ぶ厚い雲が空を覆い、その下の大地を憂鬱げに薄暗く染める、辺り一帯がまだ昼時だとは思えないほどに。
そんな空の下でこの村の者達は大挙して集まっている、一つの丘の周りに家々を建て、柵で囲う、そして丘の上には宮殿の如く、一際大きな屋敷がある。
集落の者達は皆、そこを目指して歩き出す。ただし、普通とは程遠い風体で。
「…急げ…」
「あぁ、冷めちまう前に…まだ温かい間に…」
「肉を……様たちの望むものを……を宿す肉を……」
皆が覗き穴のついたズタ袋を覆面の様に被り、手には血の滴り落ちる包丁が握られ、集団の真ん中に台車に乗せられて運ばれる何かがある。
村人達の手でズタズタに切り刻まれた、解体された、元は人間だった真っ赤な肉塊だ。
村人達はそれを丘の上の屋敷へと運ぶ、村に訪れた旅人や野盗を捕らえてはそうしている。恐ろしいことに、獲物が見つからなければ村人は自ら志願して死肉と化す事もある。
それは供物、崇拝する何かに捧げる彼等の信仰の証だった、この村ではその様な狂事が日常と化している。
「………」
集団の中に混じる私は改めて潜入した村を見渡す、ズタ袋のお陰で不審な視線の動きにも気付く者はいない。
村の建物の壁や地面の道、至る所に黒ずんで変色したシミがこびりつき、えづきを覚えるすえた腐臭が漂っている。
衛生感の欠如は発狂の症状としてよく見られるもの、この村の連中は等に皆、正気を失っている。
「ようやくだな」
私は集団の後方で小さく呟く、その声は村人達の足音や所々から聞こえる呪詛の様な祈りで掻き消され、誰の耳にも届く事は無い。
この村に潜入し、なに食わぬ顔で儀式の参列に加わる事が出来た、訪れる者を問答無用で殺める者達の中に気付かれず忍び込むのは簡単では無かった。
台車に乗せられた肉塊は近くの王国から来た騎士だった、殺人行為を止めるように王国から度々使わされる者達は全員が帰ることがない。
その事を思うとゾッとしないでも無いが、忠誠と信仰ならば私も持ち合わせている。後は連中の信仰する魔女の姿を確認すればそれでいい。
魔女の実在、それを導師様に報告すれば必ずやお喜びになられるだろう。
「おぉ、始まるのか?」
そして等々、村人の列は丘を登りきり、屋敷の前まで到達する。横に捌けた者達の間を荷車が通って行き、屋敷の扉まで行くと全員が一斉に跪く。
服装や手足が土に汚れるのもまるで厭わず、平服するかの様に全員がそうしている。
注意深く観察していた私も、その動きに遅れずに反応し跪く。しかしズタ袋の中の視線は、これから開くであろう屋敷の扉を睨む勢いで注視する。
そして両開きの館の扉が開かれる、中は闇に包まれて何も見えない、その中からそれは姿を現した。
「アレが人喰いの魔女の姿か」
「………」
噂に違わぬ異様な風体だった、村人の纏うズタ袋と解体包丁は、この魔女の姿に寄せたものだった。
身の丈程もある巨大な包丁は恐ろしいほど冷ややかな艶めきを放ち、顔はズタ袋で隠され、その他は僅かな布切れだけがその魔女の恥部を隠す。
その魔女に村の者達が跪き、神の如く信仰している。
実のところ、外部から切り離されているような僻地の村では、人では無い者を主として崇拝することはこの世界でまま起こり得る事だ。
何せ私もまた、この村の者達と何も変わらない、ただ崇拝する対象が違うだけ。
「………」
「さぁ、何を始める」
魔女が跪く村人に近寄る、まずは捧げられた肉塊を荷車ごと屋敷へと運ぶ、荷車を扉の先に広がる暗闇の中へと近付けると、そこからは引きずられていく。
屋敷の中に他にもいるのだ、この地の魔女は3人いると聞く、あと2人、あの闇の中に潜んでいる。
そうして今度は魔女が村人の方に目を向ける。
歩み寄り、暫く跪く村人を見下ろして沈黙する、そして先頭に居た村人の一人に手をかざした。
「おぉ」
見ずとも何かを感じ取ったのか、村人が両腕の掌を向けて差し出す。王が功労者に褒美を与えるにも似た光景、魔女のかざした手から現れた黒い何かが、差し出された村人の手に移っていく。
