマ娘に手を出してたくせに……。しかもそのウマ娘がお父さんが担当した、唯一のG1ウマ娘じゃない。恋愛したほうがウマ娘って強くなるんじゃないの?」

「それは違うぞアデリナ。それにフラッシュとは彼女が現役を引退してから付き合い始めたって何度も言っているじゃないか」

「あっそう」

 

そんなもん、誰が信じるというのか。

どうせ若さと勢いに任せて、さんざんウマぴょいしていたに決まってる。

 

まぁその結果あたしが生まれているわけだから、そのへんに関しては何も言えない。

ちなみにあたしはお母さんが22歳、お父さんが28歳のときの子供である。

 

今回もそんなバカ話をしているうちに駅についた。

あたしの場合、緊張にはこうしたバカ話が一番効力を発揮するようだ。

お父さんもそれを知っていて、話に乗ってきてくれたんだろう。

……たぶんね。

 

 

レース場に着き、控室で勝負服に着替えると、とたんに猛烈なプレッシャーが襲いかかってきた。

 

初めての重賞出走であった東海ステークスのときもかなり緊張したが、それとは比較にならない重圧だ。

 

鼓動が早い。

息が乱れる。

胃がムカムカする。

 

勝負服が、重い。

 

衣装合わせをした時は決してそうは感じなかったのに、まったくプレッシャーというのは困ったものである。

 

「to……」

 

例のオマジナイを唱えようとしたが、あたしはそこで口をつぐんだ。

 

いつまでもこのオマジナイに頼っていては、あたしは精神的に成長できない。

……いつまでも、お母さんに甘えていられない。

 

そう思ったから。

 

「よし」

 

控室に備え付けてある姿見で勝負服の具合を最終確認し、あたしは頬をパンッ、と叩いて気合を入れる。

やれるだけのことは、やった。

 

心臓は暴れまわってるし、呼吸は過呼吸寸前だし、胃はムカツキから痛みに変わってきた。

 

でも、あたしはそれを全部受け入れて。

 

あとはG1という最高の舞台に臨むだけだ。

 

 

「アデリナ」

 

控室から出ると、トレーナーに声をかけられた。

 

「トレーナー」

「似合っているぞ。その勝負服」

「……ありがとう」

 

その言葉にはきっといろいろな思いがあったのだろうけど、あたしはなにも気づかないふりをして、そう返事した。

 

「がんばってこいよ。俺はお母さんと観客席で応援してるから」

 

そういうトレーナーにあたしは無言でヒラヒラと手だけ振ると、パドックに向かって歩き始めた。

 

 

>>

朝から曇り模様だった空はとうとう持ちこたえることができず、ぽつぽつと雨が落ちてきた。

 

経験上、この雨はきっと強くなるだろう。

 

そう感じたフラッシュは傘を差しながら、熱狂の大観衆の中に身を置いていた。

 

ここは変わらない。

 

自分がダービーを制覇したあの日から。

天皇賞を制覇した、あの日から。

 

観客の中には自分のことに気づいた人も何人かいたようだったが、パドックに今をきらめくウマ娘たちが姿を表すと、もうこちらに視線を向けることもなくなった。

 

「フラッシュさーん!」

 

人混みをかき分け、明るい声を出しながらこちらに一人のウマ娘が向かってくる。

 

「ファルコンさん。人混みの中を大声出しながら小走りで……迷惑ですし、危ないですよ」

「久しぶりに会ってそうそう、いきなり小言!?変わってないなあ、フラッシュさんは」

 

苦笑いを浮かべながら目の前で立ち止まったのは【砂のサイレンススズカ】と呼ばれ、ダート界で一世を風靡したスマートファルコンだった。

 

今だから言えるが、彼女はあまりその二つ名を気に入っていなかった。

ルームメイトだったフラッシュに一度だけ、『スズカさんのG1勝ちは1つだけど、私はG1を5勝してるんだよ?なんか納得いかないなあ』ともらしたことがある。

スマートファルコンといえばウマドルとしても活動し、たくさんのファンから愛されたウマ娘として記憶されているが、そのエピソードからもわかるように、超一流のウマ娘らしい強烈なプライドと自負も持ち合わせていた。

 

ひょっとしたらそんなこともあって、彼女はダートレースの認知・地位向上に力を入れていたのかもしれない。

 

「でもでも!ルームメイトだった二人の娘が、一緒にG1を走るだなんてすごいロマンチックだと思わない?」

「そうですね。ロマンチックかどうかは分かりませんが、偶然ってあるものなんだな、とは思いますよ」

「ええっ~……。フラッシュさん、ちょっとドライじゃない?」

「いえ、別にそういうわけでは……。それにしても、ファルコンさんは昔からあまり変わっていませんね」

 

