──もったいない。
喜多郁代はここ最近そう思うことが多くなった。
例えば、文化祭ライブについてファミレスで打ち合わせをしている時のこと。
「全曲オリジナルなんて攻めますね」
「他が全部コピーだし、知ってる曲聴けた方が盛り上がり良いと思うけど、結束バンドの曲を聴いてほしいじゃん?」
どうせ、よっぽどじゃなければ盛り上がらないこともない。と虹夏が付け足す。
「後藤さん、折角ならやりたい曲とかないの?」
「うぇ、あっ……いや、特には……」
「やりたい曲あったら締切までに言ってね」
自分の選曲で盛り下がったら一生引きずると臆病な考えで断るひとりを見て、そのまま選曲の話を流れそうになるとリョウが口を開く。
「ぼっち。歌ってみたら? ぼっちと郁代の学校の文化祭なら二人が歌うのもアリだと思う」
「むっ、むむむむ──」
「ド滑りしたっていい。それに無理って言うならやってみたいんじゃないの?」
ギターを弾くだけでも客席の方を見て演奏することが長続きしないひとりに歌うことなど、夢のまた夢。
しかし、やりたいことだからこそ夢でもある。それを見抜かれたようにリョウに問われる。
「こらこら、無理強いしないの……まぁぼっちちゃんの意思関係なく文化祭ライブするってなった時点で今更だけどね」
その時点では答えを出せなかったひとりを見て郁代は思った。
──もったいない。
例えば、また別の日。ひとりにギターの演奏を見てもらう回の休憩中の時のこと。
「後藤さんってデートでどこか行ってみたいところってあるの?」
「……あっ、いつも、そういう感じにならなくて、ずっとあの人の家でギター弾いたり音楽の話してて……あんまりそういうことは……」
二人の馴れ初めは知らないが、音楽きっかけであることは郁代にも分かっていることだった。だからこそ、思う。
──もったいない。
「後藤さん」
「あ、はい」
「やっぱり、今からでも歌。歌ってみましょう」
「え」
郁代が後藤ひとりというギタリストと出会ったのは何でもない日常のワンシーンの中でしかなかったのに、たまたま聴いたギターが耳に心地よくて、そんな音を奏でられる彼女が記憶に残るであろうライブで
「それに、多分だけど彼氏さんの言ってることはそういうことだと思うわ。
今は忘れてるかもしれないけど、後藤さんの音楽が好きだから、それを聴きたいんじゃないかしら」
「喜多さん……あ、あの、私──」
少しだけ逡巡したひとりが何かを思い出して、何かを決意した表情で、郁代にある曲の名前を挙げる。
(そう、それよ。後藤さんのそういう顔よ。それが出ないのは──もったいない)
その後、ひとりの練習項目と文化祭ライブのセトリが変更になった。
◇ ◇ ◇
そして、文化祭二日目。体育館ステージの舞台袖で結束バンドは出番を待っていた。
(思ってたより緊張してないわ。どっちかっていうと、出番が来るまで我慢している感じ?)
郁代が周囲を見渡すと静かに今演奏しているバンドの曲を聴いているリョウ、場馴れしていることもあってひとりに気を回している虹夏、そして緊張のあまりドラムの音と聴き間違う程の大きさの心音を鳴らしているひとりの姿があった。
(後藤さんって心音大きいのね……そんなことよりは)
まるで結束感のないメンバーを見て逆に安心した郁代はこのライブまでにやってきたことを思い返していた。
自主練にバンド練に男からの指導。どれを取っても無駄なく自身の血肉になっているものであって、このライブがターニングポイントになることを五感でも五臓六腑でも無い部分から感じ取っている。
(誰かが、とか関係なく……私がどれだけやれるか、試してみたい)
程なくして結束バンドの名前が呼ばれた。
観客の中に星歌ときくりが居て、異様に酒臭くタトゥーをしている女がステージ上にカップ酒を投げているせいで半径二メートル程一般生徒から距離を取られていた。
ちなみにカップ酒はひとりに向けて投げられている。
(そういえばセトリの件、伝えてなかったわ……まぁ、来ても来なくても関係ないか)
一曲目が始まった。
特にアクシデントも無く、一曲目を終えると良い感じに盛り上がって普段のライブとそう変わりはなかった。
(いつもと変わらないけど、それじゃダメなのよ。今回も、これからも)
二曲目が始まっても郁代の中で燻る感覚が収まらない。
いつものSTARRYでのライブはただの女子高生バンドのライブに過ぎない。だからMCが駄々滑りしようが他のバンドと比べられようと何とも思わない。
だけども、今回のライブは違う。
(今日のライブは、私を、喜多郁代の居るバンドを見に来ているんだ。だからちょっと盛り上がるだけなんて、嫌)
そんなことを郁代が思っている一方で、ひとりはまた別の問題を抱えていた。
(あの人が来ないから、調子が出ない。なんて言い訳じゃなくて、さっきからチューニングがおかしい)
昨日の練習でも問題はなかったギターの調子がおかしい。それに気付いた直後にギターの一弦が切れる。
すぐに二弦のチューニングを整えようとしても、ペグの故障でそれも叶わない。
(このままじゃギターソロに間に合わないっ!? 文化祭ライブ、私のせいで──どうしようどうしようどうしようもない)
その瞬間空気が変わった。
ひとりの動揺を察した郁代が代理でギターソロを敢行している。それが結果的には郁代のギターソロとして演出されたおかげで観客が湧く。
──そして一瞬だけ郁代とひとりの視線が交わる。
(喜多さん……打ち合わせしてないのに、こんなに弾けるように……えっ……!?)
