《 噛み合わなかった訳だ。『鍵』が子供の方だったとは 》
タゥトの耳元で声がした。
「えっ??」
――・・ パシリ! ・・
甲高い音と共に、自分の立っている所から、十字に火花が走った。
びっくりしている間もなく足下の地面が消えて
「ああっ、うわっ!」
タゥトは腕をひと掻きして、落っこちた。
落っこちたといっても一瞬で、次の瞬間には土の地面に尻餅付いて、尾てい骨を打った。
「痛ったぁ」
身を起こして驚いた。
さっきまでの夜闇と星は何処へ行ったのか、そこは明るい昼間だった。
しかも草の海の草原ではなく、赤土が踏み固められた、ヒトの気配のある何処かの村だった。
「ナユさん、どこ?」
一本道を歩いて来るヒトがいる。
しかしそれはナユタではなく、ボサボサの長い髪が広がる、痩せた若い男性だった。
何かのガラクタが詰まった大きな木箱をズルズルと引きずっている。
髪の色が水色がかっている。蒼の妖精?
まさかもしかしてここって蒼の里?
胸がドクンと波打った。
が、その男性はタゥトの方を見もせず、しかも近付いても姿がハッキリしない。
輪郭がぼやけてユラユラして、水鏡に映したようなのだ。
幻? 自分は夢を見ているのか?
タゥトは一生懸命ピントを合わせようとした。
《 ――見るな! 》
耳元でさっきの声。
振り向いたが誰もいない。
声は今度は反対の耳に移った。
《 時間が大分ずれている。波長を合わせてしまうと戻れなくなるぞ 》
「誰なのっ?」
辺りを見回そうとしたが、白い靄(もや)が急に立ち込めて、何も見えなくなった。
さっきの木箱のヒトも消えている。
今度は後ろにパタパタと足音がした。
ナユさん? 今のヒト?
振り向くと、そちらの靄が晴れて一人の子供が駆けて来る。
飴色の肌に、鮮やかなオレンジの瞳。
やはりぼやけているが、その女の子を見てまた胸が波打った。
ええっ!? この子って?
硬直している間に、子供は目の前まで迫った。草を丸めた球のような物を蹴っている。
ぶつかる! と思った瞬間、球も子供もタゥトを素通りして後ろに駆け抜けた。
笑い声がこだまみたいに遠ざかって行く。
彼女を追い掛けるように、また一人の大人が現れる。
今度のヒトはぼやけていても、タゥトにははっきり分かった。
「エノシラさん!」
ファーのお母さん。面影はハッキリしているが、ずっとずっと若い。
待って、ルウ! と遠くに聞こえて、彼女もタゥトを通り抜けて消えた。
陽炎みたいに靄が立ち込める中、タゥトはそっと聞いてみた。
「あれは西風の長さまの子供の頃の留学時代? ここは蒼の里? 時間のずれた過去の蒼の里?」
《 聡い、子供 》
さっきの声が答えてくれた。
《 では心を無にしてじっとしているのだ。もうじき時間軸が合う。さすれば元の場に戻る道筋も開けよう 》
「ホント? よかった、あの、貴方は誰?」
《 心を無にしろと言ったろう 》
それから時々靄が晴れては、色んなヒトや馬が通り過ぎたけれど、タゥトは耐えて突っ立っていた。
周囲の風景はスローモーションみたいにカクカク動いたり、急に流れるように速くなったりした。
ナユタやファーがどうなっているか気になったけれど、声の言い付けに従って何も考えないように努力した。
今度こそ、心を無にするのが難しくなった。
目の前に歩いて来た二人の男の子の片方が、飴色の肌のファーだった。
直感で、ファーの捜しているお兄さんだと思った。
輪郭の揺らめきも少なくなって、声もはっきりと聞こえる。
きっと時間が今現在に近付いているんだ。
――めっきり寒くなったなぁ。厩番さんに、お前ら大丈夫かって心配されちゃったよ。砂漠に帰る事、そろそろ考え始めなきゃ駄目かな――
――長殿は、日にちは僕らが決めればいいって仰っていたよ、レン――
――雪は見たいよな、カノン――
タゥトは背筋に電流が走った。
レンと呼ばれたファーの兄の横を歩く、青銀の髪の少年。
記憶が蘇る。
うんと小さい時、森で出逢った父様と同じ髪色のカノン!
あの時この子は父親に会いに来ていたんだ!
《 馬鹿者、行くな! 》
さっきの声が響いたが、最後の方が小さく遠去かった。
「あっ!」
タゥトは前のめりに転んだ。
「大丈夫?」
目の前に少年の顔。
砂漠の月の屋根で見つめた西風の長様と同じ、オレンジの瞳。
「君、どこから現れたの? 空から降って来たの?」
ずれた時間に飛び込んでしまった! これってどうなるの、引き返せないの!?
キョロキョロするタゥトに少年は手を差し伸べた。
青銀の前髪の下の斜めの傷痕までくっきりと見える。
「あれ? 何処かで会った?」
「うぅんっ」
タゥトは跳ね起きて、顔を隠すように背中を向けた。
「さっきのヒト? ねえ、さっきのヒト!?」
耳元の声はもう聞こえない。
あのヒトの声の届かない過去の時間に入り込んじゃったんだ!
