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「こりゃまた、凄いことになってんな」
目の前の光景を見て、思わずアンリマユはそう呟いた。
いつかのホワイトデーから、バー仕様に改装された文無影緋のマイルーム。勝手に改装されたことに影緋本人は怒り、モリアーティを一度シバいてはいた。が、バーというものにこっそり憧れていたことと、バーテンダー衣装に身を包んだモリアーティの作るノンアルコールのカクテルや、時々やって来ては酒の肴や料理を作り、食べさせてくるエミヤオルタや清姫たちに絆されたのだろう。種火周回やイベントで疲れた時に入り浸るようになった。(ちなみに、モリアーティは「計画通り」と某キラのような顔をしていた)
影緋だけでなく、彼女の召喚したサーヴァントたちも気に入ったのか、よくマイルームに向かう様をアンリマユは目撃している。そして今日、退屈しのぎに加え、マスターである影緋がバーにいるという情報を聞き、からかいにでも行こうかとアンリマユは影緋のマイルームにやってきた。
そして冒頭の台詞が口から出た
目の前には頬をほんのりと赤くさせ、からからと笑う酒呑童子に、はらはらと慌てている茨木童子。バーカウンターでカクテルを作っていたモリアーティは、アンリマユの声を聞いて視線をこちらに向けた。
「おや、アンリマユくんじゃないか。何か用事でもあったのかい?」
「まあ、退屈しのぎっていう用事があったけど、それは吹っ飛んだわ。んで、そこでぐでんぐでんになってるオレのマスターは、いったい何があったんだ?」
視線の先には、酒呑童子の横の席にぐったりとした様子で座り、顔を真っ赤にして目を虚ろにさせている影緋の姿が。誰もが一目で見ただけでわかるだろう。完全に彼女は酔っ払っていると。
だが、影緋は未成年で酒が飲めないはずだし、なにより一部のサーヴァントがモリアーティに、彼女に対して酒を振舞うことを禁じているはずだ。それを破ればもちろん、色々と面倒なことになると分かっているから、モリアーティもアルコールを影緋に振舞ったりしないし、常識人である影緋もアルコールを摂取しようとしないはずだ。なのに酔っ払っている。どうしてそうなった、と呟いた言葉が聞こえたのだろう。からからと笑っていた酒呑童子がこちらを向き、上機嫌なまま口を開いた。
「実はなぁ、うちの用意しとったお酒、うっかりマスターが飲んでしもうて。ふふふ、うちもうっかりしてたわぁ。持ってきたお酒、日本酒やって伝え忘れてしもうたから、水と間違えてしもうたみたいや」
「え、でも酒呑、マスターの盃に注いで渡してた、」
「い・ば・ら・き?」
「ひ、ひぃぃぃいい!!」
「あー、一応言っておくけれど、この部屋での喧嘩は厳禁だからネ。仮にもマスターのマイルームなんだから」
「大丈夫やで?ちょぉっとお仕置きするだけやから、な?」
「ひぃぃい!それは勘弁だぞ、酒呑!!」
「あー、はいはい。なんとなく察したわ」
どうやら酒呑童子がマスターにこっそり酒を飲ませたらしい。しかも計画的犯行で。これは面倒なことになったな、と、この状況と特定のサーヴァントに知られた際の面倒事を考え、遠い目になるアンリマユ。できれば何も見ないふりをして回れ右をしたいが、それを許してくれるほど、目の前の存在たちは甘くはない。
「ほら、アンリマユくんもせっかくだから何か飲んでいきなヨ。ロングランドアイスティーを用意したからさ」
「何が『希望』だよ。今の状況に希望もクソもあったもんじゃないだろ」
「あら、かくてる言葉覚えてるなんて、意外にろまんちすと、やなぁ。アンリマユはん」
「うっさいです。とにかくオレは面倒ごと嫌ですから、逃げさしてもらいま、」
「ふふふ、だぁめ。逃げる、なんてつまらんことは許さんで?」
「あでででで!!腕を全力で掴まないでいただけますかねぇ!?いででで!!マジで、マジでオレの腕がもげる!!」
