西風の里を出てすぐ傍らの、太古の神殿跡。午後に同盟式が行われる予定の場所だ。
いつの時代に誰によって造られたのかも不明の、荘厳だったであろう建物の一部。
長年砂に洗われているのに奇跡的に残ったモザイク模様の床の上、ナーガが空を見上げて声を弾ませた。
「ああ、ドンピシャのタイミングです。さすがはハトゥン!」
釣られてルウとエノシラも、同じ方向を見上げる。
「??」
上空から降りて来るのは、ナーガが飛行術を掛けた彼の馬で、鞍上は漆黒のハトゥンだ。
そして鞍の後ろに、何か大荷物?
その巻いた絨毯みたいな荷物が、遠目にぴくぴく動いているのが分かる。
「あらあら、『抵抗したら簀(す)巻きにして運んでくればいいんです』とは言いましたが、まさか本当にやっちゃうとは」
ナーガの言葉に、勘のいいルウシェルが、衣装の裾をたくし上げて飛び退(すさ)った。
「き、貴様! 何て事を……!」
「はい、何てコトを、やっちゃいました。殴っていいですよ、でも後にしてください。何てったって、今の西風があるのは、海霧の預言者殿の助力なくしては有り得ません。砂の民との同盟式に、海霧の代表者に同席頂くのは、至極自然な流れかと」
歯をギリギリ言わせるルウの肩に、エノシラが後ろから両手を置いた。
「ルウ、こうなったら腹を括りましょう」
「エノシラもグルか!」
「いえ、でも、ナーガ様に手紙を頂いていて」
「はあっ?」
「ルウを目一杯きれいにおめかしさせて、一番重くて動きにくい衣装を着せて置くようにと」
「なんだよっ、それっ!」
「ごめんなさい。最初は意味が分からなかったけれど、さっきハトゥンさんが草の馬を借りた話を聞いて、何となく流れが読めちゃいました。ストレートにそのままでしたね」
「~~~~!!」
言っている間に、馬はもう真上だ。ルウはとにかくこの場を逃れようと焦ったが、案の定、長い裾に足を絡ませてつんのめった。
その隙を突いて、彼女に飛び付いた者達がいる。
「!!??」
なんと元老院の老人達が、捻じれ松の頑固な根っこのように、彼女を囲んでしがみ付いているのだ。
「ど、どこから湧いて出た?」
「そこの柱の影にしゃがんでおりました。蒼の長殿は腰痛持ちの年寄りに無茶ぶりをしなさる」
「ナーガ~~」
ナーガは黙ってにこにこと、老人達に黙礼をしている。
「逃げるのなら逃げなされ。このか弱き老人どもを引っぺがして突き倒す所業がお出来になるのなら」
「どの口が言うか、卑怯者」
何とか抜け出そうともがくが、本当に身動きが取れない。
連日の徹夜仕事でヘトヘトな上に、衣装の裾も踏んづけられているのだ。
まさか、徹夜仕事をねちねちと小出しにしていたのも、これを狙っていたのか!
「我が娘は往生際が悪いな」
ハトゥンが地獄の使者みたいな有り様で降下して来て、老人達に絡め取られたルウの前、屋根ほどの高さの空中で停止した。
鞍の後ろにはぐるぐる巻きの荷物。頭からムシロを被され、太い荒縄で隙間なくビッチリ縛られている。
「同盟式に同席って恰好じゃないだろぉお――っ!」
「知らぬわ。この俺様が今日という日まで大人しく我慢していた方を奇跡と思え」
そう言って、息も絶え絶えにピクピク動いている荷物を片手で軽々放り上げ、縄を掴んでブンブン振り回し始めた。
「耳に粘土を詰めて目隠しさるぐつわ。自分が今どこでどうなっているか、いやもう、上も下も分からんだろうな。鮫の巣に放り込まれるか、大蟻塚のど真ん中か、どちらがいい? って聞いてやったから、恐怖で発狂寸前かもしれん。こいつはそれだけの目に遭う所業をやらかしたんだ」
「父者、お、降ろして、早く降ろしてほどいてやって」
ルウは動きを封じられたまま、父に懇願した。
しかしハトゥンは、光のない黒い瞳で娘を見下ろすばかり。
「お前はこいつの顔も見たくないのだろう? 今更こいつがどうなったって知ったこっちゃないだろ。だが俺は治まらねぇ。俺様の大切な大切な娘をどんな目に遭わせたと思っていやがる!」
段々に声が大きくなって、ハトゥンは鬼の形相で、ムシロを頭上高く振り上げ、地上に向けて投げ付けた。
「ソ、ソラァ――!!」
ルウは少女みたいに叫んだ。
狂ったように老人達を振り払い、衣装を思い切りまくり上げて、地面に落ちる寸前のムシロの頭に飛び付いた。
瞬間、頭の中がフラッシュして、周りがスローモーションになる。
「私はどんな目にも遭っていない。ソラが生きていてくれただけで、他の事なんか、何でもどうでもよかったんだ。顔なんか見たいに決まっているだろ。私には、生涯どうしたってソラしかいないんだから!」
「うあぁあ!」
離れた所から声がして、何もない空間から、二人の人影が転がり出た。
赤いバンダナの少年レンと、もう一人? ・・青銀の髪のソラ?? ・・え!?
