純粋にぐだとマシュを好きな人、ぐだマシュを好む人は閲覧しないことを勧めます。
あと批判、中傷はしないでください。無自覚の善意も悪意もいらないので
「隣、いいかな?マドモアゼル」
「…………」
問いかけておきながら、返事も待たずに横に座る新宿のアーチャー、もといモリアーティ。そんな彼のマスターである文無影緋(ふみなしかげひ)は面倒くさそうに、温度を感じさせない目で彼の方を見た。その目を向けられたモリアーティは、憶することもなく、けらけらと笑う。それが余計にマスターの琴線に触れたのだろう。さらに不機嫌になっていく。
「はっはっは!!そんな怖い目をしなくてもいいだろう?別に私は君を取って食おう、なんて微塵も思ってないんだからネ!!」
「……」
「おやおや、そんな顔されるのは心外だねぇ。私は本当のことを言っているだけだよ?純粋に君を心配して、やって来たのだから」
「心配、ね……」
その単語に、ようやく影緋が反応する。だが、その表情は歪に笑っているようで、とてもじゃないが良いものとは言えない。しかし、それを見てもなお、モリアーティは笑顔を崩さない。彼女が一人、彼らから離れた理由を勘づいているからだ。
「別に心配されるようなことはしてないよ。むしろ、心配してやる相手ならあっちにいるだろう?『自分が怪我することにも構わず、襲われている人を助けに行った主人公とヒロイン』が」
皮肉気に唇の端を歪ませ、そう言い放った影緋の目は、明らかな侮蔑と嘲笑が含まれていた。だが、そうなるのも仕方のないことだと言えるだろう。今回にも限らず『主人公とヒロイン』は散々なことをしてくれていたのだから。自覚のない善意ほど恐ろしいものはない。どの世界にも共通するものだ。
「別に、私の言葉は必要ないと思うよ?なにせ、彼らには優秀な騎士サマがいるんだからネ。私一人の言葉なんて、彼らにとっては舞台のヤジみたいなものさ」
「……分かりやすいような、そうでないような……」
「まあ、深く考えなくてもいいさ。今回ばかりは、私もすこーしだけ怒ってるからネェ。正義感も善意も人間と物語には必要不可欠だが、押しつけと行き過ぎはただの蛮勇と偽善になる。それを教える人間はいなかったのか?」
「私が言ったところで、聞き入れてくれると思うか?」
「んー、無理だろうネ!!」
はっはっは、と笑うモリアーティの姿に溜息を吐く。しかし、その拍子にずきり、と脇腹が痛み、思わず小さく呻き声をあげる。それに気づいたのだろう。笑い声と不真面目な空気を引っ込め、真面目な顔で彼は問いかけた。
「大丈夫かい?」
「……大丈夫、耐えられる痛みではある」
「嘘は良くないネ。その傷、結構深かったと私は記憶しているよ?もうこの際だ、私が治療してあげよう」
「それ完全に事案だよな?」
「本気で心配しているサーヴァントに対して言って良い言葉じゃないよネ?それ」
(だって、普段の行いがアレだもんなぁ……)
普段から散々悪巧みに振り回され、その度にこっちは頭を痛めているのだ。まあ、それが彼の役割であり、逃れられない生き方だから仕方ないともいえるが。……ただ、ジャックやアンリマユ、茨木童子を巻き込むのはやめてほしい。時々シャレにならないこともあるし、酒吞童子や燕青が悪ノリしだして収拾がつかなくなることがあるから。
そんなことを内心で呟きながら、影緋はその治療を素直に受けることにする。痛み止めは完全に切れてしまったようだし、このじくじくとした痛みを放ったままにしてしまえば、モリアーティの足を引っ張ってしまう可能性がある。それだけは御免だ。
べたり、と張り付いた黒くなりかけた塊をばりばりと剥がしながら、抑えていた布ごと礼装を捲り上げる。つん、と嗅ぎ慣れてしまった鉄錆の臭いと露わになった傷口の深さに、モリアーティは眉を顰めた。
「やっぱり、ちょっと化膿してるみたいだね。言ってはアレだけど相当グロイことになっているよ?」
