沈まれ、私の中の承認欲求モンスター……。
「で、何これ? 動画再生数とチャンネル登録者に伸び悩んだ動画配信者?」
男は梅雨真っ盛りのこの時期に傘も差さずに歩かされている。傘を忘れたからではなく、傘を持つことを禁じられたからである。
雨で水を含み、ずぶ濡れになって重くなったフード付きのパーカーが、彼の機嫌が悪くなって世界を恨んだ目と妙にマッチして写真映えしそうだった。
というより、今横で傘を差した女子高生に写真を撮られている。それも機嫌の悪い理由の一つである。
「えー、この写真とかイソスタにアップしたら滅茶苦茶バズると思いますよ?
脚長くてバグみたいな体型してて、多少キメ過ぎなくらいの衣装着ても全然違和感無いですし」
朝食のピザをレンジに入れた瞬間に郁代からの呼び出しを食らい、まだ食事にありつけていない上に着替えまで強要されたことで余計に目付きが鋭くなる。
特に予定があった訳ではない彼だが、風呂に浸かってのんびり寝たい気分になった。
「って、その恰好の話でしたよね。今度結束バンドで作った曲のMV撮ろうって話になったんですよ」
「……ぜってぇガールズバンドの雰囲気に合わねぇだろ」
出会ってまだ数日の仲だが、男は結束バンドのメンバーを虹夏以外は信頼も信用もしていなかった。
キラキラSNSお化けの郁代、隙あらばタカろうとしてくるリョウ、正直面倒臭いひとり。
その三人に比べて、虹夏はある程度の気遣いとコミュニケーション能力があって、極まれに野望が見え隠れする位なので接しやすい。
「それとは関係なく雨に濡れるギタリストって実物見てみたかっただけなんですけどね」
「コイツ」
そのまま雑談をしながらSTARRYに着いたのを見送って帰ろうとした男を郁代が強引に引きずって中に入れられた。
STARRYの構造上入口前の階段と入口からの階段で二重に下ることになるが、首根っこ掴まれた状態で引きずられたせいでドリンクカウンター前で彼はずぶ濡れでボロボロの状態で横たわっている。
「そんな状態で入ってくんなよ」
「……店長、人のココロってある?」
「あ? 元バンドマンだぞハートなら持ってるに決まってんだろ」
STARRYの店長で虹夏の姉の伊地知星歌にモップで突かれながら男は起き上がる。
男としては、嫌いな人間ではないが星歌だけ一方的に知っている雰囲気を感じてからは若干苦手な部類に入る。
「いやタオルくらい貸してあげようよ。お姉ちゃん」
「ありがとうねぇ虹夏ちゃん……あ、あー……空が曇るとやだねぇ」
姉と来たら。と言葉を繋げようとした男は一文字目で何か言ったら殴られるという殺気を星歌から発せられるのを感じて苦しい世間話を始める。
ひとりに手を出してるという点だけで彼が警戒されている節はあるが、世間的に見れば未成年に手を出している成人男性がマトモである筈がないので当たり前の話である。
虹夏に持ってきてもらったタオルで身体を拭いてから適当な所に腰を落ち着ける。
(さっきからベースの音は聞こえるから、リョウが居て……ひとりは今日バンド練習もバイトもないって聞いたから多分家で蛆虫してるんだろうから居ないのは確定……あっ)
「もしかしてバンド内イジメ?」
男が結束バンドの闇を垣間見て戦慄していると、郁代が自分のギターと合わせて二本持って来る。今日の用事が何かは聞いていない彼ではあったが、初対面のセッションが思ったより良い感じに噛み合ってしまったのを気に本当にひとりがクビなのかと思い、本格的に彼女を養う方向に考えを持っていく。
「最近の女子高生って怖いのな」
「何の話ですか? 今日はギターの先生を頼もうと思って、リョウ先輩からギターを一本借りてきたんです」
「一応、訳は聞こうか」
郁代曰く、結束バンドの中では一番演奏が下手くそだからギターの上手い人、ひとりに教わっていた。が、そのひとりを驚かせたくて男に教えを乞うことにした。
ギスギスした理由ではないことと途中で気が変わったらコーチングを辞めるという条件で彼は郁代にギターのコーチングを始めた。
「あ、そうだ。さっきのクソみたいな雨浸し、イラっと来たから厳しめにいくね」
「えっ」
それから小一時間。数曲分の演奏を聴いた男は体感で下手くそだと思った瞬間に──。
「郁代ちゃん。ギターが下手だねぇ」
「うぐっ」
郁代が下の名前で呼ばれることを嫌っているとひとり経由で聴いていた男は、容赦なく下の名前で呼ぶという鞭を振るっていた。
普通の女子高生がお遊びでバンドをやる分には十分な演奏技能が彼女にはあると男は判断していたが、今回は動画投稿サイトで一曲十万回以上の再生数を出せる実力を持つひとりを驚かせるというラインがある。
今の郁代の実力から考えるに、ひとりと横並びになる必要はないが、かなりのレベルを要求されるのはひとりのギターに惚れ込んでいる男が一番理解している。
「喜多ちゃんは、基本をしっかりやろうとするのは良いと思う」
「もしかして、褒められる時だけ苗字呼びするシステムなんですか?」
的確にミスだけは聴き分けて呼び分けをすることと、しっかり改善点と良い点を挙げるので身に付くのだが、その分メンタル的なダメージが高く、ひとりの教え方は実は優しかったのだと郁代はその身をもって理解した。
