タゥトは青年の造った吹き口をもう一度つくづく眺めた。
「こんなに細工が上手いのに落ちこぼれだなんて信じられない」
「うん、そういう小細工とか、楽器の本体を作ったり音階を整えたりは得意だし、お師匠さんも誉めてくれる」
「ふうん、じゃあ、何がダメなの?」
聞いてしまってから、タゥトはしまったと思った。青年が一気に暗い顔になってしまったからだ。
「ご、ごめん」
「いや、いいんだよ、そうだよね、おかしいよね」
「おかしくなんかないよ」
「おかしいよ。何で、何がダメなのか、何で皆と同じに出来ないのか、全然分からないんだ」
青年は変わらず静かな口調だが、心の中にやまない雨が降り続いているのが伝わって来る。
「お師匠さんは教えてくれないの?」
「お師匠さんは……」
青年は、もう一度焚き火に木屑をパラパラくべた。
小さい火が、ポッポッと燃えて落ちていく。
「僕の音は風露の音じゃないって言うんだ」
真ん中の薪が燃え尽きて、焚き火がガラリと崩れた。
青年は手を伸ばして残りの薪を立て掛ける。
「音合わせしていてね、僕の音だけ違う。音程は合っているのに、皆の音と奏で合わない。僕の音だけひとつフラフラと浮いてしまうんだ」
タゥトは言葉を出せなかった。
慰めたいけれど専門的過ぎて、何て言っていいのかさっぱり浮かばない。
「あの」
黙っていたファーが声を上げた。
「ファーは笛の曲を覚えたいわ。簡単なのを一曲吹いて下さいませんか」
タゥトはホッとして、心の中でファーに拍手を鳴らした。
きっと彼女らしく気を使って、話題を変えようとしてくれたんだ。
「そうだね」
青年も表情を和らげて、笛を受け取って立ち上がり、子供用の吹き口を外した。
「じゃあ、短い小夜曲(セレナーデ)を」
形の良い唇が笛に当たると、風ひとつない谷の、木も花も空気も一斉に震え出した。
「ナユタの笛じゃのう」
谷を伝って聞こえて来た笛の音に、ラゥ老師は顔を上げた。
尖塔の中で一番高い、風露の音を統べる最高位の老師の塔。
石造りのそこに、今は複数の者が集っている。
「本当に申し訳ありません。いつもいつもご迷惑をお掛けしているのに、この上規則破りなんて」
下座で頭を下げるのは、多分ナユタの母親で、息子と同じに美しい。
「頭をお上げ下さい。彼はもう親元を離れた身。責があるとしたら師匠である私ですわ」
母親の肩に手を置いたのは、昼間ナユタに音合わせを止めさせた三弦の師匠だ。
「しかしあの音」
向かいに座す笛職人の老人が言葉を詰まらせてそのまま黙り、そこに集った七名の各楽器の長達、皆一様に遠い笛の音に吸い寄せられている。
(風露の音ではない。優れている劣っているという次元でもない。大元の何かを違(たが)える、異質な音だ。我々の知る範疇ではない。強いて言えば…………)
「貴方の音」
曲が終わって暫くしてから、ファーがぽつっと言った。
「ファーは好きです、貴方の音」
「うん、僕も好き! 昼間聞いたオトアワセも綺麗だったけれど、お兄さんの音の方が何倍も好きになったよ」
二人に言われて青年は、風露草色の目を震わせた。
再び、尖塔のラウ老師の工房。
「さて」
老師は立って大窓へ歩き、外に立つ者を見やった。
少し前に来たその来客は、笛の音のする方をじっと見据え、曲の最後に懐から小さな口琴(こうきん)を取り出して咥えた。
―― コ ォ ォ ン
部屋に控えていた職人長達はハッと顔を上げた。
竹製の簡素な楽器から弾かれたとは思えない深い音。
だが風露の音ではない。
そして風露の職人だからこそ気付く、
その音が先程の音色に当たり前のように溶け合った事。
「やはり連れて行きなさるか」
老師の問い掛けに来客は、緋色の片羽根を揺らして振り向いた。
傍らには白濁した白蓬色の馬。
ナユタの母親が、慌てて窓辺に駆け寄った。
「あの子は風露の者です。あの方もそうおっしゃいました」
外の世界に疎い風露の民だが、さすがに蒼の里が消えた事象の重さは分かっている。
この片羽根の子供が、それに関して某(なにがし)かの行動を取ろうとしている事も、危険であろう行き先も。
老師は母親の肩に手を置いた。
「そうじゃ、風露の民じゃ。だがやはりあの方の血も引いておろう。皆も薄々気付いておるだろう」
集った職人長達は、老師の言葉に口を結んで黙った。
皆それぞれにナユタを預かった経験があり、扱いあぐねて教鞭を下ろしていた。
あの子の音は、風露の音色とは奏で合わない。だからって駄目だという訳ではないのだ。
ただ合わない、異質。もしかしたら自分達の知っている範疇には居ないだけなのかもしれない。
緋色の片羽根の子供は、窓辺の面々を見て睫毛をしばたき、一瞬、礼(?)のような仕草をして、愛馬を引き寄せ跨がった。
室内の者も誰からともなく礼をする。
ヒュォッと風を起こして、白い馬が夜空に舞い上がる。
