今後内容に一部原作キャラクターを否定する描写、表現等が登場しますのでご注意ください。
「は、はは、なんてこった」
思わず言葉がこぼれた。思いも寄らない幸運に巡り会ったのだ。
目の前には実際には見覚えのない少女と少年、座り込んだ地面は冷たく握りしめた手には肌触りが柔らかい芝を感じた。狼狽した様子の少女と、また違った戸惑いを見せる少年から視線を空へと向ける。
一面の青空。大きく息を吸い込めば、いつもよりも遙かに清々しい香りが鼻を抜けた。
「空気がうまい」
比較的空気が澄んでいた田舎で暮らしていた俺であっても、異世界の空気は非常に綺麗だと感じた。二度、三度と深呼吸を繰り返す。その度に気分が晴れ渡っていった。肺に満ちる空気とともにふつふつと欲望が満ちあふれていく。欲望から喜びが生まれ、喜びから自然と笑った。静かなそれは、周囲で騒ぐ多くの少年少女達の声でかき消されていく。
どれだけ望んだことか。どれだけ夢見たことか。絵空事と笑いつつも、心の奥ではいつでも望んでいた。小さな頃から憧れ続けた非日常。それが今この時、目の前に確かに存在していた。嬉しかった、心が躍るというのは正にこの様なことを言うのだろう。
目の淵に薄く涙を浮かべ、感無量。穏やかな気分の中、何度目かになる深呼吸を終えた。
そして、俺は目の前で口づけを交わした少女達に再び眼を戻す。
鮮やかな桃色がかった金髪を揺らし、黒髪の少年を足蹴にした少女に向かってゆっくりと立ち上がり歩を進めた。高くなった目線で見た彼女は思ったよりも小さい。目算で考えても、三十センチ位は離れているだろうか。一方の少年は屈んでいるためよくは分からない。
ゆっくりと近づく俺に気が付いたのだろう、少女は少年から目線を変えた。
彼女は鳶色の瞳で俺の目をじっと見つめてくる。負けじと見つめ返せば、彼女はムッとした表情を造形した。やはり、俺が知るように気が強い性格であるようだ。
「あんたは誰よっ!」
いかにも不機嫌です、と言わんばかりの声色で彼女が問いかけてきた。相当に虫の居所が悪いようだ。しっかりと芝を踏み固めながら自らこちらへ近づいてくる。
そのお陰で、三歩ほど歩いただけで彼女と普通のトーンで会話出来るほどの距離まで近づけた。
「で、あんた誰?」
再度聞かれた。今度はこちらも言葉を返す。長年連れ添った大事な名前だ。
「太一だ。佐藤太一、ただの人間だ」
「に、んげん。……そう。もういいわ」
少女の反応は予想通りの物だった。もうお前に興味なんてない、というように踵をかえし黒髪の少年の元へと戻っていく。だが、それは困ってしまう。
「待ってくれ。頼みがある」
「え、ちょっ、なにっ」
彼女の肩を掴み、無理矢理こちらを向かせる。右手に掴んだ彼女の肩は思いの外細く、強く握れば簡単に折れてしまいそうだった。肩が痛かったのか、俺に触れられた事が不快なのか、はたまたその両方か、彼女は顔を苦しく歪めた。悪いとは思っている。だが、しかし彼女の話は終わっても俺の話は始まってすらいないのだ。そして、この話は現状において最も大事な事柄だ。
俺は彼女の肩を両手で掴み、顔を見下ろす。そうだ、これを終えなければ何も始まらない。
何ていっても、これはーー
「ルイズ、俺とキスをしてくれ」
ーーキスから始まる物語なのだから。
*
「理不尽だ」
真っ青な空を仰ぎながら呟く。虚空に向けたそれに言葉を返してくれる誰かはいない。