「うっげ、マジか。痛み止めで我慢したツケが回ってきちゃったかぁ……」
「仕方ないさ。あの状態じゃ、痛み止めを飲んだだけでも優秀な判断と言えるからネ。落ち着いて治療、なんてのんびりしたことはできなかった訳だし、応急手当だけが、私たちに唯一あった治療法だった」
「あー、なんか思い出すと腹立ってきて、いだだだだ!!無言で水をぶっかけるな!!痛い!!痛い!!消毒液がこれ以上ないほど沁みる!!」
「いやー、その反応を見るに大丈夫そうだネ。ちなみにこれ消毒液じゃなくて私がこっそり持ち込んでいたウォッカ」
「まさかのウォッカ!?」
「そして出所はあの金色の王様だよ。もちろん、許可は取ってない」
「それ完全に死亡フラグだよな!?見つかったら即ぶっ☆コロ確定案件だよな!?あだだだだだだだ!!アルコールが、アルコールが滅茶苦茶痛い!!」
「なんか楽しくなってきた。もう一本追加していいかい?」
「良いわけないだ、いだだだだ!!返事をする前に追加するなぁあああ!!」
無慈悲にも二本目のウォッカを傷口にかけるモリアーティの目は、完全に楽しんでいる。だが、それに気づく暇もないほどの痛みに襲われている影緋は、ばたばたと足をばたつかせ、絶叫を上げる。いつの間にか手は拘束されており、動きを制限されていると気付いた時には、もう動く力も残されていなかった。幸い、と言うべきか、計画的と言うべきか。傷口周りにタオルを押し付けられており、礼装は濡れることはなかった。だが、いろんな意味でボロボロだ。主に精神的にも、肉体的にも。
「イタイ、イタイ……」と涙声で呟きながらごそごそと拘束から手を引き抜き、痛み止めを飲む影緋を尻目に、ウォッカの瓶を処理したモリアーティは、満足げに頷く。
「これで治療は完了だネ。と言っても、本格的な治療はしておいた方が良いと思うから、カルデアに戻ったら婦長さんに診てもらうことを勧めよう」
「下手すると、この皮膚剥がされそうな気がするんだが……」
「それは、うん!!ないことを祈ろう!!」
「その変に言いよどむところが逆に心にくるわ」
できれば、サンソン先生とかに任せたいなぁ……。いや、婦長が嫌って訳じゃないけど、あの人治療のために拳銃ぶっぱしてくるから……。そうぶつぶつと呟きながら、影緋はゆっくりと寝転がった体勢から、座る体制をとる。どうやら、痛み止めが効き始めたようだ。流石、カルデア産の痛み止め。即効性はありがたい。
まあ、そのカルデアに戻るために、解決しなきゃいけないことがあるわけだが。
はあ、と溜息を一つ。感情を吐き出すように、影緋は遠い目をしながら、空を見上げた。
今日のレイシフトは、至って普段通りになるはずだった。
特異点の影響で現れた残党を倒すため、やって来た藤丸立香とマシュ、そして文無影緋。だが、その普段通りから外れた理由。それは、今回のレイシフト先にいる敵が、混沌・悪を持つ属性に特効を持っているというところだ。あいにく、本人の相性の影響か、どうなのかは定かではないが、影緋の召喚したサーヴァントは混沌・悪しかいない。ならレイシフトについて行かなければ良いと言う声もあったが、場所は難易度の高く、危険が多い特異点。マスターは二人いた方が危機を免れる可能性が高いということで、もしもの逃げるための作戦を作るのが得意(まあ、他にも悪巧み関係なら優秀とも言うが)なモリアーティを連れて行き、偵察を担当することでレイシフトを開始した。
そして敵の特効が入らないという秩序・善のサーヴァント……もとい、円卓の騎士を連れた立香とマシュと共に残党を蹴散らしていったのだが……。
最後の敵の反応があった深い森林の中。
草木が生い茂る……どころか無造作に育っている森は、葉が月光を遮り、まともな光も入らない。その中をゆっくりと、警戒しながら進んでいく。いつ不意打ちがあっても、即座に行動できるように。
