王城の一角に設けられた庭園で、ラスト・ピエリスは空を見上げていた。
今日は良い天気だ。騎士達が鍛錬に励むのにもちょうど良い。空は快晴だが、暑すぎず寒すぎずで。適度に風も吹いて快適。うん、こんな日は滅多にないだろう。
「ここにいたか」
声がかけられる。仰向けになった身体を横に向け、視線をそちらへと持っていく。
全ての騎士を束ねる存在、銀蝋騎士長がそこにいた。
「数日前の連続殺人事件について、わかったことがあってな。君に報告をしておこうと思った」
「あー……何でわたしに報告するんすかねー……?」
「一応、君にも関係のある話だからな。耳に入れておくべきだ」
流石に寝そべったまま話を聞くのは悪いだろうと思い、よいしょと身体を起こす。やはり激痛が走るが、まあこれくらいは慣れたものだ。慣れちゃいけない類の気がする。
一度立ち上がり、車椅子の方へ歩く。座って方向転換。騎士長に向き直り、話を聞く姿勢に。
「被害者についてだが、その全員が件のテロ組織……滅却回帰団とやらとの繋がりがあったようだ。教会所属の者も同じくだな。内通者として潜入を図っていたものだと考えられている」
「やっぱりいたんすねぇ、そういうの。まあ時計塔の一件で何となく感じてはいたっすけど……」
「実行犯の足取りは未だ掴めず。だが、たった一夜でこれだけのことをできるとなると、おのずと候補は絞られてくる」
騎士長の視線が自分へと向けられたのを感じた。
「君はどうなんだ?」
「本人に直球で聞くことじゃないと思うっすけど、それ」
やれやれ、と肩を竦める。
まあぶっちゃけると確かに犯人はラストなのだが、当然そんなことを言うわけにはいかないので適当にはぐらかす。
「できるかできないかで言えば、間違いなくできるっすけど。そもそも動機がないっすよね」
「ああ。私と共にあの一件について調査していた以上、わざわざ単独でこんなことをする必要があるとは思えない。結局今回の事件でお流れになってしまったが、あのまま正攻法で続けていても問題はなかったはずだからな」
「騎士団も憲兵団も、そっちの方にかかりっきりになっちゃったっすからね。教会の方からも諜報部が派遣されてるみたいっすけど……あ」
ぽん、と手を叩く。
「異端審問会の仕業、って説はどうっすかね」
「教会の暗部か。なくはないだろうが……」
「所属してるのを何人か知ってるっすけど、全員かなり強いっすし諜報に関しても飛び抜けてるっすよ。教皇直属の執行部隊だけあるっすね。彼らなら一夜で数百の殺人を起こすのもできるとは思うっすけど」
「ふむ。動機はどうだ?」
「独断での殺人権を持ってるし、教会に内通者がいることを掴んでたとか。教会上層部はその事実を知ってて、捜査に諜報部を派遣したのは隠蔽の為……とか? まあ異端審問会は諜報部よりもそっちに長けてるっすし、何も知らせずに本気で捜査させても教会的には問題はないとは思うっすけどね」
「不祥事の隠蔽か。十分考えられるな。……ひとまず陛下に報告しておこう」
「ちなみにこれ、犯人が見つからなかったらどうするんすか?」
「再犯の可能性がないと踏み次第、適当なところで切り上げだな。意図する形で何らかの事件を起こし、世間の注目をそちらに向ける。そういった時の為にスケープゴートにしても良い貴族を残しているのでな」
「うわ……」
流石に引いた。
いやまあ全ての貴族・権力者が清廉潔白というわけではないだろうが、いざという時の為に悪徳貴族の類を意図的に残しておいているのだ。王国上層部も中々に黒いようで。
「それ、領民とかは大丈夫なんすかね……。というか、騎士長さん的にはその辺良いんすか?」
「どちらも問題ない。領民に関しては適度に財政をコントロールし、保護している。私個人の感情は……思うところがないわけでもないが、私は政に長けているわけでもないからな。ひとまず上手く回っているのだから、今のところはそれで良いと考えている」