暗い、何よりも暗い何か。夜の暗がりよりも尚光を閉ざし、何よりも揺らめくその何かに、私は不思議と惹かれる様な気持ちになった。
これが魔女の御業か、あの暗く揺らめく靄の様なものを与えられんが為に、この村の者達は訪れる者を解体してその肉を捧げる。
「成る程、噂はやはり真実、これは良い」
供物を捧げられ、その見返りを渡す。後はこの儀式も終わりなのか、そう思ったが、魔女は館の中へ戻る事なく、その場で立ったまま沈黙を続けている事に気付いた。
「なんだ」
「まだ何かあるのか、なにをしている?」
村人達を依然として見下ろし続けているのか、そう思っていたが違う。ズタ袋に覆われたその顔は下ではなく、ある一点に向けられている。
「…ん?…ま、まさか…!?」
表情の解らないその顔、村人の列を挟んでズタ袋の中の両目と目線が交差した気がした。魔女の両目は、列の後方で紛れている私ただ一人を捉え映している。
その様な、身も凍る錯覚が全身を支配したのだ。
「いいや、あり得ない…」
反射的に少し上げていた頭を下げる、他の村人と同じく地面だけを視界に映す。咄嗟の動作にしまった、と内心で焦燥する。
僅かにとは言え一人だけが頭を上げていれば目についただろうか、それに今の動作、勘付かれたか?本当にこちらを見ていたかは解らない。
「………」
全身が不快な熱を持ち、肌全体がびりびりと痛み始め、泥濘のような汗が吹き出す。しかし魔女はもう村人に興味をなくした様に、屋敷の中の闇の中へと戻っていた。
それに伴い、跪いていた村人の集団も立ち上がり、館の扉が閉められたのを確認してから、元の場所に戻って行く。
「よし…導師様に報告しなければ…」
私もその集団に混ざりながらその場を立ち去った。
・
・
・
「見逃シテ良カッタノォ?」
「何ダカ違ウヤツガ混ジッテイタヨウダケド」
屋敷の中で運び込まれた贄を喰らい終えた後、イザベラが言った。自分達を崇拝する都合の良い村人の中に、そうでは無い者が紛れ込んだのを三人の不死人は察知していた。
不死人は敵対者の気配には鋭い、その者がこちらに気付かず背を向けていても、ある程度近付けば害意のある排除すべき存在かどうか判断できる。
「ソウダナ…」
「マァ、ワザワザ相手ニスル程ノ事デモ無イダロウ」
ミルドレットが答える、この村に訪れる者は大抵の場合、ミルドレット達が手を下す前に村人の手で捕らえられ解体される、自分達で狩る手間が無い分、その方が楽だと利用しているのだ。
しかし、村人達の目を掻い潜り忍び込んだ者をわざわざ始末する気も無かった。この村の危険な風習とそれに結びつく自分達の存在は、もはや隠す必要も無くこの地に知られているとミルドレットも気付いていた。
「……王国ノ…密偵デハ…ナイノカ……」
「ソウヨネェ、来ル人間ヲ全員殺シテルンダモノ、ソロソロ大軍デ攻メ入ラレテモオカシクナイワヨォ、ウフフフ」
「私達ハイイケドネェ、ソウナッタラアノ大勢ノ手足達ハ無事デ済ムカシラネェ?」
イザベラとマリダが危惧しているのは狂人達の村を掃討しようといずれ来るかもしれない王国の兵団そのものでは無い、それによってこの村が、自分達にとって都合の良い住処が失われる事を危惧している。
ソウルで身体が強化されてもいない常人の兵士達の事は、自らその身を差し出してくる狩りやすい獲物としか思っていない。
確かにそれも一理あると、ミルドレットは後々の面倒になり得る火種は消せる内に消すべきかもしれないと考えを改めた。
「デハ奴ヲ始末スルカ、アノ列ノ最後尾ニイタ男」
「イヤ…待テヨ」
「ドウシタノォ?考エ事?」
「アノ男ガ誰ノ命令デ村ニヤッテ来タノカ気ニナル、本当ニ王国ノ使イナノカ、マサカアノ男一人ノ興味本位デハアルマイ」
「…確カメル……拷問…スルカ……?」
「ウゥム、後ヲツケルノハドウダ」
