ゼロの忠実な使い魔達   作:鉄 分

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エピローグ 破壊と創造
エピローグ 1 土くれと枢機卿


 

 止まない雨が無いように終わらない戦いは存在しない。どれだけ激しくどれだけ規模が巨大だろうと、その流転がその根本が変わることはあり得ないのだ。

 日蝕が終わり、タルブの村は青空を取り戻した。晴れ晴れとした何処までも突き抜ける清冽な青は、地獄のようなあの戦場のことなど知る物かと透き通っている。アルビオン軍とトリステイン。両国の命運を定める戦争は、圧倒的な災厄の乱入という形で幕を閉じた。その戦いに勝者などいない。その戦いを知る者も殆ど存在していない。全ては偉大なるブリミルとサイバトロン星の神のみが知っている。人々は戦史に記された推測や童話でしかその戦いを知ることしか許されなかった。

 

 戦争の終結から既に幾日もの月日が過ぎ、トリステインやガリアは通常通りの毎日を取り戻しつつある。いつも通りの毎日が帰ってくる狭間の日常を、彼女は彼女に課せられた責務を果たしながら過ごしていた。

 

 

「天変地異か、そうでなければ悪夢としか思えない、ねぇ。――――まったく誰も何も分かっちゃいないんだ。あのお方のことを。ま、仕様がないことかねぇ。あの方のことを知らない連中に、この戦争の結末を記せなんて無理に決まってる。有触れたことを書いてお茶を濁すことが精々だろうさ。お前さんも――――そう思うだろう?」

「へ、へへへ。さっきからなんだってンだ。訳のわからないことをのたまうなんざ随分と余裕じゃねえかよ。えぇ?土くれ。」

 

 

 ゲルマニア特別経済区。そのほぼ中心部に位置する太守の邸宅にて土くれのフーケ。もとい、マチルダオブサウスゴータは問いを投げ掛ける。目を通し終わった報告書を執務机の上に放り投げ、視線を戻す。彼女の前には一人の大柄な男が身を震わせながら佇んでいた。

 男の手には大量の書類。その内容は自身の不正に関するものだった。余さず記された犯罪の動かぬ物的証拠。自身が追いつめられたことへの恐怖からか、身体の震えは止まっていない。雇用主と被雇用者。その立場の違いは明白だ。領民から裏金をせしめたという明白な証拠までも突きつけられては言い訳の仕様もなかった。

 しかし、男の瞳には追い詰められたものにしては不釣り合いな余裕があった。

 

 

「見くびるんじゃねえよ。――俺は知っているんだぜ。お前杖を捨てたんだってなぁ?杖を捨てるなんざ何を考えてるか知らねえが、いくらお前があの土くれだろうとも、武器を持ってねぇ相手なんざ怖くないんだよ。」

 

 

 懐から取り出されたものが男の精神的余裕を取り戻させた。じろりと視線を向けた先。マチルダの目と鼻の先には風の魔力が練り上げられた一振りの杖が構えられていた。強く纏われる風の魔力。トライアングルクラスのメイジ相応の威力は持っているだろう。直撃すればただでは済まない。

 

 

「――――はぁ。お前さんには随分と目を懸けてやったのに。まさかこんな形で恩を返されるなんて思いもしなかったよ。まったく領地経営も楽じゃないねぇ。帳面の上の数字を見る方が目の前の人を見るよりもずうっと楽だ。」

 

 

 額に手を当てながら項垂れるマチルダだったが、その表情から怯えは微塵も感じられない。自身は何の武装も所持していないというのに、杖を突きつけられているとは思えないほどの余裕だった。慌てる様子のないマチルダを前に、男はその強硬な態度をやや軟化させた。

 

 

「なぁ、このまま見逃してくれよ。いいじゃねえかこれくらいのつまみ食いなんざ。この程度の裏金なんざ何処の貴族でもやってることだ。それに俺たちは元々盗賊だろう?同じ盗賊出身として少しくらいは便宜を図ってくれてもいいんじゃねえか?」

 

 媚びへつらう様な声音で語りかける男を前にマチルダの眉根が一層険しくなった。

 中途半端に刈り上げられた短髪が目につくこの男。マチルダに雇われている傭兵たちの中でも古参の内の一人だった。男は腕利きの傭兵兼盗賊として裏社会ではそれなりに名の知れていた人物だ。裏社会に拡がる人物評通り、中々に優れた能力を有していたためマチルダからの重用を受けていた。