「でも、ちょっと慣れたパートになると微妙に覚えてきた半端なテクニックを使おうとして郁代ちゃんになる」
「郁代ではあるんですけど!?」
嘆息しながら男はリョウのギターをチューニングして、特に何も考えずにギターを弾き始める。
「♪~」
歌ですらない。
曲ですらない。
漠然とした音でしかない。
「──」
それでも郁代のギターよりは良い音が出る。
男は口ずさんで弾いてるだけで特別な事はしていない。
ただひたすらに基本と反復練習を積み重ね続けただけ。その音が記憶の無い男にも分かる程の積み重なって消えない形に残ったそれが音の悪いバンドの演奏以上に嫌いだった。
「……ふぅぅ、変にテクニック覚えるより基礎をしっかりやれば、喜多ちゃんもこれ位になるよ」
「え、今のレベルってプロの模倣とかそういうアレじゃないんですか?」
「そういうアレじゃないですね」
男は口にしたように、彼は物凄く難しい曲を弾いた訳でも無く心の赴くままに弾いて、それを郁代に上手いと言わせただけである。
ギターを置いた男は近くにあったホワイトボードの一面を大きく使って文字を書いた。
「ギターが上手い人とは何か?」
「そう、ギターが上手くなりたい。それは良いと思うけど、じゃあ上手いギターって喜多ちゃん的には何なん?」
「えっ、それはミスもしないし、皆に合わせながら弾ける人……ですかね?」
なるほど、と男は一拍置いてからホワイトボードに郁代が例に挙げた『ミスをしない』と『周囲の演奏に合わせる』と書いた。
確かにこの要素は男からしても自分でバンドを組むとしたらプラスの要素にはなると考える。
「意地悪な言い方するけど、それって結束バンドのギターボーカルとして欲しい人材か?」
「それは……」
「ギターボーカルだから喜多ちゃん。じゃなくて、喜多ちゃんがやりたいって言ったからギターボーカルなんだろ」
三つしか単語は書いていないが、男はそれらに全てバツをして別の色を使って『結束バンド』という文字で上塗りする。
あまりこういう役をやる性分ではない自覚のある彼はあまり乗り気では無かった筈なのに、途中から結構乗り気になっていたことに気づいてホワイトボードに向かったまま口元を抑えた。
「で、それを踏まえて喜多ちゃんのなりたいギターボーカルって何?」
「私のなりたいギターボーカル……」
「結束バンドがお遊びのバンドじゃないのは知ってる。虹夏ちゃんは武道館ライブしたいって言ってたし、リョウは……多分アイツはベーシストで食えなきゃ野垂れ死にだし、ひとりは……高校中退する為に頑張ってるし……ごめん、やっぱり今のナシで」
「ナシにしちゃわないでくださいよ!?」
話によると、郁代はリョウに貢ぎたいと発言したことがある事を考えるともしかしたら結束バンドは意外とアレな思想のバンドなのかもしれないと男は呆れていた。
「で、答えは決まった?」
数分だけ何も言わずに郁代の答えを待ってから男は彼女に問う。これは彼女の音楽の中でターニングポイントになると彼は踏んでいる。
だからこそ、男は喜多郁代という人間を剥き出しにして出す音が聴きたかった。
「具体的にどうって決まった訳じゃないですけど、何となく、やりたいことが一個出来ました」
「じゃ、それやろっか」
「はい!」
郁代がピックを手にして、ギターを弾き始める。
(喜多ちゃんは上手くなるが先行しすぎなんだよ……今更だけど、彼女ほっといて別の子に入れ込んでるの凄くアレ)
「♪~」
流行りの歌に似ているけれど、聴いたことはない。
流行りの曲に似ているけれど、二度とは聴けない。
音というには、少しぎこちないけれど、悪くない。
「でも、良い音出てんだよなぁ」
その声は丁度変調した郁代のギターの音にかき消されて誰の耳にも届かなかった。
(私は多分、近道をしようとし過ぎたんだ。だから、やれることをやれるだけやってみる。多分今はそれで良いんだ)
郁代の出す音を男も黙って聴いている。それでも最初の頃よりは彼女目線では満足そうにしている。
しばらく郁代の演奏は腕がキツくなったと言って止めるまで続いた。
「うん、40点かな」
「ですよねー。でも、これがやりたいことです」
弾き終わった郁代の顔は今まで上手くやろうとしてミスを指摘されたり自分で気づいて事あるごとに絶望してる時よりは、良い表情をしていて男は見たいモノが見れて今日は満足だった。
あくまで今日は、の話だが。
「なら、良いんじゃない? それはそれとしてこれ全部やってきてね」
男から一枚の紙を渡された郁代は内容を見て目を剥く。彼の顔と紙を交互に見ても彼女の目に映った練習メニューは変わることはない。
さっきまで意訳するとやりたいようにやるのが良いという雰囲気を出した割にはガッチガチで拘束時間も長い練習量を笑顔で提示している彼を見て、郁代は思わず言い放った。
「私、人生をギターに捧げるとは言ってないんですけど!?」
「下手っぴナメクジ郁代ちゃんが好きに演奏したいなんて一兆年早いわ。バーカ」
高笑いをしながら男はSTARRYの階段を登って行った。
感想とか評価があると作者の中の承認欲求モンスターが無限に喜びます。