異郷を渡る人食いの狂女   作:ポジョンボ

4 / 13
悪竜殺しミルドレット

 

 

 

 

 

 

ほんの数年前までこの辺りの集落には畑すら無い、ただ死にゆくのを待つだけの吹き溜まりの様な場所だったんだ。

 

 

だが今は豊かなものさ、森の恵みを受けれるようになって、こうして旅の方をもてなす事もできるようになった。今ではそれがせめてもの償いなんだ。

 

 

村にあるあの奇妙な木彫りの像は何かって?それは今話した事にも関係があるぞ、アレはこの村の守り神だよ。

 

 

毎年、研いだ鉄の包丁を神具として捧げるんだ。彼女はそれを持って現れた、この村を救った英雄なんだ。

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

「…………フム…」

 

ミルドレットは立ち止まって辺りを見渡した、薄暗く全体に影の掛かったその場所には、朽ちかけと言ってもいい小屋がいくつか並んでいる。

 

その奥にも同じような景色が点在していた。

 

 

「ようこそ…旅人様、泊まれる宿をお探しでしょう…?」

 

 

一人の男がやって来てミルドレットに声を掛けた、痩せ細って肋骨がクッキリと浮き出たその男、纏うボロ服が今にもずり落ちそうだ。

 

男の様子はおかしかった、そもそもミルドレットに躊躇わず声をかけるという事事態がおかしな話。

 

ミルドレットは裸同然のボロ布と囚人に被せるようなズタ袋を纏った奇人、何よりもその手には刃渡りが人の身の丈程もある巨大な肉断ち包丁が握られている。

 

マトモな神経の人間ならば警戒して、少なくとも気軽に声を掛けることはない。

 

それに声を掛けた痩せた男、それは胆力がある、という訳ではどうやら無かった。

 

 

その目には隈が出来て焦点は何処か合わず、ミルドレットの方を見ていない。恐らくはミルドレットの姿すらも正常に認識できていないだろう。

 

フラフラと今にも倒れそうになりながら歩き出す、振り返り、笑顔を見せたつもりなのか、その口元はよく見なければわからない程に微かにしか動いていなかった。

 

 

「さぁ…どうぞこちらへ…」

 

 

その男の後をミルドレットは黙って付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数刻前─

 

 

鬱蒼と生い茂る林の中、立ち並ぶ緑の木々とその間を通る獣道をミルドレットは歩いていた。その幅は狭く、歩く度に左右の伸びた草木が体に当たり、下にはゴツゴツとした石や冷たい泥で地面が形成されている。

 

そして空には雲が深くかかっており、昼間だというのに辺りは不気味に薄暗い。

 

そんな気の滅入る悪路もミルドレットはお構い無しに進んでいく、棘のついた蔦が露出した肌を掠めても痕一つ残らず、完全な素足で石の欠片を踏みつける事になっても何の反応も無い。

 

 

ミルドレットは己が歩むこの先に人の気配を感じていた、正確に言うなら生き物に宿る生命の源たる力の気配を。

 

 

 

「集落まであと少し、さっきの話…よく覚えておけ」

 

 

 

その背後から声がかかる、ミルドレットは今一人では無かった。その声は確かにミルドレットに届いていたが歩みを止めることはない。

 

 

声をかけたその存在は薄緑色の表皮を持つ子供程の大きさの何か。鋭利に伸びた爪と牙、その目は爬虫類の様に瞳孔が縦に細い、頭にはつばの長いとんがり帽子を被っていた。

 

まだ体が成長途中の子供の様にも、老化で縮んだ老人の様にも見えるソレ、人間達からは森の妖精と呼ばれる怪物はミルドレットの後を歩きながら話を続ける。

 

 

「私は村には入れない…」

 

「奴に…森の竜に、餌を誘い込むよう従わされている」

 

「奴はすぐお前にも牙を剥く……だが…お前なら」

 

「魔女を殺せたお前ならば」

 

 

ミルドレットがピタリと歩みを止めて振り返り、ズタ袋の下から森の妖精に視線を向ける。込められた感情を顔から伺うことはできず、ミルドレットが口を開いた。

 

 

「ソレガ村マデ案内ヲスル理由カ」

 

 

「いや、与えられた命令をこなしている」

 

「善意を装い、或いは恐怖を与えて道行く者を私が村まで誘導する」

 