そう言ってフラッシュは優しい微笑みをファルコンに向けた。

 

「むーっ。それ、あんまり褒められてる気がしないんだけど……」

「そんなことありませんよ」

 

ビジュアルも気性も、昔と変わらず若々しいファルコンをフラッシュは称賛したつもりだったのだが、どうもそうは取ってもらえなかったようだ。

 

「それは良いとしまして……」

「それはいいんだ。まぁ、いいけど」

「ファルコンレアさんはすごいですね。もうG1を6勝ですか。戦歴だけで言うなら、すでにお母さんを超えているんですね」

「うん、そうなんだ!レアは私の自慢の娘だよ。きっとあの娘は、世界を獲ってくれると信じているの」

 

なんだかはぐらかされたような気がしたファルコンだったが、我が娘のことを褒められることには悪い気はしていないようだった。

 

「あとはウマドル活動してくれたら、もっと嬉しかったんだけど……」

「G1を勝ってくれた親孝行娘に、まだぜいたく言いますか。バチが当たりますよ」

 

ファルコンの親バカぶりに思わず顔をしかめたフラッシュだったが、その言葉にファルコンは神妙な面持ちで首を縦に振る。

 

「確かにね。たくさん勝って大活躍してくれるのは、もちろんとっても嬉しい。でも、一番の私の願いはレアが元気に走って、無事に私のもとに帰ってきてくれること。本当は本当に、それだけなんだよ」

「……そうですね」

 

私もそうだ、なんてことは言わなかった。

それはウマ娘を子に持つ親にとって、あまりに当たり前のことだったから。

 

そんな話をしていると、観衆がひときわ大きくざわめき始める。

 

「あっ!あれ、アデリナさんじゃない?」

 

ファルコンが指差す方に目をやると、たしかに自分の娘がパドックの中央まで歩を進め、一体どこで勉強したのやら、立派なカーテシーを観衆に披露していた。

 

初めてのG1の舞台だというのに、なかなか堂に入った挨拶をするではないですか、と思ってしまうのは、やっぱり自分も親バカだからだろうか。

……自分が現役時代に着ていた勝負服を娘が着てくれている、という嬉しさもそれに補正を掛けているのかもしれない。

 

「アデリナさんってフラッシュさんと同じ勝負服なんだ!きっとお母さんのこと、とっても尊敬してるんだね」

 

からかうふうでもなく、どうやら本気でそう言っているらしいファルコンに、フラッシュは思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 

「どうですかねぇ。小さい頃からめんどくさがりな子でしたから、単に自分でデザインを考えるのが面倒でそうした可能性が高いですけど」

「……昔から思ってたけど、フラッシュさんってちょっと素直じゃないところあるよね?」

 

急所を突いてきたファルコンの一言を聞こえなかったことにして、フラッシュは続ける。

 

「でももし、少しでもそう思ってくれているなら……やっぱり母としては嬉しいですね」

 

やっと少しばかり素直になったフラッシュに、ファルコンは太陽のような笑みを向けた。

 

それからしばらく二人は学園時代の思い出話に花を咲かせていたが、フラッシュの夫がこちらに向かってきているのが見えたので、あまり男に聞かせたくない女同士の過去バナはそこでおしまいになったのだった。

 

 

>>

ワァアアァアアアァッ!

 

パドックに出ると、大歓声があたしを出迎えてくれた。

それから、あたしに突き刺さる真冬の冷たい雨も。

 

先ほどからぽつぽつと降り始めた雨は、あっという間にすっかり土砂降りになってしまっていた。

 

だけど観客席から感じる熱狂は、冬の寒さや雨の冷たさを忘れさせてくれるぐらい圧倒的な熱量だった。

 

この熱狂に、ひるむな。

あたしもG1出走の権利を、この最高の舞台を走る資格を手にしたウマ娘のひとりなのだ。

 

あたしは胸を張ってパドックの中央まで進出し、この日のために作法教室に通って学んだカーテシーで大観衆に一礼する。

 

それと同時に、爆発的な拍手が起こった。

絶叫にも近い応援の声が乱れ飛んでくる。

 

「がんばってー!」

「応援してるよー!!」

「フラッシュも着ていた勝負服、似合ってるぞ!母が得意としたレース場で、お前の走りを見せてくれ!」

 

それらを聞きながら、あたしはぐるりと観客席を見回した。

 

まず、スターちゃんと彼氏が一つの傘の中に寄り添いながらあたしを見つめてくれているのが目に入った。

きっとあたしの勇姿を見るために、朝の早くから並んでくれたのであろう。

 

