「あ・あ・あ」
凄い力で、後ろ向きに押し流される。白い靄の中、手は空を掻くが、掴まる物も地面もない。
さっき見たヒトや馬が、高速の逆回転で飛んで行く。
これが時間の歪みに引っ張られるって奴?
《 ち……届かぬ……か 》
耳元にさっきの声がしたが、途切れてしまった。
「ぼ、僕、やっぱり、戻れないの? 行き着く先は、あの砂漠で干からびる僕?」
もう何の返事もない。
蒼の里はどうなった、救われたのか?
あの子達は西風に帰れるのか? 誰も悲しまない未来を得られたのか?
「どうかそうなって、そうなって、僕は干からびて良いから、良いから……」
「良くな――いっっ!!」
聞きなれた金切り声がぼやけた脳に突き刺さる。
「良くないよくないヨクナーイ! あたしに黙って何やってんのよ、バカ!」
「ファー!?」
白い靄の遠くに、必死で手を差し出す女の子が見えた。
「手を伸ばして! 手を伸ばしなさ――い!」
自分が流されているのとファーのいる場所は、見えているのにまったく違うのが、タゥトには分かった。
多分あの手は掴めない。
「ファー、大丈夫だよ」
「何がよ!」
「この先はファーは僕に会っていない未来なんだ。だからファーは悲しくないよ」
女の子の目に光がよぎったかと思うと、今いる場所を蹴って、白い靄の中に身を踊らせた。
「ファー!?」
彼女は一瞬でタゥトの前まで来て手首を掴んだ。
「たとえ悲しくなくたって」
共に白い靄の中を落ちながら、ファーはタゥトの手をたぐって引き寄せ、刻むように言った。
「そんな未来、つまんないわ、きっと」
靄を引き裂いて、白い馬が飛び込んで来た。
蒼白な頬に髪を張り付かせたナユタが、馬上から力一杯身を乗り出す。
「だあぁーっ!」
青年の指がファーの腰帯を引っ掛けた。
二人分の体重がガクンと彼にかかる。
「うぅっ!」
「ナユさん!」
タゥトは慌てて、ファーを間に挟む形でナユタの腕に手を伸ばした。
「もうちょっ」
「ば、早ぐぅ・・あぅっ」
腰帯から指が外れた。二人はまた一気に流され
・・・・ いや!?
伸ばしたタゥトの手が別の手に捉えられていた。大人の男性の手。
ナユさんの手じゃない、よく知っている、見慣れた手……
次の瞬間、自分の重さも流れの圧力もフィッと消え、水に浮かぶように身体が自由になった。
そう、西風のあの月夜の屋根で長様に引っ張り上げられた時のように。
そう感じたのは数瞬で、手はいつの間にかナユタの手に繋ぎ直されていた。
タゥトはファーを抱えながら、必死に馬の首にしがみ着く。
草の馬は三人乗せているにも関わらず、脚にヒレでも付いているかのように、ひと掻きふた掻きで流れを軽々逆走した。
上方に十字の亀裂の光が近付き、そこを飛び越すと、一気に地上に躍り出る。
天の川が見え、草原が見え、天幕と焚き火の残り火が見えた。
白い馬は草原をなぎ倒して着地、子供二人は投げ出され、草原に三回転ほど転がって止まった。
(さっきの手の主は……)
キィンと耳鳴りが収まらないタゥトに、崩れるように下馬したナユタが這いずりながら近寄る。
「ぜぇ、タゥト、ファー、大丈、夫?……ぜぇぜぇ」
青年は半泣きで、口も頭も回っていない。
「ナユさんこそ大丈夫?」
「僕は何も……」
タゥトには長い時間だったのが、彼には瞬きの間だった。
タゥトが地割れに落っこちた直後、いきなりファーが走って来て、躊躇なく亀裂に飛び降りたのだ。
どうするのが最適かなんて、選んでいる暇はなかった。
目の前の馬に飛び乗って追い掛けただけだ。
「ファー?」
蒼白の女の子は固く目を閉じて、歯をガチガチ言わせている。
「待ってて、毛布!」
青年がまろぶように天幕に走った。
タゥトはファーを膝に抱えたまま、暗い草原を見やる。
蒼の里は無い。
自分が元の場所に戻ったという事は……
運命を、変えられなかったんだ……
「相変わらず情けない顔してるな!」
頭上で声がして、風を巻きながら何かが降りて来た。
姿を隠しているのではなく、褐色の肌に黒衣の馬装だからだ。
「ア、アデル?」
「干からび小僧、世界の中心は何処だった?」
***
漆黒の少年は、地上に着く前に馬からひらりと飛び降りた。
「ったく、おお寒っ! たっまんねえなあ、この寒さ。家出小僧どものお陰でこっちは偉いトバッチリだ」
「アディ…… 母さまに……頼まれて来たの……?」
ファーが震えながら薄く目を開けた。
「あ、あたし、まだ帰らない。まだお兄ちゃん見付けてない…… 蒼の里も見付けていないのよ……」
「何を見付けていないって!?」
腰に手を当てて半身でこちらを振り返る少年の後ろで、眩しい光が走り、空が十字に切り裂かれた。
驚愕して目を細める二人の前で、さっき飛び出して来た地面の亀裂から垂直の光が立ち上った。
空の十字からも光が伸び、地面からの光と繋がって、オーロラみたいに煌めく。
ナユタが子供達を後ろから毛布でくるみながら囁いた。
「きれいだねえ」
光が何度かまたたいて、やがて天と地の光の中間に『何か』が出現した。