「そして村の者達が…」

 

 

「旅人ヲ村ニ停泊サセ留マラセ、森ノ竜ヘノ生贄トスル」

 

「ソウイウ話ダッタナ」

 

 

「そうだ…お前はこの事を知っても村へと行くのだろう?」

 

「なら私は誘導する役目を果たした…森の竜の邪魔になる様な事はしていない」

 

「その結果…そう、森の竜がお前の手に掛かって返り討ちになったとしても」

 

 

「ソウナレバオ前ハ自由ニナレル」

 

 

 

一人辿り着いた森を進むミルドレットに声を掛け、この先の脅威についてわざわざ説明をした。だというのに自分はそんな場所に住んでいると言う、その理由とミルドレットに近づいた目的が判明する。

 

 

 

「そうだ…魔女や竜は、人だけじゃない…己より弱い同族にも呪いをかけて縛る…」

 

「私はここに長く住んでいた、村の者達とも友好な関係を築けていたハズだ」

 

「森の竜が来てから全てが変わった…奴はここら一帯を都合のいい狩庭に変えることに決めたんだ」

 

「我らを呪い、森から出られなくした」

 

「土地を呪い、村人達から畑や水を取り上げた」

 

「空を呪い、雨も陽の恵みも遠ざけた」

 

「全て自分に従う事でしか生きる糧を得られぬ様に…」

 

「獲物を逃さぬように捕まえる猟犬の代わりをさせるために」

 

 

「…………………」

 

 

全てを聞いたミルドレットは何も言わずに森の妖精を眺めていた、その感情はやはり伺えなかった。

 

 

「わかっている、お前は義憤に駆られる様な者では無いし、それを期待して話した訳でもない」

 

「ただこの地の魔女が死んだという話を森に来た同族から聞いた…人では無かったからこっそり逃しても気付かれなかったんだ」

 

「そしてお前を見て判った、その巨大な包丁…魔女の景色を共有して見ていた使い魔がいたらしい」

 

「お前が殺したその魔女もきっと大勢の人間や妖精を呪いで従わせていたのだろう」

 

「お前が村に向かう目的が何であれ…お前は竜と相対する」

 

 

「ヒトツ聞キタイ」

 

「ソノ竜ハ大勢人ヲ食ラッテイルノカ」

 

 

「奴が集落に来て20年が立つ…その間に食い殺した人の数は百や二百ではきかん」

 

「それに奴が何百年の時を生きているのか知らないが…この様な真似をするのはこの村が初めてでは無いハズだ」

 

 

「…オ前達ニ同情シタワケデハナイガ、ソノ話ガ本当ナラ」

 

「私ノ目的ハ確カニ森ノ竜ダ」

 

 

ミルドレットはそう言うとまた前を向いて歩き出した、森の妖精はもう声を掛けることも後をついていく事もしなかった。

 

ただミルドレットの背を見つめて立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在─

 

 

ミルドレットは痩せた男の後についていきながら村の様子を伺った。

 

地面は古びた石のように色褪せて灰色がかり、妖精の言っていた通り畑の様な物は何処にも見えない。遠目に見えたのは恐らく井戸、しかし蓋がされて埃が積もり、使われている形跡が無かった。

 

そしてもう一度男を見た、痩せ細って今にも消えかけた命の灯火、ミルドレットには単純な観察からの結論以外でもそれを感じ取る事が出来た。

 

 

( ソウル ガ消エカカッテイルナ)

 

 

それはミルドレットが呪いと一緒に授かった能力、他者の魂の力を感知し、そして奪い取る事が出来る。

 

そしてもう一つ、ミルドレットが異世界とも言うべきこの場所に流れ着いた後も、変わらずに求め続けた物。

 

人に宿る、人が人であるために必要な物。それを完全に失えば呪いにより自我は消失し亡者となり果てる。

 

目の前の男にはそれもない、正確に言えばいつものように殺したとしてもその肉と一緒にソレを取り込むことは出来ない。

 

 

 

(ダガ森ノ竜トヤラハドウカナ)

 

 

 

かつてミルドレットがいた世界では、彼女だけでなく多くの呪人は自分を失わぬためにそれを求めた、多くの者は他者を殺して奪っていた、ミルドレットもその一人だ。

 

しかし他にも方法があった、人に宿るそれはしかし、時として人以外にも宿る事があった。 

 