「酒呑が楽しそうで何よりだ!」
「キミ、酒呑童子くんの矛先が変わったからってそんなこと言ってると、」
「茨木-、後でお仕置きなぁ?」
「なんでだぁ!?」
「まあ、そうなるよネ」
もはやカオスとしか言いようがない。いつもサーヴァント同士の言い争いやら何やらを止めるマスターが酔っ払ってしまっているのが拍車をかけているのだろう。そして、酒呑童子の圧に負けたのか、それとも腕が限界を迎えたのか。ずるずると引きずられる形で、アンリマユは影緋の隣に座ることになった。若干の同情を抱きながら、モリアーティがロングランドアイスティーを置けば、アンリマユに恨みがましそうに見られたが、涼しい顔で彼は躱す。ちっ、と舌打ちを一つ。ロングランドアイスティーを少し飲むと、いまだに上機嫌そうな酒呑童子に目線を向けた。
「それで?ほかの保護者たちの怒りにも恐れずに、マスターに酒を飲ませた鬼さんは何が目的なんですかねぇ?」
じろり、と見られる目線なんて気にもかけていない酒呑童子は、ぐりぐりと茨木童子の頭を攻撃していた手を止めると、くふくふと笑いながらその問いに答える。その横で、痛みに解放された茨木童子はぐったりしていた。
「いやぁ、すこぉし前から気になってたんでな?いい機会やから、マスターはんに聞きたいことがあってなぁ」
「聞きたいこと?」
「マスターはんの考える、悪ぅいことを、な?」
ぴたり、と全員の動きが止まった。
「……酒呑童子くん、キミ、その言葉の意味を本当にわかって言ってるのかい?」
「もちろんやで?こないなこと、冗談半分で言えば、お隣の保護者はんや正面の学者はんにシバかれてしまうからなぁ。本気の本気、や」
「誰が保護者だ、誰が」
「……吾はピッタリだと思うが」
「茨木くん、キミ、後で掃除の手伝いしてもらうからネ」
「なんで吾ぇ!?」
思わぬところに飛び火した。が、空気はピンと張りつめたまま。酒呑童子を見つめるアンリマユとモリアーティの視線は鋭いまま。普通の人間だったら逃げだしてしそうな視線を受けてもなお、酒呑童子はくすくすと笑いを止めない。それが余計に、二人の癇に障った。
自分たちのマスターである文無影緋がどんな道を歩み、そしてどのような人間になったのか。そして何故、混沌・悪のサーヴァントしか召喚できなくなったのか。それを知らないサーヴァントは、少なくとも影緋の召喚されたサーヴァントにはいないだろう。特に最初から彼女の生き様を見続けていたアンリマユと、例の一件の当事者の一人になったモリアーティは、彼女に対しての感情が顕著だ。
だからこそ、二人は酒呑童子の言葉に鋭い視線を向けた。文無影緋は皮肉屋でスレてはいるが、弱音やどうしようもない文句、そして『自分の考える許されないこと』を自分たちの前で吐き出したりしない。それが彼女にとっての精一杯の強がりで、最後の砦だからだ。それを吐き出してしまえば、きっと今まで我慢していたことが溢れ出てしまう。だから、だからこそ、誰も影緋に対して「弱音を吐け」なんて言葉を口にしない。それが暗黙の了解のようになったのは、かなり前のことだ。
その暗黙の了解を、酒呑童子が知らないわけがない。なのに、それを破ろうとしている。どういうことだ、と心の声が聞こえていたのか、それとも表情に書かれていたのか、酒呑童子は持っていた酒のコップをくるくると揺らしながら、言葉を紡いだ。
「ウチも少し前までは聞かんでおこうかなぁって思ってたんやけど……。あの子、なんて言うんやっけなぁ?三つ目の異聞帯でぎょうさんえらいことになってた……えーっと、」
「……もしかして、虞美人くんのことかい?」
「そうそう。その虞美人はんが、マスターはんの愚痴を聞いとったって耳にしてなぁ。長い間ずっと一緒やったうちらやなくて、ぽっと出のサーヴァントに心の内を吐露する、なんていけずやないかぁ」
「なるほどネ。それでマスターを酔わせて、聞き出そうと」