それから……シックな服装に身を包んだお母さんとスーツ姿のお父さん、それに少し派手めな衣装に身を包んだ妙齢のウマ娘が見えた。

あれは多分、スマートファルコンさんだ。

彼女もきっと、娘の晴れ舞台を見に来たんだと思う。

 

熱狂する観客席に背を向け、今度は今日出走するウマ娘たちに視線を向ける。

 

みんなG1に出走するほどのウマ娘であるから、どの娘も強敵であることには変わりない。

 

その中でもあたしはG1初出走にもかかわらず、前走のG2・東海ステークス勝利を評価されたのか、4番人気に推されていた。

 

3番人気は……。

 

「よっ、久しぶりだね。元気してた?」

「ローズフレイアさん!」

 

そう。

あの未勝利戦で3着になったあと、南関東トレーニング学校に転校した彼女は、あたしが休学している間に大井レース場を主戦場にし、着実に実績を積み重ねて秋口にはA1に昇格。

去年の11月には中央の交流競走のひとつ、G3・みやこSを勝って、あたしより先に重賞ウマ娘になっていた。

 

その後もG1を含む交流戦重賞やオープンで必ず掲示板に載るという堅実な走りを見せており、今やローズフレイアさんは【地方の華】である。

 

「今日はメチャメチャ強いのがいるけどさ。同じ歳だもん、負けてられないよね。下積み時代が長かったウマ娘の意地を見せよう!」

「そうだね、がんばろ!」

 

そう言ってローズフレイアさんが掲げた手を、あたしはパチン、とハイタッチした。

 

「あっはっはっ。若いのが意気軒昂なのは大変によろしい!せやけど、ウチのことも忘れてもうては困りまんなぁ」

 

そんな声がした方を振り返ると、そこには小柄な鹿毛のウマ娘が一人。

 

「ウエストチェスターさん」

 

この人は今日の2番人気のウマ娘で、彼女はシニア3年めの大ベテランだ。

 

すでにG1を5勝している超一流のダートウマ娘であり、ファルコンレアさんが出てくるまではこの人がダート界の第一人者だった。

 

「レアはんには確かに最近少々分が悪うおますけどな。ちょっとここらでお局様の本気みせとかんと、ダートは楽な世界やと若い娘ぉらに思われるもの癪でっからなぁ」

 

そう言って彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 

古めかしくさえ聞こえる大阪弁は大阪で貸金業を営んでいるお父様譲りだと、月刊トゥインクルのG1ウマ娘こぼれ話に書いてあったのを思い出す。

 

そして、強烈なのはその方言だけではなかった。

 

「今日のレースはせいぜい、覚悟しといておくれやす」

「!……どうぞ、お手柔らかに……」

 

トップクラスのウマ娘が放つ、鮮烈で攻撃的な威圧感にあてられてあたしは少し……いや、かなり萎縮してしまった。

さっきまで落ち着いていた胃痛が、またキリキリとぶり返してくる。

それをさとられないよう、ぺこりと彼女に頭を下げてから、あたしはパドックで観衆に一礼しているひとりの栗毛のウマ娘に視線を向けた。

 

黒を基調にした、まるで彼女が持つ天性のスピードを具現化したような、流線的フォルムの勝負服。

単勝推し率87%。

今日の圧倒的1番人気。

 

ここまで13戦13勝、うちレコード勝ちが7つ。

G1の勲章がすでに6つ。

 

今までのレースで2着につけた着差は90バ身というモンスターウマ娘。

 

「ファルコンレアさん……」

 

観客への顔見せを終え、輪に戻ってきた彼女に向けられるウマ娘からの視線は様々だ。

 

恐れにも似た視線を向ける娘もいる。

憧憬さえ感じさせる視線を向ける娘もいる。

視線を合わせることさえ、怖がっている娘もいた。

 

当の本人はそれらの視線をまったく気にした様子もなく、堂々とパドックを闊歩している。

 

その偉容からは覇者のオーラが立ち上っているようであり、打ちつけている雨でさえ、彼女を祝福しているかのように思えた。

 

飲まれてはいけない。

怖がってはいけない。

 

頭ではそう理解しつつも、意識の深層が、戦うウマ娘としての本能が、ファルコンレアというウマ娘を恐れているという事実を、あたしはどうしても振り払うことができなかった。

 

 

本バ場入場してからも、雨は一向に収まる気配を見せず、むしろ雨足は強まる一方だった。

 

「フラッシュアデリナさん!早くゲートに入ってください!」

 

係員から、そんな注意が飛んでくる。

 

わかってる。

頭ではわかっているんだけど……どうしても、脚が言うことを聞かない。

 

