(流石にひとりでも怒りそうだなぁ。今度何かお詫びに奢るか……)
ようやく動ける程度には胃が落ち着いた男は出来るだけ急いでSTARRYに到着した。
雨で多少濡れた階段を下ると、結束バンドのオリジナル曲が聴こえる。
(普通。なんか乗り切れてないな。特にギター……周りの空気なんて──)
「食い破っちゃえよ、ひとり」
そう呟くと、男の声が聞こえたのかひとりのギターソロが始まる。
普段一人で弾いている時ほどではないにしても、ライブで実力が出ていることに満足しながら、受付の手続きを手早く済ませる。
(今から最前列は行きづらいな……)
「おい、オメー何遅れてんだよ」
男が空いているカウンター席に座ろうとすると、後方からライブを眺めていた星歌が背後から男にヘッドロックをかける。
「ちょっと色々あって……おげっ……マジで吐きそうなんでやめてください」
男が吐きそうになって顔を青くすると、星歌が無慈悲に彼を投げ捨てる。
胃の中がシェイクされる感触で吐き掛けるが、そうすると吐けなくなるまでタコ殴りされることは想像に難くない。
吐き気を何とか飲み込んだ彼は星歌と共に後方で立ち見を強制させられる。
(……ライブが終わったら、褒めないといけないのか)
今までの男はひとりのギターを聴いた後は、かなり雑に褒めていた。今回はライブでギターソロをやったとなると、ひとりの要求が酷いことになりそうで、ライブが終わった瞬間に直帰したくなった。
二曲目からということもあり、すぐに結束バンドの出番は終わってしまう。若干の物足りなさを感じた男は、一曲目からちゃんと聴いておけば良かったと後悔する。
ライブ終了後にステージの片付けが終わると、星歌が結束バンドといつの間にか湧いてきていたきくりとPAスタッフを連れて、打ち上げに行くことになった。
「おし、このニートの金で打ち上げ行くぞ」
「奢るのは良いけど。店長、俺の扱い雑過ぎないか?」
『ごちになります!!』
ライブハウスの隅っこで片付けを手伝っている振りをしていて周りのことを見ていなかったひとりを除いた全員が良い声で男に感謝を述べる。ちなみにリョウの声が一番大きかった。
居酒屋にしても高級焼肉にしても、自身の分を含めて八人分の代金くらいで痛む男の懐ではない。が、当たり前のように奢りになっていると、それはそれで少し癪ではある。
そんな男の気持ちを無視するように、ことはとんとん拍子に進み、近場の居酒屋で打ち上げが始まる。
「俺、ウーロン茶飲むけど、ひとりは何か食う?」
「あっ、じゃあフライドポテトで……」
各々、好き勝手に飲み食いしながら今日のライブについて話している。そんな中でひとりは端の席で男を壁にしながら注文してもらったものを飲み食いしているだけで、まるで会話に参加していない。
喋ろうとすると誰かの声を遮ってしまう不安で喋れなくなり、その内に自分が会話に参加しなくてもなんだかいい感じに会話が弾んでいるから、話題を把握出来ていない自分が下手に参加して話を掘り戻させてしまって盛り下げる必要もない。と、会話することを放棄してしまうのが打ち上げでのひとりの生態である。
「ぼっちちゃん二曲目から凄いノリノリだったよねー。もしかしてギターソロまで溜めてた?」
「あっ、いや……腕温まってきて……それで調子出ました」
本当は男が来るまで調子が出ず、ギターソロのタイミングで運よく彼が到着しただけなのだが、虹夏が良い感じに解釈してくれているならそれでよしとして訂正しないでおく。
(間違いなく先生が遅れて来たからでは?)