 領地経営において男の経験と管理能力は相応の貢献があったが、これまでに経験したことがないほどの大金や高い地位に当惑されてしまったのかもしれない。人の上に立つ人物としてやってはならない禁を、男は大きく逸脱してしまったのだ。

 

「お前には恩がある。俺だってお前を痛めつけるようなことはしたくない。このまま俺を見逃してくれ。お前が目を瞑ってくれれば、それでこの件はもうおしまいだ。――――俺はもう二度とお前の前には姿を現さねえよ。」

「残念だねぇ。お前さんは私がまだ盗賊だったころから付き合いのある数少ない部下の内の一人だったっていうのに。――――まぁ、もう姿を見せないっていう意気だけは認めてやるよ。ただ、――――――――一つだけ間違っている点があるよ。」

 

 

 無論。マチルダは、部下の不正を看過する程無能ではないし、温厚な人間でもない。そうでなければ、あの御方の部下として引き抜かれることなどないからだ。盗賊として身を窶し、数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女は非常に優秀で冷徹である。その彼女が、武器を一切持たないとはどういうことなのか。杖を突きつけられても余裕を崩さないということ。

 つまり、――――――

 

 

「――――――………■■■。」

「お前さんはあたしを舐めすぎだ。これでもあたしは臆病者でね。何の備えもせずに、ただお前さんを呼び出している訳がないだろうに。」

 

 

 追い詰められた状況を覆すだけの戦力を彼女が有しているということである。

 マチルダの呼応に対応するように、ぬらりと立つ闇がその場に現れる。

 黒いフードが盛りあがり、見る見るうちに大きくなった。フードの先から覗く一つ目の視線。吹き出す出血の様に光るその赤い眼が目の前にいる男を捉えてはなさない。

 

 

「――――――は?」

 

 

 男の口から洩れる乾いた笑い。経験豊富な元傭兵兼盗賊であっても目の前に現れた二メイルを超える巨漢に困惑を抱かざるをえなかった。マチルダの脇には、何もありはしなかったからだ。執務室に何者かが入ってきた様子などは一切ない。脱ぎ捨てられたフードと二人以外には誰も何も影も形も存在しなかった。

 にも拘らず、その巨人は出現した。

 

 

「――――ッ!!! 俺の杖が…………?」

 

 

 男が気付いた時にはもう手遅れだった。男の持つ杖。節くれだった小ぶりな戦杖はその半ばから断たれ、機能を果たさなくなっていたのだ。眼にもとまらぬ刹那の斬撃。異常とも思える伸縮する刃は、間違いなくマチルダの脇に佇立する巨人の仕業だった。男は困惑するが、納得のいく答えを導き出すほどの余裕も時間も残されてはいなかった。

 

「■■■■■■■■■。」

 

 フードの奥から覗く焔の様な一つ目と、銀影輝かせるその刃。腰を拉げたような獣じみた骨格など、その全てが人間以外のものを意味していた。奇妙な金属音を響かせながら歩を進める巨人を前にして、男は既に腰砕けになっていた。杖が無くなればメイジはただの人同然だ。男が呆然自失となることも当然だろう。

 びっしょりと玉のような汗をかく男を前に、マチルダは冷然と言い放つ。

 

 

「今ここで死ぬか。くすねた金を置いてこの場から消えるか。好きな方を選ばせてやる。さぁ――――――お選びよ。」

 

 

 マチルダの言葉に反応するように、巨人もみじろぎをする。伸縮する刃が、男を威圧するように空を切った。吹き出す血液の様に光る一つ目が男を強く射竦める。

 

 

「ひっ――――――うわあゝあぁぁぁぁあああああああぁぁぁっっ!!!!!!!!」

 

 

 びゅうびゅうと唸るその刃と人外の巨人。それらおぞましい怪異を前にして、男は幼子の様に泣き喚きながらその部屋を後にした。マチルダの執務室には、袋一杯に詰まった金貨と一つ目の巨人だけが残される。先程までの態度は何処へやら、ドアを乱暴に蹴り上げながら脱兎のごとく男は逃げ出した。

 そのやや情けない様子に溜息を吐きながらマチルダは隣に立つ巨人に礼を述べた。

 

 

「お疲れ様、リード。悪かったねこんな瑣事に付き合わせちまってさ。」

 

 