ミルドレットにはその方が確かだと考えた、尾行に自信がある訳では無いが、拷問となると相手を殺さずに留めておける自信もなかった。
二人も同じ事を思ったのか、その提案には同意した。
「ソウネェ、ソレガ良サソウ、目的カ、或イハ誰カニ知ッタ事ヲ伝エルツモリカモネェ…デモソレダト…」
「ン?」
「三人デヤル必要ハナイデショウ?ムシロ、後ヲツケルナラ一人ノ方ガヤリヤスイ」
「…アァ…」
「ソレモソウダナ、デハ…」
「アラ、言イ出シタノハ貴女デショ」
「…ソウダ……」
「ナニ?オ前達…何モセズ此処デ待ツツモリカ」
「アハハ、幸運ヲ祈ッテルワァ、頑張ッテネェ」
「………」
「……マァ、イイダロウ」
ミルドレットも何か言おうとしたが、考えれば大した手間にも危険にもならない、他にやることもないので、二人に変わって自分が取り掛かることにした。
そしてその日の夜、ミルドレットは夜の静寂と闇に紛れて村を去った一人の男の後を尾行して行った。
・
・
・
昼間とは打って変わって、その日の夜は雲の一欠片もない澄み渡った星々の夜空が広がっていた。
月明かりを隠すものは何も無く、周囲は驚くほど青白く照らされ明るい。吹く風は冷たく、村の近くの草原の草木を揺らし、そこを男は走っていた。
「ハァ…ハァ…ッ…もう少し…見えた!」
焦燥に駆られてと言うよりも、一刻も早く己の使命を果たさんが為に、魔女の実在を知らせる為に走る。
鳩尾の辺りまで伸びた草木を払い除け、遂に目的の場所に辿り着く。魔女の村近くの街道、もう誰もが遠回りをして使いたがらないその街道の近くにその野営地はあった。
木の柵で囲まれた中に野営の為の備えがあった、簡潔な作りのテント、王国の紋章も描かれてない襤褸を木の骨組みで貼り付けただけの物。
「戻って来た…!」
周りには焚き火も、調理鍋も、テントの中には寝床さえも存在しない、本当にただ息を潜めるだけの場所。
「導師様…」
男は急いでその野営地の中に入る、たった一つのテントの中から、何かが動く気配と音がした。
「そうか、戻ったか」
男は声を張り上げようとしていたが、それよりも先にソレが月明かりの下に姿を現す、金属のこすれ合う音を鳴らしながら歩くその者は月光を反射させる。
鎧を纏う騎士に見えた、ただ一つ、本来あるべき首から上が消失し、そこに繫がっているべき頭部が左腕の脇に抱えられていた。
胴と頭が離れても生きている、首無しの騎士、尋常の生命では無い怪物の一体だった。
「はい、ただ今戻りました、導師様」
男は跪く、村で見せた周囲に溶け込むための演技では無い、真に崇拝する対象に向けた本物の忠誠だった。
「魔女は…いや、良い、聞かずとも顔を見れば解る」
「やはりあの村には居たのだな、人喰いの魔女が」
「はい…!確かにこの目で確認しました、村人は魔女に余所者を供物として捧げ、魔女は黒い靄の様な…何かの力を見返りとして与えていました」
「黒い靄……そうか、そうか」
首無しの騎士は黒い靄、と言う言葉を繰り返して呟く、やがて抱えられた首が天を仰ぎ、その後、男に賛美の言葉をかける。
「よくぞ果たしたな、狂人の群れに一時でも溶け込むのは、並大抵の事では無い、偉大なる主も汝の敬虔にお喜びになる」
「これでまた一つ、この世界に救いが齎される日が近付いた、汝には必ずや安寧なる祝福が偉大なる主により与えられるだろう」
「おぉ…!なんと…有り難き御言葉を…」
男は跪いたまま、感極まって両眼から涙を零す。この世の何ものにも勝った歓喜と幸福が男を満たしていた。
しかし、導師と呼ばれた首無し騎士の次の言葉でそれが疑問で上書きされる、男の意識はその瞬間に永遠に途絶えた。
「まさか確認するだけに留まらず、魔女をこの場所まで連れてこようとは、何たる仕事ぶりよ」
「え?」
頭を垂れていた姿勢からつい、頭を上げる。そしてそこに月明かりを吸い込んだ一筋の鈍色の閃きが奔る。
