渡世は鬼ばかりの現代終末記〜食べられて天使になった俺、終わりゆく現代世界に光あれと呟く〜   作:飴玉鉛

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第一章「天使になったヒト」
01,メシアの生れた日


 

 

 

 

 

 

 変身願望。

 

 代わり映えのしない生活を送り、自らの置かれた環境に不満を持ち、自身の意思で現状を打破することができない者は、えてして『こことは違う環境で、違う自分として生きたい』と思うようになりやすい。それが俗に変身願望と言われるものだと俺は考えている。

 

 俺にも変身願望があった。

 

 毎日毎日仕事、仕事、仕事。加齢による体力の衰えに伴い、趣味に打ち込む情熱が色褪せ、ダラダラと余暇を浪費してまた仕事に出向く日々。

 友人なんてリアルで会う機会もなく、次第に疎遠になり関係は自然消滅したに等しい。子供は遊びの達人だというが、俺は大人になってから遊ぶのが下手になっていた。

 こんなにも無為な毎日を送っていても良いのか、もっと有意義に時間を使うことができるのではないか。そんなふうに思ってみても、『怠いから』と無駄な時間を過ごしてばかりいる。

 

 昔はそうじゃなかった。

 昔はもっと輝いていた。

 

 そうやって過去の記憶を懐古しても虚しくなるだけで、無気力に生きている自分を段々嫌いになってしまいそうになって。昔の俺は俺のことが大好きであったはずなのに、いつしか俺は俺のことが好きじゃなくなりつつあった。このままじゃいけないと、漠然とした危機感に肩を叩かれる日々を送っていたのだが――やっぱり、怠惰な生き方はなかなか抜けることがない。

 俺は今の俺とは違う、俺が好きになれる俺になりたい。なりたいが、自分で行動を起こす気力もない。『誰かにこんな俺を変えて欲しい』という受け身な願望が常に根底にはあって、そんな情けのない俺のことを、記憶にある昔の俺は蔑んでいた。

 

 だから、これ(・・)事故(・・)だ。

 

 その時(・・・)、偶々そこにいたのが俺だった。それだけの話。

 運の良し悪しで論じるのなら――俺は、最高に運が()かったのだろう。

 

 

 

「た、救けなさいっ」

 

 

 

 女が、いた。

 

 夜遅くまで進んで残業し、くたくたになってマンションに帰ってきた俺の前に。

 

 女が。

 

 驚いて声を上げなかったのは、悲鳴を上げるだけの元気もなかったからだ。

 何より想像もしていなかった事態に、俺の脳はフリーズしてしまったのかもしれない。

 俺は玄関に入る前、ドアの手前にある部屋番を見る。405号室、間違いなく俺の寝床だ。

 

「………?」

 

 困惑した。戸惑った。俺の家の中に灯りはついていない。当然だろう、朝早くに出社する前に、きちんと電源を落としてあるのだから。

 俺は一人暮らしだ。どうせ金を使う宛もないのだからと、そこそこ高い家賃が設定されている、2DKの結構良質な部屋に引っ越していた。今日も仕事から帰ったら、安い缶ビールを片手に晩酌し、PCでお気に入りのVtuberの配信でも見てから寝るつもりでいた。

 そんな俺のささやかな幸せを噛み締める時間が、今、無惨にも破壊されている。ベランダに通じるガラスドアが割れ、リビングにガラス片が散乱していたのだ。そしてリビングの真ん中に、芋虫のように這う白い女がいる。――不法侵入者だ。

 

「………」

 

 我に返った俺だったが、しかし、瞬時に行動することができなかった。

 スマホを取り出して警察に連絡するでもなく、部屋の中に入って女に駆け寄るでもなく、かといって逃げ出し助けを求めに行くでもなく、ただただ白い女に見入ってしまったのだ。

 なぜなら、異常だったからである。

 雲に隠れている故に月明かりなんてなくて、四階にある俺の部屋には地上の電灯の明かりなんか届くわけもなく、真っ暗であるはずの俺の部屋の中が明るかったから。

 より正確に言うなら、女が(・・)光っているのだ。

 眩いというほどではない。しかし仄かに女自身が発光している。加えて女の格好も異様だ。白いワンピースに似た衣服を着て、傷んではいるが純白の羽根を背中から生やし、頭の上に黄色に近い輪っかを浮かべている。一目見て瞬時に連想するのは、天使だ。

 

 仮装(コスプレ)か?

