彼女を一目見たら使える奴だとすぐに気が付いた、彼女は私よりも遥かに濃い死の香りを纏って現れたんだ。
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先の見えない漆黒の洞窟をランタンの光が照らす、滑りを纏った土の壁や床は蝦蟇の表皮にも似て、冷たい冷気を帯びていた。
その通路をミルドレットは歩いていた、衣類と呼べる様なものは身に着けず、しかし寒さに肌を震わせる事は無い。
数歩先で先導するのはランタンを持ったローブの男、照らされてフードの中に見える顔は青白く、不気味な刻印の様な模様が描かれている。
「着いたぞ、入ってくれ まずは話でもしようか」
通路を進む男とミルドレットは、不意に見えた扉の前で立ち止まる。男がローブの内側のポケットから鍵を取り出して扉を開ける、中から微かな光が溢れて男がその中へと入っていく。
同じくミルドレットを何も言わないで後に続いた。
部屋の中でも湿りのある床と壁は変わらず、しかし中央に置かれた丸テーブルと椅子、テーブルの上の油ランプ、薪の焚べられた火の付いていない篝火が、人の生活感を僅かに感じさせた。
「良ければ座ってくれ、別に立ったままでも構わないが」
振り向くことなく男は言う、その片手を篝火にかざして小声で何かを呟いた。かざしたその片手から炎が突然上がり、暖炉目掛けて人の頭ほどの大きさの火球となって放たれた。
篝火に積まれた薪に着火して炎が上がる、部屋が一段と照らされると同時に篝火の熱が一気にその部屋の生活の痕跡を強めていく。
「呪術ト言ウヤツカ」
拒む意味も無いので促されるまま椅子に腰掛けるミルドレット、男の起こした超常の現象にも覚えがあった。
ミルドレットの元いた世界で炎を操る術は呪術と呼ばれ、不死人達の集うかの地では呪術を修めた呪術師達の存在も珍しくなかった。
事実、ミルドレットも交戦経験がある。今の男の様に手から火球や火炎を迸らせる攻撃を得意としていた。
「聖堂の祝福や叡智の魔術と袂を分つ術だと言えば、その表現も正しいだろう」
「私の事よりも今は君と、そしてこれからの話をしよう、お互いにその方が有意義な時間となるはずだ」
男の方もミルドレットに向かい合うように椅子に腰掛ける。
「確認するが君は私のメッセージを見てここに来た、協力してくれる意思があると思って間違いは無いか」
「間違イハ無イ、ソノ通リダ」
「ふむ…そうか協力してくれるのか、しかし、私が思うに君は…」
「そのような人間では無い、違うかな?」
ミルドレットの目を覗く男の顔には釣り上がった笑みが移る、ミルドレットのズタ袋の下の表情は対象的に少しの感情もなく凪いでいた。
十数分前─
ミルドレットはいつもと同じく、誰も通らなくなった寂れた街道を歩いていた。真っ当な文明とは相容れぬ呪い人として、人の往来のある場所や都市部に近い場所等は避けて移動していた。
そしてまたいつもと同じく、一時の住処となりそうな打ち捨てられた住居の痕跡、今回は古い廃村を見つけ出した。
半ば獣道と化した街道の先に村の入り口が見える、木造の朽ちかけた建物が数軒、奥には教会の様な場所がある。
そしてやはり、より多くのソウルを求める不死人である己の直感を頼りに進んだ先にある場所とは、大抵が尋常の者が足を踏み入れるべきでは無いような場所だということも解っている。
その証拠にミルドレットの眼前には木々から吊り下げられた死体がある、普通の廃村では絶対に見ることは無い光景だ。
村に続く街道横道の木から吊り下げられたその死体は酷く損傷し、切り刻まれた様な傷跡が目立つ。
「コレハ…」
それよりも遥かに悍ましい光景を幾度と見てきたミルドレットに動揺など無い、その目に止まったのは死体の切り開かれて臓物が抜け出た空の腹部、その中は腐った粘液と蛆に満たされていたが、一箇所だけ開けた場所にそれはあった。
「文…カ?」
折りたたまれた一枚の紙、不思議なことにその紙は綺麗なままだった、まるでこぼれ落ちる腐った体液も蛆の群れも、その紙を避けているかの様な。