「そういうことや。まあ、安心してや。マスターはんに呑ませた酒、酔っ払っている間は忘れるようなものにしといたけんなぁ」
「それ遠回しに相当強い酒ってことだよネ?」
「ふふふ」
「笑って誤魔化してないか?酒呑……」
「茨木?」
「ひぃ!」
「あー、分かりました、分かりましたよ!でも、ここだけの話にしといてくださいよ。説教なんて御免ですからね。特にあのバーサーカーには……」
アンリマユの脳内に浮かぶは、治療の為なら拳銃を取り出してくるあのバーサーカーのこと。『主人公』に召喚されたが、前にあった出来事をきっかけに影緋に対して肩入れするようになった彼女は、影緋に対して結構な過保護だ。そんな彼女にバレたら、きっと拳銃どころの騒ぎじゃない。下手をしようがしまいが説教とベッドが飛んでくるだろう。想像したのか、茨木が小さく悲鳴を上げ、顔を蒼白にした。が、彼女を宥めながらも酒呑は分かっているのだろう。「はぁい」と間の伸びた返事をした。
「と言うことで、待たせたなぁ、マスターはん」
「んぅ……?」
まるで砂糖を煮詰めたような、甘い声。けれどアンリマユたちは知っている。その砂糖に隠れているのは、鬼すら酔わせて、殺してしまう毒だと。けれど、それを指摘する存在はここにはいない。そしてその毒に気づかない哀れなマスターは、下準備のための、すでに呑まされた酒に酔わされ、自分が毒牙にかかることにも、ここにいる存在たちが誰なのかも気づかない。回らない思考と朧げな視界の中、答えるしか、道がない。
「マスターはんの考える『悪いこと』って一体どんなことや?うちらに教えてくれへんか?」
「わるい、こと……?」
ううん、と、幼子がぐずるような声を出し、影緋はその言葉の意味を理解しようと、回らない思考の中で必死に咀嚼する。そして8つの瞳に見つめられていることにも気づかず『マスター』は答えを口にする。ぼそり、と小さな声で。
「ここからにげたいって、おもうこと……」
ぴたり、と空気が止まる。まさか誰もそんな返答が来るとは思ってもみなくて、問いを投げかけた酒呑童子ですら、目を見開いていた。しかしそれに気づくことなく、影緋は酔って頭の回らない思考のまま、ぽつりぽつりと言葉をこぼしていく。心の中にとどめていた思いと共に。
「ずっとずっと、にげたいって、おもってた……。あいつらにまきこまれて、しぬくらいなら、ぜんぶすててにげてしまいたいって……」
そう、『主人公』や『ヒロイン』の独善と蛮勇に付き合わされ、傷つき、死にかけるたびに何度も思った。「ここから逃げてしまいたい」と。すべてを捨て去り、マスターとしての生き方も、サーヴァントも、すべて知らない事として、記憶の奥底に沈めて、「普通の人間」として生きていきたい、と。
何度も、何度も、何度も、何度も‼
「……そう思ってたなら、どうしてそれを実行しないんだい?言ってくれれば、協力する仲間はいるはずだヨ?」
モリアーティの問いかけに、少しの時間を要した後、ふふふ、と小さく影緋は笑う。けれどその目には、諦めの感情が、ぐるぐると回っていた。
「かりに、にげられたとしても。あいつらがそれをゆるしてくれるわけがない。きっと、すぐにつれもどされるだけだ。それに……」
「それに?」
アンリマユが続きを促せば、少しだけ口ごもった後、影緋は小さく呟いた。まるで怒られるのを怖がる子供のような表情で。
「あんりまゆたちに、めいわくかけたくないし、しつぼうされたくない……」
そう言葉を零したが最後。すう、と小さな寝息が空気に溶けていく。完全に寝入ってしまったマスターに、いつもなら揶揄いの言葉をかけるアンリマユも、しょうがないと溜息を吐くモリアーティも、面白がる酒呑童子も、騒ぎ出す茨木童子も、彼女に何も言えなかった。
だって、些細な内容だと思ってたんだ。誰だって持っている『悪いこと』それを聞いてみたくて。なのに、実際に彼女から吐き出された『悪いこと』は、些細な内容なのに、些細な内容のはずなのに、あまりにも重くて……!
