(あ、なんか雑に褒めてほしくなってきた……)
夏休みが始まってから数日、最初の何日かは弾いてみた動画の撮り溜めをして編集をするだけなのだが、今一つやる気が出ない。
チヤホヤされたい。だから動画は投稿する。それによるコメントは投稿してからラグがある。すぐに褒めてほしい。というより何もしなくても褒めてほしい。
そんな承認欲求が膨れ上がり、ひとりはメッセージアプリで男に連絡をして返事を待った。
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(……何やってるんだろう? 喜多さんと一緒に居るならSTARRYかな?)
ひとりの家からだとSTARRYに着くまで二時間近く掛かる。動画投稿よりコストパフォーマンスと満足度が高い直の声を聞きたくなった彼女は夏休み期間に入って一度も外に出ていなかったため、最低限の身支度だけ整えて家を出る。
最近になってバンドを組んで良かったと思うことの一つが、男に会いに行く時の言い訳にバンドのことを使えるのが非常に都合が良いということだった。
(そろそろあの人と出会ってから1年位経つのかな……あの頃はこういう関係になるなんて思ってなかったなぁ)
電車に揺られながらひとりは男と初めて出会ってから少ししてからのことを思い出す。
(出会い頭で指を一本一本撫でられた時は正直気持ち悪いなって思ったけど、それで褒めてくれたからってのはあるけど……我ながらちょろ過ぎる……)
今もその頃も彼が彼女のギターに惚れ込んでいることには変わりないが、変わったことは多少なりともある。
例えば、昔は楽器を弾くことに対してはかなり否定的で、演奏したとしてもカスタネット以上に難しい楽器は触っていなかった。
故に、記憶のリセットが掛かった日に結束バンドのメンバーと演奏していた姿は、その場でひとりは結束バンドからハブられた方に気が行っていたが、家に帰ってからギターを演奏していることに時間差で驚いた。
(何でって思ったけど、今のあの人には多分前のあの人と違って楽器を弾きたくない理由がないのかな……? 楽器を弾きたくない理由を忘れたから、弾けるようになったとしても……嫌なことでも嫌になるくらいの出来事を忘れてしまうのは……良かったなんて私は何となくだけど、言えないな)
少なくとも昔よりは生きていて楽しそうな彼を見ているひとりには、記憶喪失の件をどうしようという気も無ければ、無理に過去を思い出してもらおうという気持ちはない。
しかし、彼が惚れ込んでいる彼女のギターはチヤホヤされたいという感情を起点にして、それを陰キャの孤独や承認欲求のマイナス感情を込めて積み重ねた物だ。
自身の過去の積み重ねを否定しながら、他人の過去の積み重ねを肯定する姿は彼女の視点から見るとかなり歪に見える。
(そういえば、あの日、バンドを組んでバイトも始めて……って話をしたら少し寂しそうにしてたっけ。その夜に全部忘れちゃったみたいだけど……私は、前のままの方が良かった? 家の押し入れに籠ってギターを弾いて、たまにあの人の前でも弾いてみせて、ギターヒーローでも後藤ひとりでもないギタリストの方が良かった?
