「大将やってる?」
男は深夜に小腹が空いてしまい、自宅周辺の地理を覚えることも兼ねて夜の散歩に繰り出していた。
最寄りのコンビニまでのルートとは逆方向に歩き、その先でたまたまおでんの屋台を見つけた彼は物は試しと暖簾を潜って席に着く。
「注文は?」
「はんぺんとちくわぶと大根。あと芋焼酎ある? ロックで」
「あいよ」
この屋台の大将は仕事人気質らしく、特に雑談をする訳でもなくおでんの様子を見ながら注文を待つスタイルで対応も早い。静かに飲む分には良い店を見つけたと男は機嫌が良くなる。
「いただきます」
「たいしょ~私も、同じの~」
「あいよ」
男が割り箸を持ってはんぺんの先にからしを付けて口に含むと、床に倒れていた右肩に流した三つ編みが特徴の女性が這い上がるように丸椅子に座った。
(……酒癖の悪そうなのが居るな、絡まれたら面倒だ)
芋焼酎を一口煽って、コミュニケーションお断りオーラを放つ男だが、女性の方は彼を泥酔してる影響でゆらゆらと揺れながら凝視する。
「あー? 元カレくんに似てる~。誰よりもベースを愛する天才ベーシスト廣井きくりで~す」
「聞いたことないし、人違いだ」
人違い以前に記憶がない男には真偽も分からないが飲んだくれには興味はなかった上に、仮にそうだったとしたら記憶を失くす前の自分の趣味を疑う。
思いの外芋焼酎を飲み切るのが早かった彼は芋焼酎をもう一杯注文した辺りで、きくりの方が聞いてもいない元カレ語りを始める。
「元カレくんはねぇ。ベース弾いてる時の私が好きでね~ギターとか楽器全般すっごい上手くて~あと滅茶苦茶お金持ってるロイヤルニートで~、あと私のこと大好きで~。って聞いてる?」
「聞く理由ないから聞いてない」
大根に染みた汁が男の味蕾の上でじゅわっと滲み出す。
食事の時はなるべく静かな方が良い彼としては、今横に居るきくりは邪魔でしかないが、それで味が変わる訳ではないので黙々と食事を進める。
「えぇー? あー、そうだー。元カレくん年一くらいで記憶喪失になってたなぁ。そのせいで別れたんだけどねぇ?
毎年名前覚えてもらうとこすっ飛ばして無理矢理抱かせて身体で覚えてもらうのもダメでさぁ」
「……ふぅ」
冷静に男は叫びそうになった自身を制する。
年一度に記憶が飛ぶロイヤルニートなどというモノは自身以外に居る筈がない。否、居てたまるかとちくわぶの穴にからしを塗ってやけくそ気味に咀嚼する。
食って飲んで飲んで飲んで、また食べて。男は体質的に、酒で泥酔することは多くないが、黙々と飲んでいるため酔いがいつもより早い。
(んだぁ? コイツ、メモにも乗ってなかったぞ。ひとりの件も書いてなかったし……そういう関係の女、あと二人位出てきたりしてな)
記憶を失くす前の彼が残したメモにはざっくりとした身の回りの情報しか残されておらず、人間関係は全く書いていないためにこういったアンブッシュが発生した時のことを想定した方が身のためだが、そんなことが出来るなら彼にはもっと健全な人間関係があった筈である。
「てかさぁ。さっきから話聞いてる?」
「聞いてねぇって言ってんだろ……うっぷ」
気持ちが悪くなってきた。吐き気を催してきた男は屋台に直で吐くと大将に迷惑が掛かるため、吐くなら地面に吐こうとしたのだが、左隣は柱が邪魔で顔を下に向けられず、端の席できくりに詰められている。
彼の取った選択肢は『後のことは後で考えて女の膝に吐く』だった。
「お゛お゛え゛え゛!!」
「ぎゃああああああ!?」
そのまま男は数秒吐き続けながらきくりの腰を腕でホールドして、吐瀉物が散らばらないように店側に配慮した。彼女の方には一切配慮しなかったことに彼は思ってたよりストレスだったことを自覚したことと胃の中のモノを吐き切ったことでようやく素面に戻る。
「あぁぁ……スッキリした。大将、勘定」
「マジ? 一言も無しに帰ろうとしてる? 私の勘定も一緒にしといて~……何か文句ある?」
「ないっス」
「じゃ、シャワーと洗濯機も借りるからヨロシク」
きくりに真顔で睨まれたせいで何も言えず、このまま放置して騒がれてあることないことをまき散らされても困ることにしかならないため、彼女を自宅に招く以外に選択肢はない。