「大丈夫ですか、レン」
ナーガが、右手をゆっくり降ろしながらそちらを見た。
彼の前では空間がシャボン玉みたいに揺らめき、振り払われた老人達が、ふわふわトンと地面に降りた所だ。
ムシロを抱いて地面に叩き付けられた筈のルウも、衝撃を受けていない。
ナーガの起こした風が、一瞬で重力の緩い空間を作り上げたのだ。
しかしルウの瞳は、周囲のその他の物は何も映していなかった。
「ソ・・ソラ・・」
レンと一緒に転がる、口を半開きにした蒼白な男性。
十数年ぶりに見る顔は、年月分の皺があるが、ちっとも変わっていなかった。
違うとしたら目の周りの真新しい青いアザ。
じゃ、こちらのムシロは?
「ちゃんと支えていてあげろって言ったろ、レン」
懐のムシロの中から、自力で縄を切って巻き毛の頭が出て来た。
ルウが思わず飛び退いて、縄を解く途中だったシドは地面にゴンと落とされる。
「いだだっ・・ぁお! ルウ様っ、スカートスカート!」
「えっ、うああっ」
シドに指摘され、ヘソから下が思い切りあらわになっていたルウは、今更真っ赤になってうずくまった。
「だって父さん、ソラさんが急に前に駆け出すから」
レン少年の手の中には、さっきナーガが持っていたのと同じ、姿を隠す飛びトカゲのなめし皮があった。
その少年の手をエノシラが引っ張って、離れた壁際でちゃっかり見物を決め込んでいるナーガとハトゥンの所まで連れて行った。
「さすがはハトゥンですね。あの『本当にやっちゃうかも感』は、貴方でないと出せません」
「俺はマジで、あいつを簀巻きにしてギッタンギッタンにしてやりたかったんだ。でもシドが乱入して来て、それだけは勘弁してやってくれって膝にすがって懇願するから」
「それ、言わないでって頼んだじゃないですか。ああクラクラする、あんなに思いっきり振り回さなくても」
身代わりで簀巻き役を請け負っていたシドが、縄を振り落としながら、遅れて歩いて行った。
老人達もそちらへ引き揚げて来る。
「久し振りに長殿の黄色い悲鳴を聞いて、若返りましたぞぃ」
遺跡の丸い床にポツネンと残された二人。
ルウは茫然と尻もちを付いたまま。
ソラは前のめりに転んで四つ這いのまま。
互いに目を見開いて、ただただ見つめ合っている。
「その青タン・・父者か」
ルウがやっと口を開いた。
「会った瞬間喰らいました・・」
ソラがかすれた声で返した。
「あのテンポじゃ、会話が進展するのに三日ぐらいかかっちゃうよ」
レンが呑気に両手を頭の後ろで組む横を、いきなり何かがドタドタと駆け抜けた。
「ファー、こっちこっち」
「タゥト! 待ちなさい、こら」
「てめえら、待ちやがれ!」
「あ、あ、そっち行っちゃ駄目、貴方達」
エノシラの声にお構いなしに、タゥト、ファー、アデルの三人は、石のように固まっているルウとソラの側まで駆けて、周りをぐるぐると回った。
しかしエノシラは、彼らが、さっきは持っていなかった荷物をそれぞれに抱えているのに気付いた。あれは、何?