だがそれでも、曇っていく。
□ □
「…お前が、啼鳥兜か。随分と普通な見た目なんだな。」
「そうだよ、ウォールナット。俺としても、まさか天才ハッカーが少女だとは思わなかった。」
クルミは兜を見上げ、兜はクルミを見下げる。
異質。そして異常。クルミが抱く感情は、ただそれだけ。それ以外に何かを抱く事は無かった。
「僕の事を知ってるのか。」
「そりゃあ、有名だからな。まぁ、姿は知らなかったが。」
「…なら、どうして僕がウォールナットだと分かった。」
「簡単だ。声だよ、声。」
簡単に言ってみせる兜に、クルミは思わず顔を顰めた。
声で判断する? 何を馬鹿げた事を。何を巫山戯た事を。簡単に、平然に言ってみせたが、その判断が、その力がどれだけおかしいのか。
ウォールナットとしては、ボイスチェンジャーを使用し、男の声で喋っていたのだ。なのに、兜はそれを声で判断した。それが何を意味するのか?
それは即ち、『声が変わっていたにも関わらず、ボイスチェンジャーを使用した音越しであるにも関わらず、その変化した声が変化したものであると理解した』という事であり、こうして対面する前からウォールナットが男性ではなく女性であるという事を知っていたという事だ。
凄技なんてレベルではない。もはや超能力に位置するレベルの技術だ。
どんな耳の構造をすれば、そんな事が出来るのか。
クルミはこうして、改めて啼鳥兜という人間の異常性を認識した。
「…まぁ、それよりも。久しぶりだな、井ノ上。元気か?」
兜は、クルミに向けていた目線と頭をたきなへと向き変えて、たきなへと話し掛ける。
「はい。お久しぶりです、兜さん。」
「律儀なのは変わらずか。結構な事だ。リコリコには慣れたか?」
「…まだ数日しか経っていないので、何とも言えません。そもそも、私は本部に復帰」
したい、そう言おうとした時、たきなの唇に人差し指が添えられ、それ以上は喋る事が出来なかった。
誰の指か? そんなの簡単。兜の指だ。
「あー、みなまで言うなよ、井ノ上。お前がそう思ってることぐらい分かってる。でもまぁ、俺としては減点的生き方だよ、それ。」
唇から指を離し、そして額の方へと手を上げて、
「だからデコピン食らわせてやる。」
ぱちん、と。それなりに力を込めた、それなりの威力があるデコピンをたきなへと食らわせた。
あぐっ、とかわいい声で小さな呻きを上げて、たきなは額を抑える。
「時間が限られてる俺からすれば、お前の生き方は勿体無い。もっと気楽に、そして楽しめよ、自分の人生を。リコリスだからどうとか、任務には必要が無いとか、そういう理屈は必要無いんだよ。千束を見習え。千束の強さじゃなくて、千束の“人間っぽさ”をだ。」
お洒落をするのも良い。千束と遊びに行くのも良い。
一緒にご飯を食べるのも良い。一緒に服を買いに行くのも良い。
笑えば良い。楽しめば良い。偶には泣いても良い。悩みを打ち明けても良い。誰かがそれを責める訳でもないのだから。
折角、女の子として生まれたんだから。折角、人間として生まれたんだから。折角―――“生きる時間が長いんだから”。
だから、気楽に生きれば良い。
「仕事が無い時ぐらい、戦わなくて良い時ぐらい、気を緩めていればいい。じゃないと、俺みたいに早く死ぬぞ?」
言葉の重みが、違う。
説得か、それとも説教か。どちらにしたって、言葉が重たい。
空気が、沈む――
「ちょいちょーい! 兜が言うと冗談に聞こえないから! ほら空気が重くなってるじゃんか!」
「ん? 俺そんな重たい言葉使ったか?」
「使ったわバリバリ使っとるわ! 生きる時間が短いとか俺みたいに早く死ぬぞ、とかめちちゃくちゃ重たいじゃん!?」
「あー…そっか。確かに重たい言葉だな。まぁでも、間違いではないからな。」
「だーかーらー!?」
方や不思議そうな顔をする青年。方や頬を膨らませる少女。そんな二人のやり取りが、その空気を軽いものにした。和ませた、とも言える。
(よく言った千束!)
酔いどれ店員「ミズキ」が心の中でガッツポーズを取ってみせた。
はっきり言おう。ミズキは兜の事がかなり苦手である。
顔は良い。スタイルも良い。それは確かだとミズキも認めてはいる。だが、その性格が問題なのだ。
兜の性格は、良いか悪いかで言えば良い方だが、その生き方故に天然じみているしジョークが重たいのだ。所謂、ブラックジョークなのだ。
しかし本人には、そんな自覚が無い。その結果、生み出されるのは気不味い空気のみであり和やかな空気も楽しい空気も生み出されない。
故に! ミズキは兜の事が苦手なのである。嫌いではないが、しかし苦手である。
だからこそ千束には感謝した。空気を和ませてくれたから!