面倒な女を過去に引っ掛けていた自分を恨む。なんでこんな女に手を出したのか、彼はひとりが家に来ていないことを確認出来るまで、人通りの少ない道を選び遠回りをし続けて自宅に三十分近く掛けて辿り着いた。
「洗濯機とシャワー勝手に使うね~」
「はいはい、勝手にしろ。酔っ払い」
急激に疲れが身体に出てきた男はベッドの上に倒れ込んで枕に顔を押し付ける。
少し前に洗濯して日干しした枕からはもう干したて特有のふわふわ感はないが、疲労の溜まった身体を眠りに誘うには十分な肌触りである。
「ふぃー。いい湯だった~って、寝ちゃうの~?」
「洗濯終わるまでじっとしてろ……」
三十分近く眠気と疲労感のミックスされた身体を毛布で包み心地良く眠りに入ろうとしたタイミングできくりがシャワーから出てくる。
男は家に置いていない酒の匂いを嗅いで薄目を開けて彼女の方を見ると、どこに隠し持っていたのか分からないパック酒を啜っているのが確認できた。ついでに彼女は下着の上にスカジャンを羽織っている珍妙な格好をしていた。
「飲む? まだまだわたしゃのめっけど……へくち! さみぃ」
「服着ないからだろ」
「私の服にゲロったのは誰だったかなぁ!?」
男の首の皮を抓ながらきくりが詰め寄る。流石に痛みで目を見開くもあんまりにも貧相な身体が見えたせいか妙に落ち着いたこともあり、毛布の隙間を無くして蓑虫のような状態で防御態勢を整える。
「ここは元カレの情けで、毛布に入れてくれるか温かいモノ出してくれる感じじゃないの?」
「だってそういうことする義理ないし、一応俺は彼女持ちだし、そもそもの話趣味じゃねぇ」
いつの間にかきくりの元カレが男という体で話が進んでいたが、理想の女性像としては同い年かそれより上の世代で、長い髪と年齢相応の落ち着きがあるタイプが好みで、一番男の理想に近いのはスターリーのPAスタッフである。
そのことを話すとひとりが再生不可能なダメージを負うことが簡単に予想できた彼は墓まで持っていかなければならないことを思い出して、より一層人間関係に嫌になった。
「え、彼女居んの? どんな子? お姉さんに話してみ?」
「やだ」
見た目の話ならばひとりは男の趣味ではないが、彼女のギターの音が彼を惹きつける。見たと言ってもバンド練習を見ただけなのに、聴いたこともない彼女の本気のギターを聴くまでは手放せそうには無いのを一番自覚しているのも男自身だった。
「良いじゃ~ん、聞かせるか私を温めろ~!」
「だ~!! 鬱陶しい!」
この後、結局ムラムラして抱いた。
◇ ◇ ◇
男が昼過ぎに目を覚ました時には食い荒らされた冷凍ピザと散乱したパック酒達の姿があった。二日酔いをした訳ではないが、ぐわんぐわんと頭に響く痛みが、彼をベッドの上から起き上がろうという気持ちを消し去っている。
(滅茶苦茶気持ち良かったわ……)
それはそれとして、それ以上に男は最中に何かの引っ掛かりを感じていたが、それを思い出せずにモヤモヤしている内にインターホンが鳴って、無視をしていると鍵が開く音がする。たかだが半月内の記憶ではあるが、覚えている限りでは男が合鍵を渡したのは今のところはひとりだけなので、変に身構える心配はなくなり彼は安堵した。
「あっ、お邪魔します……」
「おは……しにたい」
「あっ、ごめんなさい死にます」
「あー! もう面倒なオンナァ!」
頭痛と寝起きで死ぬほど機嫌の悪そうな表情で出迎えられたひとりは脳内ぼっち狩り裁判が開始、数秒で判決が決まる。判決は当然のように死刑になってひとりは破裂した。
その様子を見た男も破片の回収は死ぬほど嫌だったが、他の女を抱いていたことで後ろめたさもあったので渋々破片を集めた後に冷蔵庫にあったエナジードリンクの缶、略してE缶を破片に垂れ流して整形作業をする。
「多分こんなもんだっただろ」
「……あっ、すみません。ありがとうございます」
蘇生されたひとりがぺこりとお辞儀をするが、相変わらずは男の方は頭痛のせいで薄い反応を返している。それに対して彼女も流石に二度目なので破裂することもない。
先日、謎のずぶ濡れ撮影会をしたと郁代から聞いていたこともあり、体調不良の可能性は否定できずに不安になる。
「あっ、あの、大丈夫ですか?」
