――それは、突然のことだった。
ある日の昼下がり。王都の内部に、前触れもなく魔物や魔族が出現し、人々を襲い始めたのだ。
四足の下半身と人型の上半身を持つ怪物が、爪の如く鋭く、そして太いその腕を振るう。逃げ惑う住人が死を覚悟した瞬間、
「ほっ、と。危ないから支部にでも逃げた方が良いっすよ」
怪物の腕が、脚が、頭部が――瞬く間に胴体から切り離され、濃緑色の鮮血が撒き散らされる。少なからず血を浴びた住人は、悲鳴を上げながらその場から離れていった。
「んー……まあ考えるまでもなく、あの魔人の仕業っすよねぇ……」
怪物を処理した張本人……ラストは、頬を掻きながら思案する。幻想舞踏を出力全開にして使用、確認する限り、今のところ犠牲者は誰一人としていない。騎士団や憲兵団、冒険者の出動が早い。ここ最近の治安の悪さが良い方向に働いたのだろう、と解釈する。ちなみに治安が悪化した要因の大体がラストによるものである。
カツン、と踵を地面に打ち鳴らす。詠唱済みの魔法が起動し、王都全域を白い輝きが満たし――一拍遅れて、ラストが知覚している、彼女が守るべき対象と判断した王都内の全ての人間にその光が集まっていく。
「ここにいたか」
声がかけられ、その方に向き直る。銀蝋騎士長だ。
「今のは、君が何かしたのか」
「そっすよ。十二節詠唱、第三型戦略級神聖魔法――遥かなる祝福の果て。今王都にいる、人類側に属するわたし以外の人間全員に、計三回まで行われる自動蘇生、身体能力増強、魔力活性化、その他諸々……まあ、事実上の無敵モードに入れるような魔法をかけたっす」
「そんなものまであるのか。身体の方は大丈夫か?」
「いつも通りっすね。動く分には問題ないっす」
「それは問題があると言って間違いないだろう。……いや、今はそれどころではないな。敵の狙いはわかるか?」
「小目標が攪乱と王都住民の虐殺。中目標が王城近辺での上位存在の召喚による要人の殺害。大目標が教会や
「把握した。君は黒幕を迅速に討て。王都の結界の性質上、黒幕によって送り込まれていると考えるのが筋だ。私は騎士団を率いて既に侵入した者達を狩る。間に合わないようであれば召喚された上位存在も――」
そこまで言ったところで、膨大な量の魔力が渦巻くのを察知する。方角は王城。つまりこれは、
「……話している間に召喚されてしまったようだな。私は連絡を入れてから今呼び出されたのを討つ」
「了解っす。戦力的には問題ないっすか?」
「先日になってやっと
「あいあい、それを信じるっすよ」
ラストの姿が消える。転移魔法か何かで王都の外部に向かったのだろう。
さて、と騎士長は魔法器を手に取り、大きく息を吸う。
『王都住民に告げる! 今の諸君は勇者の魔法によって一時的にあらゆる能力が強化されている! 立ち向かえとは言わない、恐れても良い! その場合はすぐに支部や騎士団、憲兵団の詰所に避難するように! 避難した時点で諸君の生存は確約される!』
王都全域に届く程の声量。拡声の魔法器によって騎士長の声が響く。
跳躍し、屋根の上に立つ。王城まで一直線に駆け、その間にも部下に指示を出すことをやめない。余計な混乱を与えないよう、指揮系統が異なる憲兵団や教会所属の者達には何も言わず、彼らの上にいる者に情報共有を済ませておく。
「あれか――
上位存在は幾つかに分類できる。大きく区別すれば、格の低いものから順に、既存の法則に縛られないもの、固有の法則を持つもの、固有の法則を他者に押し付けるものだ。
騎士長が確認した上位存在は三番目。固有の法則を持ち、それを他者に押し付けるもの――即ち、極めて強力な存在だと、経験則によって判断できた。
「全員、私に近づくなよ……
自身を中心に、球体状に不可視の領域を展開する。
枯草領域。騎士長の持つ手札の中でも、特に無差別的な能力。展開された領域内部に存在する全てを『弱める』効果を持つ。