ゲートインが怖い。

 

レースが、怖い。

 

こんなことは、デビューしてから初めてだ。

 

ゲートインを怖がる娘がいるのはもちろん知っていたし、そういう娘と同じレースになったこともあったけど……どうしてこんなことを怖がるのか、その時のあたしには理解できなかった。

でも自分が同じ状況に置かれて、彼女たちの気持ちが痛いほどわかった。

 

彼女たちもきっと、レースが恐ろしかったのだ。

 

ざわつく観客の雰囲気が伝わってくる。

 

早くゲートに入らないと……。

 

気ばかり焦るが、どうしても脚が前に進まない。

 

あたしはしっぽを自分で引っ張って、大きく深呼吸をする。

 

一回、二回、三回……。

 

ダメだ。

 

もう一度強くしっぽを引っ張り、今度はより深い呼吸を意識してみた。

一回……二回……三回……。

 

もう一度。

 

一回……二……。

 

ようやく無意識に脚が動き、あたしはゲートに入ることができた。

 

あわてて係員が後ろゲートを閉めたかと思うと、ワンテンポだけ置いてスタートのゲートが開く。

 

ガチャン!!

 

ゲート入りはデビュー以来最悪だったにも関わらず、スタートはそれほど悪くならなかった。

こういうところが、勝負の不思議である。

 

まるで雨を斬り裂くかように勢いよくハナを奪っていったのは、ファルコンレアさんだった。

 

彼女の脚質は母であるスマートファルコンさんと同じ【逃げ】で、レアさんがデビューして以来、彼女の前を走ったウマ娘はいない。

 

今まで何人ものウマ娘がレアさんに鈴をつけに行ったのだが……誰もが彼女のスピードについていけず、逃げ潰されるだけの結果に終わっている。

 

あたしは何度もレアさんのレースビデオを見て、なんとかスキを見つけようとトレーナーと研究し尽くしたけど……正直、弱点らしい弱点は見当たらなかった。

 

自らハイペースでレースを作り、上がり三ハロンをキレイにまとめてしまう化け物を、一体どうやって倒せばいいのだろう?

 

二番手にはレアさんからかなり離れて、ローズフレイアさんがつけている。

彼女を先頭に何人かで先行集団を作っていて、あたしはその直後のバ群の中団につけていた。

 

あたしのすぐとなりに、ウエストチェスターさんが並走するような形で走っている。

 

そろそろ第二コーナーを過ぎようとしているけど……。

 

「なんやねん、これ。おかしいやろ……」

 

隣で走っているウエストチェスターさんのつぶやきが、あたしの耳に入ってきた。

レースを走っているウマ娘の声が聴こえてくることなんて、ゴール前の叫び声以外ほとんどないことだ。

 

ただ、彼女がそうぼやきたくなる気持ちもわかる。

 

レースの流れがハイペース過ぎるのだ。

 

あたしは今まで15戦以上レースを走っているけど、経験したことのないような超ハイペース。

 

これは……。

 

「あいつ、掛かりよったんとちゃうか?」

 

返事こそしなかったが、あたしも同じようなことを思った。

レアさんの才能はたしかに圧倒的だが、あたしが彼女のレース映像を見て感じる限り、それほどレース巧者というわけではない。

というより能力で他のウマ娘を圧倒していたから、レースを巧く作るなんてことを意識することすら必要なかったんだと思う。

 

レアさんのような天才ウマ娘の宿命的な弱点として、才能で楽して勝ってきた分、それを過信したり、勝負に淡白になりすぎてあっさり折れてしまう、というものがある。

 

レアさんもその弱点が出てしまったのではないか。

 

もしそうであるなら、あたしはあたしのレースをすれば、どこかでチャンスが巡ってくるかもしれない……!

 

もちろん今回のレースを最初からあきらめていたわけではないが、まったく光明が見いだせていなかった状態と、実際にチャンスを感じられる状況になるのでは、気の持ちようが違う。

 

あたしは自分のペースを守ることを徹底することを意識し、スパートの仕掛けどころをミスらないようにだけ神経をとがらせることにした。

 

第三コーナーを過ぎても、そのハイペースが落ちる気配は一向に見られなかった。

むしろ先頭を逃げるレアさんと先行集団のウマ娘たちとの距離はどんどん広がっていっている。

 

間違いない。

レアさんは、掛かってしまっているんだ。

 

レアさんの大逃げに観客席が大きなどよめきに包まれている。

 

「レア、無理してくれるな!」

 

そんな声も聴こえてくる。

 

……昔からのファンの中には、サイレンススズカさんが天皇賞で故障してしまったあのワンシーンが脳裏に蘇ったという人もいたのかもしれない。

 

あのレースも、信じられないほどのハイペースだった。

 

先頭のレアさんが第4コーナーに差し掛かった。

その時、さすがにすこしばかり彼女のペースが落ち着いて、2番手のローズフレイアさんとの距離が縮まった。

どんなに速くて強いウマ娘でも、一息も入れずにマイルを逃げ切ることは不可能である。

 

今だ!

