異郷を渡る人食いの狂女   作:ポジョンボ

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剣闘士ミルドレット

 

 

 

 

 

生きていれば自分の理解を超えた現象により窮地に陥ることがあるだろう。私は例え想像もつかない現実を前にしても適切な判断と行動が出来る、あの時までそう思っていた。

 

 

 

だが違った、本当にその時を迎えればそんな物は役に立たない、その事をあの時の私は理解していなかった。その結果、あの恐慌は私からこの左腕とそれ以上の何かを奪っていった。

 

 

今も夜眠る前にはあの日の光景が蘇る時がある、しかし不思議なことにな、呼び起こされたあの日の光景もその記憶も、恐怖となって私の心を蝕むことは無いんだ。

 

 

それどころか可能ならあの日に戻ってみたいと考える私がいるんだ。

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

煌めく太陽の光が照りつける晴天の日、雲一つない空は清々しく、前向きな印象を見る者の心に与えるだろう。

 

 

その空の下で、まるで対象的な光景が巻き起こる。吹き上がり、飛び散った大量の鮮血、砂の地面に落ちて赤黒く映るそれは見る者の心に本能的な嫌悪と恐怖をもたらすだろう。

 

それすなわち何かの、あるいは誰かの死を暗示している故に。

 

 

 

しかしその光景を嫌悪でも恐怖でもなく、興奮の籠もった眼差しで見つめる男が一人。眼下の石壁で円状に囲まれた砂の広場を食い入る様に見つめている。

 

 

そこにあるのは四方に飛び散った鮮血、数人程の確認の必要もなく息絶えた人間の死体、あるものは首から上が離れて転がり、あるものは腰のあたりから胴が二つに裂けていた。

 

 

そして惨劇の中心に立つ一人の人物、除き穴が付いたズタ袋を頭に被り、胸元と腰に纏うボロ布以外は何も身に着けず、左手には取手の付いた木板が盾のつもりなのか握られていた。

 

何よりも目に付くのは右手に握られた血濡れの凶器、人の身の丈ほども刃渡りがある四角い片刃の刃。刃の研ぎ澄まされたそれは巨大すぎる包丁だった。

 

地面に転がるこの死体を生み出した殺戮の凶器だ。

 

 

惨劇の首謀者であるこの女、名をミルドレット。

 

 

 

静まり返った闘技場に立つミルドレットは、無言で次の命令を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく持って良い買い物をした」

 

 

ミルドレットのいる闘技場を観客席から見下ろしながら満足気に男が呟いた。来ている服は上下共に仕立ての良い高品質、靴は値打ちのする動物のなめし革を使ったブーツだ。

 

男の髪は後ろで上品に結ばれ、髭は左右対称に尖らせて整えられ、恰幅の良い体格は男の裕福さを物語っている。

 

 

 

「アレを見出した監獄長には感謝せねばな」

 

 

 

男の正体はこの国の貴族だった、かつて監獄城の囚人の一人に恩赦と地位を与え、監獄を仕切らせていた貴族その人。

 

囚人闘技の考案者でもあったこの貴族は、さらなる道楽の為に秘密の闘技大会を度々開いていた。

 

 

次なる自分の剣闘士達を監獄城の囚人から補充することもあった、彼がミルドレットの存在を知ったのはその時だ。

 

 

 

「そうだ、忘れていた おい、もう下がっていいぞ!」

 

 

 

その声を聞いたミルドレット、黙って闘技場の二つある入り口の片方に下がっていく。その途中で転がる死体の一つを掴んで引き釣りながら。

 

 

 

「毎度の事ながら…殺した死体で何をしているんですかね」

 

 

 

貴族の男の横に立つ男が口を開く、この国の紋章が描かれた青のサーコート、手足を防護する鉄の籠手と脛当て、腰に差した長剣、その顔は無愛想とも取れる厳しさ、国に使える軍人によく見られる顔だ。

 

男はこの貴族を護衛する近衛兵、貴族の直ぐ側に控える男はそれらを束ねる近衛兵長だった。

 

 

 

「む?言ってなかったか」

 

 「知っているんですか?」

 

 

 

貴族の顔が笑みに歪む、仰々しく声を潜めて恐ろしげに語ってみせた。

 

 

 

「あの女は監獄城の元囚人看守、監獄長の話ではな…」

 