同時に山側からもう一頭、大きな草の馬が、飛び上がって宙返りをしながら合流した。そちらはカラ馬かと思ったが、よく見ると黒衣の騎手を乗せている。
「もう一人いたんですね。随分とヤンチャな馬だ」
一番若い職人長が窓から首を伸ばしてのどかに言った。
ある程度の年配の長達は、見覚えのある馬の動きに、目を見開いて固まっている。
「老師様、あれはまさか、亡くなったツバクロ様の夏草色の馬? 乗っていたのは子供のようでしたが?」
「うむ、そっくりであったな。主を変えて生き永らえておったとは、流石あのお方の馬じゃ」
老師は懐かしげに目をしばたいた。
***
夜露に光る風露草に覆われる谷。
洞穴で焚き火に照らされる三人。
「君達なら、すぐに吹けるように…… ??」
青年が言葉を止めたのは、笛を返そうとした彼の右手を、女の子の両手がガッシリ握って来たからだ。
「ど、どうしたの?」
「ファー?」
「一緒に来て下さい!!」
青年もタゥトも、怪訝な顔で女の子を見た。
「一緒に来て、蒼の里を探して下さい!」
「……」
「ファー??」
「タゥト、このヒトが蒼の長様の息子さんだよ。ナーガ様には二、三度しか会った事がないけれど、さっき暗闇から現れた時、びっくりして心臓が口から飛び出そうになった。ホンットに瓜二つなんだもの」
「えっ、そうなの、お兄さん?」
青年は何だか悲しげに眉を寄せて、息を吐いた。
「ごめんね。笛が気になったのは確かなんだけれど、それより君達の事が気になって。もしも君達みたいな子供までもが蒼の里探しをしていて、僕を訪ねてこんな山深くまで来ているんなら……」
「ホ、ホント? ホントに?」
言葉の途中でタゥトが飛び上がった。
「じゃあ僕達の為に、規則を破って会いに来てくれたの? だったら、早く言ってくれれば」
「いや…… 無駄だから諦めて帰るように、って言いに来たんだよ」
青年は無機な声でつらつら喋り、子供二人は固まった。
「蒼の長の息子っていってもね、僕はそちらの方の資質は何一つ受け継いでいない。風露の血の方を色濃く引いているからね。父もそのつもりで、風の妖精の事も里の事も、何も教えてくれなかった。知識としては、他の風露の民と同程度しか持っていない。
蒼の里が行方知れずになってから、色んな人が訪ねて来るけれど、肩を落として帰らせるばかりだった。僕は風露の民だし、行った事もない蒼の里の事なんて分かりようがない」
「……」
「君達が子供だけで山中で野宿なんて危ない事をやっているから、ちゃんと言ってあげなくちゃと思って。そんなに期待するような価値なんて僕には無いんだよ、早く家にお帰りよって」
タゥトはガッカリで力が抜けた。
確かに自分達は手掛かりを求めて、蒼の長の直縁の息子を訪ねて、昼間に風露の関まで行った。けんもほろろに追い帰されてしまったけれど。
それでもこうやってこっそり訪ねてくれたって事は、きっと何か教えてくれるんだと、一瞬凄く期待したのに。
「価値は、あります」
ファーは、握った両手をまだ離していない。
「どうして自分は何も出来ないなんて決め付けてしまうの? あんなに綺麗な笛を吹けるヒトが価値が無いなんてあり得ないわ」
「あんなの、風露の者なら子供にだって吹けるよ」
「聞いて下さい、蒼の長には、同じ血を持つ者と引き合う強い力があるって」
「僕には無理なんだってば、諦めて」
「お兄ちゃんを諦められる訳ない!」
ファーがヒステリックに叫んで青年が困惑顔になったので、タゥトがそっと説明をした。
「この子のお兄さんが、蒼の里に留学したまま行方不明なんだ」
「そう……」
青年は悲しそうな顔をして、白くなったファーの指をゆっくりとはがした。
「そりゃ、僕に何とかしてやる力があればしてあげたいけれど、無いんだよ、何の力も」
いきなり、背後にいた馬が甲高くいなないた。
――ザザザザ!!
――!!?
振り返る間もなく、タゥトは乱暴に地面にねじ伏せられた。
「馬を! 馬に何すんのよ! きゃあ――!」
「ファー!?」
複数の荒々しい靴音、怒声、何かがぶつかる音、青年の呻き声・・!
「ファー、ファー!」
程なく、がんじがらめに縛られた女の子が横に転がされた。
「くそ! このアマ噛み付きやがった」
「そっちの男のガキも縛っとけ。馬はどうした?」
「スマン、逃がしちまった」
タゥトを押さえ付けていた男が、子供の細い手足をベルトで縛りあげた。
「しかし、イィ話が聞けたぜ。蒼の長の息子は何の力もねぇだと?」
「おぉよ、しかもこうやって目の前にのこのこ現れてくれた。俺達ゃ何て幸運なんだ」
縛られた痛みと恐怖で頭が追い付かない。鼓動で胸が破裂しそうで身体が縮み上がる。
パニクっているタゥトに、ファーの縛られた肘が触れた。
馬を庇って暴れたんだろうか、酷く擦りむいて、血の感触がペッタリとした。
自分が怪我をした訳でもないのに胸が締め付けられた。
それでサァッと冷静になった。あてになる物なんかない、自分が何とかしなくちゃ。