すぐさま郁代は視線を観客に向けながら、素早くストラップごとひとりにギターを投げ渡す。
(私の知っている後藤ひとりを、すっごいギタリストの後藤ひとりを見せてよ。じゃないと、許さないから)
ひとりがギターを受け止めなければ、壊れてしまう上に郁代が繋いだギターソロが無意味になる。だけど、郁代には彼女がギターを受け取る確信があった。
そして──。
「みんなーーー!!! キタッー?」
「イクヨーーー!」
郁代の人差し指が天を突いて視線を集める。このパフォーマンスを知っているただ一人がレスポンスを返したのを聴いて『勝ち』を確信する。
彼女のコールに観客は意識を持っていかれて、ギターの音が無いことなど気にしていなかった。虹夏とリョウは彼女の暴走に驚きながらもカバーしてみせる。
その間に郁代のギターをキャッチしたひとりがチューニングを済ませてギターソロを始める。
「まだまだ足んない! キタッーー??」
『イクヨーーーッ!!!』
たかだか、一人のレスポンスで満ちる訳がない。
再度のコールでレスポンスを理解した観客が沸き立つ。一部の観客はスマホの画面を光らせてサイリウムの様に振るう。
──君と集まって星座になれたら。
郁代のギターで演奏していてペダルを操作するために、彼女が腕を伸ばせば届く距離に居るひとりの肩を抱き寄せる。
今、このステージの上から見える星座をひとりがギターに集中して見ないことは郁代が許さない。
彼女だけでも、ひとりだけでも、この星座は
結束バンドが結束バンド故に見える星座を全員で見ること。
──だから集まって星座になりたい。
(あー、すごい。ヤバイわね、脳ミソ熔けちゃう。でも、気持ちいいわ、これ)
この景色を作っているのが自分か結束バンドか、もうぐちゃぐちゃに溶け合って混ざり合っている。その感覚が郁代が求めていたモノであるならば、あの時、ギターを辞めようとした自分を引き留めてくれたひとりには感謝の気持ちで一杯になる。
「皆ーー! ありがとう!!」
二曲目が終わる。本来はここでMCを入れずに三曲目に移るのだが、ひとりに何か喋らせたくなった郁代がMCをする。
「ほら、後藤さん何か一言」
「あっ、うっ」
こんな最高に盛り上がって郁代が場の空気を支配している状態で話を振られるというのはひとりからしたら拷問でしかない。
ギターが故障した時以上に頭が真っ白になったひとりがふらふらしながら数歩前に出る。
(面白いこと喜多さんの作った空気を壊さないかつ盛り下がらない何か気の利いたこと……)
(後藤さんアレやりたいのね!)