「自ら処刑した囚人の死体を持ち帰り、そして……食っているんだとさ」

 

 

 

事実ならば余りに悍ましく恐れるべきその実態、それは近衛兵長から恐怖を引き出せずとも少なからず動揺をもたらした。

 

 

「……事実なのですか」

 

 

「監獄長が言うにはな、まぁ嘘をついて喜ぶ男でもない」

 

 

 

確かにあの凄惨な戦いぶりと闘士数人を容易く屠りさる戦闘力、あの女を見てると体に走る正体不明の嫌な緊張、それらを思い出せば、それほどの異常性を抱えていても違和感は無い。

 

 

「何でも囚人闘技の際、相手の男を素手で撲殺したそうだ、それも一撃でな!ハハハハ!」

 

「なるほど、力を持った狂人ですか」

 

 

「いや、それがだな」

 

 

愉快そうに笑っていた声をピタリと止めて、貴族の男は話を続ける。その顔は打って変わって興味深そうな面持ちに変わっていた。

 

 

「ただの狂人では無いらしいんだ」

 

「監獄長曰く、対話を試みれば簡潔ながら答えが返ってくる」

 

「命令にも従うし、囚人以外には手を出さない」

 

「つまり理性はある」

 

 

近衛兵長は黙って話の続きを聞いていた、ミルドレットの何がこの男の琴線に触れたのか興味もあった。

 

 

 

「面白いだろう?理性があるのに獣の様に人を食らう」

 

「何かそうせねばならぬ理由でもあるのか、狂人であるのは確かだがあの女は極めて冷静さ。」

 

「冷静で人のまま、狂気を持った獣に変わる」

 

「それでいて恐ろしく強い!剣闘士としてこれ程に見所のある存在がいるだろうか」

 

 

 

話を聞いた近衛兵長は合点がいったと納得する、長年に渡り警護してきた主の悪趣味は知っていた。なるほど、この男が気に入らぬ筈がない存在だ。

 

 

 

「“剣”闘士と呼ぶには少々歪ですがね」

 

 

「ハハハ!あの大包丁のことか!何でも渡した覚えがないのにいつの間にか持っていたそうだぞ!」

 

 

軽い冗談を飛ばせば、反応した貴族の男が愉快に笑う。ひとしきり笑ったあと立ち上がり、近衛兵長に命令を下した。

 

 

「さぁ前座はこれで終わりだ!残った死体を片付けろ!そろそろ来るであろう来客を迎える準備だ!」

 

「はい、今すぐに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絢爛な装飾の施された豪華な馬車のドアが開く、中から降りてきたのは貴族の男と同じような服装に見を包んだ男達、汚れ一つないドレスを着た女性の姿もある。

 

首元や両手の指には煌めかしい宝石のネックレスや指輪が嵌められている。

 

彼、彼女らは男と同じ特権階級、貴族の男爵や令嬢達だ。

 

 

 

 

「よく来てくれたな、友よ」

 

 

「勿論さ、私も今日を楽しみにしていた」

 

 

 

闘技場の持ち主である貴族が声を掛ければ、馬車から降りてくる貴族達もそれぞれの反応を返していく。

 

その様子を近衛兵長は特に驚きもせず眺めていた、秘密の趣味を持つ権力者というのは古今東西に珍しくなく、主であるあの男は関係を持つ他の貴族達を闘技大会に招待する事があった。

 

 

「それで、もういるのかね?君の新しい戦士様は」

 

「あぁ、すぐにでも始められる、そちらは?」

 

「同じくだよ」

 

 

話も程々に貴族達を闘技場の観客席に案内する、今日ここで行われる事が解っているから彼らは既に待ちきれないといった様子だった。

 

 

彼らが期待と興奮を寄せる秘密の遊戯、お互いが持ち込んだ闘士をここで戦わせて勝敗を競う。他人の命をチップとした賭け事のような物。

 

 

貴族達を観客席に案内したあとは、近衛兵長も試合を観戦を許されていた。口の硬い事で信頼を得ている近衛兵長、彼自身もこの闘技大会もどきが嫌いではなかった。

 

道楽とはいえ貴族達が自分の闘士を選ぶ際は各々それなりに真剣だ。自らの権力の誇示にも繋がる他に、対等に近い実力者同氏の殺し合いは見る彼らを大いに沸かせた。

 

 