「カノン、そいつ蒼の妖精じゃないぞ。怪しくないか?」
レンが胡散臭そうにねめつける。
「僕達だって蒼の妖精じゃないだろ。ね、君、誰かとはぐれたの? 一緒に捜そうか?」
「~~~~!!」
タゥトは、一生懸命一生懸命考えた。
目の前の少年達は、もうすぐ砂漠に帰ると言っていた。
自分が迷い込んでしまった場所は、多分彼らが留学した三年前の秋。
稲妻みたいに閃いた。
今なら防げるかもしれない!
この後何かが起こって、蒼の里がどうにかなって、彼らは帰り損ねるんだ。
自分の力で防げなくても、蒼の長とやらにその事を告げれば!
タゥトは意を決して振り向いた。
「あの、蒼の長さまに伝えたい事があるんです、急ぎなんです!」
「長様? えーと、カノン、長様は仕事?」
「今日は坂の上の執務室だと思うけれど?」
カノンは男の子をまじまじと見て、首を傾げた。
「んー、やっぱり、会った事がある気がする……」
タゥトは二人の脇をすり抜けて駆け出した。
坂の上、坂の上、とにかく登ればいいんだ!
角で馬桶に蹴つまづいた。
飼葉をぶちまけた方向に急な登り坂があり、その先に天啓のように石造りの立派な建物が見えた。きっとあれだ!
頭に割れ鐘みたいな声が響く。
《 馬鹿者! 過去に関わる奴があるか! 今なら道を開いてやれる、とっとと戻れ! 》
目の前の道が二手に別れた。
一つは今登っている赤土の上り坂、もう一つはさっきまで居た白い霞に埋もれた道だ。
「でも、でも、今なら蒼の里の運命を変える事が出来るんだよ!」
《 それで良いのか? 》
「どうして? 蒼の里が助かれば、あの子達も西風に帰れる。西風の長様もエノシラさんも悲しまなくて済む。良い事だらけじゃないか」
《 お前はどうする? 》
「僕?」
《 二人の少年が何事もなく帰れれば、アデルは飛ぶ練習を始めない、砂漠に倒れたお前を見付ける事はない。お前はそこで干からびて終わりだ 》
「え・・」
《過去に干渉するというのはそういう事だ 》
***
一瞬怯んだタゥトだが、それはほんの二、三歩で、すぐに躊躇なく登り坂への土を蹴った。
《 言った事が分からなかったのか。脅しではないぞ 》
「いいよ、いいんだ!」
《 愚か・も・・ 》
声はまた遠くなって、白い霞の道と共に後方に消えた。
いいんだ。それなら僕は、ファーやナユさんに会ってさえいない。
アデルにもエノシラさんにも、西風の長様にも知られずに砂漠で干からびる、ちっぽけな僕。
そのちっぽけだった筈の僕が、今こうして目標を得られて、精一杯駆けている。
だから、いいんだ!
坂上の建物に人影が見えた。
最初体格のいい男性がちょっと覗いて、次に扉が開いて長い法衣をまとった背の高い男性が出て来た。
ナユさんにそっくり、あのヒトだ!
「長様! 蒼の長様!」
タゥトはそのヒトの前に駆け込んで、両袖を掴んだ。
体格のいい男性が手を伸ばすのを制して、長は長い髪を揺らして子供の目線に屈んだ。
「タゥト? ソラの所の」
「えっ、えっ!?」
まさかこのヒトに名前を呼ばれるとは思っていなかった。
「いや違う? あの子はもっと小さかった筈……」
「とっとにかく!」
タゥトは混乱しそうな頭の中を、一旦端に押しやった。
「何かが起こるんです! 蒼の里を消してしまうような、何か大きな事件が。防いで下さい、蒼の長様なら出来るでしょ!」
いきなり子供にそんな事を言われたって……という顔を後ろの男性がして、長がはっと顔色を変えた瞬間、さっき落ちた時にも聞いた高音が響いた。
―――・・ パシリ!! ・・――
目がくらんだ。
長がタゥトの両手を振りほどいて、通りに飛び出した。
見上げる視線を追うと、さっき地面を裂いたのと同じ十字の火花が、今度は空に走っている。
火花が地平までじゅじゅっと広がったかと思うと、いきなり十字を中心に空全体がスパークした。
体格のいい男性がタゥトを庇うように覆い被さって来た。
その脇の下から、降って来る火花に向かって両手を掲げる、蒼の長のシルエット。
「父さま!」
細い素足が二人の真上を飛び越して、ザンバラ頭の女の子が長の右に、さっきの青銀の髪のカノンが左に駆け寄って、同じように両手を掲げた。
防げるのか、防げるのかこの三人に。
瞬く空の閃光が彼らのシルエットを飲み込んだ。タゥトに被さった男性が声にならない叫びを上げる。
それを最後に、タゥトの視界が消えた。