死体から抜き取り、折りたたまれたその紙を開けば、想像通りにそこには何者かの残した文章が記されている。
“この先の廃村に危険あり、死を恐れる者は引き返すが良く、そうで無い者には助力の程を求める 興味があらばここより西の古井戸まで来られよ”
「……………」
ミルドレットは文章を読んで数秒思案して、そこから西の脇道に向けて歩いていった。
現在─
今いるのは古井戸の中にこの男が設けたという洞窟の中、見た所、男はここを住処としているようだった。
「真っ当な人間ならあの文を読むでもなく引き返すだろう…などという当然のことを抜きにしても」
「君の存在そのもの、見える全てが君が辿った軌跡を訴えてくるようだ、私には解る」
「外道の類…人が歩むべき人道を捨てた者の気配がする、非道も邪道も良しとして他人の生命を啜り生き長らえんとする者」
「私と同類と言うわけだ、その処刑具の様な包丁でどれだけの命を奪った?きっと私がそうした数より遥かに上だろう」
「ソウ思ウカ」
「別に責める気は無い、気になったのはそんな君が何故形だけだとしても人に協力する等と思い至ったのかだ」
「…奪ウノモ助ケルノモ目的ノ為ニ取ル手段デシカナイ、ドチラヲ選ボウトモソコニ矛盾ハ無イ」
「オ前ニ手ヲ貸スノモ単ナル一時ノ興味ニ過ギナイ」
「ではその目的とは何だ、この廃村にそれがあるとでも?」
ミルドレットは嘗ての似たような問いにそうした様に、ただ黙って男に見えるように上向きにした手をかざして見せる。
その掌から滲み出るように現れた、蜃気楼の様に揺らめく黒い靄。男は揺らめくその漆黒の中に、どういうわけか人の気配と感情を感じた。
「魂…にも似てるが少し違うな、そうか、ともかく我等とは異なる術理で君もまた死に触れし者という訳か」
納得したかのように軽く頷いた男は、ローブの中から何かを取り出してテーブルの上にそっと置いた。
干からびて細く萎びた人の右手であった、手首の辺りから切断された死体の一部だ。
男がそれに手を触れると淡い青の光が生まれ、その右手に吸い込まれていった。そして数秒後、その手の動くはずの無い指が起き上がる、男が手を差し伸べる様にその手を近づければ、干からびた手が一人でにその手を握手の形で掴んだ。
「オ前ハ、屍術師トイウワケカ」
「同類だと言っただろう?では本題に入ろうか」
握手を交わしたまま、男はローブの下に干からびた右手を仕舞う。次にその手を出したときにはもう握手は解かれていた。
「君がこの廃村に興味があるとすれば、それが何であれ排除しなければならぬ存在がいる」
「そしてそれはそのまま我らの本題に直結する」
「簡潔に言おう、この廃村は今、とある屍術師に占領されている、勿論私の事では無い」
「それの排除に協力してほしい、それが本題だ」
「同ジ屍術師ヲ殺シタイ理由ハ何ダ」
「君なら解るのでは無いか、ソイツの力と知識を私がそのまま頂く為によ」
「私は常に有能な同業者の居所を探している、ソイツに隠れて近づき、隙あらば全てを奪うためにな」
「君はどうだ、自分と同じ同族の者を殺した事はあるか?」
「何度モアル、慣レタモノダ」
ローブの男は痩せこけた頬を歪ませて気味の悪い笑みを浮かべる、それは蛇が獲物を前にその口を開く様に似ていた。
「君の目的たるソレ…人間の精とでも呼ぼうか、きっと多くの人間の死と生を歪めたる者にこそよく宿ろう」
「ソレハオ前ノコトカ?」
今度はくつくつとくぐもった声を上げて嗤う、やはりその笑みは見るものに言いしれぬ緊張感と不安をもたらすものだった。
「気を付けろよ、やつの手下はどうとでもなるが、やつ自身はきっと狡猾だぞ」
ミルドレットが古井戸の隠れ家から外に出る頃には、辺りは既に夜の帳が降りて闇がもたらされる。
だが月明かりは雲に隠れることなく降り注ぎ、思いの外強く一帯を照らしていた。林の中を少し歩けば、入り口とは別方向から廃村に侵入できる。