正規の闘技場から引き抜かれた者や、大金を払って集められた腕利きの傭兵に暗殺者。少なくとも家柄だけの着飾った坊っちゃん騎士の模擬戦などより余程見応えがある。

 

 

 

「ねぇ、早く始めましょうよ」

 

「確かに全員席に座ったかな」

 

「今日は負けませんぞぉ、選りすぐりの腕利きです」

 

「皆、今日のために準備したようだな、だがやはり気になるのは…」

 

「他ならぬ主催者様の新顔だ」

 

 

 

他の貴族達は主催者の貴族の男を見て反応を待つ。言うまでもなく、話題に出ているのはミルドレットのことだ。

 

 

 

「必ず皆も気に入るハズだよ、丁度いい、先陣を切るのは彼女にやってもらおうか」

 

「おい、近衛兵長、ミルドレットを呼んでこさせろ」

 

「はい、兵に先程呼びに行かせました」

 

 

 

貴族達は闘技場を見下ろしながら、入場入り口の奥を眺め、今からそこを通って現れる戦士の姿を思い描いて興奮を高める。

 

 

「どんな見た目をしてるんだい」

 

「あの監獄城の囚人だったんだろ?」

 

「フフフ、観客席に襲い掛かってきたりしてねぇ」

 

「付近に私の兵を配置しております、有事の際はお任せを」

 

 

 

そうして入場口を通って貴族達の前に姿を現すミルドレット、何よりも目に付くその巨大な大包丁に貴族達の目は釘付けになる。

 

全員が思い思いの感想を口にする、一見すればミルドレットは手にした包丁がなければ落ちぶれた物乞いよりも酷い身なりだが、長年続けたこの秘密のゲームが貴族達の目を肥えさせたのか。

 

外見だけでミルドレットの実力を疑うような声は無い、彼らにも何か感じるものがあったのだろう。

 

 

「始めようか、友人達よ」

 

「待ちかねましたわ!早く血が見たい!」

 

「では早速、闘士達を入場させましょう」

 

 

 

待ち望んだショーが始まった、砂の地面には多くの血が流れ、へし折られた武器が転がり、死肉となった闘士達に群がらんと上空には烏が飛び交う。

 

 

その結果だけを言えば、貴族達は大いに沸き、勝ち残って闘技場に一人立つ者はミルドレット。

 

 

最初に闘技場に立つミルドレット、開戦と同時に後に入場した闘士の一人に獲物を振り上げて走り寄る。それに一切の動揺なく大剣を構えて防御の体制をとる相手の闘士、しかしミルドレットの大包丁がその大剣に触れた途端、枯れ枝をへし折るかの様に容易く切り砕く。

 

 

折れた切っ先が宙を舞い、大包丁が右肩に叩きつけられ、肩甲骨を超えて内臓にまで深く食い込んだ。

 

力任せに乱雑に引き抜かれれば、血を撒き散らして闘士が倒れ、血に濡れた大包丁は妖しげな煌めきを放っていた。

 

 

数秒の間を置いて、事態を把握した他の剣闘士全員が事前に示し合わせたかのように一斉にミルドレットに襲い掛かった。

 

正面から、左右から、背後に回り込んでそれぞれが攻撃を仕掛けようとする。

 

抜きん出たこの強者を最初に始末する、それ以外に生き残る道はなく、それが可能なのは人数が残っている今だけだと全員が理解していた。

 

 

ミルドレットの振るう獲物の威力を知った闘士達は、ある者は機敏に攻撃を躱し、ある者は己の斬撃を合わせることで攻撃を逸し、ある者は一瞬の隙をついて背後から右の太腿に深々と剣を突き立てた。

 

 

だがそれでも及ばす、結局最後は全員がミルドレットの振るう刃の餌食となり、血と臓物を飛び散らせて倒れ伏した。

 

 

 

己の流した血と返り血で赤く染まるミルドレット、確かに剣で何度か切り裂かれ、刺し貫かれたハズがまるで弱った様子もなく立っていた。

 

傷口から溢れ出る筈の血が止まっている事に近衛兵長だけが気付いていた。

 

 

 

 

 

 

「……いや、正しく圧巻だ」

 

「これではまるで戦いと言うより処刑だ」

 

「確かに切られた様に見えたが、何故死なない?」

 

「…………………」

 

 

 

戦いが終わり興奮が冷めた後、冷静になった貴族達は人間離れしたミルドレットの異様な様相に段々と薄ら寒い物を感じていた。

 