 リード、とマチルダに呼ばれているこの巨人。役目を終えたと判断したのか、自身の身体をぶるりと振るわせると再び雲散霧消してその場からいなくなってしまった。否、いなくなったのではなかった。かろうじて目に見える程度の粒状物体となって室内を徘徊していたのだ。何もない場から突如として出現した理由はここにある。その巨体は黒いフードを纏っただけの張りぼてであり、目くらまし。薄い刃を何枚も重ねたような痩身。その実態は、一体ではなく無数の極小金属生命が蝟集して形作った群体だった。

 マチルダは相当の信頼をこの群体においているのだろうか。周囲を漂っている金属生命体群を前に非常にリラックスした態度を見せている。

 

 

「やっぱりリードがいると仕事が早くて助かるよ。あたしが杖を捨てたって噂を流したら案の定だ。把握できない裏であくどい事をやっている部下を炙り出そうと流させた噂だったが、…………良い具合に撒き餌になってくれたみたいだねぇ。また同じようなことがあるだろうからその時はよろしく頼むよ。お前さんがいれば怖いものなしだ。情報も幾らでも集まるようになったしね。まさに百人力さ。」

 

 

 リードマン。

 それがマチルダに与えられた新しい力だった。無数のマイクロボットが集合した諜報索敵・情報収集専門のディセプティコン。ありとあらゆる場所に潜入する能力を彼は持っている。地球にて唯一残されたオールスパークの欠片を奪取する際にもリードマンは重要な役割を果たしていた。サンディエゴにあるポイントロマNEST特別海軍基地において厳重かつ厳重に秘匿されていたオールスパーク奪取は彼の貢献なくして成功しなかっただろう。

 その能力は領地経営における一つの革命だった。マチルダは与えられたこの新しい力を存分に使用した。その成果は巨大だった。ありとあらゆる情報は徹底した無駄を排し、超低率の税金や貸付金を可能とした。より多くの雇用が促進されると同時に組織の強い透明性を確保することに成功した。個人の才覚では消して為し得ないレベルまで経済区経営の水準度は高められたのだ。

 

 

「■■■■…………――――。」

「リードマン。連なったもの、を意味する言葉が名前の用心棒か…………。お誂え向きだねぇ。まったく、私にぴったりの存在だよ。お前さんは。」

 

 

 ゲルマニア特別経済区はゲルマニア屈指の高収益特区となり、国家財政に少なくない恩恵をもたらすことが期待できるようにまでなった。ほんの僅かの期間ではとても考えられない偉業である。ここまで巨大な功績を打ち立てることが出来れば大半の人間は有頂天になるだろう。名誉も富も欲しいままにすることが出来る立場を確固としたものにしたのだから。

 

 しかし、マチルダは違った。

 この成功が与えられたものであることを彼女は知っている。操り人形である自分を、黒幕を隠すベールでしかない自分自身の存在を。分を超える行動をとるほどマチルダは傲慢ではないし、自身を直視するだけの冷静さも持ち合わせていた。

 

 

「(分かっている。――――分かっているよメガトロン様。リードはあたしに与えられた力であり、あたしを縛る首輪の役目も持っているんだろう?強力な使い魔は、体のいい首輪ってわけだ。あたしがリードの力を利用して経営を上手くいかせるもよし、持て余して放置するもよし。ただし、あたしが反乱を企てるようならそのままあたしを殺して新しい操り人形を設えちまえばいい。簡単なもんだ。何も問題はない。まったく――――あたしはやっぱりどこまでもあんたの掌の上で踊らなきゃならないようだねぇ。)」

 

 

 

 窓の外から見える光景。子供たちと一緒になって遊ぶハーフエルフの少女を視界に写す。健やかに育つ孤児の少年少女達。皆と懸命に働いてより良い暮らしを送ろうと努力をする沢山の人々。見る見るうちに開墾され一つの都市として成長する大地。太守としてマチルダが背負うものはますます重く大きなものになっていた。この期に及んで放り出すことなど叶わない。最早マチルダ一人の意思ではどうにもならない領域にまで彼女は踏み込んでいた。

 

 

「――――メガトロン様。届いた情報を見れば推測できる。恐らくあんたはこの場所にはもう居ない。…………何処だかは知らないが、もといた場所へ帰ったんだろう。でも、それでも俺の下から離脱することは許さない、……か。どこまでもメガトロン様はメガトロン様って訳だ。」

 

 

 太守としての名誉、人々の賞賛、莫大な富。僅かの間にそれら数多くの宝物をマチルダは得ることが出来た。しかし、ただほど高いものはない。宝物を得るためには等しく、それに見合うだけの代償を支払わなければならないのだ。マチルダを縛る軛はより強く、その傍らに侍る力はより凶悪なものになっていた。もう逃げ場など、どこにも存在していない。自分はこのまま進み続けなければならないのだということをマチルダは強く心に戒めた。