「前から思ってたっすけど、騎士長さんって真面目天然系の堅物っぽい感じはあっても割と現実主義っすよね」
もうちょっとこう、そこは潔癖な感じがあっても良いんじゃないかと思わなくもない。とはいえ、騎士長という立場に任命されていることからもわかるように、人格としても実力としても優れているのには間違いない。なら割り切れる方が組織を運営する側としては良いのかもしれない、なんて考えたり。
「とりあえず、報告ってのはそれで終わりっすかね?」
「ああ。異端審問会についても参考になった。ありがとう」
「気にしなくて良いっすよ。……って、普段なら言ってるんすけどね。ちょっと最近あんまり身体を動かしてない気がするんで、一本付き合ってくれないっすかね」
「君の身体に問題がないのなら、私は構わないが……時計塔でのあれは含まれないのか?」
「そりゃそうっすよ。手応えなさ過ぎて、運動ですらないっすねー。それに、騎士長さんの本気を見ておきたいってのもあるっす」
「そうか。……わかった」
車椅子から降り、聖剣アルス=マグナを鞘から引き抜く。勇者に任命された頃、象徴となるべき武器を選定する折に、幾つかの候補の中からラスト自身が選び、愛剣とした一品である。
はっきり言って、
――アルス=マグナは、ラストとの相性が極めて良い。
「それじゃ、行くっすよ」
「ああ――
ラストが駆ける。その歩みは一般的なものとはどこか異なり、緩急の差が激しい。前後左右に、速度差をつけて寄せては返す波のような動きで騎士長へと迫る。
初動を見極めるのは難しい。そう判断し、騎士長は敢えて踏み込んだ。魔力を結晶化させて構築した大剣で、渾身の横薙ぎ。振るわれる瞬間に刀身が伸び、広範囲を一瞬で大剣が通り過ぎていった。
しかし、ラストには当たらず。跳躍し、空中に躍り出たのだ。騎士長は即座に刀身を元の長さに戻し、構える。
「砕鬼」
剣を手放していたのを見て、即座に防御。両の手から生じた衝撃が空間を介して騎士長を襲う。二連続での砕鬼・空震を、刀身の幅を広げて盾のようにすることで防ぐ。
手が痺れる程の威力。再び刀身を戻し、向き直り、
「――は」
既にその場所に、ラストはいなかった。聞こえてきた複数の
魔の歩みによって宙を駆け、移動したのだ。爆発音の発生源から軌跡を逆算し、自分の後方へと移動したのだと推察。気配は感じられないが、そもそも勇者が気配を消すとなれば察知できないのも当然だ。自らの直感を信じ、前に出つつ後ろを向く。
「
研ぎ澄まされた戦闘本能が警鐘を鳴らし、騎士長は迷うことなく次の手札を切った。
黒い長剣が騎士長を中心に、外向きに円陣を組んで展開される。その数は十六。それに加え、黒い長剣はその刀身に白い光を纏い始める。黒剣展開と白光追従の併用……騎士長の手札の中でも最も汎用性の高い組み合わせ。攻防一体の型。
円陣は崩さず、円を描き広げるように黒剣を回転させる。一瞬遅れて、それぞれの黒剣の軌跡を白光がなぞるように瞬き、斬撃を拡張する。
騎士長を中心点とした広範囲の無差別攻撃。しかしラストに命中した手応えはない。恐らく全てが回避されている――それも、騎士長の視界に入らない中で。
最優の勇者、錆色の乙女。ラストに関する逸話を思い出す。
曰く、一度視界から外れれば、二度とその姿を目にすることはできない。
成る程、と納得する。確かにその通りだ。疾いのではなく、視界に捉えられない。最初の波のような動き――確か、揺波の歩法だったか――の緩急をつけた動きと、他の何らかの武技、魔法、或いは禁呪を組み合わせることで、彼女は
それにしても、最高速度と最低速度の差があまりにも大きい。幾ら惑わすような動きと言っても、アルテリア王国きっての実力者である銀蝋騎士長が見極められない程にまで仕上げているのはラストの鍛錬の賜物だろう。
そして、それ以上に反応速度と行動予測の精度が飛び抜けている。兜で目の動きが見えないはずなのに視界から外れ続けるなど人間業ではない。しかも、そもそもとして騎士長の視界は兜で制限されていてもなおほぼ半球状に広がっているのだ。全身の微かな動きから、どのように視界が動くのかを完璧に把握されている。