「……んー、あー……あと三時間くらいほしい」
這いずるようにその場をどうにか動いて、シャワーを浴びる。
一応きくりが後処理をしていったようで、匂いは残っていなかったが、リフレッシュするために湯で身体を洗い流す。
「ダルいな……動画撮影とかなら相手しなくていいか……」
弾いてみたというジャンルの動画を編集してアップロードしている。普段は自宅の押し入れに籠って撮影と編集をしているが、男の家の空のクローゼットで弾きたいと言い出すことがあり、週に一回程それを口実に男の家に上がり込む。
だからといって何か二人でしているかと言われると何もしていない。一応は恋人関係ではあるのだが、男にはそうなった時の記憶が無い。向こうからアクションを起こしてもらえるなら彼としても以前の関係性が分かるのだが、そういう手掛かりは一切ない。
「いいや、とりあえずスッキリした」
どうこう考えるよりは、とりあえず動く方が今の男には性に合っている。
脱衣場に出た彼は、身体に付いた水分をバスタオルで拭き取りラフな部屋着に着替える。着替えながら空腹を感じるものの、冷凍ピザはきくりに食べられているため腹を満たすには何かレトルト食品を調理するか、何かデリバリーするか買って来るか、要するにすぐ食べられる物は今冷蔵庫等にはないということだ。
「はふっはふ……あちち……」
「何食ってんの?」
「あっ……たこ焼きです」
男がシャワー上がりのさっぱり感を満喫していると、リビングに居るひとりが有名チェーン店のたこ焼きを宅配で注文して食べていた。
運ばれている途中で冷めているだろうと仮定して食べ始めたのだろうが、中身は熱々のままだったらしく、彼女は口元を抑えながら熱さに悶えている。
「……俺腹減ったんだよね?」
「あっ……はい」
「俺、この前勝手にピザ食われたんだよね?」
「あっ、あ……この子だけは勘弁してください……!」
初日にピザを食べられたことを未だに根に持っていた男はひとりのたこ焼きに目を付けた。
食いかけの個体はどうでも良かったが、それ以外の口が付いていない七個分は全て食らう覚悟を決める。食い物の恨みは恐ろしく、やられたからやり返す復讐の連鎖はこうして始まるのだった。
「じゃあそれ以外は食うわ」
「あっ……あっ……」
「うめ……うめ、うめ……」
人の不幸で飯が旨い。という言葉があるが、実際彼女の可哀想な顔を見ながら食うたこ焼きを男はそれなりに味わいながら完食した。
少し涙目になっているひとりだが、彼に一切の罪悪感はなく、食後の心地良さに満足している。
「……では聴いてください。『食べ物の恨みは恐しいギターソロ』」
「なんか始まったな」
ひとりが持ってきていたギターをケースから出して、ギターを弾き始める。彼女は発作のように謎の新曲を弾いているが、タイトルが毎回ネガティブなことに男はもうツッコミを入れなかった。
それはそれとして、彼女の演奏を聴くことに集中する。一人の時の演奏は彼の心を捕まえている。
暗い表情、それを大半隠してしまう伸びっぱなしの前髪、素材を殺す芋ジャージ。良い要素を全て隠した状態でのキレのあるギターソロ。
ある意味で一番ギターの音だけに集中できるソロのひとりのギターにどうしようもない程に聴き惚れる。
「……あっ、えと、どう。でした?」
「上手い。もっと聴いていたい」
わかりやすくひとりの表情が緩くなっていた。承認欲求モンスターに餌を与えているだけなのは分かるが、それをしてでも男は彼女のギターを聴いていたい気持ちが強くなり続ける。
「……あっ、もっとお願いします」
「うまあぁぁい!!」
だからこそ、雑でもやけくそでも褒める。褒めれば良いギターが聴けるなら何でもする気になる。
自分でも把握していない莫大な収入源をいくらでも使ってでも彼女を支えると、知らない自分が男の中で遥か昔に決めていたらしい。
「うへ……へ、へ……じゃあもう一曲、次の動画用に覚えた流行りの……」
今の男にはひとりのことはわからなかったが、今はこれでも良いと問題を後回しにした。
あらすじのセックスとドラッグの要素回収ヨシ!(現場猫並感)
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