 

仕掛けるとしたら、このタイミングしかない。

ハイペースだからといってこれ以上タイミングを遅らせると、脚を余して捉えきれないなんてことになってしまいかねない。

 

あたしはギアを切り替え、思い切り加速する。

 

激しい雨のせいでまるで田んぼのようになったバ場を蹴り上げ、バ群の中を縫うようにあたしは徐々に順位を上げていき、第四コーナーを回ったときには4番手の好位置につけることができた。

 

少し前にはローズフレイアさんがいて、半バ身後ろにはウエストチェスターさんがいる。

 

3人とも、思っていたことは同じだろう。

 

あとは、先頭を行くファルコンレアを捉えるだけだ!

 

彼女との差はおよそ7バ身ほど。

 

東京の直線は長いし、あたしは十二分に脚を残している。

レアさんのスピードは一息入れたときとそれほど変わっていない。

 

……捕まえられる。

無敗のダートクイーンに、土をつけられる!

 

あたしは栄光の勝利だけを目指して、エンジンをトップギアに切り替えた。

でも、当然のことながら彼女を目標としているのはあたしだけ、というわけではなく。

 

「すまんな。ここは年功序列で先にいかせてもらうで!まだまだ若いのには負けてられんさかいな!!」

 

そう啖呵を切り、ウエストチェスターさんがまず抜け出した。

さすがの加速力で、あっというまに2バ身ほど離されてしまう。

 

「いやいや!地方代表のウマ娘として、わたしがダートで絶対負ける訳にはいかないから!」

 

それに呼応するように、ローズフレイアさんもトップスピードに乗ったようだ。

 

あたしだって、負ける訳にはいかない。

 

……お母さんが栄光をつかんだこの場所で、無様な姿は晒せない。

 

「うおぉおおぉぉおぉっ!」

 

あたしは脚に持てるだけの気合を込めて、全速力を絞り出す。

 

あっという間にあたしも二人に追いつき、先頭にいる最強のウマ娘への挑戦権を懸けて3人が横並びになった。

彼女との差は3バ身ほどにまで縮まっている。

 

残りは400M……!

 

その時、ちらりと一瞬だけ、レアさんがあたしたちを振り返った。

そして彼女はもう一段、深く体を沈めると……。

 

『嘘……』

 

やろ、でしょ、だよね、ともれ出た三人の語尾は違ったが、心中はおそらくまったく同じことを思っていただろう。

 

あれだけのペースで逃げていたのに、まだ加速できるのか。

まだ、余力を残していたのか……。

 

レアさんはどうやら、道中掛かってスタミナを浪費していたわけではなかったらしい。

あれが今日の彼女の【マイペース】だったわけだ。

 

……怪物ウマ娘め!

 

あたしも最高速度を維持しているのに、レアさんの背中はどんどん遠くなる一方だ。

 

勝てない。

追いつけないよ、あんなの……。

 

きっと一生、追いつけない。

 

そう思った瞬間、あたしはポッキリと心が折れたのを自覚してしまった。

横並びだった二人から、一歩、二歩と遅れを取り始める。

 

二人は脱落したあたしにもう目をくれることもなく、一心不乱に先頭にいる天才を追いかけていた。

 

そうだ。

まだ、レースが終わったわけじゃない。

勝てないまでも、ひとつでも上の順位を、死にものぐるいで取りに行かなければ!

 

それすらできないのなら、応援してくれている人たちにどう申し開きするつもりなのか!

 

あたしは自分をそう叱咤し、砕け散った心の破片を拾い集めて必死に気持ちを立て直そうとした。

 

でも、一度折れた心でもち直せるほどG1は甘いものじゃなかった。

 

ウエストチェスターさんにもローズフレイアさんにもまるで追いつくことができず、うしろから来た6番人気の娘に差されたところが、ゴールだった。

 

あたしのG1デビュー戦は、5着というほろ苦い結果に終わった。

 

ゴールしてから気づいたのだが、どういうことだかあれだけ騒がしかった大観衆が奇妙なほど静まり返っている。

 

なにか大変なことでも起こったのだろうかと思い、ターフビジョンを確認してみると……。

 

レコード

タイム 1.32.0

 

え……?

 

は……?

