「ぐっ…!」
奏が吹っ飛ばされた勢いで博麗神社の祠の前を転がる。魔理沙が決死の覚悟で放った彗星『ブレイジングスター』で戻ってきたのだ。
(魔理沙…)
博麗神社の森を呆然と見つめる。爆煙で曇って、霊夢の姿は見えない。
(とりあえず、逃げないと…人里の方まで行ったら、流石に霊夢も…)
奏は石段を駆け降りる。そして、獣道に近い参道を走り出した。
その時、霊夢が博麗神社の上空に戻ってきた。見渡して奏は神社のどこにもいないことに気づく。
「参道の方に逃げたわね」
しかし、参道はこんもりとした木々に覆われて奏の姿は見えない。
「やれやれ、前にも魔理沙に言われた通り、ちゃんと整備しとけばよかった…」
霊夢は御札を構える。
「まあ、今から整備するからいっか…弾幕で。霊符『夢想封印・散』!」
霊夢は参道に向かって赤い御札をばら撒く。御札は雨のように容赦なく奏を襲う。
「うわああっ!」
奏は爆発に巻き込まれて参道の脇の森に転がり落ちる。
(しまった、声を…!)
「そこかっ!」
霊夢が神社から空を蹴って急接近する。奏はさらに森の奥の方に逃げ込む。
「逃すもんか!」
霊夢の目は既に奏の位置を完全に捉えている。あっという間に再び空に舞い戻り、上空からの攻撃を開始する。木で見え隠れする奏を御札で追い詰める。
(人里の方向からかなりズレてる…でも、今は逃げるしかない…!)
後ろで次々と起こる爆発は気にしている余裕もない。奏は懸命に前へ前へと足を動かす。ついに森を抜けた。西陽の光に目を細める。
(ここから人里へ向かうか…?いや、その前に霊夢に追い付かれる…じゃあどうすれば…?)
奏が視線を前にやる。すると、開けた地面の先にまた森があることに気づいた。
(…また森?でも開けたところじゃ、絶対に霊夢には勝ち目はない…今はあそこに入るしかない!)
奏は意を決して目の前の森に飛び込んだ。
「おや、あの森は…」
霊夢はニヤリと笑った。
***
「ハアハア…ジメジメする…湿気が高いんだね…ここ…」
奏は泥まみれの水たまりに何度も足を突っ込んで転びそうになりながら、湿気からできる霧の中を走る。水たまりのほとりには紫色のキノコが揺れている。
(そういえば、霊夢は?)
奏が上を見上げる。霊夢がいない。あんなに執拗に追いかけた霊夢がいない。だんだん暗くなっていく空があるだけだ。
「…や、やった…やっと霊夢から逃げ切れたんだ!アハハハ!」
奏は疲れからか、地面の泥で汚れるのも気にせずへたり込む。
「これでやっとみんなの元に帰れ…帰れ?」
奏の思考がそこで止まる。
(帰るって…霊夢の力なしでどうやって帰るの?)
奏はどうしようもない現実を前に打ちのめされる。
(霊夢の力なしでは帰れない…でも協力してくれるとは到底思えない…!どうしよう…うっ!)
奏は激しく咳き込む。口を抑えた手をふと見て驚愕する。
(これは…血?!)
奏は吐血していた。ジャージの袖が血で黒く染まっていく。よく見ようと前屈みになった途端、力が抜けて突っ伏した。
「何の意味も無かったね」
急に奏の脳内に声が響いた。
(この声は…誰?いや、それとも─)
「奏の曲は誰一人として救えないよ」
「現実見ろよ、理想論者が」
「幻想郷での余生も悪くないよ」
幻聴が遠くから、近くから、さざ波の音のようにこだまして奏の心を蝕む。
(…これは幻覚?それとも…現実?)
奏は息絶え絶えになんとか前に進もうと手を伸ばす。ただ虚空を掴むだけだった。腕は再び地に落ちる。
(私の曲はみんなを救えてないのかな…それだったら…もう…)
奏の意識はゆっくりと消えかかっていた。視界がモノクロになる。そして、だんだん狭くなっていく。
(…暗い…何も見えない…もう絶望しかない…)
「…奏」
(この声は…まふゆ?)
「奏」
(これは…絵名?それとも…幻覚?)