それは人を食らう獣や怪物、食らった犠牲者の肉と一緒にその力も取り込んだのだ。そんな恐ろしい怪物が、ミルドレットのいた世界では珍しくなかった。

 

 

その理はこの世界でも変わらない、特に人を大勢殺した罪人、戦士、怪物などにはより多くそれが宿っている。

 

この集落を支配している森の竜とやらはその条件に当てはまるだろう。

 

ミルドレットのいた場所では下水道のネズミでさえそうだった。少なくとも20年間、何百人もの人を食らった悪竜など正しくその典型だろう。

 

 

「付きました…こちらです…」

 

 

そう思案する間にも辿り着いたのは一軒の家、他の小屋よりも少し大きい。他とは違い屋根に穴も開いていなければ、ドアが外れて外風を止められない訳でも無い。

 

村では唯一と言うべき人が寝泊まり出来る場所である。

 

最もこの家がその目的で使われたのは遥か昔の事ということをミルドレットは知っている。

 

霞峠では同じ事をしようとして失敗した、今回は逃さぬようにとあえて敵の罠に乗ったのだ。

 

 

「何か入りようでしたら…何なりと…」

 

 

ミルドレットが中に入ったのを確認した男は、自分は入らずに立ち去っていく。恐らく森の竜を呼び出しに行くのだろう。

 

室内はベットに暖炉だけの質素な物、だがもとより連れて来られた者は夜を明かす事など出来ないのだから内装がどうあれ関係はない。

 

飢餓に見舞われたと思わんばかりの有様なこの村で、旅人に優しくする余裕もないハズだろうにこんな扱いを受ければ不審に思う旅人もいただろう。

 

 

「村人ハタダノ足止メ…」

 

「不審ニ思ワレテモ、森ノ竜ガ来レバ逃ゲラレナイ」

 

 

森の竜が来る僅かな時間を稼ぐ為のこの仕込みなのだ。

 

ミルドレットはここに来る途中、外れたドアや窓から此方を見る村人達を思い出していた。

 

案内の男のように皆、一様に痩せ細って生気を失い、その目には絶望しか無かった。

 

 

「マルデ亡者ノヨウ」

 

 

勿論、ミルドレットはそれに同情をする様な人物では無い。かつていた世界ではそれはおかしな事では無く、悲惨な境遇に同情を覚える者の方が変人だと言われる程。

 

むしろ村人の様を見て嘲り笑い、トドメを刺そうとしないだけミルドレットは良心的とさえ言えるだろう。

 

しばらくの間、座るでもなく立ちすくみ、その時を待っていたミルドレット。

 

 

不意にドアの外から気配を感じた、ドアにゆっくりと歩み寄る、外からは物音一つしなかった。だが空気が一変したのがわかる、耳をすませば村人の息を呑む声さえ聞こえる様だ。

 

 

「森ノ竜トヤラガ来タカ」

 

 

先手を取られるよりも先に外で待ってやろうとドアに手を掛ける、ドアが音をたてて開き、外の景色が視界に映るかと思われたその時、

 

 

 

突然、開きかけのドアの隙間を押しやって、高速で何かが室内へと侵入した。それは瞬く間にミルドレットへ迫り、まるで大蛇の様にミルドレットに巻き付いて締め上げる。

 

それは蜥蜴の尾の様に見えた、ギリギリと音をたてて締め上げるのも数秒、今度はまた凄まじい速さでミルドレットを家の外に引き釣り出した。

 

肉断ち包丁を振るう暇も無く、伸縮する尾に引っ張られて宙を飛び、その勢いを残したまま近くの廃屋へと叩きつけられた。

 

柱と壁に体を強打して血を流し、動かなくなったミルドレットから巻き付いてた尾がスルスルとはなれていく。

 

 

その尾の先にいたのはやはり森の竜、全身を覆う緑の滑った鱗、頭部を横に両断するかの様な裂けた口、一つ一つがナイフの様に鋭い歯に爪、両足は前足よりも発達して巨大、背には魚の背ビレが生え、手や足の指の間には水かきがついている。

 

蜥蜴と蛙を混ぜ合わせてより醜くしたかのような怪物がそこにはいた。その大きさ、飛び上がれば家一軒を楽々飛び越せるだろう程に大きい。

 