 

いや、ウマ娘が出していいタイムじゃないでしょ、それ……。

 

驚愕の世界レコードをあっさり叩き出したレアさんは、それがまるでなんてことでもないかのように、どしゃぶりの雨の中でウイニングランを沈黙の観衆に披露していた。

 

あまりにも鮮やかな逃げ切り勝ちを決めた彼女は、光り輝いていた。

 

これは単なる比喩ではなく、ドロドロの不良バ場だったのにも関わらずレアさんはほとんど砂を浴びていなかった。

 

みんな勝負服を泥だらけにしている中で、最初から最後まで先頭を駆け抜けた彼女だけが、美しい勝負服のままだった。

 

圧倒的なスピードと強さを誇るファルコンレアに、誰も泥を被せることができなかったのだ。

 

「はぁっ、はぁ……。一回、あいつの血ィ調べたほうがええわ。ウマ娘の血やのうて、ハイオクでも流れとるんとちゃうか」

 

荒い呼吸を繰り返しながら苦虫を噛み潰したような表情で、2着でゴールしたウエストチェスターさんがそんなことを言いながらこちらへやってきた。

 

「ウエストチェスターさん……」

「ウチはまだ、幸運な方やったんかもしれん。あないなバケモンと最盛期が被らんかったからな。でもあんたらは……」

 

そこから先は、さすがの大先輩も口にしなかった。

 

「それでも!」

 

その会話が耳に入ったのか、3着を確保したローズフレイアさんがおぼつかない足取りであたしたちのもとに来て、叫んだ。

 

「わたしたちは、逃げるわけにはいかない。100回やって100回勝てなかったとしても、わたしたちは、ファルコンレアという天才にぶつかり続けるしかないんだ!」

 

それは魂の叫びだった。

 

涙ながらに吠えるローズフレイアさんに、あたしは黙ってうなずくしかなかったし、ウエストチェスターさんも「そうやな。それがウマ娘の宿命みたいなもんやさかいな……」と、静かな口調でそう言うだけだった。

 

 

ウイニングライブ前の舞台袖は、妙な沈黙に包まれていた。

G2までのライブ前の空気は『勝ち負けはあるけど、みんなで良いレース作ったよね。今日は勝ったあの娘を祝福しようよ!』みたいな感じになることが多かったんだけど、やっぱりG1ともなると違うのだろうか。

 

「ちょっとピリピリしとるやろ。普通ウイニングライブちゅうたら、レースの勝ち負けは時の運やし、まあライブはノーサイドでやろうやって感じになるもんやけどな。あの娘が勝ったあとのウイニングライブは、いつもこんな感じや」

 

あたしがいつもと違う舞台袖の雰囲気に少し戸惑っていると、ウエストチェスターさんがそんなことを耳打ちしてくれた。

なるほど。

毎回格の違い、才能の違いを見せつけるような勝ち方をしていれば、妬み・嫉み・憧憬・恐れなど、いろいろな感情がレアさんに向けられて、通常のようなムードでライブを行うということが難しくなってしまうのだろう。

 

当のレアさんはというとそんな空気感をまったく気にした様子もなく、振り付けをチェックしたり、軽く発声練習をしていたりする。

 

きっとこのような雰囲気にはもう慣れっこなんだろうし……天才ゆえの孤高も、彼女はきっと受け入れているのだろう。

 

「本番5秒前です!」

 

スタッフさんが、あたしたちに声をかけてくれる。

この場にいるウマ娘たちの、いろいろな感情が絡み合っているのは理解した。

それでもあたしは、あたしが勝った時に【おめでとう】と言ってくれたレアさんのために、素晴らしいレースを披露したレアさんのために一生懸命バックダンサーを務めて、ライブを盛り上げたいと思った。

 

そしていつかあたしがG1に勝ってウイニングライブのセンターで歌う時が来たら、その時は彼女にあたしのライブを精一杯盛り上げてもらうことにしよう。

 

 

ウイニングライブを終えてあたしが控室に戻ろうとすると、なぜかトレーナーが部屋の前で突っ立っていた。

 

「トレーナー?」

「お疲れ、アデリナ。初めてのG1はどうだった?」

「そりゃいろいろ大変だったし、すごく戦い甲斐もあったけど……どうしたの、鍵でも失くしたの?」

 

あたしの疑問に、トレーナーは苦笑して答えてくれる。

 

「いや。フラッシュがアデリナと二人で少し、話をしたいと言っていてな」

「ってことは、中にお母さんいるの?」

 

あたしが聞くと、お父さんは静かに首を縦に振った。

 

「そっか」

 

短くそれだけ答えて扉をノックしようとしたときだった。

 

