Цена 0章「題名のない表紙」【先行公開版】 作:姊園 理違
さて、ここから話は本題に入る。
1958年。探査衛星ヴァイキング1号が、火星からある一つの画像データが送信した後に消息を絶ってしまった。
地上では、ヴァイキング1号の行方よりも送られてきたデータに注目され、世界中を衝撃の渦に巻き込んだ。
そこに映っていたのは、腕のようなものの影。
ある人達は友好な知的生命体であれば共和関係になり、新たな宇宙科学の進歩などに役立つかもしれないと浮かれ酔い。
またある人達は、地球人類を襲ってこの星を侵略するかもしれない。という両者共にSF映画の見過ぎか? と思う程の噂という名の妄想が駆け巡った。
だが、正解は破滅願望持ちの大規模ハリウッドSF映画な後者なのであった。
1976年。宇宙からの訪問によって人類の日常が崩壊を始め、3年が経過した。
突如始まった地球外起源種からの襲撃にソ連は大規模な疎開計画を発表したが、産業施設の移動に予定よりも大幅な時間を要してしまい、その結果多くの世帯が渋滞し、徐々に追い詰められていく結果となってしまう。
人混みを押しのけ、息を切らしながら父さんが戻ってきた。
「ダメだ、電車は人が多くて乗れない。バスの方に行こう!」
母さんは重そうな荷物を持ち上げ、父さんの「行こう」を合図に3人は人の波へと飛び込んだ。
奔流に飲まれまいと必死に母さんの手にしがみつき、母さんも離すまいと必死に手を握りしめる。
容赦なく流れる人だかりの中で、小さなイワンは圧し潰されそうだった。
人の熱気が苦しい。大きなボストンバッグが容赦なく頬を殴り、小さい足が踏まれ小指が折れているのではないかと錯覚してしまう。
唯一頼りの繋がれた手の先を見上げても、目が合わない。汗が滴って襟の奥に入って行く。こんなに戦慄した母さんを見るのは初めてで、何故か不安を煽られた。
人々の隙間からバスが見え、ようやく乗れる。と安堵した。
が、
「残り2名! 残り2名です!」
乗務員の興奮気味な喚呼にその場が騒然し、緊張感が一層増す。
「……時間がない」
その言葉を聞いた母さんは咄嗟にしゃがみ込み、荷物を広げ始めた。
意図を察したのか一緒になって父さんも荷物を広げる。
「邪魔だ!」と罵声を吐く人や容赦なく体を蹴る人が現れ、俺は止めに入ろうとしたが「大丈夫だから」と母さんに止められた。
纏め終わると、「ちゃんと持ってろ、いいな?」と父さんは俺に荷物を手渡し、俺と荷物を両手に抱えると「この子を、お願いします!」と大きく頭を下げた。
一瞬で場がどよめき、至る所から非難の声が上がった。──それはそうだ。いきなり割り込んできたと思ったら、目の前で荷物を広げた奴が子供だけでも乗せろと懇願しているのだ。自分勝手にも程がある。
しかし飛び交う野次の中、2人は俺の為に何度も何度も頭を下げ続けた。
身勝手な申し出に困惑している乗務員の肩に、宥めるように誰かが手を乗せる。
振り返った乗務員の前にいたのは一番先頭に並んでいた老人だった。彼は顔のシワを寄せ、笑顔で語り掛ける。
「乗務員さん、私の代わりに乗せてやってください。こんな老いぼれより、若いもんが先に行った方が良いに決まっている。だから私からもよろしくお願いします」
そう言うと、老人は帽子をとって深々と頭を下げた。
「い、良いんですか?」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。息子や孫が戦場で逝ってしまった独り身の私よりも、息子さんが行った方が未来は明るい。だからあなた方の行動はなにも間違っていません」
父さんは「ありがとうございます! このご恩は!」と会釈をして、「さぁ、イワン!」と俺の背中を押した。
でも俺は嫌だった。
今までずっと一緒にいた両親と離れるなんて、考えたくもなかった。
駄々を捏ねるようにその場で泣きじゃくった。自分だけ先に行くなんてことはしたくない。
すると、母さんが俺の左手を両手で包み込んだ。
母さんの方を振り向くと、優しく額を合わせ微笑みかける。
小さい頃から俺が泣いた時は必ずこうして安心させようとしてくれる。そして決まって柔らかな口調で話し始めるのだ。
「絶対会いに行くから、良い子で待っててね」
俺は1人バスの中へ押し込まれ、その瞬間バスが発車した。
窓から身を乗り出すと二人は心配そうな表情を浮かべていて、その姿に自然と涙が溢れ出してきた。
堪らなくなった母さんがバスを追って駆け出す。
しかしその姿は段々と遠のき、小さくなって、消えていく。
涙が止まらない。この感情を止める術を、
数日経ってようやく到着したのは、ハバロフスクという見知らぬ土地。
一斉に人々が下車したので、どうやらここが疎開先のようだ。
イワンも習うようにバスを降り、路上のベンチに座り込む。心細さからくる不安でいっぱいだったが、母さんの言葉を信じて待つのみだった。
一息ついて重すぎる荷物入れを開けてみると、中には着替えや好物のお菓子たち。
その中から詰め込まれてぐしゃぐしゃになったビスケットの袋を引っ張り出し、無心で食べた。
きっと父さんと母さんもすぐに来るだろう。そう思ってその日は一日中ベンチで過ごした。
その次の日も、そのまた次の日も、お菓子が底を突きて空腹に苦しむ日も、唐突に寂しくなって泣いてしまった日も、変わらずベンチで待ち続けた。
友達や家族、恋人との再会を喜ぶ人々を度々見かけたが、肝心な両親の姿が見えない。
そのうち、避難用車両は運行終了の情報が出回っていたが、小さかった俺はそんな情報を獲る術もなく、ただ無意味に待ち続けた。
モスクワが地球外起源種によって崩壊してしまったことも知らず待ち続けている頃には、イワンの涙はとうに枯れていた。