 

 破壊大帝の残された意思がマチルダを逃がさない。

 懸命に生きる人々の笑顔とリードマンの妖しく光る赤い瞳が、マチルダを捉えて離さないのだ。

 

 執務机の上で手持ち無沙汰にごろりと転がっているリードマンの腹を指先で撫でながらマチルダは呟く。

 

 

「オール・ハイル。メガトロン。…………メガトロンに永遠の繁栄を。」

 

 

 無限に湧き出る銀影の軍団。一群にして一塊のディセプティコンを従えながらマチルダは進み続けた。

 メガトロンの残した意思を威光を築きつづけるために。

 

 

 

 ▲

 

 

 

「…………仕方がなかった。仕方がなかったんだ。」

 

 

 もう幾度とも知れない呻き声をあげながら、マザリーニは懺悔した。何度繰り返されたか最早分からない程にその懺悔は繰り返されている。しかし、数を数えることすら諦めたほどの懺悔でもその声はマザリーニの耳に届き続けた。

 

 身体を内側から焼かれた人間の声とも知れない声が、何時までも彼を責め立てるのだった。

 

 

「仕方がなかった…………。誰があんな結末を予想できたというんだ……?私は……私は悪くない。私はトリステイン宰相として求められた決断を下しただけだ…………。そうだ……そうとも。私は悪くない。私は――――。」

 

 

 トリステイン宰相兼枢機卿という地位を持つ者としてはあってはならない程にマザリーニは錯乱していた。髪は振り乱され、自室は荒れ放題に荒れている。机の脇に転がる高濃度の酒瓶が小さな丘になっているほどだった。だが、浴びるほどに酒を飲もうとも酔いが回ることはなかったし、届けられたこの書類が消え失せてしまうことも起こらなかった。目の前にある文章が揺るぎない物的証拠として存在し続けている。動かない糾弾の礎。それは、最早言い逃れすることが出来ないのだということを彼に自覚させた。

 

 

「――――あの鋼鉄の巨人へ、知らせていれば。…………こんな膨大な犠牲を生むこともなかったのだろう。…………そんなことは分かっている。…………前もって把握していたアルビオン侵攻の報。…………その情報はあの巨人も知っていたようだが。なによりも、……恣意的にその情報を改竄し歪めて伝えたのは、…………この私なのだからな。」

 

 

 その声は荒れ果てた室内に滞留し、消えてなくなった。

 奸智に長けるメガトロンが何故、アルビオン侵攻を予期することが出来なかったのか。その原因がここにある。マザリーニを筆頭とする重臣数名とメガトロンは内々に通じ、疑似的な同盟関係を結んでいた。相互に有用な情報を交換し会う互恵関係。互恵を名目とした相互利用。その同盟関係にある相手からもたらされた情報だったから。そして、トリステイン宰相という重要地位にある人物からの報せだったからこそ、メガトロンは欺かれてしまったのだろう。

 

 だが、謀られた状態を見過ごすほどメガトロンは甘くない。破壊大帝を騙しとおすことなど叶わないのだった。

 

 

「――――ここまで、見透かされているか。」

 

 

 マザリーニは絶望する。

 目の前にある書類には自身が目論んだ謀略が、これでもかと克明に記されていたからだ。自分しか知らない筈の計画が何故ここまで露見しているのか。幾ら推測してもあの超常を誇る金属生命体相手には何を考えようが無駄だった。

 

 トリステイン侵攻という危機に際して、マザリーニは一つの絵を描いた。その構想は果断かつ冷酷。ゲルマニアを相手に同盟もとい吸収という名の危機に瀕していた小国トリステインにとって起死回生の一手。トリステイン宰相として求められる決断をマザリーニは下したのだ。

 

 

「アルビオン侵攻の報を意図的に握りつぶすことで、我がトリステイン領へと引き入れる。自国内への大軍侵入という国家存亡の危機。その稀に見る有事を前にしてヴァリエール嬢はそのまま黙してはいないだろう。彼女を嗾けることが出来れば、ひいてはあの使い魔を戦場へと引っ張り出すことへと繋がる。それはつまり、トリステインの勝利を意味する。あの使い魔に力を発揮してもらえれば侵攻するアルビオン軍など問題ではない。加えて、トリステイン単独でアルビオン軍の侵攻を阻止することが出来たと周辺諸国へと喧伝すれば、同盟をこちら側に有利な条件で結ぶことが出来る。実際の虚実はどうでもよい。あの使い魔をコントロールすることが出来れば、あの力をこちら側の戦力として考えることが出来れば。トリステインの独立を欲しい儘にすることも不可能ではない。…………侵攻を受ける際発生する犠牲は少なくないものがあるだろうが、トリステインの独立を死守する為の犠牲だと思えば…………」