「アデリナ」

「ん、なに?」

「がんばったな。君のトレーナーとして、父親として、俺は君を誇りに思うよ」

 

いつだったか、誇りについてお父さんから話を聞いたことがあったなあ。

 

たしか誇りっていうのは、真摯に物事に向き合っていれば自然と自分の中から沸いてくるもの、って言ってたっけ。

 

ってことは、今のお父さんの言葉は……。

 

それを思い出してちょっと照れくさくなったあたしは、一応コンコンと高速でノックしてから、そそくさと控室の中に逃げ込んだのだった。

 

 

返事も待たずに控室に入ると、お母さんが備え付けのソファーにリラックスした佇まいで腰掛けていた。

 

「お母さん」

 

基本的に控室はレース関係者しか入ることが許されていないのだが、トレーナーや主催者側の許可があればその限りではない。

もちろん今回は、トレーナーであるお父さんが許可を出したのだろう。

 

「アデリナ、お疲れ様でした。初めてのG1はどうでしたか?」

 

お母さんはゆっくりソファーから立ち上がると、優しい微笑を浮かべてお父さんと同じことを聞いてきた。

別にここで意地を張る必要もないだろう。

あたしは感じたことを、感じたままお母さんに伝えることにした。

 

「そうだね。緊張で過呼吸になりかけるし、吐きそうになるし、ゲート入りはあんな感じだったし、おまけに負けてしまうしで、いろいろ最悪なG1デビューだった。でも、あたしはまたG1に出たい。……この大舞台で、絶対に勝ちたいと思ったよ」

「そうですか。その気持ちがあれば、勝利に向けて努力を続けられます。そしていつかはきっと、栄冠を掴み取れるはずです」

 

お母さんは静かな口調でそう言って、あたしを真っ直ぐ見つめた。

どうしてだろうね。

お母さんの静謐な青い瞳を見つめていると、なぜだかそれを信じていいような気持ちになってくる。

 

それは、小さい頃からそうだった。

 

「まあ今回のような体たらくじゃ、勝利はまだまだおぼつかないだろうけどね。今日はごめんね。せっかく忙しい中来てくれたのに、カッコ悪いところばかり見せちゃったね」

 

あはは……と苦笑いしてると、不意に懐かしい柔らかさと体温が全身に感じられた。

お母さんは泥だらけの勝負服姿のあたしを、自分の服が汚れるのも構わず、しっかりと抱きしめてくれていた。

 

「かっこ悪くなんてありませんよ。あなたは、私の自慢の娘です。私の誇りです。アデリナ。本当によくがんばりましたね」

「お母さん……」

 

我慢なんて、できなかった。

負けた悔しさ、カッコ悪いところを見せてしまった情けなさをすべて押し流すかのように、あたしの瞳からはとめどなく涙が溢れ出てくる。

 

涙の熱さはきっと、お母さんが惜しみなく与えてくれる愛情のへ嬉しさなのだろう。

 

あたしはお母さんにしがみつき、ごめんね、ありがとう、あたしもっとがんばるね、と繰り返しながら小さい子供のように泣きじゃくった。

 

あたしは、走ることが好きだ。

でもきっとそれと同じぐらい、走ることでお母さんに褒められたかったのだ。

 

偉大なウマ娘であるエイシンフラッシュに、自分の走りを認めてほしかったのだ。

 

あたしは今日G1を戦ったことで、ほんの少しだけどその願いが叶ったような気がしたのだった。

 

 

そろそろ春の匂いも入り混じり始めた、3月の晴れた放課後。

 

「来たか、アデリナ。今日の体調はどうだ?」

「うん、いつも通り絶好調。どんなトレーニングでもどんと来いだよ」

 

状態を確認してきてくれるトレーナーにあたしはそう答えて、調子をアピールするようにトン、と自分の胸を拳で叩いた。

 

どんな大レースでも、終わってしまえばまた日常がもどってくる。

それはそのレースで栄冠をつかんだウマ娘も、負けて涙に暮れたウマ娘も同じだ。

 

 

フェブラリーステークスで鮮烈な勝利を収めたレアさんは、それからすぐにダートの世界最高峰のレース、ドバイワールドカップに出走するためにかの地へ旅立った。

 

日本勢からはもう長らくそのレースを制したウマ娘は出ていないが、レアさんならきっとやってくれるはずとあたしは信じている。

 

あたしは彼女の旅の安全と活躍を願って、出発前にバ頭観音のお守りを贈った。

 

彼女は一瞬キョトン、としたあと、初めて見るような愛らしい微笑を浮かべて『ありがとう。大切にするわね』と言ってくれた。

 

その時に初めて、彼女は敬語を使うのをやめてくれた。

 