ドラムの配置の都合上、後ろから見ていた虹夏は気づいていなかったが真横に居た郁代は気づいていた。
しかし、そういう所を指摘してしまうと後々、次のレッスンで無駄にノルマが増えたり、弄りがキツくなる。今回は打ち上げの場でもあることを考えて敢えて指摘せずに黙ることにした。
「そういえば今日会ったあの変な子……STARRYには来てなかったな」
「また年下の子にちょっかい掛けるつもりですか?」
PAスタッフがナチュラルに男のことをロリコン紛いの扱いをしていた。現在高校一年生の女子と付き合っている成人男性という肩書はどう考えても犯罪者のソレであるため、男も強く否定はできない。
「そういうんじゃないけど、何か人探してたらしいんだよな……すっげぇ聞き覚えある特徴だったけど」
男がほぼ対角線上の位置で日本酒をヤケ酒の勢いでがぶ飲みしているきくりを半目で見ながら、大槻の言っていた特徴を思い出す。
どう考えても様子のおかしい飲んだくれベーシストの姿がある。男が自分でも知らない過去の情報を集めようとすると、どうしても元カノという関係上きくりから話を聞くことが最短距離ではある。
しかし、常に酔っぱらっている人間の過去の話という、かなり怪しい情報源で過去を知りたくはないと男は葛藤していた。
その様子を見た星歌が口を開く。
「お前とアイツ。初対面だと思ってたけど、どっかで会ったことあんのか?」
「おでん屋でたまたま会って……そん時にリバースかました」
「初対面の女にリバースしたのか、お前」
星歌がドン引きしていた。男はきくりとの関係がひとりに知られなければ何でも良かった上に、今更評価が落ちたところで痛くも痒くもない。
「わっ、私、あのお姉さんのおかげでライブする勇気が持てて……その、今日のライブもああいう演奏出来たのもアドバイス貰ったからで……」
フライドポテトが届いてから常に何か食べて会話に参加しない口実を作っていたひとりが男の服の裾を掴んでくる。
(うおお、そっちかぁ。でも、あの女との関係はバレてなさそうだからヨシ!)
「お、おう。そっか、上手く行って良かったじゃん」
「うへ……へへっ、へ……」
予想外のタイミングで話し掛けてこられて、男は雑にひとりを褒めた。思ってたよりそれが効いたらしい彼女は悦に浸った笑みを浮かべる。
彼はちょろい女だと思いつつ、打ち上げが始まってから引っ付かれてるため鬱陶しさと暑さを感じてきた。一度外の空気を吸いに座敷を立ち、出口付近で乱れてもいない服の襟を無意識に整えて外に出る。
(ふー。夜だと外も冷えてきたな……丁度いい気温)
通行の邪魔にならない位置で、店から離れる訳でも無い距離で、深呼吸をして外の空気を濁った肺の中の空気を入れ替える。
下北沢の飲み屋街から見上げる夜空で星が見える訳もなく、すっかり暗くなった空だけが見える。今はそれくらいの情報量の方が今日のライブを振り返るのにマッチしていた。
(あのギターソロいつも聴いてた以上に──)
「あのサイン覚えてたなんて、キミも罪な男だねぇ」
「お゛っ゛って変な声出たじゃん。てかサインって何の話だよ」
背後から無音で脇腹に触られて奇声を上げる。男が振り返ると酔っぱらって少しふらふらしているきくりが立っていた。半ば放心したような状態でだったせいか、彼女の接近に気づけなかったようだ。
「ああ、覚えてた訳じゃないんだ。しっかり記憶喪失継続してんのね。
お店出る時のあの仕草、アレ。昔付き合ってた時こっそりその場を抜け出すサインだったんだよ」
「急に重たいんだが?」
それが本当の話だとしたら、身体に染みついている程にはそういうことをしていたという事実ときくりの方もそれに未だに覚えていて、そのサインにしっかり反応されている状況は男が過去の自分を少しだけ知りたくなくなるには十分だった。
「私をバンドマンに蹴堕としといて、そんな言い方するなんて流石は私の惚れた男だよ。とりあえず爪剥いで良い? 親指と薬指」
「よくねぇわ! というか、そういう話。俺にされたってどうしようもないっての」
「分かってるよ。その上でやってんの」
男は記憶が無いと言いつつも、今のやり取りに身に覚えのない懐かしさを感じてしまっているため、きくりの言うことが真実であることは嫌でも理解できる。
こういった事実を知る度に身体の中の五臓六腑ではないナニかの内臓の重量が増えていく感覚がする。
「このアマっ」
「ごめんごめん。懐かしくってさー」
「三十路が近づくとノスタルジックになっていくな大人は」
今付き合っている筈のひとりより会話をしていてリズムが噛み合う。口数の少ない相手とはいえ、バンドマン的にはテンポが良い方が身体に馴染む。それが気持ち悪くなって身をよじる。
(ゲロ以下だな、我ながら)
「ノスタルジックは置いといて結局はああいう子が好きなんだねぇ、歴史は繰り返すってやつ?