「まぁ、それはそれとしてだ。せっかく来たのだし注文したいんだが、良いか?」
「流すなし…まぁ良いけどー。」
死ぬ事は分かっている。でも、だからこそ楽しまなければならないのだ。
そうしなければ、損な人生になるばかりだから。
だから、兜も笑う。少し不機嫌な千束の頭をくしゃりと撫でて、笑うのだ。
□ □
静かな寝息が、リコリコに響いている。
倒れるように眠っているのは、遊び疲れた千束でも、酔いどれたミズキでも、またや普通に疲れたたきなでもクルミでもなく、活動時間の限界を迎えて気絶するように意識がシャットアウトしてしまった兜である。
二時間という短い活動時間。啼鳥兜という人間が起きていられる制限時間が過ぎ、兜は倒れた。眠っているのであって、死んでいるという訳ではないが、しかし寝息は、耳をよく近付けないと聞こえない程に小さなものだ。
そんな寝息では、傍から見れば死人、屍と見間違えられようとも仕方ない。
「…寝る時も、笑ってれば良いのに。」
カウンターに座ったまま、眠る兜の方を見て千束が呟く。
かわいいという訳でも、苦しそうという訳でも、幸せそうという訳でもない、ただの無表情で兜は眠っている。
それが、不安を煽るのだ。兜が、今日此処で―――死んでしまうのではないか、と。嫌に心を荒らすのだ。
ミカやミズキといった面々も例外ではないが、千束の場合は彼らよりも酷く不安になる。
何故?
千束こそが、兜をそうした元凶なのだから。他人の時間を奪う事が嫌いなのに、彼の時間を奪ってしまったのだから。
彼の死とは、即ち錦木千束に殺人という結果を与える事に繋がる。不殺を主義とする彼女に、殺生を与える結果となるのだ。
「怖いよ、兜。自分が死ぬことよりも、私は貴方が死んじゃう事のが怖い。」
立ち上がり、眠る兜の方に近寄って、千束は語り掛ける。
勿論、答えは返ってこない。
「気にしちゃうよ。気にしないで良いって言ってくれるけど、私のお陰で喋れて、立てるようになったって言ってくれるけど、それでも私はやっぱり気にしちゃう。
だって―――そうなっちゃった原因も、私なんだもん。」
悲しいように、声を震わせて、千束が言う。
答えは、返ってこない。
「楽しんでほしいよ。生きてて好かったって思ってほしいよ。でも、やっぱり辛い。私は、そうする事で兜をこんな風にしちゃった罪から逃げてるみたいで、辛い。」
兜を介護した。兜の世話をした。
兜の話をした。兜の遊んだ事もあった。
兜との思い出も沢山ある。いや、思い出の殆どには兜が居る。
でも、だからこそ。千束は心が苦しいのだ。心が辛いのだ。
罪滅ぼしが、兜への責任から逃れているような気がしてしまうから。
贖罪が、兜の生きる時間を狭めた罪から逃れる為のものであるように思ってしまうから。
押し潰されそうになって、そして苦しくなる。辛くなる。そして千束は、そんな自分が、嫌になる。
「私は…どうすれば良いんだろう」
独り言を、吐き捨てる。
答えは
「―――今まで通りで、良い」
返ってきた。
え、と小さく零す。
瞼は降ろされたまま。体制は変わっていない。だが、言葉が返ってきた。
「お前は俺から逃げてない。俺の罪から目を背けてない。お前は、俺と向き合って、真正面から俺の為に様々な事をしてくれた。それが、自分の犯した罪に目を向けて、取り組んだ事でないなら何だ。
「自分を押し潰すな。お前の意思が伝わってる俺が保証してやる。お前が時間を与えてくれたと断言出来る俺が言ってやる。お前は、逃げてなんかいないんだよ。苦しみながらも、辛いながらも、俺に向き合ってくれてるって事だろ…それは。
「それに、お互い様だ。お前が俺の死を怖がるように、俺もお前の死が怖い。
「俺たちは似た者同士だ。だから、気にするなよ。一人で気負うなよ。…一生は無理だが、出来る限り、一緒に……いる…か…ら…」
そこで、兜の言葉は途切れた。
声にならない声が上がり、千束は意識が途切た兜に抱き着いた。
まだ、体は暖かい。
泣いても、それは変わらない。