生命であれば衰弱させ、非生命の物質はその寿命を縮め、魔法の類は出力次第だが霧散させることも可能だ。
これは枯草領域に限った話ではないが、騎士長の持つ力はその全てが上位存在にも通用し得るだけの格を持っている。既存の魔法では余程の使い手でない限りまともにダメージを与えられないが、そうした存在の強度による耐性をある程度無視して、強引に押し付けることができるのだ。
巨大な蠍の如き姿を持つ上位存在に、渾身の一振り。枯草領域による弱体化と、ラストが行使した神聖魔法による強化が噛み合い、一撃でその爪を斬り落とすことに成功した。
「■■■■■■■■!?」
上位存在がのたうち回り、悲鳴と思しき『声』を発する。間違いなく優勢に立ったはずなのに、それを聞いただけで、騎士長は壮絶な頭痛に見舞われた。
「が……っ、これは……そう、か……!」
能力そのものは通じる。しかし、騎士長の肉体は――その存在は、人間であることには変わりない。故に上位存在の発する言語だけでも、それ自体が強烈な負荷となって苦しめているのだ。
それでも動けない程ではなく、そもそも存在の格の差に対して負荷は小さい方だ。ラストの魔法による強化作用が働いているのだろう。固有の法則を押し付けるだけの力を持つ上位存在の悲鳴を受けたのは初めてだが、騎士長は経験と実感によってそれを理解する。
長期戦はダメだ、と判断する。これを討伐するまで自分が耐える自信はあるが、たかが悲鳴でこれだけの負荷がかかるなら、近くにいる者も相応の苦しみを背負うことになる。
「それに、これは……毒、か」
眼前の上位存在の持つ法則。固有能力と言っても良い。いずれにせよ、これはその存在そのものが毒のような性質を持っている。
視界に入れれば目から。音を聞けば耳から。触れれば肌から。それどころか臭いだけでも、他者を蝕む毒となっている。騎士長は、自らの五感や平衡感覚に異常が出ているのを認識する。
短期決戦こそが最適解。人々の目にも耳にも入れてはならない。迅速に撃破し、その死体も処分すべきだ。
「
白光を纏う、十六の黒い長剣。出力を最大にし、全力で連撃を仕掛ける。
右手に握った大剣による突進突き。即座に大剣を手放し、もう一本構築して両手で握り直しての跳躍、斬り上げ。その軌跡を黒剣になぞらせ、追従する白光も合わせて傷を深く抉る。宙に躍り出たタイミングを見計らって放たれた、尻尾の振り下ろしを受け流し、その勢いを利用しての回転斬り。肉に食い込んだ柄を即座に蹴って後方へと離脱し、黒剣を殺到させて尻尾ごと傷口を広げていく。
「
展開した水銀に乗り、空を泳いで後ろへと回り込む。真紅の炎を右手に纏わせ、加速させながらの貫手で甲殻を破壊し、その内部を燃やす。肉に埋もれた籠手が少しずつ腐食されていくのを即座に理解し、手を引き抜く――のと同時に、内側で変幻武具を使用、爪を形成することで肉を中から抉り取っていく。
爪を使い慣れた大剣状に変形させ、追撃を仕掛ける……その直前、強い嘔吐感に見舞われて大剣を盾に変形、振り回される尻尾を受け止める。毒が少しずつ回ってきたのだ。
衝撃で吹き飛ばされつつも水銀から落下しないように努め、黒剣を周囲に戻す。円陣を組み、爪の連撃を捌いていく。
少しずつ、この上位存在のスペックとコンセプトを理解する。生半可な攻撃ではまともに通らない硬度の爪と甲殻、認識するだけで肉体を蝕む毒性という法則によって、戦いを長期化させて確実に仕留める。単純であるが故に全体的にバランスが良く、極めて高い能力を持っているのだ。
恐らく、魔法による強化がなければもっと苦戦していただろう。最初に爪を斬り落とすのもできなかったかもしれない。感謝しなければいけない、と思考を巡らせつつも、その対策を考える。
「