そして進んでどのくらいの時が経った頃だろうか。不意に、小さな声が聞こえた。いったい何だろうか、と立香とマシュにその場で待機してくれと頼み、影緋とモリアーティは偵察のため、その声のもとへとゆっくり近づいて行く。そして、少しだけ開けた場所を見つけ、身を潜める。
暗い森の中、必死に目を凝らせば、そこにいたのは
『子供……?』
わんわんと泣きじゃくる子供。服装から、先ほどまで魔物に襲われていた村に住んでいたのだろうと分かった。魔物から逃げ続けて、ここまで来てしまったのだろうか、と考えるが、すぐさまそれはおかしいということに気づいた。
何故なら、子供の服があまりにも綺麗すぎたのだ。こんな深い森を、それこそ魔物に追われて逃げていたのなら、傷だらけになってもおかしくはないはずだ。実際、影緋もこの森に入ってから、木の枝や葉に引っかかって、擦り傷を作っているし、礼装だって泥や血が付着している。
その不審な点に気づいたのは、影緋だけではなかった。隣にいたモリアーティも眉をしかめ、彼女に耳打ちする。
『マスター、君も気づいたかい?』
『ああ。あの子供、明らかに怪しい。魔物に襲われてこの森に入ったなら、服装が綺麗すぎる。そのうえ、魔物に襲われた傷も見えない。見えない部分につけられているとしても、それなら服に血が付着してもおかしくないし』
『その通り。そして先ほどから、私たちは魔物に遭遇していない。この森に入って優に2時間は経過しているのに、だよ?それはつまり』
『あの子供は囮で、私たちが助けに入るのを待ってるってことか……』
『そして一網打尽、ってところかな。このひらけた場所だと、隠れるところもないうえに、人間は誰かを助けるタイミングが一番隙を見せる状態になるからネ。どうやら、魔物の方は相当な知性をお持ちのようだ』
本来魔物は群れで行動するが、このような作戦を考えるまでの知性は存在しないはずだ。いや、一部例外はあるが。普通の魔物なら、あのように泣いている子供の声を放っておくはずがない。すぐさまその子供に襲い掛かり、肉を喰らうだろう。だが、今回の魔物はその本能的な手段を取らなかった。つまり、今回はその一部例外を引いてしまったらしい。
面倒なことになった、と影緋は舌打ちをする。ここまで頭の回る魔物相手なら、小細工など通らないに等しいだろう。下手して子供を助ければ、こちらがやられる。
だが、逆を言えば、自分たちが助けに行くまで、あの子供は無事なままだとも言える。囮は死んでは意味はない。それこそ、死体になってしまえば、本末転倒だ。なら、それなりに時間はあるはず。もちろん、悠長なことはしていられないが。
ここは一度、立香とマシュのもとに戻り、作戦を考えるしかないだろう。そう二人はアイコンタクトを取り、ゆっくりとその場を移動しようとした時だ。
一番聞きたくない声が、飛び出してきた。
『マスター!!子供が!!』
『待ってて、すぐに助けるから!!』
がさがさと音を立てて、横を見知った存在たちが通り過ぎていく。そして影緋とモリアーティの制止の声を出したと同時に、子供のもとへとたどり着いてしまった。
瞬間、ざわりと背中をなぞる殺気が
『っ、モリアーティ!!』
『了解!!』
反射でその場から飛びのき、モリアーティに瞬間回避をかける。ざざ、と勢いのついた足を地面に無理やり着けた直後、風を切る音と鈍い音が。視線だけをそちらに向ければ、そこにあったのは人一人を優に貫けるであろう槍と、木の幹に刺さっている矢。少しでも飛びのくのが遅ければ、今頃槍と幾多の矢に体を貫かれていただろう。死の手招きに、冷や汗が流れていくのを感じた。
だが、それに捕らわれている暇はない。
『あいつらはっ』
ばっと視線を子供の方に向ければ、子供を抱きしめ守っている立香と盾で防御するマシュ。そして魔物と交戦している円卓の騎士たち。だが、守る対象を持ちながらの戦闘は、防衛戦になる可能性が高い。つまり、こちらが不利な状況に追い込まれてしまった、と言うことだ。