そこまで大きな村ではない、広場を取り囲む様に民家があり、村の奥には作りは立派な教会がある。
ミルドレットにはその教会の入口だった場所、既に門など朽ちて消失したその箇所が、白い濃霧の様な何かに覆われているのが見えた。
かの地で何度も見た、その場所に巣食う最も強大な怪物のテリトリーを現す境界線だ。不死人達はそれを視覚で感じ取ることができる。
躊躇わぬ足取りで広場を越え、廃教会へと近づかんとするミルドレット。しかし広場に足を踏み入れた途端、辺りの民家から何かが動き出す音が聞こえる。
がらがらと何かが崩れる、或いは組み立てられる音、金属質の何かが擦れ合う音、何かが歩き出す足の音、そして民家の壊れかけのドアや壁や窓が蹴破られる音。
瞬く間に広場に続々と足音が集結する、月明かりが映し出すその正体は、錆びた剣や農具を手に持った人骨の群れ。
まるで動く人間の骨だけが視覚化されて見えている様な、生きる屍たる怪物が民家より現れてミルドレットを取り囲む。
「奴ノ予想通リカ」
今にも飛び掛からんとする骸骨達の数は10に届く程、すかさずミルドレットが左手からソウルと変換していた物を取り出した。
それは複数の香水瓶の様な、内部から怪しい光と煙を漂わせる謎の瓶を辺りにはばら撒いて投げ捨てる。
それは武装した骸骨達の前方に落下して音を立てて砕け散る。中に詰まっていた怪しげな色の煙が一気に広範囲へと放たれた。
「世界ガ変ワッテモ人ノ発想ハ変ワラナイトイウコトカ」
その煙を浴びた骸骨は今にも襲い来る様子だったのが一転する、呆けた様にその場に立ちすくし動かない。
ミルドレットは見覚えがあった、元いた世界にも同じ効果をもたらす道具が存在した。意志を失った亡者や獣をその場に惹きつける効果の誘いの魔具。
予め、屍術師の男から渡された対抗策なる魔具である。
「サテ……」
無力化された動く骸骨の群れを捨て置いて、教会の白い濃霧の壁に歩み寄るミルドレット。手で濃霧に触れれば、引き込まれるようにその濃霧の中へと入っていく。
濃霧の先の教会内部、まず見えたのは崩壊した天井とそこからのぞく月明かり、草の伸びた床に奥の演説台。
そしてそこから飛来する燃え盛る火球、屍術師の男が古井戸の洞窟で見せた物と酷使している。
「奇襲カ…」
右手に持つ肉断ち包丁の厚く広い刃渡りを利用して盾のように構える。飛来する火球を受け止めてそのダメージの大半を削ぎ落とす。
爆発の衝撃と熱に怯むことなく、肉断ち包丁を振るって爆発の煙を振り払う。そうしてようやく敵影の姿がその視界に収まった。
古びて変色したローブ、毛髪の無い頭部に痩せこけた顔、片手に持つは死体を材料としたのであろう道具の類、その姿は顔に彫られた紋様の有無が無ければ依頼者の男と見間違う程に似通った姿だった。
屍術師とは皆こうなのか、頭を過ぎる疑問にもそれ以上意識を向けることなくミルドレットは駆ける。
「近ヅキサエスレバ蹴リガ付クナ」
見た所この男に接近戦の技能は無いと判断する、距離を詰めることが出来れば呆気なく戦いの決着となるだろう。
二度の火球を前転して躱す、尚も距離を詰めるミルドレット。屍術師が肉断ち包丁の攻撃の間合いに入るまであと少しの距離まで近づいたその時、
ミルドレットの踏みしめた前方の地面が捲り上がり、地中から何かが突き出される。それは二振りの槍だった、二振りの鋭いスピアが地中から突如突き上がり、ミルドレットの両足の腿を突き刺して貫通させる。
「グゥッ」
その槍の持ち手には絡みつく様に骨だけの腕が二本、その腕が掴んだ槍を地中からミルドレット目掛けて突き出した。
続いてミルドレットのその背後から更に数体、土埃を巻き上げながら土を捲り、地面から這い出して現れる骸骨達の姿が。
目に見えぬ場所に伏兵を潜ませて油断を誘う屍術師の罠であった。
「ウグッ…コイツラ…」
両足の腿を貫かれ、思うように動かせずその場に固定されるミルドレット、その背目掛けて更に数本の槍が突き出される。