「酒呑、なぜ、なぜマスターは逃げることを『悪いこと』だと言ったんだ?生きるうえで、逃げたいと思うことは、『悪いこと』ではないだろう?なのに、なぜ……?」
「……そのままの意味や、茨木。マスターはんにとって『悪いこと』は、『ここから逃げたいと思うこと』なんや。それ以上も、以下もない。……思った以上に、拗らせてるみたいやなぁ」
「そんな……」
さあ、と顔を青くさせる茨木童子は、今にも泣きそうになっている。そんな茨木童子をなだめている酒呑童子の顔からも、いつもの飄々とした笑顔は消えていた。
「……どうやら私たちは、パンドラの箱を開けてしまったみたいだネ」
「パンドラの箱の方がまだマシだったとオレは思いますけどね。あっちの方は最後に残ったのは『希望』だったけど、マスターに最後に残ったものはなんだ?『希望』なんて生易しいものじゃないでしょう?」
ギリシャ神話で語られる、災いの詰まった箱の話。パンドラが好奇心を抱いて箱を開けてしまい、すべての災いが地上に飛び出した。そして最後に残ったのは、希望だけ。
けれど、マスターはどうだ?散々傷つき、苦しみ、理不尽に耐え続けた彼女に最後に残ったものが『希望』なんて救いのあるものではなく『ここから逃げてはいけない』という『絶望』なんて、誰が想像できた?
「……『逃げたいと思うことが悪いこと』ね……。マスター、それを罪だと言うなら、この世界みーんな罪人だと思いますけど」
ぽつり、と呟くように吐かれたアンリマユの言葉。その言葉に返答する声はない。当然だ、返して欲しい相手は、ずっと胸の内に隠そうとしていた思いを吐き出すように仕向けられ、それに気づくことなく、眠りに就いたのだから。
バカな人間だと、甘い人間だと笑い飛ばせればいいのに。ここから逃げたいのなら、自分たちに命令して、盾にしてでも逃げればいいのだ。それを実行させるための令呪だって持っているのだから。
けれど、そんなこと、絶対にしないことを誰よりもアンリマユが分かっている。だって、彼女の生き様をずっと見てきたのだから。「本当に甘い人間ですよね」と呟けば、同意するようにモリアーティは肩をすくめてみせる。はあ、と酒呑童子の小さなため息が、やけに大きく聞こえた。
「興が削がれてしもうたわぁ。茨木、うちの部屋で呑み直すで」
「え、吾は別に構わないが、マスターは……」
「ああ、安心したまえ。私がマスターの世話をするから、君たちは思う存分呑み直してくるといい。……そして、明日にはその顔を出さないようにネ」
「はぁい。じゃあ、行くで。茨木」
「あ、ああ……。……マスター、すまぬな……」
ぽつり、と呟いた茨木童子の、マスターに対する謝罪。それに聞こえぬふりをし、アンリマユとモリアーティは、バーから出ていく二人を見送る。そして自動ドアの閉まる音を確認すると、どちらともなく、息を吐いた。
「『好奇心は猫を殺す』とは言うけど、猫どころか、虎を殺してしまいそうな秘密だったネ」
「そして知っちゃった俺らは、マスターにボッコボコにされる未来がある訳ですけど……。まあ、酒呑童子の言っていた言葉を信じるか」
眠りに就いている影緋を眺めながら、二人は小声で会話をする。すう、すう、と小さな寝息が、彼女の眠りの深さを物語っていた。酒呑童子の言葉を信じるなら、酔っ払っていた時の影緋の記憶は消えているようだが、自分たちの記憶は消えない。聞かなければよかった、なんて思っても、もう手遅れだ。黒い髪に手を伸ばして触れれば、ぱさり、と硬い感触がした。そして眼前にある、閉じられた目。一体どんな夢を見ているんだろうか。それを知る術を、二人は持っていない。
「……今日のところは、店じまいにしようかな。ほら、アンリマユくん。マスターを運んであげて」
「はいはい」
酒とコップを片付け始めたモリアーティの言葉に返事をしながら、アンリマユは自分よりも幾分か背の高いマスターを運ぼうと、彼女に手を伸ばす。が、寸前、飲みかけのロングランドアイスティーを視界に入れると、気に入らないとばかりに鼻を鳴らした。
(『希望』なんて、今更手に入れたってどうにもならねぇよ)
そんな不確かな、曖昧なものを手に入れたとしても、もうどうにもならない。『希望』なんて輝かしいものは「主人公」と「ヒロイン」にしか許されないのだから。「脇役」はその横で『絶望』を噛みしめるしか道がないのだ。
ああ、気に入らない、気に入らない、気に入らない!
「主人公」と「ヒロイン」の勝手な独善も、「脇役」の自己完結型の諦めも‼
その苛立ちを飲み干すがごとく、アンリマユはロングランドアイスティーを一気に煽る。
からん、と氷の揺れる音が、嫌に響いた。
『脇役』の箱を開けてしまった『悪役』たちの話
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