男の首を一息に跳ね飛ばし、絶命させた。何もかも解せぬ表情を浮かべた男の頭部は、何度か地面を跳ねていき、その頃体は血の噴水と化してゆっくりと倒れて行った。
「敬虔なる信徒よ、導きを見出した良き子羊よ、偉大なる主の御わす場所へ行くがよい」
首無し騎士が頭部を抱える左腕とは逆の右腕で、胸元に握り拳を近付けて祈りの仕草をとった。
それを男を尾行してここまで来たミルドレットは、何の感情もなしに眺め、男の次の言動を待った。
「そして、お前が人喰いの魔女だな」
「フム…生ケル死人カ」
首が切り離されている明らかな異常、それ以上に目の前の騎士から発せられる気配、生命のあり方を拒むかの如き冷たく淀んだ、底の見えない奈落の様な気配。
元の世界では珍しくない、生命が歪み、正しき生と死を失くした亡者の類いだと直感する。
不死人以外にも、そうした存在が元の世界には存在し、例外なく厄介な敵対者であった。
「感謝します、主よ、我が同胞に巡り合わせたもうその御意志に、運命に」
「オ前ガコノ男ヲ村ニ忍ビ込マセタノカ」
ミルドレットが問いかければ、首無し騎士はその異様な風体と裏腹に、明瞭に答えていく、その声は明らかに上機嫌だった。
「そうだ、だが敵対の意思があっての事ではない、ただお前達の実在を確かめたかっただけだ、魔女よ」
「ソンナ事ヲシテドウスル」
「ふむ、そうだな…事実であれば正に私が求めていた同志に出会う事ができると思った、そしてそれはやはり正しかったようだ」
「偉大なる主の名の下に、我らは集う運命だった、この世界に本当の救済を齎す同志よ、今こそ共に行かん」
「ナンノ宗教カ知ラナイガ、興味ハナイ」
ミルドレットのぞんざいな答えにも首無し騎士は気を悪くした気配は一切無く、むしろより喜色を強めて話し続けた。
「何を言う、お前は既に偉大なる主の名のもとに、多くの使命を果たしてきたではないのか」
「…フン…ナンデモイイガ…」
「この世界とは別の場所から来訪して以来、お前の行動の全ては偉大なる主の御意志に沿うものだった筈」
首無し騎士の言葉にミルドレットはピタリと硬直し、言いかけていた言葉の先も忘却した、驚愕よりも目の前の騎士が知り得ない筈の言葉がその口から聞こえたからだ。
「…ナゼ、ソノ事ヲ知ッテイル…?」
「私は神託を受けたのだよ」
首無し騎士はやはり明瞭に語っていく、その声にはもう喜色や興奮は無く、ただひたすらな事実として静かに、しかしハッキリと語る。
「生ける死人と言ったな、そうだ、かつての私はまさに生ける死人、死から永遠に逃れるのと引き換えに何時しかそこに立つ意味を見失った愚物よ」
「そんな矮小な我が身に、偉大なる主は導きをお与えくださった、ある日突然、前触れなく啓蒙は訪れた」
「死を、より多くの死をこの世界に齎すのだ、彼方の世界に御わす偉大なる主の褥をその死で満たし、真なる神の永遠なる安寧の中へと還るのだ」
「お前達も、いや、お前達こそがそうなのだろう?」
「別の世界を渡り歩き、その世界に死を蔓延らせ、害した者の死から生を見出すは、正しく偉大なる主と同じ彼方の世界に存在する信奉者達の御業に違いない」
「何度も夢現の中で幻視したその姿、黒い靄を求めて殺し、殺され、死を満たす死なない者達の姿」
「我が信徒の話を聞いて確信した、主が使わした彼方の世界の御使い、それがお前だ」
演説か説法の様な、長い語り口を呼吸も挟まず、首無し騎士は言い上げていく。そして最後にもう一度、歓喜に震えるような含みも持たせた声で言った。
「さぁ、私と共に来い、異界の魔女」
「共にこの世界に祝福を齎す時が来た」
空いた片腕の掌を開けて差し出した、同意を求める握手と言う人間的な動作だが、向ける方も向けられた方も人間らしさとはもう遠く離れて久しい存在。
首無し騎士から語られた話の真偽は定かではない、しかしもし本当ならば自分達がこの世界に来た理由に間違いなく繋がる話だ。
それを理解した上で、ミルドレットの答えはやはりぞんざいな、首無し騎士への否定の言葉だった。