 

 女は凄まじい美女だった。目にしただけで圧倒される神聖さを感じてしまうぐらい。

 しかし、見るからに重大な傷を負っている。板張りの床にうつ伏せになり、こちらに顔を向ける女の背中は真っ赤に染まっていた。ツン、と鼻をつくこの臭いは、おそらく血である。

 小さな血の池が女を中心にして広がっていて、凄絶な形相で女は俺を睨んでいた。

 

「オマエに、私を、救けさせてやるわ……! 私を救けられる栄誉に、か、感謝なさい……!」

 

 女が何かを言っている。理解の及ばない目の前の光景に、俺はアホ面を晒したまま立ち尽くしていたけれど。明らかに死に瀕している女の居丈高な台詞を聞いて、やっと俺の脳は再起動した。

 

「きゅ、救急車……? いやこういう時って警察か? どっち?」

 

 スマホを急いで取り出す。混乱し始める俺だったが、頭の片隅で『ラノベで見た雑な導入みたいな光景だな』と思ってしまい、薄っすらと失笑を浮かべてしまっていた。

 ラノベの雑な導入? もしそうだったら、俺の役割はなんだ? まさか主人公なわけない。となると取るに足りない端役で、雑に処理されるだけの演出の一部だろう。

 

「何をしているの……!? は、早く……『ここに来て私を救けるのよ』!」

「え?」

 

 救急車の番号って119だっけ? 警察は110だよな。そんなことを思いながら急いでスマホの画面をタップしていると、焦燥が色濃く滲んだ声で、女が俺に強く命じた。

 すると、どうしたことか。俺の体は勝手に動き出して、土足のまま部屋に上がり、女のすぐ傍まで走って行ってしまったではないか。訳が分からないで混乱する俺が、わ、わ、と間抜けな声を上げると、反対に天使みたいな女は酷薄な笑みを浮かべる。

 

 体の自由が利かないためか、スマホが手の中からこぼれ落ちた。女の流している血溜まりに膝をついた自分が信じられず、動転するままの俺に女は優しく言った。

 

「ふふ……あなたの献身を、嬉しく思いますわ。さあ、あなたのマモ(・・)を、捧げなさい……!」

 

 女が手を伸ばし俺の腕を掴む。血が通っていないかのように冷たく、陶器じみた手だった。

 引き寄せられるまま身を寄せてしまう。女はあたかもご馳走を前にヨダレを流す、卑しい犬のような表情で俺の手の甲に唇を落とし、そして。

 

「あ、れ……?」

 

 くらり、と目眩がする。急速に視界が霞み、意識が遠のいた。

 女は俺の手の甲に口づけたままだ。立っていられなくなった俺がその場に倒れて、なんとか立ち上がろうと藻掻いて見せても、顔色一つ変えず、いや、女は口角を上げて笑っていた。

 俺が最後に見たのは、残酷なまでに慈悲深い眼差しだ。悪意なんて一片もない、当たり前の恩恵を享受する上位者の瞳である。その瞳を見て、俺は――

 

(あ、すっげぇ綺麗(きれ)ぇ……)

 

 ――憧憬に似た気持ちを懐いた。

 

 だって、彼女はとっても嬉しそうで。

 とっても、美味しそうにしていた。

 いいなぁ、と思う。

 何が美味しいのか分からないけど、そんなに美味いなら俺も食べてみたい。

 

 意識が、溶ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 白い羽根を有する美貌の女は、男の手から口を離し、頬を紅潮させて恍惚としていた。

 信じがたい光景だ。背中に奔る深い刀傷、腹部を抉っていた銃創、どちらも死に至る重大な傷だったにも拘らず、まるで最初から存在しなかったかのように塞がったのである。

 立ち上がった女は口端からヨダレを垂らし、足元に転がる男に対して喜悦の眼差しを落とした。彼女にあるのは純粋な感謝、人が食したものへ抱く程度の『ごちそうさま』である。

 

「すっごく美味しい。やはり、マモは直吸いに限りますわ」

 

 美味しかった。近年稀に見る美味さだ。

 男のマモ――人間が言うところの()は、いたって平凡なもの。質も、密度も、特筆すべきもののない凡庸な味わいでしかない。

 しかし空腹こそ最高の調味料というように、死に瀕していたからこそ、男から摂取したマモは女に上質な感動を与えた。これだけで、男には今まで生きてきた価値があるのだと女は確信する。

 故に女は足元に転がる男の抜け殻へ告げるのだ。上位者として、残酷に。

 

「あなたは今日此処で、この私にマモを捧げるために産まれ、生きてきたのですね。あなたの人生には確かに価値はあった。この私がそう認めてあげますわ。――えぇっと、名前、なんでしたっけ?」

 

 まあいいか、と女は思う。マモを吸ったのだから、探れば名前はおろか歩んだ人生の全てを辿ることはできる。だが、たかが一人の人間如きに、自分がわざわざ労力を割いてやる気はない。

 暇な時なら気紛れに名前を覚えてやろうと思っていたかもしれない。普段は人間を死に至らしめるほどマモを吸いはしないし、こうして一人の人間のマモを直吸いすることもなかったのだから。

 しかし今は火急の時である。こんなところで油を売っている場合ではない。急いで戦線(・・)に復帰して味方の援護に行かなくてはならないのだ。

 

「げえっぷ」

 