……それは、ないな。もし、そうなら喜多さんを引き留めたことも、打ち上げの後に虹夏ちゃんと話したことも嘘っぽい話になんかしたくないな)
過去の積み重ねは記憶を失くしたことで忘れても、今の彼にはひとりが居て、それ以前にひとりも聞いたことのない過去のおかげで不労所得で生きるニートをしていて、彼女も割とその恩恵にあずかっている。
結局のところ過去は完全に失くなることなどないのだ。
(まぁ、そういう私は黒歴史を思い出してじたばたしてるから本当に人のことは言えないとは思う)
先日もひとりは、中学時代に国語の授業で教科書の音読をする時にナチュラルに順番を飛ばされて他の生徒にも気にされずに授業が終わった後、教師が最後の最後に気付いたせいで次回のトップバッターにされて緊張で噛みまくった記憶を思い出してのたうち回っていたところを母親に見られていたので本当に情けない。
(……ずるずる関係を引きずってきて、何となくわかってた気になってたけど、私はあの人の事全然知らないのかも)
ひとりがそう思うと自然と唇が少しだけ動いていた。
「もっと……知りたいな……っ?!」
車両内部に誰も居らず、ひとりの漏れ出た言葉を聞いている人間は誰一人居ないのだが、普段なら独り言なんてものを一切口にする性格ではない自分がそうしたことに自分が一番動揺していた。
(もし、誰かに聞かれていたら、窓を開いて飛び降りながら切腹をしていたかもしてない……)
そもそも走行中の電車から飛び降りる根性がないひとりにそんなこと出来る訳がないのだが、恋する乙女のような独り言を人に聞かれるなど、妹どころか飼っている犬にですら嫌だった。
(どうせ夏休みだし、今日は泊まって行こうかな)
男の家にはある程度置きっぱなしにされている着替えや彼女の私物が置かれている。
動画編集も撮影したデータはオンラインのクラウドサーバーとオフラインのハードディスクに二重で保存していて、編集ソフトもインストール済みなので動画投稿も不可能ではない。
(……何なら夏休み中はどうせバイトと練習以外で外に出ないからずっと向こうに居たいな……あの人のことは家族に言ってないから無理だけど)
今まで拗らせた陰キャのぼっちをやっていることは家族に周知されているため、今更一年前から年上の成人男性とお付き合いしていますなどと言った日には、動画だけではなく現実でもそんなウソをつき始めてしまったかと、心配されてしまう。
元々ひとりはパリピの真似やら何やらを家族に見られて盛り塩されることは少なくはないので、それこそ今更な話ではある。
(何をどうしようとか、何も考えてないけど、何はともあれあの人に私の音を聴いてもらおう……ちやほやされたい)
ひとりが男についてアレコレ考えているうちに、電車がSTARRY最寄りの駅に到着したため、思考を打ち切って電車を降りる。
念のため、まだ男が居るかを虹夏に確認を取ったひとりは、ほんの少し歩くのが早くなった気がした。
◇ ◇ ◇
ひとりがSTARRYに着いて一番に見た光景は正座させられて縄で縛られた状態で結束バンドのメンバーに囲まれている男の姿だった。
郁代はゴミを見る目で、虹夏は何とも言えなさそうな苦笑いで、リョウはいつも通りフラットだったが、三者三様に彼を見ている。
「え、あっ……あのこれってどういう状況なんですか?」
「後藤さん見ちゃダメ! アレは後藤さんの彼氏じゃなくて生ごみよ!」
輪に近寄った途端にひとりの視界が郁代の手のひらで遮られる。
「この人、パパ活青少年保護育成条例違反わいせつ物陳列男なの!」
(よ、余計分からない……)
「弁明すら言わせてもらえない状態でややこしくしないでほしいんだけど」
どうどう、と虹夏が郁代を宥めてひとりから手を離す。相変わらず男は縄で縛られた状態で、ひとりが連絡したタイミングから正座をしているため二時間以上は正座をしていたのにも関わらず涼しそうな顔をしていた。
「喜多ちゃんが説明すると偏向報道になりそうだから、今来たぼっちちゃんに説明するとね──」
事の発端は、数時間程前に男がSTARRYに来て通り道にあったコンビニで差し入れのお菓子や飲み物を買ってそれを入れたビニール袋をテーブルに広げていたのだが、その中に使用用途不明のゴム製の何かが混ざっていた。
それを発見した郁代が男とひとりの関係が爛れていると推測して彼を拘束してほぼ一方的に彼女が怒りや羞恥の感情の赴くまま罵倒しながら説教をしていたのだ。