先ほどの芝生が生い茂る広場とは違い、土が露出しているからか背中が凄く冷たい。それに、ゴツゴツした小石が背中に刺さってそこはかとなく痛いのだ。全く以て理不尽である。
ルイズに召喚された同士ーーだと密かに思っていた少年、平賀才人は今頃暖かい木の床、香りの良い藁のベットを与えられているだろう。酷く羨ましいではないか。たとえ扱いが動物と同等だとしても食事と風雨に悩まなくてすむなら幸せだと思う。
彼に比べて俺の状況は良くはない。体を起こして、座り込み周りを確認する。
前は、果てしなく続いて見える平原と街道。横も平原。後ろは大きな門。そして怖い顔をした兵隊。俺はルイズに呼び出されから十分という短時間でトリステイン魔法学院を追放されていた。
事の始まりは召喚された直後。使い魔として呼ばれたと判断した俺は、ルイズに契約を催促した。使い魔契約で得ることが出来る”ルーン”は俺にとって必要不可欠な物だった。否応無く戦いに身を落とす事になるであろう事が安易に予想できるからだ。生まれも育ちも一般人であった俺には即物的な力が必要だった。
契約方法はキスだ。そう単刀直入に伝えたのだが、言い方が良くなかったらしくルイズは怒り強烈な右ストレートを繰り出してきた。不意に近距離からの体重を乗せた一撃が鳩尾を捉え不覚にも思いっきり尻餅を付いてしまったのだ。
それからの流れは流麗な物だった。先ず、ルイズが引率の教師であったコルベールに駆け寄った。かと思うと彼がすぐにこちらへ来て魔法を唱える。それは物を浮かすことが出来る魔法ーーレビテーションだった。初めて見る魔法という物に心が躍ったが、それは直ぐに平衡感覚の否定という形で恐怖に変えられてしまった。
そして、コルベールは抵抗できずに宙を浮く俺をそのまま運び、門の外へ放り出したのだ。ただ、彼は問答無用でそのまま放り出したわけではなかった。門の外まで連れ出した後、コルベールは無言で小さな包みを腰のポーチから取り出しそれを俺の手に握らせてくれた。ずっしりと重たい袋の中には金貨が何枚か入っていたのだ。その時の彼の表情はどこか悲壮感を漂わせていた。そして、結局何も言わないまま彼は学院内へと戻っていったのだ。
「兎に角、歩くか」
俺は高く聳える五本の塔を見ることを止め、前方に続く街道を進むことにした。
過去の事を考えて立ち止まっていても現状は何一つ変わりはしない。色々と未練があるのは確かだが、今となってはどうすることも出来ない。
ルイズとか、タバサとかキュルケとか……もっとお近づきになりたかったものだ。
しかし、今戻れば無礼打ちで痛い目に遭うかもしれない。むしろ相手は公爵令嬢だ、もしかしたら首がさようならしてしまう可能性もある。それだけは絶対に嫌だ。
それに折角コルベールーーいやコルベール氏が金貨をくれたのだ。これを元手にトリステインで生活の基盤を手に入れる事が最重要案件だ。
延々と続く街道を進み、とりあえず首都であるトリスタニアへ向かうことにした。
黙々と歩き続けること数刻位か、既に夕日が眩しい時間になってしまった。意気揚々と歩を進めてきたが、それもそろそろ限界だ。不思議と痛みはないが、足を動かす気力が既にエンプティ。思わず腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
ゆったりと流れていった景色はただ広い平原から木々が生い茂る森の街道へその様相を変えていた。しかし、一向に街らしき影は何一つ見えていない。始めは方角を間違えたのかとも考えていたのだが、歩き始めて直ぐ矢印を模した看板を見つけた為、間違いではないと判断した。内容は欠片も分からなかったのだが、そこに何かがあるのは確かなことだった。