そしてその尾、竜の尾を除いた全長よりも長いその尾の先は、枝分かれした指の様な物が五つ。まるで掌の様に物を掴んで持ち上げる事が出来る。

 

 

「出てこい、褒美を与えてやる」

 

 

大口を開けた竜が老人の様にしわがれた声で話す、そうすると家の中で見物していた村人達が恐る恐る森の竜の近くへと集まってくる。

 

竜の手には引き抜かれた草が、森の竜がそれに息を吹きかければ草は実った果実へと代わり、指を鳴らせば雨が空から降り注いだ。

 

村人達は竜が投げ捨てた果実を拾い集め、降る雨を桶に貯めている。

 

そして僅かばかりの食料を確保した者から、家の中へと急いで帰っていく。そして全員がいなくなった後、竜は自分も食事に有り付こうと仕留めた獲物を見つけるために振り向いた。

 

 

「ん?…ぐわっ、うがああっ!」

 

 

その瞬間、竜から慌てた様な鳴き声が発せられる。それは不意に訪れた痛みからなるものだった。

 

竜の右脚の付け根に鈍く光る肉断ち包丁の刃が深々と食い込んでいた。それが荒々しく引き抜かれると黒く変色した粘性のある竜の血液がまき散らかされた。

 

 

怯んだ竜へと追撃するため、ミルドレットがまた肉断ち包丁を振り上げる。それを見た竜の尾がしなり、ミルドレットのがら空きとなった腹部を強く打った。

 

体がくの字に折れて吹き飛ぶミルドレット、攻撃を受けた後には鞭打ちの痕に似た痛々しい傷跡が出来ていた。

 

口元からは血が流れ、しかし未だ健在で立ち上がるミルドレット。

 

 

「モウ逃ゲラレナイ」

 

 

「それはお前とて同じことだ…」

 

 

 

竜の右脚の傷と出血は酷く、しかし竜に怯えはない。その顔は歯がむき出しとなり、両目が血走って赤く染まる。

 

竜は目障りな抵抗をするこの獲物を始末し、傷は食事の後にゆっくりと癒やす事に決めた。

 

互いの殺意が極限まで高まり、辺りが剣呑な雰囲気で包まれる。そして竜の魔術か、はたまたミルドレットに掛けられた呪いの力か、両者を取り囲むように白い霧の様な何かが広場を出入りする道を塞いでいく。

 

竜とミルドレットはまるでその白い霧に囲まれて隔離されているかの様だった。

 

 

 

距離の開いた両者、先に動いたのはミルドレットだった。

 

肉断ち包丁を振り上げながら駆け出した、しかし数歩進んだ所でまたもや竜の尾が鋭くしなる。

 

風を切る音と共に振るわれる竜の尾、それは鞭の速度に匹敵し、正しく巨大な竜の戦鞭だった。

 

 

「ガフッ…」

 

 

また吹き飛ばされたミルドレット、体には更に傷が刻まれる。仰向けに倒れ、起き上がろうと手に力を込める。

 

 

だがそれよりも速く竜の追撃が行われる、振り上げた尾の速度と重力の乗った振り下ろし。まるで雷鳴の様な破壊力を持つその一撃が仰向けになったミルドレットに炸裂する。

 

 

「アグッ、ガッ」

 

 

竜は初めからその場に留まり動かない、最大の武器たる尾を持ってすれば動く必要すら無かった。

 

そして一方的に戦いが進んだ、倒れたミルドレットが起き上がる前に竜が地面に縫い付けるかの如く尾で叩きつける。何度も何度も轟音をたてて尾が振るわれる。

 

やがてその尾の攻撃が十数回にも及んだ時、下の地面は衝撃でひび割れた窪みと化し、ミルドレットの出血が辺り一面を赤く染めあげる。

 

窪みの中心で仰向けに倒れ伏すミルドレットは痙攣の様に僅かに体を震わせるだけで動かない。

 

 

「…………ウグ…」

 

 

返り血に染まる竜の尾がミルドレットに伸びる、それが胴に巻き付いてミルドレットを宙へと持ち上げた。

 

ミルドレットの手足はだらりと垂れて、辛うじて肉断ち包丁が右腕に握られていた。その体は皮膚が幾つも破れ、中の筋肉が断裂し、へし折れた骨が突き出した箇所もあった。

 

体内の臓器はすり潰された様に崩壊しているだろう。

 