面倒くさいことをしやがって、と舌打ちをする影緋。正義感を振りかざし、猪突猛進に行動するなら、勝手にしてろ!!だが、私たちを巻き込むな!!そう言いそうになった口を引き結ぶ。ここでごちゃごちゃ言っても状況は良くならない。なら、せめてこの状況を好転させる。生き延びるための道は、それしかないのだから。令呪だってもう使い切ってしまった。自力でどうにかするしかない。
『モリアーティ!!何か作戦はあるか!?』
『んー、残念ながらすぐには思いつかないねぇ!!ただでさえ、この老体に鞭打ってる状態なんだから!!』
そう軽口を返すモリアーティの表情も、良いものではない。この魔物たちは、混沌・悪に対して特効持ちだからだ。一度でも攻撃を喰らえば、重傷は免れないだろう。下手すれば、そのままカルデアに強制送還もあり得る。そうなれば、更に戦況は悪くなる。少なくとも、自分のマスターが死ぬことになる。それだけは避けたい。
敵の攻撃を紙一重でかわしながら、せめて隠れながら戦う場所を、とモリアーティはマスターである影緋の手を引き、開けた場所から抜け出す。次いで、もしものためと持っていた閃光弾を放てば、魔物たちは目を押さえ転げまわった。
その隙をついてさらに距離を取り、大木の幹に寄りかかり、束の間の休憩をとる。ぜえ、はあ、と荒げた息が口から止めどなく吐き出された。
『想像してた数よりも、魔物の数が多いみたいだネ。いやはや、この森のどこに隠れていたんだか!!』
『軽口叩いてる暇があるなら、早くこの状況を突破できる策を思いついてほしいんだが!?』
『あっはっは!!すまない、現実逃避でもしてないとやってられないから、ネ!!』
上空から襲い掛かってきた魔物を魔弾で撃ち落とし、その場から転げるように逃げる。その数瞬後、大木がへし折られ、ぎらついた目をした魔物がのっそりと現れた。どうやら完全にロックオンされたようだ。いや、あれだけ派手に閃光弾を放ったのだから、当たり前ともいえるが。続々とやって来る魔物に、思わず口角が引きつる。自棄になりたいが、それをしてしまえば確実に待っているのは死だ。じりじりと近づいてくる魔物から目を逸らさず、距離を取る。警戒を怠れば、襲われる。
そう、分かっていたはずなのに
『マスター!!』
珍しい、モリアーティの焦燥に満ちた声。その声の意味を理解するよりも早く、脇腹に鋭い痛み……いや、炎を押し付けられたような熱さを感じた。予想もしていなかった状況に困惑しながら、何が起こったのかを理解しようと脇腹に視線を向ける。そこにあったのは、ばっくりと開いた生々しい色の肉と、とめどなく流れる己の血。
それを自覚した瞬間、影緋の口から絶叫とも悲鳴とも言える声が零れた。
『あ゛、が、ぁあぁあああぁあぁあああ!!』
痛み、なんてレベルではなかった。脳が警鐘を鳴らし、その場に膝をつきそうになる。しかしその寸前、腕を引かれたことにより体はそちらに傾き、ぐらりと視界が揺れる。視界の端で、鈍い音を立てて刺さる血塗れの槍が見えた。
『マスター、すまないが気絶だけはしないでくれ!!君を抱えながら戦うのはいくら私でも無理がある!!』
『ぁ、が、』
襲い掛かってくる魔物たちの攻撃をよけながら、影緋が意識を手放さないように話し続けるモリアーティ。そんな彼の言葉の通りにしようと、力の入らない手を必死に動かし、礼装のポケットに入れておいた痛み止めを口に入れ、噛み砕く。即効性に加え、優しさの半分も薬の成分になっているそれはこの世のものとも思えぬ程、苦い。
『っ!!』
『マスター、意識はしっかりしたかネ!?その薬の味の感想は!?』
『痛みが消えるくらい苦かったよ!!二時の方向!!弾数、四十二!!』
ドガガガガ、と魔弾が宙を舞い、魔物を貫く。その魔弾は威力を維持したまま地面を抉り、その場に硝煙を起こす。それに戸惑う魔物の隙を突き、素早く移動しながら傷口を布で縛る。じわ、と白い布が途端に真っ赤に染まった。
『どうする、このままじゃジリ貧だぞ。敵の数は確かに減ってるが、こっちが不利なままだ』