原作の流れや登場人物など、忘れようがない要素なら兎も角、地理や細かい描写においては残念なことに記憶がない。故に、トリスタニアの位置も、その距離も何一つ知識にないのである。
正直な所、かなり焦っている。
日も傾けば、街道とはいえ野獣に襲われてしまうかもしれないのだ。身長は高い方だが、根っからのインドア派であった俺の肉体など木の枝と変わらない。自分で言っていて悲しくはなるが十全たる事実、俺は運動が苦手なのだ。
そんなモヤシのキングが、この過酷な自然界で生命を鍛え上げた野獣達に勝てるだろうか。考えるまでもなく餌となり、微妙な養分となってしまうのがオチであろう。そんな死にかたはごめんだ。そんな死に方でなくてもごめんだ。
「……はぁ」
ため息一つ。地面を這い蹲り、街道沿いに生えた木の幹を背もたれにして座る。
疲労が溜まった足を手で揉みつつ休憩をする。長時間の酷使に感覚が麻痺しているのか何も感じない。この分だとしばらく休んだ方が良いようだ。
取り合えず、日が昇るまではこの場所で休憩をする事にした。無理に進んで道を逸れたりしても困るし、無闇に歩き回って野生生物を刺激したくない。そして、何よりもう歩きたくない。
「はぁ」
再度ため息を吐きながら、異界の空を眺めた。夕焼けで赤く染まった空が徐々に藍色を強めていく。こく一刻と光が沈み、人の時間が終わりを告げようとしていた。
「本当に、トリップしたんだよな。本当に」
願うように呟いた。朝目が覚めたらいつもの部屋で、いつもの生活が待っているだなんて言うなよ。こんな状況でも俺は楽しんでいるんだ。だから、もし夢だとしてもどうか覚めないでくれ。
そんな思いを群青に染まった空に浮かぶ幻想的な双月に向けて、心中呟いた。
夜が明けた。
適度に浅い眠りを維持しつつでも、長時間休めたからか肉体は快調そのものだった。野獣に襲われることもなく朝を迎えることが出来たのは行幸である。悪運だけは昔から強かったからな。うん。
不安定な場所で寝たからか体中が凝っていたようで、体を伸ばしたらもの凄い音がした。ゴリゴリ、バキバキって俺の体は大丈夫なのだろうか。おおよそ人体から出てはいけないレベルの破砕音だったように聞こえたのだが。
ま、まぁとりあえず、間接とかを痛めても悲しいだけなので軽くストレッチをしてから再び街を目指すことにした。体は資本。安全健康第一だ。
歩き出すこと多分半日程たった頃。一向に代わり映えがしなかった景色に大きな変化が訪れた。
「囲めっ! 絶対に逃がすなっ!」
不意に聞こえたのは男の怒声だった。その声に続いて複数の男たちの声も聞こえた。俺は急いで街道沿いの樹木の影に身を隠した。そして、片目だけ出すように幹から声が聞こえた方を覗く。
よくよく目を凝らしてみると大体五十メートル程先に一台の装飾が施された馬車が止まっているのが見えた。声の主達は馬車を囲む形で立っている。遠目ではよく分からないが、日の光を反射する何かを手に握っているようだ。
恐らく、彼らは盗賊か何かだ。
比較的警備が弱い貴族や商人を狙ったのだろう。馬車を背に立つ人影は2つしか見えない。
そこで考えた。
馬車の貴族、ないし商人を助けるか否かだ。出来ることならば見捨てたくはない。平和な世界で培われた良心が俺を苛むことが分かるからだ。だが、俺に何が出来るというのか?