「
故に騎士長は、惜しむことなくその能力を使用していく。
鎧の隙間から血が噴き出し、衣のように全身を覆う。
水銀が何もない空間から生じ、ヴェールとなって鎧姿を隠す。
その状態で放たれた回転斬り。真紅の炎が吹き荒れ、大剣は炎の嵐を引き起こした。
炎が切り裂かれる感触。相変わらず視界には入っていないが、今のでどこにいたのかは把握できた。
隙間なく敷き詰められた黒剣の群れ。しかし、秘密の抜け穴を知っているとでも言うかのように、ラストはその全てを躱す。
避けられたことを理解し、血の羽衣と水銀のヴェールによる攻勢防御。流動させつつも刃を構築し、攻撃に備える。
「砕鬼」
「……っ!」
咄嗟に逆方向へと跳躍。しかし、衝撃の全てを受け流すことはできず、苦悶の吐息が漏れる。
衝撃の伝え方すらも達人級。ゼロ距離での砕鬼による莫大な衝撃は、鎧を通してもなお減衰せずに、的確に騎士長の身体へと浸透し、そして肉体内部で発散した。零勁による一撃。単純に珍しい攻撃だが、ここまで研ぎ澄まされているのは更に稀だ。
しかし、全力の一撃ではない。恐らくは内部破壊の技術と組み合わせているため、全力だった場合は身体が内側から爆散する程の威力があったはず。今回の場合だと、内部からの発散と身に纏った鎧でサンドイッチがつくられていただろう。
「流石に……強いな」
「勇者っすから。って言っても、今は勇者システムの補正は全然ないっすけどね」
呼吸によって痛みを鎮め、落ち着いて黒剣を再展開。相変わらずラストの姿は見えない。気配は感じられず、姿を視界に収めることもできず。圧倒的劣勢。
舐めていたわけではない。だが、これ程とも思っていなかった。これでも本気ではなく、そもそも勇者システム自体殆ど機能していないというのだから驚きだ。
「
最小出力で使用する。
騎士長の能力は多岐に渡る。その中でも最も強力で、そして危険なのがこれだ。
「……嫌な感じっすね」
一目見ただけではあるが、危険性を理解したのか、ラストが大きく距離をとる。相変わらず視界には入ってくれないが、それでも安易な攻めはできなくなったはず。そう判断し、再び刀身を拡大しての回転斬りを見舞う。
刀身の先に、微かな重み。跳躍して避けられたのだろう。だが、一拍遅れて回転斬りの軌跡を真紅の炎が後追いする。重みが消えたのを感じ、刀身を元に戻して防御姿勢。黒剣の円陣は崩さず、血の羽衣と水銀のヴェールを大きく広げる。
――微かな魔力反応。
即座にそちらの方を向き、飛んできた魔法を迎撃する。
凄まじい衝撃。視覚から得られた情報より、八節の攻撃用魔法、深き青を満たす瞬きだと判断する。星の光を模倣し、弾丸として射出するというものだ。弾速は極めて速く、その上で威力も燃費も良い優れた魔法。威力以上に与える衝撃が大きいのも第一型戦術級魔法に分類されている理由の一つだ。
そしてそれ以上に、無詠唱での使用時における速射性が高いのが強みである。賢者ことアルテミス・バートリーはこの魔法の秒間百六十発の連射により、巨大な体躯の上位存在を一方的に封殺したとの記録が残っている。
つまりそれは、
「ふっ――!」
視界の外から大量の弾丸が飛翔してきたのを感じ、全力で防御に徹する。黒剣を乱舞させ、その軌跡に残した白光で防ぎ、それでも捌き切れなかったものは広げた羽衣とヴェールで受け流す。
実時間は数秒。しかし、騎士長には何時間もの長い時が過ぎたような感覚だった。密度が尋常ではない。それでも圧倒的物量を防ぎ切り、達成感と共に微かな気の緩みが生じる――生じてしまった。
「詰み、っすね」
判断を誤ったと思った時には遅かった。後ろからアルス=マグナが騎士長の首に添えられる。
枯草領域の出力を上げて受けるのが正解だったな、と認識しながら、騎士長は降参を宣言した。