ポタポタとミルドレットから血が滴り落ちて地面を濡らす。

 

胴に巻き付いた尾に竜が力を込める、腹部を強く締め付けていく尾、やがて竜が一息に力を込めれば骨の砕ける不快な音をたててミルドレットの背骨が粉砕される。

 

 

「…ガアァァ……」

 

 

僅かに体に残っていた力さえも消失し、口から空気と共に声にならない声が溢れる。

 

血に濡れた手から肉断ち包丁が取り落ちかけている。

 

 

竜は獲物の死を確信した、このまま眼前にまで運び、貪り食う想像を脳内で展開する。

 

ミルドレットの空いた左手から、暗く揺れ動く黒い霧の様な何かが浮かび上がったのには気付かずに。

 

ミルドレットが力を振り絞ってその黒い何かを握り潰した、それは手の中で弾けて別れ、別れたそれはミルドレットに取り込まれていく。

 

 

ようやく竜がそれに気付いて怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 

その瞬間、ミルドレットが飛び起きるかのように脱力していた上体を勢い良く起こした。その腕には力が張り、肉断ち包丁を両手で握って振り上げている。

 

 

ハッとなった竜の脳内に身を凍らせる想像がよぎった、このままミルドレットが肉断ち包丁を振り下ろし、この尾が切り落とされるイメージが。

 

 

竜はすぐさま尾の拘束を解く、肉断ち包丁を振り下ろすのを止めて着地したミルドレットには、先程まで所狭しと刻まれていた重症の数々は少しもなかった。

 

まるで全ての傷が一瞬の内に痕も残さず完治したかのように、事実そうなのだろう。

 

 

だが当然、竜にはそれが理解できなかった。動揺が心を支配し平静を吹き飛ばした。

 

 

「貴様…今何をした…?」

 

 

ミルドレットは答えない、代わりに肉断ち包丁の取っ手を右腕で、四角い先端付近の峰を左腕で持つ。

 

その構えで肉断ち包丁を振り上げればまるで処刑用の断頭刃のようで、見る者の緊張と恐怖を掻き立てる。

 

 

動揺と焦燥に駆られた竜はソレを振り払い、ミルドレットを観察する。

 

そしてあの構えは振るわれた尾を見切り、切り落とさんとしていることに気が付いた。

 

 

「愚か者めが…!」

 

 

言うや否や、竜の尾が動き出す。今までの様にデタラメに振るわれるのではなく、尾は素早く正確に地を這う様にミルドレットに迫る。

 

不意をつくその動きで両足を一息で締め上げて振り回し、天高く放り投げて地面へと叩きつけてやろうと画策する。

 

 

しかし竜はやはり動揺から復帰できてはいなかった。

 

 

迫る尾の動きに合わせてミルドレットが肉断ち包丁を振り上げたまま跳躍した。地を這う尾は跳ぶミルドレットを素通りして、逆にミルドレットは伸びた尾目掛けて距離を詰めながら落下する。

 

 

「なっ!……あっ」

 

 

着地と合わせて肉断ち包丁を振り下ろせば、処刑じみたその一撃が竜の尾を中央辺りからバッサリと切り落とした。

 

 

「うがああああっ」 

 

 

竜が絶叫と共に慌てて尾を振り回す、しかしもう見切ったのか、ミルドレットはそれを肉断ち包丁の斬撃で打ち落としていく。更に尾は両断され、粘着く血液が飛び散った。

 

 

「ひぎぃ…ぐうぅ」

 

 

竜がうめき声を上げながら後退しようと足に力を込める、しかし不意打ちで受けた右脚の傷は骨まで達しており、動かすことは出来なかった。

 

怒りの興奮が冷めた今、誤魔化せていたその激痛がじわじわと蘇ってくる。

 

 

背を向けた竜の元にミルドレットが遂に到達した、肉断ち包丁を振るえば背ビレのある箇所に深い裂傷が刻まれる。

 

ミルドレットが片腕で背ビレを掴み、力を込めて引き寄せる。メキメキと嫌な音をたてて、やがて一気にその背ビレをむしり取った。 

 

今までの比ではない竜の大絶叫が響き渡った、血を吹き出して竜はのたうち回る。その間もミルドレットは肉断ち包丁を振るうのをやめずさらなる痛手を刻んでいく。

 

 