「興味ガ無イナ」
「オ前ノ言葉ガ真実デモ、ソンナ事ハドウデモイイ、救済ダカハオ前ダケデシロ」
周囲がしんと静まり返る、虫の鳴く声や風で揺れる草木の音さえ絶えて静寂。首無し騎士がゆっくりと差し出した手を戻していく、そして同じくらいゆっくりとまた口を開いた。
「そうか…そういう事か…」
「あくまでも自らのやり方で死を満たす、己以外は別け隔てなく糧として食らう…そういうことなのか」
また首無し騎士が何度か呟く、そういう事か、と。
男の報告を聞いた時の様に首が腕の中で天を仰ぎ、そして溜息にも似た呼吸の後、腰にさした幅の広く厚い両刃の長剣を抜き放った。
「手を取り合うのではなく、同胞で殺し合い奪い合う、そうやって死を捧げると言うのだな、彼方の世界でそうしていた様に」
そして意思の弱いものなら浴びせられただけで卒倒する様な恐ろしい殺気を全身から解放していった。
「では今は私もそうしよう、異界の同胞」
ミルドレットも獲物の肉断ち包丁を構える、突然の戦闘の始まりだが、ミルドレットには何の疑問も驚愕もない、予想していた事態だった。
むしろここまで会話が進んだ事を以外にさえ思っていた、野営地の周りを、白い濃霧の様な壁が包んで塞いでいく。
「ソウ思ウナラ、好キニシロ」
首無し騎士が宣言する、此処には居ない、彼方の世界の偉大なる主とやらに。ミルドレットはその騎士に、その騎士の背後に漆黒の、深淵の如き黒を纏う巨大な何かの姿を垣間見た。
「我が剣と安寧なる死に誓って戦おう」
「我が主の為に、偉大なる最初の死者の名の元に!」
月が見下ろす夜の野営地で、死に仕える騎士と死を失った狂女の決闘が、人知れずに幕を開けた。
互いに獲物を振り上げて走り寄り、間合いへと入るや否や両者の獲物が振るわれる、交差してぶつかり合う甲高さと重々しさを両立させた金属音が夜の草原に響き渡った。
「ハァッ」
「ぬう、おおっ」
首無し騎士の持つ長剣がミルドレットの肉断ち包丁に押され弾かれる、武器本来の重量の差もあるが、使い手の膂力に違いがあった。
「腕力で私に勝るか…見た目通りの力ではないな」
体勢を崩しかけ、しかし追撃を素早く飛び引いて後退し躱す、そして相手の方が力で勝る事を理解した。
「ならば」
故に獲物を荒々しく打ち合うのはそれっきりだった、それからはミルドレットの斬撃を騎士は受け流して捌いていった。
何度も振るわれる肉断ち包丁を完全にいなし続ける、技量では騎士の方が勝っていた。
「ムッ…」
そして遂に騎士の剣がミルドレットを捉える、軽く掠り始め、剥き出しの素肌に真紅の線を浮かび上がらせる、次第にはより深く出血する裂傷を与え始めた。
「………」
「防ガレルカ」
元の世界の同族達と比べても、騎士の技量は優れている様にミルドレットには思えた。多少の傷など無きようなものだが、このままでは自分の攻撃も当たることはないと確信する。
しかしミルドレットは洗練された戦いの技法とは無縁だった、ただ本能のままに解体するだけ、こうも容易く防がれると解っていても他の戦い方は持ち合わせていない。
「…確カ」
「ん?」
「確カコンナ感ジダッタナ」
絶え間なく続いた猛攻が止み、距離を取って動きを止めたミルドレットを首無し騎士が不審に思った。
一見すると無防備だが、漂い始めた不穏な気配が、首無し騎士に攻撃をさせることなくその場に留めていた。
そしてミルドレットから異音が鳴った。肉断ち包丁の刃に片手を沿わせて動かし始める。
その度にギャリギャリといった金属が激しく研磨される音が鳴る、正しくそれは荒々しい研磨だった、ミルドレットが肉断ち包丁の刃を研磨している。
「イザベラノ真似事ダガ…」
それはイザベラが解体の際に何度か見せた技、たださえ鋭利な肉断ち包丁の刃を刃研ぎし、より殺傷能力を高める戦技の一種。
同じ武器なら自分にも使えるかもしれないと、その動きを見ながら思い浮かべていたことを実践したのだ。