『一度彼らの場所に戻るという手もあるけれど、それまでに私の魔力がなくなる可能性の方が高いネ。賭けに出るには、あまりにも勝ちの可能性が少なすぎる』
『なら、ここで仕留めるしかないってことか?』
『そういうこと、だネ。そら、噂をすればってやつだよ!!』
モリアーティの声と同時に、瞬間回避を掛け、飛びのく。頭上スレスレに迫った爪は、影緋の頭を容易く砕くことができるほど鋭く、ぱらり、と掠った黒髪が宙を舞う。そして連続で繰り出される斬撃を、紙一重でかわし続ける。だが、サーヴァントではなく、ただの人間である影緋の体力が限界を迎えるのは必然とも言えた。
『っ!!』
がくん、と膝の力が抜け、体が地面に倒れ込む。何とか持ち直そうとするが、そんな隙を見逃す魔物ではなかった。起き上がろうとした影緋の背中を、鈍いと音を立てて魔物がその体を押さえ込む。がふ、と空気と血が口から吐き出された。
『マスター!!』
いつもの飄々とした空気をかなぐり捨て、マスターを助けようとモリアーティは彼女のもとへと走る。だが、周りを魔物に囲まれ、それ以上近づくことができない。
必死に足掻く影緋と、敵を屠りながら彼女を助けようとするモリアーティの姿は、相当愉快なものなのだろう。にやにやと魔物は口角を上げながら、見せつけるようにゆっくりと、その爪を上に掲げる。
そしてその爪が、影緋の頭部を、
かちり、と秒針の鳴る音。
それが聞こえたと同時に、じり、と手の甲が熱くなった。
それは、日付が変わった合図。
そしてそれは、令呪が回復した合図
『令呪をもって命ずる!!アーチャー、敵を殲滅しろ!!』
瞬間、影緋の体を押さえていた魔物が粉々になった。次いで、轟音を立てながらモリアーティの周りにいた魔物も消し炭になっていく。いや、魔物だけではなく、木々も巻き添えにする魔弾は、魔物を全滅させるまで……その場を荒野に変えるまで放たれ続けた。
『……無事かい?マスター』
『……これが無事に見えるなら、相当な節穴だな』
『そんな減らず口が出るなら、大丈夫みたいだネ』
『そっちもな、いっててて……』
魔物の気配が完全に消えたのを確認して、モリアーティは影緋に声をかける。見たところ五体満足のままでほっとしたが、立ち上がろうとした影緋の口からこぼれた、痛みを訴える声に慌てて彼女のもとへ走る。脇腹の部分から、ぽたりぽたりと布が吸収しきれなかった血の雫が落ちていった。
『マスター、傷口が、』
『大丈夫。それよりも、あいつらのもとへ戻ろう。二回くらいの応急手当でなんとかなるから』
そっと手を自身の傷口に添えれば、魔力が循環し、脇腹の傷を少しだけ癒す。だが、応急手当は時間をある程度開けなければ、再度発動はできない。なら、元の場所に戻りながら行った方が効率的だ。モリアーティの肩を借り、立ち上がる影緋。一応お姫様抱っこをやろうかとふざけて言ったが、冷めた顔で却下された。
そのまま、よたよたと覚束ない足取りで荒野から森の中へと移動する。思いのほか、遠くまで来てしまっていたらしく、元の場所へ戻るまで時間がかかりそうだ。沈黙に耐えきれなかったのか、それとも退屈だったのか、いつもの調子を取り戻したモリアーティが口を開いた。
『いやぁ、今回は本気で死ぬかと思ったよ。タイミングよく令呪が回復して良かった。あのまま、魔物に遊び感覚で殺されるなんて、勘弁願いたいものだ』
あの瞬間、令呪が回復していなかったらどうなっていたか。優秀な頭脳を持っていなくたって分かる。確実に生きてカルデアに還ることはできなかっただろう、いや、モリアーティのような英霊なら、強制送還で済むだろうが、今を生きているマスターは違う。血をまき散らしながら息絶えていく姿を想像して、モリアーティは眉を顰めた。
一方、影緋もその言葉に自分の死にざまを想像してしまったのだろう。モリアーティと同じように、眉を顰めた。