いやぁ、わかるよ? 私も男だったらひとりちゃんのギターを聴いたらずぶずぶにして一生手元に置いとくと思うから、キミがああいう子を見逃してないってことの方が嬉しいかな」
夜風のせいか、いつの間にかきくりの酔いは醒めていて素面で語っていた。男の方もその雰囲気に飲まれて、何となく彼女が見れなくなって辛うじて見える明るい星を見つける。今、その目を見てしまうと、ようやく見つけた星を見失ってしまいそうだった。
「知らん。俺が見つけたらしくて、俺が惚れ込んでるんだよ」
「それで良いよ。趣味が変わって無くて安心したし、それなら──」
夏には肝を冷やして体温を冷やそうという風習があるということは、記憶の無い男でも夏のテレビ番組の特番で知っていることである。
それを抜きにしても、身体は既知であると叫んでいるのに、意識は未知であると訴えていてどうにかなりそうになりながら体温が下がっていく恐怖が男を締め付ける。
「もう一度私のベースで惚れさせるだけだから」
「──っ」
「しけちった。戻って飲み直すわ」
数秒、頭が真っ白になっている最中にきくりが店に戻っていく。金縛りが解けたように深呼吸をし直して、肺の空気を入れ替えても吸っている空気に変化はない。
(あの目。好きなのは昔っからかよ)
ほんの一瞬。男が見てしまったきくりの目は、その目を男はこの一ヶ月の間で幾度も見てきていた。
ひとりがギターを弾いている時のギラついた目と同じなのだ。だからこそのあのきくりの言葉でもある。思っていたより自身の過去の根が深いことを、思わぬタイミングで知ることになった。
(……俺も一杯くらい飲むか。あぁ、でもあんだけ放置してたらひとりが大変なことになってそうだな)
祝いの席で険しい顔をしても仕方がない。今の彼女の心配をしつつも苦笑いしながら男は店に戻る。
◇ ◇ ◇
(一杯だけっつっても、一気飲みしてたんじゃ身体に毒だろうが……たく)
打ち上げが終わり、男は自宅に帰ってきてベッドの上に身を投げる。当たり前のようにひとりも上がり込んでいた。アルコールで動けない今はありがたい限りではあるので彼も何も言わない。
「あっ、あの、大丈夫ですか?」
「頭ぐわんぐわんするけど、なんとか」
ひとりがシャワーを浴び終え、いつものピンクのジャージを着た状態で男が横たわっているベッドに腰を下ろす。
彼女が何か気になっている様子なのを察した彼は、それを言うように促す。
「あっ、あの……お姉さんと外で話して、ましたよね?」
「そうだけど、どうかした?」
見られていたなら、そこで嘘をついても意味がない。声音だけはあっけらかんとしている男の腰の上にひとりが乗りかかり、マウントポジションを取る。
彼の視界に入ったひとりは目に焦りが、頬はシャワー上がりのせいか上気して赤くなっているように見える。
「私、ベースは弾けないですけど、ギターは10万再生されるくらい人気ありますし。あと、まだ高校生なのと髪の毛長いのとちゃんとした家住んでるのと、あとえと、あと」
いつもの様子と明らかに違うひとりに少しだけ困惑しながら、起き上がりながら彼女のギターを弾き続けて硬くなった指に触れる。
きくりと話していたところを見てしまって不安になってしまったことまでは、男にも理解できる。だからといって今の謎のセールスポイントの羅列はアルコールが回っている頭では飲み込み切れなかった。
「ストップストップ、何の話?」
「お姉さんと話してたことも気になってますけど、それ以上にライブ終わったのに、まだちゃんと褒めてもらってない。です」
口を開く度にひとりが徐々に男に身体を寄せる。一番最初に接触した部位のせいで男の理性が吸われていく。
(あ、そっち? え、ちょっとは可愛い嫉妬の仕方するじゃんって思ったのにな……)
「なら、今からそうする」
今はそんなことはどうでも良いかと、男は思考を放り捨てた次の瞬間、ジャージのジッパーを下ろす音がした。
土曜日か日曜日に投稿しようと思いましたが、承認欲求モンスターが感想欲しくない?と囁いてので書き上げてすぐ投げました。
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