「奏!」
(そうだ、私は─)
奏はガバッと起き上がる。目に光が戻る。視界にも色が戻る。
(…私はまだ終われない。…少なくとも、みんなが絶望から救いきるまでは。これは…私の義務なんだ!)
木の幹を支えに、なんとか立ち上がる。
(とりあえず、一旦この森を抜けよう。なんだか気分が悪いし…)
奏はゆっくりと、しかし確実に一歩一歩前へと進んでいった。
その数分後、霊夢が同じ場所にいた。しゃがんでキノコに付着した奏の血を調べている。
「血は新しい…。でも、この冷え方からしてここから移動してから既に数分は経ってるわね…」
一応、辺りを見渡す。少なくとも見える範囲には奏はいないようだ。
(奏…思っていたよりも早く、この『魔法の森』への耐性がつき始めたようね…忌々しい)
霊夢は思ったように事が運ばず、少しイライラしているのか頭を横に振る。
(魔法の森は本来なら森の化け物キノコの瘴気のせいで、人間だったら吸うだけで体調を崩し動けなくなり、幻覚を見る…この私ですら魔法の森の上空は飛ぶのを躊躇うくらいにね…それをたかが数分で克服するとは…!)
霊夢はひとしきり歯を食いしばったあと、奏の追跡を再開するために立ち上がる。
(まあ、いくら耐性がつき始めたとはいえ、恐らく極力避けるように動こうとするはず…となるとあそこかな)
奏の行き先に目星がついたのか、霊夢は小走りでどこかへと向かった。
***
奏はなんとか力を振り絞り、森の中でも少し開けたところに出た。そこにはぽつんと一軒家があった。
「『霧雨魔法店』…?魔理沙の家なの…かな?」
奏は家の看板に書かれた文字を読み上げる。家の周りには魔理沙が育てているのだろうか、様々な魔法植物が花開いていたり、枯れていたりしていた。
「…お邪魔します」
奏は家主は既にいないとわかっていながらも、そう挨拶すると扉をゆっくり開けて中に入った。そしてガチャンと扉を閉める。
(ごめんね)
いつ襲われるかわからないので、土足で玄関をあがる。そしてそのまま魔理沙の部屋兼研究室に駆け込んだ。
(なんとかしないと…!どうやったら霊夢を倒せる…?一体どうしたら…?)
奏は魔理沙の研究室を見渡す。窓は西の方向に取り付けられているだけで、一つしかない。部屋には北向きに机があり、その上では大量の魔導書、魔道具が散乱している。魔法薬か何かを作っているのだろうか、謎の緑色の気持ち悪い匂いのする液体が入った鍋が暖炉にかけられていた。
(この魔道具とか使えないかな?)
奏は藁にもすがる思いで机の上の魔道具に触れる。反応がまるでない。やはり魔法使いの魔力を持つ者でなければ扱えないようだ。
(私の能力は『音を消す程度の能力』…魔法使いの魔力とは無縁ってことか…)
魔道具をそっと机に戻す。そっと置いたつもりだったのだが、机の上には魔導書や資料が散乱していて、それが一気に崩れる。埃が舞って、奏はまた咳き込む。
(ケホッ、ケホッ…ハウスダスト…ん?)
奏が魔導書の崩れたところに何かあるのに気づいた。
(これは…!)
「てっきり、ここから空の上の方へへ一気に飛んで瘴気を避けると思ったのだけど…魔理沙の家に立て籠ったか。普通に入ったら、入る瞬間を狙って弾幕を撃ち込まれる…考えたわね、奏」
霊夢が森を抜けてゆっくりと魔理沙の家に近づく。そして、空へと浮き上がった。
「でも、この私がそんなことで攻撃を緩めるわけないでしょ」
御札を魔理沙の家めがけて放つ。
(これで、少しは…なんとか…!)
奏は暗く、狭いところを懸命にその小さな身体を使ってよじ登っている。その先の光る空間に向かって。
「魔理沙の家ごと消し炭にしてくれる!死にたくなかったら出てくることね!」
(つ、ついた!)
奏はついに光の空間の端を掴んだ。そしてぐいっと身体を乗り出す。そして空中の霊夢の目に映る。
「煙突…?!」
そう、奏は煙突を登っていたのだ。そして何かを四方八方に投げた。
「ふん…最後の悪あがきってわけね。届いてすらないけど」
霊夢が鼻で笑う。
「いや、これで十分」
そして奏は煙突の中に消えた。
「何っ?!」
次の瞬間、魔理沙の家の周りに植えていた魔法植物が燃え始めた。隣へ、また隣へと燃え広がっていく。そしてその炎は飛んでいる御札にも襲い掛かり、燃やし尽くした!