何を思ったのか郁代がひとりの背中を物理的に押した結果、ひとりが頭から客席にダイブした。
「えっ?」
意図しないダイブに困惑の声を出してしまったひとりは視界の中で観客の全員がスローモーションになる中で一人だけ異常な速さで駆けてくる人影があった。
「喜多ちゃん!? ホントに何やってんの!?」
「えっ、私ですか?」
「あひゃひゃひゃ! サイッコー! ぼっちちゃんも中々だと思ったけど喜多ちゃんもえぐいことするねー!」
ひとりが落下の痛みに備えて身構えていても、痛みがやって来なかった。彼女が恐る恐る床を見ると自身の下敷きになった男の姿があった。
「……怪我してない?」
「来て、くれたんですね……」
「早くステージに上がったら?」
「あっはい」
周囲が動揺する中、特に傷一つ付かなかったひとりをステージに戻す。メンバーは軽く心配していたが問題ないことを確認して三曲目の準備が始める。
男はひとりをスライディングキャッチしたせいで服に着いた埃を払っているときくりが背中をバシンと叩きながら爆笑していた。
「だっせー!! 何だっけ? 何か偉っそーなこと言っといて来たの本当にダサいしそういうとこ変わってないね。ダサいけど」
「飲んだくれは黙ってろ」
きくりの絡みを雑に処理した男はステージ上のフォーメーションを見て驚く。なんとひとりと郁代とポジションが入れ替わっていて、ひとりはマイク、郁代はギターのみを手にしていた。
「じゃあひとりちゃんが選んだ曲でボーカルをする『転がる岩、君に朝が降る』!」
虹夏のカウントで曲が始まる。普段のライブでさえギターを見てばっかりでまともに顔を上げられないひとりが歌えるのか? という疑問が彼女を知る人間が抱く感想だった。
(ひとりがボーカル? 喜多ちゃんのギターをひとりに貸してボーカルオンリーならまだ分かるけど、これは……)
──君の前でさえも上手に笑えない。
ひとりの歌唱は普段歌をロクに歌わない人間が無理して歌っているせいでピッチも音程も滅茶苦茶で、不安そうな声だった。
普段の彼ならそれを下手くそと言ったのだろうが、今回はそうでも無かった。
「ぼっちちゃんの歌。良い歌じゃん」
「そう思うなら黙って聴いてろよ。聴こえないだろ」
──僕らはきっとこの先も心絡まって。
二曲目までの郁代の歌唱と比べるとどうしても落ちるが、そんなことはどうでも良いくらいにはひとりが必死そうに歌う姿が男には眩しく見える。
いつかこんな姿を見た気がする。いつかどこかで持っていた筈の記憶なのに、今は初めから持ってないのに胸が痛んだ。
それから、恙なく文化祭ライブの全行程が終了して、秀華高校文化祭も閉会した。
打ち上げは翌日にしようとなったため、結束バンドの面々は一度解散したが、ひとりと郁代は文化祭全体の締め作業に出向いているので、それを男は不審者として通報されない高校近くの公園のベンチに座って待機していた。
(……なまじあんなこと言ってたせいで後が怖い。特に喜多ちゃん。いや、この後ひとりが承認欲求を爆発させないかも心配だけども)
「ちょっと、良いですか?」
「あー、はい。えっとどちら様で?」
「文化祭のステージから落ちてきて貴方を下敷きにした女の子の父の後藤直樹です」
「母の美智代です。今日は娘のひとりがごめんなさいね」
(さっさと帰れば良かった!)
この後の心配をしている男に声を掛けたのは、ひとりの両親だった。噂に聞いていた妹はその後ろでブランコを漕いで遊んでいた。
「あ、あー。わざわざどうも……別にこっちも怪我した訳じゃないですし」
「それは良かったです。うちの子のギター良かったでしょう? ずっと押し入れで独りで練習してたのが報われたって感じで……」
後藤父は感慨深そうにライブの感想を親目線で語り始めた。典型的な子供自慢かと男は苦笑しながら聞いていると、後藤父の口から予想外の情報を聞くことになった。
「最近娘が前向きになってきてバンド組んでから特に顕著だなって思うんですけど、それよりちょっと前にあったらしい出来事がきっかけなのかなとも思うんですよね」
「良かったじゃないですか」
男は内心冷や汗だらだらであった。
自身の把握している時系列だとその辺りでひとりと出会ったと本人から聞いている。この話を深堀されると大変なことになるため、自然に話を断ち切るために思考を巡らせる。
「まぁ具体的に何があったかは話してくれないんですけど、もしその出来事に関わった人が居たらお礼が言いたいなって──」
「お父さーん! ブランコ飽きたー!」
「あ、すみませんね。長々とこちらの話ばっかり」
「いえ、お気になさらず」
ふたりが早く帰ろうと駄々をこねて始めたため、後藤家は公園を後にして帰宅した。それを見送った男は深いため息を吐いて脱力する。
(生きた心地しなかったな……マジでカミングアウトのタイミングは考えないとな)
恐らくだが、かなり後回しになる問題を男はしばらく悩む羽目になった。
実は喜多ちゃんと生ゴミは二人共後藤ひとりの音楽に惚れているという共通点がありまして、その上でここ数話を振り返ると喜多ちゃんが生ゴミが酒カスをシュートしているのを見て無意識に影響受けた結果ぼっちちゃんが押されたりしているので、この師弟がセッションすると会場が滅茶苦茶になります。
感想と高評価お待ちしております。