喧嘩もろくにした覚えがない俺が盗賊を相手取って、どうにかできるのか。無策に奴らの前に飛び出しても、せいぜい命を賭しての時間稼ぎーー肉壁程度の働きしかできないだろう。そもそも、死にたくない。自分の命は惜しい。まだまだ、この世界でやりたいことがたくさんあるのだ。
馬車を見捨てたくなる。俺には元々関係ない人間だし、こういった出来事なんてこの世界では日常的に起きていることなのだ。だから、馬車の主は運が悪かっただけだ。だから、俺は悪くないよな。悪くない。きっと誰もがこの選択をする。そう自分に言い聞かせた。
「いい、わけがない。ダメに決まってるだろ」
あれだけ、退屈していただろう。何も出来ない自分に嫌気がさしていただろう。
ここでまた逃げてしまえば、前の世界と同じに、なってしまう。ただ逃げて、逃げて逃げ続ける人生が始まってしまう。そんなのは……ごめんだ。
変わりたいと思っていた。始まりからやり直せるなら必ず変わってみせる、とそう思っていた。ハルケギニアに召喚されて。知り合いも誰もいなくて、でもここなら。ここからなら変わっていける。そう思った。だから嬉しかった。わくわくした。新しい生が始まるって。
「なら、逃げちゃ……ダメだよな」
そうだ。ここで逃げてしまえば死にはしない。だが、それで昔と同じ生き方になってしまうなら、それは死んだのと同じだ。助けよう。どうにかして、少しでも役に立とう。変わるのだ。自らの意志で。
決意は固まった。俺は近場にあった程良い太さの木を持ち、街道へ飛び出した。馬車を視界に入れると、やはり状況は変化していた。馬車の護衛の一人と賊3人が地に伏している。倒れた護衛は体から黒い煙を立ち上らせていた。
メイジがいるのかーー。
思わず足が竦んだ。言い得ぬ恐怖が俺の意識を縛り付けようとする。
「だからどうしたっ」
強ばった体を無理矢理動かし、恐怖を振り切る。駆けだした先は杖を構えた男。メイジの男さえ抑えてしまえばあとは、護衛が何とかしてくれるはず。
距離は五十メートル。小学中学で走るトラックをイメージして全速力で走る。運動が下手でも走るのだけは速かった。逃げ足だけは速かった。
ふと、メイジの男がこちらを振り返った。どうやら足音で気づかれたみたいだ。
「なっ……貴様っ」
「く、おおおぉぉぉ」
しかし、彼は気づくのが遅すぎた。
俺は走る速度をそのままに振り揚げた木の棍棒を男の頭めがけて振り下ろした。男は腕で頭を庇うことなく、甘んじてその打撃を受け入れた。
ドラマやアニメで聞いた殴打音と比べると些か迫力に欠ける鈍い音と共に木の棍棒がへし折れる。目の前の男は頭から夥しい程の朱を吐き出し、その場に力無く倒れ伏した。
「はぁ、……っはぁはぁ」
息が荒い。口腔が乾いて血の味が鼻に抜ける。最悪な気分だ。手が震える。
「てめぇっ! よくも」
ナイフを手に持った男が血相を変えて、俺に襲いかかってきた。とっさに動くことが出来ない。何とか避けようと足を動かしてもただもつれてその場に尻餅を突いただけだった。死にたくない。
男が迫り、ナイフが俺を捉えようと振り下ろされる。だがーー
布を引き裂く様な音と共にナイフが視界から消えた。俺の命を脅かしていた男が馬車の護衛によって切り捨てられたのだ。
「無事か!」
残り3人になった賊に刃を向けつつ、声を掛けてきたのは壮年の男。頬に走る刃傷が彼の実力を醸し出している。その歴戦を思わせる様相が僅かな安心感を与えてくれた。
きっと後はこの人が何とかしてくれる。そう願った。
「はい。なん、とか、大丈夫です」
俺は立ち上がりながら壮年の護衛に言葉を返す。
「そうか。悪いが君に頼みたいことがある」
「なん、でしょう」
「馬車の裏に隠れた女の子を一人連れて逃げてほしい。奴らの狙いはお嬢様なのだ、どうか頼めないだろうか。この状況で頼めるのは君しかいない」
壮年の護衛の言葉には僅かな悲壮と懇願が含まれているような気がした。ふと、彼の足下に雫が滴っているのが見えた。ぽたぽた、と紅い雫が一定のリズムで落ちている。腹部に目をやればそこには大きな紅いシミが出来ていた。
「分かりました」
彼の姿を見て、そう答えずにはいられなかった。
大体、俺は助けると決めて、武器を振り下ろしたのだ。変わると決めてここまで走って来たのだ。今更止まることなど許されない。ここで止まるようじゃ、変わるなんて無理だ。死にたくはない、戦うなんて考えるのも嫌だ。でも確かに今は、昔の俺が出来なかったことをしている。それが出来る立場に、いるのだ。
ならば、せめて女の子ぐらいは助け出して見せる。それが今、俺に出来る唯一だから。
ご読了お疲れさまでした。
誤字脱字があれば随時編集させていただきます。
2012,10/6 17:43 誤字修正