あのレースで2着に入ったウエストチェスターさんは、数日後に引退を表明。

突然の引退で困惑するマスコミのインタビューに『若くて活きのええのがぎょうさん出てきた。もうウチの時代は終わってしもたってことや』と簡潔に答えて、ひと時代を築いた古豪らしく潔く現役生活に自ら幕を下ろした。

 

ローズフレイアさんは南関東トレーニング学校に戻ると、フェブラリーステークスでの敗戦を糧にしたのか、あれからすぐに地元の地方重賞を制している。

 

同じ路線を歩む者同士。

彼女とはきっと長い戦いが続くだろう。

 

でもあのレースのあとにLANEを交換して、たまに一緒に遊びにいったりする仲になった。

ローズフレイアさん、もとい、フレイアちゃんは初対面の時に感じた通りサバサバした性格で、けっこう本音でモノを言い合える友だちになれそうだ。

 

ライバルだけど、友だち。

 

そんな関係が長く続くといいな、と思っている。

 

スターちゃんは相変わらず元気に地元の高校に通っているようだ。

たまーに『彼ってひどいの』みたいなグチというかノロケというか、そんなLANEや通話が来るけれど、基本的には仲良くやっているらしい。

 

学校生活も楽しくやっているみたいで、最近はなんでも吹奏楽部に入ったのだとか。

彼女が音楽をやるイメージがまるでなかったので、どういうことなのか聞いてみると、デートで何気なく入った楽器屋さんに置いてあったフルートになぜか心を惹かれ、それで始めてみる気になったとのこと。

 

『今は雑用と基礎練習ばかりだけど、走り始めたばかり頃のことを思い出して、なんだかとても新鮮な気持ちだよ。今はまだ全然下手くそだけど、卒業までに1度は演奏会のメンバーになれるよう、一生懸命がんばっているんだ』

 

スターちゃんは楽しげに、そんなことをあたしに話してくれた。

あたしと接する時は明るく振る舞ってくれているが、彼女は夢に破れ、挫折したウマ娘の一人なのである。

そしてスターちゃんに引導を渡したのは、間違いなくあたしなのだ。

 

そんな彼女が新しい目標ややりがいを見つけられたことは、あたしにとってちょっとした救いだった。

 

あたしもスターちゃんにトレーナーとか先生とかのグチを聞いてもらったり、学園であったバカみたいな話を面白おかしく聞いてもらったりして、付き合い方自体はルームメイトだったときとあまり変わっていない。

 

きっとあたしたちはこんなふうに一生付き合っていくんだろうな、という予感がある。

 

あたし自身の生活は相変わらずだ。

最低限の勉強をして、トレーニングに励み、レースに挑む。

少し変わったところがあるとすれば、週末はたまに実家に帰るようになったことぐらいかな。

 

家に帰れば美味しいご飯とお菓子、それに偉大なる母上様のお小言が待っている。

 

前まではただただうざったいだけだったけど、最近は少しばかり、素直にこの大きな耳を傾けられるようになった。

 

長かった反抗期がようやく終末に向かいつつあるということなのかもしれないし、あたしがG1に出られるぐらいのレベルになったことで、お母さんの話すことの意味が少しばかり理解できるようになってきた、ということなのかもしれない。

 

 

あたしがお母さんと同じように、G1で大活躍するウマ娘になれるかはわからない。

 

でも、それを目標において努力を積み重ねることはできる。

あきらめないで、挑戦を続けることはできる。

 

様々なトラブルに見舞われても、現役生活の最後までG1のタイトルに挑み続けたお母さんのように。

 

だってあたしは、エイシンフラッシュの娘なのだから。

 




長文読了、本当にお疲れさまでした。
今回もいつものように長文になってしまいました。
これでは読んでくださる方に負担をかけるし、
やっぱりまた2話に分けようかとも思ったのですが…。

長くなったぐらいで読んでもらえなくなるなら、
そもそも自分に読んでもらうだけの話を書く力が足りなかったのだと言い訳して、結局書きたいだけ書かせていただきました。

今回で【エイシンフラッシュの娘】は完結とさせていただきます。

読んでくださった方には、結局ちょっとした小説1冊分ほどの分量に
付き合っていただくことになってしまいましたね。

ランキングに乗るほどではありませんでしたが、それでも私の中では
たくさんの方に読んでいただけた作品になりました。

ウマ娘プリティーダービーという魅力的で広大な世界に、
フラッシュアデリナというウマ娘がいた、ということを皆様の心の片隅にでも
置いていただけたのなら、それ以上の幸せはありません。

拙いストーリーを最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

それではまた、違う作品でお会いしましょう。
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