距離を取り、全身と形状を戻した大剣に血を纏う。巨体であるが故にリーチもあるが、根本的には近接攻撃主体であり、一定の距離を保てば攻撃は届かない。
横薙ぎ、振り下ろし、斬り上げ。当然ながら大剣だけでは当たらない。しかし、その軌道上を埋めるように血の刃が間合いを補い、甲殻の隙間に斬撃を入れていく。
それだけではない。血の刃は燃え上がり、上位存在の傷口を焼いて出血を制限する。血だけでも猛毒なのはこれまでの情報からわかりきっている。周辺への被害を抑えつつ、単純に戦いやすくもなる二重の策。
強いが、問題なく倒せる範疇だ。法則を押し付けるタイプの上位存在の中では、だいぶ弱い方だろうと分析する。周辺への被害が出やすいため、テロの手段としては厄介だが、それにしてももっと強力かつ被害を出しやすいものも多い。まだましな方と言える。
「■■■■■■■■■■■!!!」
再びの叫び声。しかし、今度は悲鳴ではなく怒りによるものだろう。
一瞬だけ、騎士長の動きが鈍った。
「くっ……!」
その一瞬で、上位存在は即座に距離を詰めて、斬り落とされた爪ともう反対側の無傷の爪で攻撃を仕掛けてくる。反応が遅れ、咄嗟に身を捩って回避する。爪が鎧に触れ、それだけでごっそりと奪い取っていく。そこに尻尾による薙ぎ払いが打ち込まれ、騎士長は大きく吹き飛ばされた。
どうにか間に大剣を差し込むことに成功したが、完全に防げたわけではない。しかし、魔法のおかげか傷らしい傷ができたわけでもない。騎士長が思っていた以上に恩恵は大きかったようだ。
油断していたわけではないが、少し余裕ができてしまっていたのは確かだ。再度黒剣や水銀を展開し、飛び掛かってきた上位存在の爪を半歩横にずれて躱し、同時に大剣を振り上げて裂傷を刻む。そのまま脚の間をすり抜けるように移動し、勿論傷をつけていくことも忘れない。
「……このままでは時間がかかりすぎるな」
溜息を吐く。勝てるか勝てないかで言えばまず勝てる。目の前の敵は強いが、概念的干渉を行ってくるタイプではない。存在の格の差、高いスペックによってシンプルに押し潰してくる、そういうタイプだ。故に、素の状態なら兎も角、極めて大きな強化を施されている騎士長が負ける道理はない。
だが、今しがた呟いたように、時間がかかりすぎる。騎士長は魔法等を扱えない関係上、どうしても大規模な攻撃は行えない。これだけの巨体となると、斬り刻むにも一苦労である。騎士長の攻撃手段は基本的に直接攻撃のみなのだ。
「あまり使いたくはないが、そうも言っていられないか」
距離を取り、集中する為に目を閉じる。その間に行われる上位存在の攻撃に対しては、黒剣を自動で迎撃させることで極力自分との関わりを避ける。少しでも上位存在の毒を受けないようにしておきたかった。
イメージするのは錆の色。ミディアムストレートの綺麗な髪と、透き通るかのような空色の瞳。
これを思いついたのは、彼女の話を聞いてからだった。
――騎士長さんは教会のシステムのオリジナルになれるくらい強いっすよね
少なくとも、強さという点では一定の基準に達しているようだった。故に騎士長は、それから教会へと足を運び、一つの契約を結んだ。
内容は至ってシンプル。騎士長が差し出したのは、自分という存在をベースにシステムを組み上げる権利だ。ある種の人権と言っても差し支えない。何故なら、これによって彼は、
その対価として要求したのは、システムについての知識。教会の機密だ。それを得たことで、騎士長は一つ上の高みへと至った。
「
教会の秘奥、勇者システム。
それに触れることで、彼は一時的にその恩恵を受けることができるようになった。
「召喚されてばかりで悪いが……この国を荒らして生きて帰れるなどと、思い上がるなよ」
そのことが意味するのはただ一つ。
これから始まるのは、騎士長による、一方的な惨殺だということである。