 不意に下品なゲップをしてしまった。口を押さえた後、女は自らの腹をソッと撫でる。

 そこには男のマモがある。今に溶けて、消化されようとしているマモが。

 

「嫌だわ。こんなのを誰かに聞かれてしまったら、私、恥ずかしくて死んでしまいそう……って、あら?」

 

 女はふと、違和感を覚えた。なんだか、お腹の調子が悪い。もぞもぞする。

 

 ――この時、己が致命的な失策を犯していたことに、女は気づいていなかった。

 

 自身を傷つけた存在の特性と、それに致命傷を負わされたという危険性を理解しないまま、人間相手とはいえよりにもよって異性のマモを食してしまったのである。

 死に瀕していたから余裕がなかった、というのは言い訳にもならない。

 天使の如き美貌の女は、首を傾げて自らの腹部に意識を向ける。ここに何かがいる(・・)。自らの腹の中に。なんだと思うも心当たりはなかった。嫌な予感を覚えて、女は更に注意を割く。

 

「あガッ……!?」

 

 すると、激痛が奔った。

 尋常じゃない腹部の痛みは、女が今まで一度も体験したことのない種類のものだ。

 それもそのはず。彼女の体験しているその痛みには名前がある。

 陣痛(・・)という名前が。

 

「が、ァ、ァアア!?」

 

 天使が悶え、苦しむ。両腕で自身の腹部を押さえ、未知の痛みに抵抗する。

 だが無意味だ。天使の末路は既に決まっているのだから。

 交戦していた相手の特性。種は違えど異性のマモを丸ごと食らったこと。そして食らった相手が、平凡なものとはいえ変身願望を抱いていたこと。これらの要素が揃った時点で未来はない。

 マモの持ち主が、現状に満足している人間ならまだ良かった。しかし『今』に満足し、不満を一片たりとも懐いていない人間なんて――この現代社会に於いては稀有な存在である。

 故に女は苦しむのだ。平凡な(マモ)、平凡な願望、常なら路傍の石にもならない穢れを、自らが受けた傷のせいで受け入れてしまった。心ではなく、体が。胎が。彼女の女の部分が。

 

「ァぎャッ」

 

 絞め殺された鶏じみて、醜い断末魔が暗い部屋に響く。

 女の腹の中から、外に、腕が伸びた(・・・・・)のだ。

 小さな腕である。幼児のそれだ。白く、丸く、未熟な腕。しかしそれは人のものであり、女の腹を裂いて無理矢理に外の世界へと這い出てくる。

 女は意識を焼く灼熱の激痛と、信じがたい光景への驚愕にフリーズし、ただただ自らを襲う異変に耐えるしかない。

 やがて女の断末魔は途絶えた。倒れ伏した女は虫の息で、消え去りそうな意識を必死に繋ぎ止めることしかできずにいる。

 

「ぁあ?」

 

 女の腹から這い出たのは、本物の天使のように可愛らしい幼児であった。くりりとした大きな瞳は黒く、額に張り付く濡れた髪は濡れ羽色。ミルクのように白い肌に汚れはなく、塗りたくられたような女の血液すらも妖しい魅力を掻き立てている。歳の頃は三歳かそこらで、その愛らしさは女の美々しさを受け継いでおり、血の繋がりを否応なしに感じさせるものだった。

 そんな幼児に腹を裂かれた女は、こひゅ、こひゅぅ、と掠れた吐息を零し、霞んだ目で幼児を見遣る。悍しいものを見る目だ。しかし愛らしさの化身たる幼児は、そんな『母親』の視線になどなんら痛痒を覚えた様子もなく、自我のない眼差しで『母親』に手を伸ばした。

 

「ひっ、ゃ、やめ……」

 

 女は幼児が何をしようとしているのか気づいたのか、はたまた自らの末路を無意識に悟り、根源的な恐怖を覚えたのか。幼児の手が自らに添えられるのに情けない悲鳴を上げた。

 だがその声は小さい。抵抗する力もない。幼児を産んだ(・・・)時、自身の力をほとんど吸い取られていたのだ。

 だから幼児に何をされても、されるがままになっている。尋常ではない力で肉を裂かれ、強力な顎の力で貪られ、生きたまま啜られる感覚に痙攣するしか術がない。

 

「ギッ、ヒッ、ビッ、ぁおっ」

 

 バリ、ガリ、ボリ。無惨で残酷な音色が奏でられる。女の小さな悲鳴はいつしか消滅し、悍しい音だけが暗い部屋に反響していた。

 やがて、部屋の中には幼児しかいなくなる。

 いや。幼児だったモノだけに、と言った方が正確か。

 

「……あれ?」

 

 自我のない目に、理性の光が灯る。

 

 そこには十歳かそこらの少年とも、少女ともとれる姿にまで成長した、この世の者とは思えぬ美貌の天使が一糸纏わぬ姿で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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