『うっげ、生々しく想像しちまった……。あー、傷口のエグさ思い出しちゃったじゃんか、どうしてくれる』
『それは想像力豊かな君が悪いんだろう?』
『言い出したのはそっちだろうが』
『えー、私の責任かーい?』
軽口をたたきながら、ゆっくりと足を進める二人。その姿がぼろぼろでなければ、いつも通りのことだと言えただろう。
だが、不意に影緋が口を閉ざす。沈黙の中、モリアーティが彼女の方を見ればそこにあったのは、ぐるぐるととぐろを巻いている瞳。黒色のそれに宿った感情がどんなものか、モリアーティには理解することはできない。それは、彼女だけのものだから。しかし、察することはできる。今回の事態で悪いのは誰なのか、なんて明確だからだ。
そしてどれだけの被害をこっちが被ったのかも、明白だ。
『……一番責任を取らせたいのは、あいつらのほうだけどな』
『……まあ、それに同意しておこうか』
「偵察」の単語を辞書で引かせて意味を問いただしてやりたい。一体、なんのために自分たちが一度様子を見に行ったのか。全部無に返され、巻き込まれたこっちとしては、たまったものじゃない。一歩遅ければ、影緋はあの魔物たちによって殺されていたのだから。
二回目の応急手当を発動し、ようやく出血が収まる。それと同時に、目的の場所に戻れたようで、聞き慣れた声が聞こえてきた。すう、と深呼吸を一つ。傷口の、血が見えてしまう部分に新しい布を巻き、血が付いていることを誤魔化す。
これは、影緋にとっての意地みたいなものだ。くだらないと一蹴されるかもしれないが、これだけは譲れない。何か言いたげなモリアーティを視線で黙らせ、二人は彼らの前に姿を現す。何事もなかったという風を装って。
『影緋!!』
戻ってきた二人に気づいたらしい立香が、走ってくる。さあ、なんて言葉で話を始めようか。放たれる言葉によっては、穏便に終わるかもしれない。むしろ、そうしたい。今はもう、血を流し過ぎて頭がくらくらする。魔物相手に逃げ回って、体力の限界なのだ。早く休みたい、
『なんでこの子を助けなかったんだ!!』
『…………は?』
ぴしり、と空気が止まる。
まさかの発言に思わず唖然とする影緋とモリアーティ。だが、そんな二人にお構いなし、と言う風に、立香は言葉をさらに重ねる。
『なんでこの子を早く助けなかったんだ!?俺たちよりも早く見つけたなら、魔物に襲われる前に、すぐに助けることだって出来たはずだろ!!あんなに泣いてる子を、どうして……!!』
影緋の胸元を掴み、そう怒鳴る立香の目には涙が浮いている。後ろにいるマシュも子供を抱きしめながら、涙目でこちらを見ている。立香のサーヴァントたちも。いや、見ているんじゃない。睨んでいる、の言葉の方がぴったりだ。
つまり、立香の後ろにいるマシュたちは、立香と同じ思いを抱いている。そう影緋とモリアーティに伝わせることは、難しくなかった。
あまりの言い様に固まっていた影緋だったが、我に返るとその言葉に対して否定を口にする。
『いや、助けなかった訳じゃないぞ?明らかに囮にされてると分かったから、いったんお前たちに相談してどう助けようかと思って、』
『その間にこの子が殺されてたらって、考えなかったのか!?』
『いやいや、囮が死んだら本末転倒だろ。それがわかってたから、私たちは一度下がろうとしたんだ』
『それでも、この子が死なない保証はどこにもないだろ!それに戦った魔物からこの子が逃げ切れるはずないって、影緋も分かってただろう!?それなのに……!!』
どこまでも、言葉は平行線を行き来する。決して交わることのない意見は、徐々に感情の吐露となる。
ぎり、と影緋の胸元を掴む立香の手に、力が入る。興奮状態になっているのか、頭に血が上っているのか。その顔は真っ赤に染まっていた。
それに反して、影緋は自分の頭からすう、と血の気が引いていく音を聞いた。次いで、ふつふつと胸の奥が熱くなっていく。