そして肉断ち包丁の刃はより鋭さを増し、月明かりが反射して輝きを放っている、まるで光そのものを纏わせたかの様だった。
「戦闘の最中に刃研ぎを?なんと異様な」
そして光輝く肉断ち包丁を振り上げながら走り寄るミルドレット、首無し騎士も先程同様、剣による受け流しで対応する。
再び衝突音がなる、その響きの中に更に甲高い音が、まるで剣が上げる悲鳴の様な音が混じる。
「鋭い…これが魔女の獲物か」
「む」
何度も振るわれる研磨された肉断ち包丁を受け流しながら、首無し騎士は気付く、ミルドレットに与えた傷が塞がっていく。大小様々な、常人ならもう戦えない程の傷が打ち合う攻防の度に癒えていく。
「成る程、敵を傷付け我が身を癒すか、偉大なる死の眷属たるに相応しい御業よ!」
興奮した口調で騎士も仕掛ける、ミルドレットの一撃を大きく弾き、反撃として深々と胸を切り裂いた。
細かい傷は打ち合いの度に癒される、ならば大きく隙を作り深い一撃を与え回復を上回らんと、より大胆に力を込めてミルドレットの攻撃を弾いていく。
そしてそれが過ちだった、その事態が訪れるとミルドレットは知ってか知らずか。
「なっ!?」
体勢を崩そうと力を込めて大きく弾いていた首無し騎士の長剣が砕けた。ミルドレットの肉断ち包丁とぶつかり合った途端、一際響く甲高さの断末魔を上げて完全に破損した。
刃研ぎされた肉断ち包丁は、確かに敵を攻撃する度に使い手を癒す力を増大させるが、それ以上にその破壊力もまた増大していた。
受け流すのではなく、強く弾いた為に負担も大きくなる。同時に役目は終えたとばかりに戦技による刃研ぎの光は、フッと肉断ち包丁から消えて行った。
「ぐおおおっ」
しかしそれでも首無し騎士の鎧の上から両断するのには十分だった、右肩から削ぎ落とすように大きく切り裂き、右腕を完全に使い物にならなくさせた。
首無し騎士の苦悶の叫びと大量の鮮血が吹き上がる。
蹌踉めいて後退し、片膝を付いて崩れ落ちる。対してミルドレットは胸から血を流しながらも問題無いと立っている、勝敗は明らかだった。
「さ、流石…剣の戦いでは勝ち目が無かったか…」
「主トヤラノ元ニ行ケ」
だがその時、騎士の首が笑った。敗北による諦観でも自嘲でも無い、まだ戦いは終わってなかった。
「それは身に余る栄誉、だが…まだその時では無い」
「ン?」
騎士が残った左腕で掴む頭部を掲げた、その片目が怪しげな光を放つ。瞬間、ミルドレットの全身を恐ろしく冷たい感覚が奔る、看過できない何かの前触れ。
そしてミルドレットが反応も出来ない速さでそれは発動した、首無し騎士の呪の籠もった義眼は、邪術をおこなう為の触媒でもあった。
「グウウッ」
赤黒い大剣が、片刃で反り返る、歪な尖塔の様な赤黒い邪術の剣が地面より突き出され、ミルドレットを貫いた。
その胴体の中心を捉える、貫かれたミルドレットの体が地から離れ、宙へと刺し留められた。
「これが偉大なる主の、真の神の奇跡」
「お前は私よりも遥かに強いが、この授かりし奇跡の力がある限り、勝利するのは私の方だ」
赤黒い大剣が虚空へと消え、ミルドレットが落下する。周囲の地面を真っ赤に染め上げ、ミルドレットはその大剣の威力に驚愕していた。
「グ……ウウッ…」
不死人の中でも指折りに頑丈で生命力に優れたミルドレットの肉体に死が近づいている、あの赤黒い大剣のたった一撃で。
「コレハ…毒、イヤ違ウ」
単純な物理的殺傷能力ではない、死の概念の様な何か。ミルドレットが自分の肉体を内側から蝕む力に気付く、毒ならばミルドレットには効かないだろう、もっと恐ろしい何かが生命そのものを削り取っていく。
「さらばだ、お前のこの世界での使命は私が引き継ぐ」
「…!」
すぐに立ち上がる事が出来ないミルドレット、騎士の義眼が再び光だし、ハッとなって顔を上げても回避は間に合わなかった。