 

 

 マザリーニの呟きは恐ろしいほどに無機質だった。感情を押し殺して淡々と呟かれたそれらの言葉はともすれば感情のないマシーンのようでもあった。

 マザリーニは小国トリステインの枢機卿である。如何に他国出身の枢機卿だろうとも、トリステインが小国であろうとも、枢機卿を務める自身に強い自負を持っていた。トリステインという国家の為に何が出来るのか。どの選択を採ることで利益を最大化することが出来るのか。国民全員を幸せにするという理想論に逃避するのではなく、どの程度の犠牲までであれば受け入れることが出来るのかという現実的視点に立脚した冷静な思考。

 

 

「…………独立を維持するための犠牲だと思えば…………」

 

 

 

 マザリーニの決断は功を奏した。アンリエッタの意向もあってゲルマニアとの同盟はお流れになったが、トリステインの独立は堅持されている。国力を大幅に失ってしまったが、それに倍する損害をアルビオンは負っているのだ。当面の間、アルビオンからの侵略はないだろう。国家存亡の危機は去ったのだ。小を切り捨て、大を救う。大切なものの一方を選択し、残る片方を捨てることが出来る人物。トリステインに墜落したかつてのディセプティコンとは違う。捨てるという選択を受容することが出来る人物。トリステインという小国にとってマザリーニの様な枢機卿は不可欠なのだろう。マザリーニが決断しなければ、現状のトリステインはありえないのだから。

 だが、

 

 

 ――――――………………。

 

 

 囁くような呪いの声がマザリーニの鼓膜をくすぐる。

 アルビオン軍による凌辱窃盗などありとあらゆる蹂躙を受けたタルブの住人達。鋼鉄の巨人によって惨殺され肉塊へと加工されたトリステイン軍兵士達。彼らの怨嗟の声がマザリーニを捉えて離さない。地の底より這い出るような怨念。ただ一方的に虐殺された者たちの悔恨の念は如何ばかりか。とどまるところを知らない怨念は無視できるほど小さいものではなかった。

 

 マザリーニの選択がこれ程の損害を生んだ。

 

 その決断がトリステインを救い、ひいてはより多くの国民を救ったのだった。

 しかし、捨てることが出来ることと、捨てることに耐えられるか否かは別である。マザリーニは捨てることを受け入れることが出来る人間である。だが、これだけの国民を切り捨てる選択をしたことは、これまでに一度もありはしなかった。

 実際の現場にてその惨劇をその血に塗れた地獄を目の当たりにした以上逃げることは許されない。多数の国民を生贄に捧げたのだという罪科がマザリーニを縛り付けていた。

 その罪科の重みに対してマザリーニは既に押し潰されそうとなっていた。

 

 

「…………叶えなければ。…………叶えなければ。」

 

 

 マザリーニはうわ言のように呟く。まるで、その指示に従うことで背負う罪科から逃れることが出来るのだというように。彼の前に積み上がる紙束。克明に記された罪科を贖う贖宥状のようにあるそれが、彼にとって唯一の逃げ場になっていた。謀られた状態を見過ごすほどメガトロンは甘くない。裏切りという罪に対して破壊大帝は相応の代償を求めている。その代償が、目の前にある紙束である。様々な融通、口利き、裏取引の強要。有体に言いきってしまえば脅迫の類いである。破壊大帝が求める代償は苛烈かつ、重い。トリステイン宰相という肩書があってもそれらの要求を全て実現することは難しいだろうと思われた。

 しかし、マザリーニを取り巻く環境が拒むことを認めない。破壊大帝の要求は何があろうとも満たされなければならないのだ。震えた唇がその御名を囁く。本来あるべき神の名をどこまでも蔑ろにして。

 

 

「…………オールハイル・メガトロン。…………メガトロンに栄光を。」

 

 

 脅える魂が許しを乞うて彷徨い続ける。

 トリステイン宰相であるマザリーニ。その身に背負う罪に怯えて、破壊大帝の絶対的な脅威に縋りつづける哀れな男。自らの許しを求めて、魂の救済を求めて。彼もまた、目の前にある大きな流れに絡め取られることになるのだった。

 

 

 

 

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