本気で怒った時、堪忍袋の緒が切れる、と言うが、どうやら本人が自覚しないほどの怒りを抱いた時、頭は氷のように冷えるらしい。新しい発見だな、と心の中で現実逃避のようなことを呟きながら、しかし抱いた感情はそのままに、影緋は自分の胸元にある立香の手首を掴む。
ぎりり、と軋む音。痛みに思わず振りほどこうとした立香を見る影緋の黒色の目には、明らかな侮蔑と、憤怒。そして殺意があった。
ひ、と立香の喉から引きつった声が上がる。後ろで見ているマシュたちも、影緋の行動に思わず臨戦態勢をとる。だが、それを見たモリアーティの目もまた、冷めきっていた。
『あのさあ、私とモリアーティが行った偵察の意味、本当にわかってるのか?』
口から放たれる言葉はどこまでも冷たく、地を這うような低さ。けれどその声が、態度が、掴まれる手首の痛さが、彼女の怒りを顕著に表していて
『ただでさえこっちは少人数で行動して、敵のテリトリーに入り込んで、不利な状況を有利に変えるために、私たちはいるんだぞ?それなのに、「自分の命を犠牲にして子供を助けろ」ですかそうですか。あっはは、流石主人公様とヒロイン様、騎士様たちは言うことが違うなぁ』
『そ、そんなこと言ってな、』
『へえ、じゃあ、なんて言ったんだ?もう一回聞かせてくれよ、なあ?』
にっこり
満面の笑みを浮かべる影緋。この場に似つかわしくないそれは、普段であれば、それこそカルデア内であれば、喜べるものなのに。ひっ、とマシュに抱えられた子供が悲鳴を上げる。
その黒色の目は、全く笑ってなんていなかった
『これまでも私、ずっと言ってきたよな?軽はずみな行動は身を滅ぼすからやめておけって。せめて自分の命を優先して、周りを見て戦えって』
そう、今までだって何度も言ってきた。
命の危機に瀕した時、誰かが危険にさらされた時、自分の命を優先し、周りの状況を分析して戦えと。猪突猛進を直さなければ、身を滅ぼすと。
なのに、毎回毎回勝手に行動し、考えた作戦を無に返され、そのしわ寄せをこちらが喰らうのだ。そのせいで、何度死にかけたことか。もう両手じゃ数えきれない、思い出すことさえ億劫だ。
私は「主人公」と「ヒロイン」の身代わりじゃない!!
『そのうえ、逸れてた私たちに対しての第一声がそれか。それってつまり、「私たちの命よりも、その子供の命の方が大事」ってことだろう?』
『、あ……』
違う、と反論したかった。
けれど、そう言い返せる材料を、立香たちは持っていなかった。
影緋の言う通り、彼女とモリアーティの命の心配よりも、子供の命を助けなかったことによる怒りの方を優先した。それが、雄弁に物語っていた。
二人の命よりも、子供の命を優先していたことを
さあ、と顔を青くさせた立香に、心底呆れた、と言う風に溜め息を吐く影緋。次いで、掴んでいた手を振り払うと、ふらふらと後ずさる立香と顔を蒼白にしているマシュ、そして気まずげに顔を逸らすサーヴァントたちを一瞥する。
ああ、子供、また泣いちゃってるな。怖がらせてしまったか。そう心の中で思ったが、それだけだ。可哀想だとは思う。けれど、それ以上に感情を動かされることはなかった。
そして感情を鎮めることなく、淡々と最後の言葉を口にする。
ある種の、訣別の言葉を
『今回のことで、よくわかったよ』
『お前たちの「守るべき世界」の中に、私は入ってないみたいだな』
それなら、私もお前たちなんてどうでもいいよ
吐き捨てるように言葉を綴り、その場から立ち去る。そして完全にその姿が見えなくなった後、ゆっくりとした足取りで彼女が消えた跡を追うモリアーティは、くるりと振り返ると、言葉もない「主人公」と「ヒロイン」、「騎士たち」に、言葉を放った。
まるで、台本のような、仰々しい物言いで。
『おめでとう!!君たちの手で、悪は裁かれた!!』
『だからそんな顔をする必要はない!!』
だって、君たち(主人公)が「悪」と断定すれば、それは悪になるのだから!!
その「悪」を裁いたことを、誇りに思うと良い!!