 

 

「さぁ諸君!ここからが本番だぞ!!」

 

 

 

その空気をかき消す主催者の貴族の声、声高らかにまだ終わりでは無いと宣言する。

 

 

「実はな、もう一人新顔を用意している」

 

「何だと?聞いてないぞ」

 

「まだなにかあるのか?新顔?」

 

「続けて、もっと楽しめるのなら大歓迎よ!」

 

 

「大金を掛けて探し出し、契約を結んだのだ 最後にソイツがミルドレットと戦う!」

 

「誰がだ?」

 

 

「“魔女”だ」

 

 

 

主催者の言葉に貴族達から驚愕で息を呑む声や、おぉ という小さい歓声、理解できない疑問の声が聞こえてくる。

 

 

「魔女だって?」

 

「私達、兵士の間でも伝説ですね 曰く、声だけで人を殺し、触れた刃物が独りでに動き出すとか」

 

「実在するのか!?」

 

「私も探したけれど見つからなかったわ」

 

 

主催者は満足気に頷く、そして闘技場の入り口を指差して、声を張り上げて最後の戦いの始まりを宣言する。

 

 

 

「そうだ!ヤツは実在した!正体不明の猛者と伝説の怪物、どちらが強いか、戦わせてみるのだ!」

 

 

「さぁ出番だ!最後に胸のすくような戦いを見せてくれ!」

 

 

 

 

その宣言と共に一つの人影が入り口より歩み出る、貴族達から喝采と言っていい大歓声が響き、近衛兵長は静かに見下ろしている。

 

 

現れた人影は全身を暗緑色のローブで見を包み、フードを被った顔は不自然なほど影が掛かって確認できず、手に持つのは死体を解体するのに使う歪んだナイフ。

 

まるで絵本の中から這い出したかのような、万人が想像する魔女そのものという風体。

 

 

闘技場に立つ両者の表情は伺えず、そして両者共に相手を見つめて動かない。

 

すぐに襲いかかると思われたミルドレットも、不気味に佇む魔女も一向に不動のまま、だが辺りには異様な気配が漂う。

 

 

それが暫く続けば、痺れを切らした観客席の貴族達から野次が飛ぶ。

 

 

 

「もう始まっているぞ!」

 

「何してる!戦え!殺すんだぁ!」

 

「魔法とやらを見せてみろ!」

 

 

 

そうして最初に動いたのは魔女、数歩前に踏み出し息を吸い込んで、体をほんの少し仰け反らせた。

 

貴族達は期待の籠もった眼差しで見つめる、魔女が一瞬の硬直から体を解き放ち、その口が開かれる。

 

 

咄嗟に近衛兵長ただ一人が耳を塞ぎ身を屈めた、何故だかそうしなければならないと彼は強く思った。

 

 

身も凍る魔女の絶叫が闘技場にもたらされ、しかしそれを認識できた貴族達は一人もいなかった。

 

 

 

 

 

「……っ…ぐうっ…」

 

 

苦しげなうめき声を上げて何とか立ち上がる近衛兵長、辺りを見渡せば地獄絵図へと変貌していた。

 

 

口から血を吐いて動かなくなった者、両目が潰れてのたうち回る者、全身の骨という骨が折れ曲がり絶命した者、そしてふくよかだった腹が破裂したかの様に大きく抉れて息絶えた己の主。

 

 

己以外の者は皆、死に、或いは致命傷を負わされていた。

 

魔女の伝説を全て信じている者は誰もいなかった、近衛兵長でさえも。咄嗟に動けた理由は近衛兵長自身にも解らなかった。

 

 

 

「何故お前が死なないのかを私は知っている」

 

 

 

一瞬で血塗れとなった観客席の下の闘技場では、魔女が口を開いて言葉を紡ぐ。その声は低く、抑制もない小さい呟き、だが不気味な程に近衛兵長の耳に届いて残った。

 

 

 

「お前が既に呪われているからであろう」

 

 

 

その言葉が向けられたミルドレット、その体に損傷はなく、変わらず無言で佇んでいる。

 

 

 

「近衛兵!コイツらを拘束しろ!!」

 

 

 

息も絶え絶えの近衛兵長が観客席から身を乗り出して叫ぶ、だが静まり返った闘技場にその声に反応する者はいない。

 