ちなみに、虹夏は最初は郁代と同じ様な目を向けていたが、彼女の暴れっぷりを見てフラットになったらしい。
(喜多ちゃん喋りっぱなしでも息上がってない辺り、秘密練習のノルマはしっかりやってるんだな……偉いし嬉しいけど俺を説教するって方法で成長を見せてほしくなかったな……)
「バンド向けの楽器が上手い人間が女遊びしてない訳がないし、今時のJKはプラトニックラブばっかじゃないよ」
リョウがサラダチキンを齧りながら男のフォローをしているが、こういう細々とした食事で日々の栄養を賄っている彼女としては別に男のことは割とどうでも良かったが、彼の方はきくりのことや記憶を失くした初日のことを考えると大分見抜かれている気がして乾いた笑いしか出てこない。
この男のアレコレは今のところひとりが言いふらす性格でなかったり、バレる要素が無いから表に出ていないだけで普段は面倒見の良い楽器の上手い人で立ち回っている。そのつもりなので、今回みたいなことは大変良くない。誤解ではないが誤解を解いておきたい案件である。
(……どうしよう、このままあの人が出禁になると私の承認欲求モンスターがバーニング承認欲求モンスターに進化してしまう)
「くっ、リョウ先輩が言うならそうかもしれませんっ……!」
「リョウの言うことも三割くらいは間違ってないけど、いくら何でもイエスマン過ぎない?」
なんだかんだでリョウに言われた瞬間意思が弱くなる郁代が渋々縄を解き始める。
こういう風にダメな人間はダメなまま、なぁなぁで周囲に流されていくことは知られてはいるが、知られているだけだったりする。
「何で店員のミスで入ってたゴム一つで二時間も正座させられたんだか……」
やれやれと言いたげに男は長時間に渡る正座で痛めつけられた足を労りながら姿勢を崩す。
他のメンバーは差し入れを一人分ずつ貰ってから、折角メンバーが揃ったならSTARRY内で虹夏がほぼ勝手に不法占拠している練習スペースを使って練習しようという話になった。当たり前の様に男も同行していたが、頼りがいがあるかはさておき大人が居ると都合が良いこともあるので、結束バンドが活動する際は何かと彼が連れ出されることがある。
(リョウは安定してる。ソロでもバンドでも安定してるから特に気にする必要はないし、虹夏ちゃんは……まぁ普通だけど、学生のドラマーとしては十分な水準だし……喜多ちゃんは着実に上手くなってる。けど練習の成果が出てるかを気にしすぎ……で、ひとりは──)
最初は個人で苦手なパートを練習してから合わせ練習をするのを部屋の端っこで聴いているだけの男は、ただじっとしているのも暇だったので、各メンバーの音を分析しているとひとりがそろりそろりとすり足で近寄ってきた。
「あっ、あの……ちょっといいですか?」
「どしたん?」
「あの……肉声で褒めてほしくて……ダメなら良いですけど……」
(本当に最近酷いな……俺が育てたモンスターだから文句言えない感じはするけど……こんな女ばっかかよ)
「え、やだよ。今日なんもしてないじゃん」
「ぐにゃぁあ」
いつもは雑に褒めてくれる男が褒めてくれないとなった瞬間に溶け始めるひとり。最近彼女が溶けたり破裂したところで男が近くに居る場合は結束バンドのメンバーは彼に丸投げして何も気にしなくなった。
「はいはい。溶けない溶けない」
男も男で慣れてきたのか、予兆を見てから溶ける前に整形しつつ固める技術を習得しつつあったため、未知の形態変化以外には対処に掛かる時間が日に日に短くなっている。それはそれで面倒なのでいい加減にしてほしい気持ちが無くはない。
「でも、昨日は褒めてくれたのに今日はなんでっ──」
「昨日は動画投稿してたし、しっかり練習もしてただろうから褒めてあげたけど今日はしてないから、ダメ」
「あっ、はい……」
のそりのそりと自分のスペースに戻って行ったひとりは、承認欲求をバネに練習を再開する。
(言われてみればそれはそうだ。今の私は動画も投稿してないし、ギターも弾いてない……私はいつもそうだ、色々やってみるもののやる前に壁にぶち当たるし、誰もお前を愛さない)
冷静になったひとりは無難にバンド練習を終えて帰り際になんやかんやでゴネた結果男に褒めてもらい、気分良く男の家に泊まりに行った。
使用用途不明のゴムは星歌店長がしっかりゴミ箱に捨てて燃えるゴミの日に出してくれましたとさ。
承認欲求モンスターがアバれた数だけ強くなりそうなので感想と評価お願いいたします。