遠回しに極上の皮肉を込め、モリアーティは今度こそ影緋のもとへと向かう。ざあ、と「主人公とヒロイン」と、「悪役と脇役」の間を冷たい風が通り過ぎていった。
まるで、線引きのような、冷たい風が。
「……色々とやらかしておいてあれなんだが、カルデアに戻るのって、あいつらと一緒じゃなきゃだめなんだろ?」
「まあ、そういうものらしいからネ」
「……気まずいにもほどがないか?」
「それこそ今更だろう」
合流した時のことを考えたのだろう。「ああああ……」と情けない声を上げて頭を抱える影緋の顔色は、お世辞にも良いものとは言えない。それはそうだ。わき腹に魔物の一撃を喰らい、出血多量と激痛で気絶しかけていたのだ。今はマシになったとはいえ、今度は過剰なストレスを与えられ、メンタルもガリガリと削られている。本当に散々だな、とモリアーティはマスターに対して同情の目を向けた。
「まあ、あっちとしてもあそこまで言われてしまえば、話しかけるのも躊躇うだろう。だったら、無理して話す必要もないんじゃないかな」
「……カルデアに戻ってもそのままでいい?」
「…………ウン」
「なんでそこで遠い目をするんだ?こっち見ろよぉ!!」
カルデアに戻ったらどうなるか、なんて考えたくない。片や「秩序・善に好かれるマスターとヒロイン」片や「混沌・悪に好かれる脇役」。相性最悪なのは目に見えて明らかで。むしろ今まで何もなかった方がおかしかったのだ。まあ、影緋の言葉をきこうとしなかったあの二人が鈍かっただけかもしれないし、影緋も影緋で最後の情けをかけていたせいでもあるが。
だが、今回のことで影緋と「主人公とヒロイン」は明らかな亀裂ができた。いや、亀裂と言うより溝と言うべきか。カルデアに戻れば、間違いなく誰かがこの状態に気付くだろう。その末に何が起こるか、なんて、深く考えなくたって分かる。これはダ・ヴィンチ氏に事情を説明しておいた方が良いか……。流血沙汰にならないことを、祈るしかない。他にも、もしものための味方を作っておいた方が良いだろう。
頭の中でこの先起こるであろう出来事に対する算段を立てながら、モリアーティは未だに顔を蒼白にさせたままこちらの肩を掴み、揺らしてくる影緋を見やる。
いつも皮肉気に笑い、しかし冷静に考えて手段を選ぶ彼女を嫌うサーヴァントは、少なくとも彼女の召喚した中ではいない。それはそうだ。いくら振り回され続け、死にかけ、スレるしか道がなかったとしても、根っからの人の好さが消えるわけじゃない。影緋が嫌いなのは、あくまで「自分に害をなす、またはその結果を生み出す」存在だけだ。
自分の持っている手札を全て使い、手招く死に抗う影緋を守るためなら、力を貸してくれるサーヴァントはたくさんいるだろう。いつもからかって影緋に〆られている最初に召喚された彼とか、なんだかんだ言って気に入った相手には世話好きになる彼女とか……。挙げれば挙げるほど、キリがない。え、ワタシ?もちろん、マスターの味方さ!!彼女を失うのは、勿体ないからネ!!
誰に言うまでもなく心の中で呟き、モリアーティは肩を掴んで揺らしてくる影緋の額に、軽くデコピンをする。モリアーティにとっては軽く、だったが思いのほか力が入ってしまっていたらしい。ぐえっ、と鈍い声と衝撃を上げて、影緋の体が後ろの木にもたれかかる。その間抜けな姿に、思わず笑い声が零れた。
「あっはっはっは!!ゴメンネ、力が入り過ぎたみたいだ!!」
「」
「……あれ、マスター?」
返事がないことを不審に思い、顔を覗き込めば、そこにあったのは閉じられた目と、力の抜けた体。どうやら、気絶してしまったらしい。あれくらいの衝撃で、と一瞬考えたが、これまでの苦労を考えたら気絶するのも致し方なしか、とひとり納得する。流石に疲労困憊のマスターを起こすほど、モリアーティは非情にはなれない。野営用に持ってきていた毛布を掛け、隣に座る。
嫌と言うほど嗅いだ血の臭いと、木々の匂い。そして湿った、土の匂い。風で運ばれてくるそれに小さく息を吐いて、空を見上げる。
この先どうなるか、なんて誰にもわからない。ただ、隣に眠るマスターが命を落とさないことを願う。そのための下準備を、カルデアに戻ったらしっかりやっておこう。被害が出てしまう前に。そして、彼女が心を壊さないように。
空に浮かぶ青色の満月は、相も変わらず、美しかった。
主人公補正に振り回され続けた脇役の話
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