 

 

「あの男はここで戦えと言ったがここにいる者を殺すなとは言わなかった」

 

 

 

言うやいなや魔女が首だけを此方に向けた。本来、骨格の可動域ではあり得ない動作だが、それよりも近衛兵長はローブの中に確かに存在する、此方を見つめる両目に釘付けにされていた。

 

 

 

そして鮮血がまた吹き出し、闘技場を新たな赤で彩った。

 

余所見をした魔女を走り寄った勢いのままミルドレットが切り裂いていた。

 

その魔女の鮮血が、本当の殺し合いの合図となった。

 

 

 

その日、見たことを近衛兵長は生涯忘れることは無かっただろう。

 

 

 

 

魔女がナイフを取り出し腕を突き出す、その腕が高速で伸縮し、幾重にも折れ曲がり、本来なら届き得ない距離の先にいるミルドレットの胸を突き刺した。見間違いで無ければ。

 

 

ミルドレットが反撃で大包丁を振るい、魔女を肩口から大きく斬りつける、その胸の中心、心臓の位置には刺された傷がついており血が吹き出していた。見間違いで無ければ。

 

 

 

 

横に薙ぎ払われた刃が臓物を巻き込んで引き千切る、それでも魔女は笑い声を上げていた。

 

魔女の伸びた爪が喉を鋭く掻っ切った、それでもミルドレットは攻撃を止めなかった。

 

 

お互いに血を流し続け、血を流させ続けた。

 

 

 

どちらが追い詰められているのかすら解らない流血の舞踏、ミルドレットの刃が一層深く魔女の胴体に食い込んだその時、魔女がミルドレットに覆い被さった。

 

 

鋭い爪を背中に突き刺してミルドレットを抱きしめる、次の瞬間、魔女から何かの衝撃が吹き出した。

 

暗く、冷たく、悍ましい何かの力の奔流が爆発する。

 

 

見ていた近衛兵長にはそうとしか形容出来ず、その衝撃を肌で感じた瞬間に彼の意識は失われ、その光景が彼が見たこの戦いの最後の景色となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ぁあ…」

 

 

失っていた意識を取り戻す、最初に目に映るのは空、どうやら仰向けになって倒れていると遅れて理解する。

 

上体を起こしてみれば、そこは闘技場の広場だった。飛び掛かっている記憶を呼び起こす、観客席にいたはずだと後ろを振り向いた。

 

観客席の一部が破壊され砕けていた、先程の爆発のようなもので彼処から放り出されたのかと理解する。

 

 

段々と鮮明になる思考と肉体の感覚、そして気付いた。

 

 

 

「左腕が動かん…」

 

 

恐らく魔女の叫び声とあの爆発を間近で浴びたからだろう、根拠もなしにぼんやりとそう考える。

 

 

暫く空を眺めれば、砂を踏み鳴らす足音が近づいてくるのが解った、その足音の主が誰なのかも何故だか解っていた。

 

 

 

「ミルドレットか」

 

 

 

もはや印象深いズタ袋と大包丁、ミルドレットが其処にいた。血濡れではあるが傷は見られなかった、その事を疑問に思う気力は近衛兵長に残されていなかった。

 

 

 

「俺を殺すのか」

 

「イイヤ」

 

「魔女は死んだか」

 

「死ンダ」

 

 

「なら、一つ聞かせろ…何故人を喰う」

 

 

「保ツタメダ」

 

 

「……何をだ」

 

 

 

ミルドレットは黙って片手の手のひらを上に向けてかざした。その手のひらの上では、黒い揺らめく何かがあった。

 

ゆらゆらと揺れ動くそれを眺めれば、何故だが形すら朧気なそれが人間のようだと思えてくる。

 

 

 

「…そうか」

 

 

近衛兵長にはそれが何か理解できなかった、だが納得出来た。その黒い何かが、ミルドレットの行いの理由に相応しいと不思議とそう思えたのだ。

 

 

近衛兵長の横を通り過ぎて歩くミルドレット、その先は闘技場の出口。主なき今、ここにいる意味はないと言う事だ。

 

 

近衛兵長は少し迷い、最後にミルドレットに声を掛けた。

 

 

 

「良い旅を、ミルドレット」

 

 

 

「オ前モナ」

 

 

 

ミルドレットは振り向かずに闘技場を立ち去っていった。

 

 

 

 

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