先程の赤黒い大剣がまた地から現れる、今度は一つだけではなく周囲一帯の地面を埋め尽くす程大量の大剣が突き出した、その上にいたミルドレットの体がまた貫かれた、宙へと磔にされる。
「ウグ…ウウッ」
全身を貫かれる、胴を再び、両足の腿も激しく損傷。肉断ち包丁を遂に手から取りこぼす。
大剣が消えて地に落ちたミルドレットには、立ち上がる力が無かった、それほど赤黒い大剣の生命を奪う力は強かった。
「…ゥ…ァ…」
「獲物を借りるぞ、魔女よ」
首無し騎士が肉断ち包丁を拾い上げる、片腕しか使えず、仕方なく頭部を元あった場所に戻す、しかしぐらぐらとしていて不安定だ。
そして拾い上げた肉断ち包丁を振り上げた、月明かりを吸い込んでまたその刃が煌めく。
そして間を置かずに振り下ろされた、ミルドレットの首めがけて、鮮血が飛び散る。
「まだ抵抗できるか」
「……ッ…」
ミルドレットが取り出した木板の盾、粗末や矢なら防げる程度の盾が左腕に握られている。
それが肉断ち包丁を食い止め切る事は無く、その下の左腕と首には肉断ち包丁の刃が食い込み、辛うじて切断を防いでいた。
「しかしこれで終わりだ……むっ、ぐうっ!?」
片足を上げ、食い込む肉断ち包丁を踏みつけることで体重をかけて今度こそ切断しようとする首無し騎士。
その片足が上がった瞬間に、ミルドレットが動いた。
空いた右腕で、地についている首無し騎士のもう片方の足を突き飛ばした、地に立つ足を失い首無し騎士が体勢を崩す。
ただでさえ不安定だった首が落下する、しかし右腕は破壊され、左腕は肉断ち包丁を掴んでおり間に合わない、騎士の頭部が落ちていく。
「取ッタ」
落下するその頭部は、下に伏せていたミルドレットの右腕が取った。騎士の体は制御を失ったのか、後ろに尻もちをつく形で倒れる。
ミルドレットが右腕の親指で、首無し騎士の義眼の嵌め込まれた方の目に突き刺す。
「何を…」
「コノ義眼ガアノ大剣ヲ呼ビ出ス触媒ダロウ」
「神ノ奇跡トヤラ二触レタゾ」
「…!」
ミルドレットの親指が邪術を発動する道具である義眼に触れている、首無し騎士は自らの敗北と死を悟った、眼窩の奥から光が漏れ始める。
「あぁ、主よ…今、御身へと還らん……」
夜の野営地に3度目の、赤黒い大剣が現れた。
・
・
・
「アラ、戻ッタミタイネェ」
ミルドレットが村の屋敷へと帰還したのは、夜が明けて日が昇り始め、村人達がもう少しで目覚め始めようかという時間だった。
「少シ遅レタ」
受けた傷は人間性を取り込んで完全に回復しているが、マリダとイザベラはミルドレットの肉体に戦闘の形跡がある事に気付く。
「……戦ッタ…ヨウ、ダナ…」
「ウフフフ、ソウトウ楽シンダミタイネェ」
何よりもミルドレットの持つ人間性の力が潤って強まっていることが解る、尾行した先で並大抵では無い相手を餌とした事をすぐに理解した。
「アァ、忍ビ込ンダ男ノ事ハモウ問題無イ」
「フゥン…ソレデ?何カ面白イモノハ見ツケタァ?」
「……ソウダナ」
ミルドレットは思考する、あの首無し騎士の語った言葉を忘れたわけでは無い、むしろ、本当ならば自分達の身に起きた事態に結びつくかもしれない様な事を話していた。
そして首無し騎士の背後にいたのであろう何か、あの恐ろしい力を首無し騎士に与えた、強大な何かの存在、あの時垣間見えたものがそれだったのか。
それらを暫く考えて、ミルドレットは言った。
「イイヤ、ドウデモイイ事ダッタナ」
「アラ、ソウ…マァ貴女ガソウ思ウノナラ、私達ニ取ッテモソウナンデショウネェ、ゴ苦労サマ」
「……アァ…」
マリダとイザベラもそれ以上は何も聞かず、興味も失った。ミルドレットの言葉は本心だった、例えどの様な真実と、その背後に如何なる存在がいようとも。
ミルドレットと、マリダとイザベラ、この三人の人喰いの狂女達には、少しの興味も無かった。
夜が明けて、村に朝が来る。3人の狂人達を取り巻く日々が、全く形を変えることなくまた始まっていく。