自身の胴体を貫通した槍の血に濡れた切っ先がミルドレットの視界に入る、両足を拘束する物を含めて、全ての槍の先端には返しがついており、引き抜く事は難しい形状となっていた。
横合いから一体の骸骨が薪割り用の斧を両手で振りかぶるのが見えた、咄嗟に防ごうにも背後から突き刺さる槍の拘束に邪魔をされて間に合わない。
肉断ち包丁を持つ右腕に肉を押し潰す音を鳴らして斧が叩き付けられる。 右腕の内側に食い込んだ斧の刃が神経を切断したのか、右腕から力が抜け落ち、手にしていた肉断ち包丁が地面へと落下する。
「チッ……」
梁にされた囚人の様に動けないミルドレットに屍術師が不意に歩み寄る、その骨張った顔には薄笑いが走り、誰が見ても相手を嘲笑する勝ち誇った笑みだった。
屍術師の男は落ちた肉断ち包丁を拾い上げる、ミルドレットの眼前でそれを両手で持って見せつけるかのようにゆっくりと振りかぶる。
しかしそれが振り下ろされる事は無かった。
「……………!?…ッ」
声にならない苦悶の叫びが響くことは無い、屍術師の喉元には、ミルドレットが左手に持った鋭い何かで貫かれていたからだ。
生き物の骨を組み合わせたようなそれ、脊髄が歪み、そこに骨で出来た刃が生えたかの様な形状の異形槍。
それはミルドレットがかつて訪れた山奥のとある集落、そこを支配していた悪竜の切り飛ばした尾が変質した特殊な竜の奇武器。
この世界に来て始めてミルドレットが手にした未知なる武具であった。
喉から止め処なく血が溢れ出し、やがて断末魔すら上げることはできずに屍術師は倒れ伏して絶命した。
一瞬の間を置いて槍を持つ骸骨達が音を立ててバラけて崩れ落ちる。それぞれの部位の骨に戻ったそれが動き出す気配はない。
教会を覆っていた白い濃霧が晴れていく、それはこの場所の脅威が消失したことを現していた。
持ち主のいなくなった槍を力任せに引き抜く、何処からともなく出した暖炉の火のような暖かな色で満たされた瓶の中身を一口飲む、そした次の瞬間には全ての傷が癒えていた。
「素体達を傷つけず術師だけを始末するとは…そこまで器用に行くとは思わなかったぞ」
声に振り向けば依頼者の屍術師がそこにいた、外から標的の死を確認してここまで来たのだろう。
「私が自ら駒を率いて始末してやることも考えたが、やはり君に任せるのが正しい選択だったようだ」
「私は君が気に入った…だから“当初の予定”も変更しなければな」
ミルドレットは何も答えなかった、その“当初の予定”と言うのにもおおよその予想は初めから付いていた、ミルドレットには何方でも良かった。
「君に2つの物を授けよう、一つは報酬として、もう一つは親交の証としてだ」
男が手渡したのは何やら黒ずんだ人の頭蓋骨、それと宝飾は無いが解読のできぬ文字が刻まれた指輪だった。
ミルドレットが黒い頭蓋骨を覗き込めば、確かにその虚ろな穴と化した眼孔の中にミルドレットの求める人間の暖かな闇が見てとれた。
「我ら屍術師の秘儀、死にゆく者の感情と魂の残滓を亡骸に留める術がある」
「……確カニソノヨウダナ、コノ指輪ハ何ダ」
「それは符丁だ、かつて私がいた場所の隠された入り口を開くための秘密の印」
「私がそこを去る際に命じられたのは、外で私の変わりとなる者を見つければ指輪を渡して招待しろと言うものだった」
「どうやら君も私と同じく危険な事柄に好奇を抱く輩と見た、興味があれば、その場所にその指輪をつけて向かうがいい」
「ソレハ何処ダ」
「ここより東、王都の下水道だ…その最奥に指輪が示す道がある」
「期待するといい、君があの場所に足を踏み入れれば…」
「歓迎されるか、襲撃されるか、どちらかだろうな」
「………………」
「もう少し君とは話がしたいものだ、何も今すぐに出発するという事もあるまい?」
村に降り注ぐ月明かりはそのままに、夜の闇は更に濃くなっていった。廃村に蔓延る不穏で不気味な気配は、初めから何も変わっていなかった。
その気配の発生源が今、今までのとすげ変わっただけなのだから。