信じられないけれど、建物やヒトのいる、広い広い集落だった。
タゥトがさっき駆け登った坂も見える。
と、見えたのは僅かの間で、すうぅっと光が小さくなり、嘘だったみたいに消えてしまった。
亀裂も何もない夜の草原だけが星明かりに残された。
ファーがタゥトの腕をぎゅっと握る。
「心配すんな、即座に結界を張っただけだろ。さすがあのヒト達は対応が早いな。お?」
アデルが今度は空を見上げる。
天の川を背に、三騎の馬影が舞う。
長い髪の蒼の長と、少年二人。
三騎が地上に降りるや、下馬した少年の一人にファーが飛び付いた。
「お、お兄ちゃん・・! お兄ちゃ・・お・・・」
少年達は三年前の風体のまま。
レン少年はいきなり三年分大きくなっている妹に目を白黒させ、もう一人の少年カノンも驚きを隠せない表情で、時間のズレた顔見知り達を凝視している。
蒼の長は先程とまったく同じ服装で、ナユタを見て目を細め、それからタゥトの前に立ち、屈んで両手を取った。
「タゥト、貴方には感謝してもしきれません」
「ぼ、僕? 僕が、役に、立ったん……ですか?」
「ええ、貴方がいたから、蒼の里はここに戻って来られたのですよ」
「?・?・?」
「長さま~~」
見ると、レンの腕の中でファーがグニャグニャに崩折れている。
大きくなった妹に慣れていない兄は、どこを触っていいのか分からなくてパニック状態だ。
四人が招き入れられた里の中も、さっきのまんまだった。
引っくり返した角の馬桶を、厩番が片付けている。
何を話すよりまずはファーの手当てだと、蒼の長の住居の大きな暖炉の前へ通され、そこで待つように言われた。
室内には、メラメラ燃える暖炉の前でやっと頬に赤見が戻ったファー、心配そうに彼女の手を握るタゥト、物珍しげに見回すナユタ、仏頂面であぐらをかくアデル、の四人。
「あの、アデル」
タゥトがおずおず切り出した。
「ああ? まぁ、聞きたい事は山積みだろうな。知っている事は答えてやるが、俺だってミンナ分かっている訳じゃない。それは初めに言っとく」
「う、うん」
「で、何だ?」
「えと…… 僕達、本当に役に立ったの?」
「さっきナーガ長が言っただろうが。僕達じゃなくて、主にお前、な」
「えぇ……でも、えっと、声がね、耳元でした声が、蒼の里の運命を変えたらお前は砂漠で干からびるって言ったんだ」
「へぇ?」
アデルは分かっていない顔をした。本当に全部は知らないみたいだ。
「じゃ、じゃあ、その声のヒト、誰だか分かる?」
タゥトは靄の中で自分を導いてくれた声の話をした。
「ああそれ、多分、オッサンだな。名前は知らない」
「誰?」
「だからオッサン」
「どういうヒト?」
「知らないよ、聞いた事ないもん。聞かないだろ普通。本人に向かって貴方どういうヒト? とか。まあ多分、蒼の妖精の関係者で歳長けたヒトだとは思う。俺らと一緒にずうっと蒼の里を捜してた」
「え……」
「何だよ、動いていたのは自分らだけだと思っていたのか?」
「…………」
アデルはシュンとなってしまったタゥトを見つめて、小さく息を吐いた。
「まぁ俺も大した事はしていないよ。大いに役に立っていたのはシア姉(ねえ)の遠見(とおみ)で、俺はそれを伝える伝書鳩役をやっていただけだ」
「お姉ちゃんと…‥ 僕、何も聞いていない」
「そりゃお前が家出した後から始めた事だからよ。いちいちスネるな、面倒くさい」
「あっ、うん、ごめん」
素直に謝るタゥトに、アデルはほぉ、という顔をした。
「俺だってたまたまだよ。たまたま、今回オッサンと一緒に蒼の里捜しをやっていた一人が、前からのダチだったんだ」
「ダチ?」
「うん、三年ぐらい前、三日月湖の森で会ったハグレの蒼の妖精。イバラに絡まってジタバタしていたのを助けてやったら、お礼に飛行術……馬での飛び方を教えてくれた。………おっと」
アデルはファーを覗き見て、眠っているのを確認した。
「こいつにナイショな。俺は最初から草の馬・・ああ、なんかそのダチが、自分の馬の他に主無しの草の馬も連れててさ、『夏草色の馬』っていうんだけど・・そいつを借りて飛ぶ練習した訳。コツさえ掴めればすぐに自分の馬でも飛べるようになった」
「ファーに聞いてたのと違う」
「だってこいつ、そういうのにウルサイじゃん。部族ごとの馬とかに妙に拘ってて。そんなのどうでもいいのにさ。まぁ、実は俺よりこいつの方が相当凄いんだぜ。西風の馬だけで練習してあそこまで飛べるようになったんだから。悔しいから本人には言わないけれど」
「……」
「んで、何だっけ」
「忘れちゃった、いいよ、もう」
膝を抱えて目を閉じると、今までの疲れにドッと押し寄せて来た。
暖炉の暖かさの中に疲労感を投げ出すと、もう目が開かないでうつらうつらし始める。
自分の知らない所で、蒼の妖精の凄そうなヒトとか、アデルとかシアとか夏草色の馬とか、色々動いていたんだなぁ。
最後の最後に助けてくれた手はあのヒトだったし。
子供の遊びみたいな旅だったんだな、僕ら。
でも、蒼の里は戻ったんだ、充足している、楽しかった、良かった、安心だ…………