(そうか…魔理沙は外の世界のものを収集する癖があったわね…くっそお、これでは御札が効かない!)
霊夢は拳を握りしめる。
(まさか、魔理沙がマッチを持ってるとは…ふう、これで霊夢からの弾幕攻撃はかなり減る…反撃を…)
奏が暖炉から煤まみれになって転がり出てきた、その時だった。
「煙突から出てきたということは魔理沙の部屋か…それさえわかれば十分よ」
霊夢が北の方に回り込み、奏がいるであろう、魔理沙の部屋に向かって何かを打ち込む。
(また御札?無駄だとわかってるはずなのに…)
奏が窓から目を細めて見る。御札よりはかなり細い。炎の中に入って─そして、なんと炎を通り抜けた!
「な、馬鹿な!」
そのまま魔理沙の家にぶつかって、霊力が炸裂する。
「ぐっ!」
爆風に奏は煽られる。なんとか踏み止まり、落ちている霊夢の弾幕の残骸を見て驚く。
「…針?!」
霊夢が崩れていく壁の向こうから姿を現す。
「他人に私の手の内を全て明かすわけがないじゃない…特に外の世界の住民なんぞにはね」
魔理沙の部屋の北側の壁は完全に破壊された。応戦するしかない。奏は霊夢に向かって対峙し、シンセを出す。霊夢は針を再び構える。炎を通して見ているはずなのに、氷のように冷酷な霊夢の視線は奏をつんざく。
(…なんて人だ…もはや人が抱えていい闇じゃない…)
「いくわよ!」
霊夢が針を奏にめがけて投げつける。
(は、速い!なんとかして撃ち落とさないと…!)
奏も負けずにめちゃくちゃにシンセを弾いて弾幕を出して対抗する。
(下手な鉄砲数打ちゃ当たる!今は何も考えるな!今はただ─)
急に霊夢からの針が止まった。
(…え?止まった?今ので私の弾幕が当たったの?)
奏も弾幕を出すのをやめる。爆煙が晴れていく。そこにいたのは─
「陰陽玉?!」
空中から針で攻撃していたのは霊夢ではなかった。初めこそ霊夢自身で攻撃していたのだが、爆煙で煙ったタイミングを狙って陰陽玉と攻撃を入れ替わったのだ。
(じゃあ、霊夢は…?)
「神技『天覇風神脚』!」
霊夢が西から回り込み、飛び蹴りで窓から蹴破ってきた。窓ガラスが非情にも窓枠ごと粉砕し、部屋に散らばる。霊夢は飛び蹴りの勢いそのままに突っ込んでくる。奏はシンセを盾に構えようとしたが、あまりにも急すぎて間に合わない!
「ガハッ…!」
奏は肋骨の左部分にひどい蹴りをくらう。肋骨の何本かは折れてしまっただろう。そのまま奏の身体は東へとぶっ飛び、魔理沙の家の壁を次々と突き破って魔法の森まですっ転んでいった。
(強い…強すぎる…!)
奏は遠ざかっていく霊夢の姿を見ながらただそう思うことしかできなかった。
***
「今さら能力で音を消しても無駄よ、奏。諦めて、出てきなさい」
霊夢が部屋から飛び上がり、半壊した魔理沙の家の屋根に着地して高らかに言い放った。
(怖い…怖いよ、霊夢…人間を守るのが博麗の巫女じゃないの?)
奏は血が滴る口元を右手でぬぐい、左手でさっき蹴られた肋骨を抑えている。今は暗い木の根本に隠れていることしかできない。足の震えは止まらなくなっていた。
(このままじゃ、みんなにはもう…)
目の前が真っ暗になる。奏の頭を今までの記憶が走馬灯のように駆け巡る。
スポジョイパーク。フェニックスワンダーランド。ミステリーツアー。人形展。セカイ─
『お願い、あの子を見つけて』
脳内にニーゴミクの声が響いた。
『あいつを救ってやってくれ』
魔理沙の声も。
奏はハッと頭を上げた。目に映る世界が明るく輝き出していた。
なんとか今日中には後編も出します。出すと思います。出したい。出せなかったらごめんなさい。(n回目)