何事かと思った村人達が家から出て様子を見に来ていた。白い霧の向こうから聞こえたのは長年自分達を支配していた厄災の象徴たる竜の、恐怖と痛みに喚き怯える声。

 

 

 

「えっ…」

 

「これは、一体」

 

「あの竜が…苦しんでいる…?」

 

 

 

村の中央、村の者達が聞く中で竜の処刑は開始された。

 

もがく竜が苦し紛れに振り回す手足の爪もミルドレットに容易く弾かれて、その度に爪が欠け、指が切り落とされる。

 

その胴、首、頭部に肉断ち包丁が何度も叩き込まれる。

 

頑丈な鱗と皮膚が裏目にでて、今やそれは竜を長く苦しませる要素にしかならなかった。

 

竜の生命力は凄まじいが、もはや反撃の力が無い以上それも無意味。

 

頭部の半分が掛けた頃、とうとう竜が慈悲を求める命乞いを始めた。

 

 

「わ、私が悪かったんだ…もう二度としないと誓うぅ」

 

「待て…があああッ!」

 

 

 

ミルドレットは何も答えない、代わりに天に掲げる様に高く振り上げた肉断ち包丁をその首めがけて振り下ろす。

 

それは村人達が見ればまるで怨敵たる悪竜を裁く処刑の刃の様に見えただろう。

 

食い込んだ肉断ち包丁に片足を掛けて、体重と力を一気に込めて押し込んで、竜の首を遂に両断した。

 

ゴロゴロと転がった竜の頭部は、開ききった口から舌が垂れて、その目は虚ろとなりもう何も写すことはない。

 

 

 

 

竜の断末魔を聞き唖然とする村人達、やがて灰色だった地面が元の色味を取り戻し、草花が咲き始める。

 

空を覆っていた暗雲が晴れて、眩い陽の光が村に差し込んだ。

 

数秒その光景を眺めた村人達は何が起きたのか理解し、皆が涙を流して崩れ落ちる。

 

互いに抱き合い、喜びを噛み締めていた。

 

 

 

 

それを背に立つミルドレットは竜の死骸に歩み寄る、ミルドレットにだけ竜のもう動かぬ体から立ち上る様に現れて揺らめく黒い霧、元いた場所では“人間性”と呼ばれるソレが見えていた。

 

手をかざせばソレは竜からミルドレットに移るかの様に取り込まれていった。

 

竜が何百年間と人を食らって溜め込んだソレは全てミルドレットに移り渡る。

 

両者を覆っていた白い霧が空気に溶け込むように消えて無くなった。

 

 

「終ワッタカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほ、本当に死んでいるぞ…」

 

「でもなんでこんな…一体誰が」

 

「まさか、あの旅の方が?でも何処にもいない…」

 

 

広場を覆う霧が消えて、竜の死体の元に村人達が集結する。本当に竜が死んだと言う事実を確認し、しかしソレを起こしたミルドレットは既にその場にはいなかった。

 

 

困惑する村人達の元に一つの影が静かに歩み寄った。やがて近づくそれに気が付いた村人達は一瞬驚愕し身構えるが、その影の詳細が明らかになると、村の大人達は皆警戒を解いた。

 

 

「貴方は…!」

 

 

 

背の低い緑の体につばの長いとんがり帽子、この村の大人達なら皆知っている、幼少からの良き友人であった、そして大人になってからは頼りになる村の知恵者だった存在。

 

 

「彼女はもう行ったよ、全て私から話そう…だが今だけは共に喜びに浸ろうではないか」

 

 

 

森の妖精に村人達が駆け寄った、ボロボロの服に痩せ細って体は変わらずに、しかし村人達の目にはもう絶望は無かった。

 

村人も妖精も皆、口元には屈託のない笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村を早々に立ち去ったミルドレットはまた山道を歩んでいた。ミルドレットは呪われ人、安全な場所などない人外魔境と化した元の世界ならいざしらず、人の営みが残るこの世界で一箇所に留まる事は無い。

 

 

徐ろに左手に持つ剥き出しになった骨の様な何かを見る、先端が槍の切っ先の様に尖った長いその骨は、切り落とされた竜の尾が何故か変質した骨の武器であった。

 

 

それを己のソウルの中に取り込むことで仕舞い込む、ミルドレットは村の方角に振り返る事もなく、山道の先へと消えていった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。