特に理由は無いけどなんとなく再開
新天地を求めて
とある大陸のとある地方、そこには豊かな山々や草原や森などの自然が広がり、多くの人々が暮らす国があった。
その国は幸運にも、大きな戦争や深刻な貧困や災害とも無縁で、王都では王族や貴族達は大層絢爛な日々を、平民達もその殆どは飢える事は無い暮らしをしていた。
だがある日を境にその国の王都は打ち捨てられる事になる、以降の歴史では王都とは別の場所を指し示し、その理由が詳しく語られることは無かったという。
遥か先の後世では、その事について別々の憶測と伝承が語り継がれる事になる。
だがそれは今、この時代を生きる者達にとってはまるで関係のない話である。
とある場所、都だった廃墟
人の気配が絶えたその場所、石造りで舗装された地面は苔むして黒ずんみ、辺りに見えるは民家であった残骸、木造の屋根は朽ちて崩れ去り、石の壁は雨風に晒され倒壊している。
そんな有様の廃家がそこら中に建て並ぶ、その全てが同じ様に朽ちて、人が住まうのはもはや不可能となっていた。
円形状に開けた場所を中心としてその景色は広がっていた、その広場にもよく見れば中央にある噴水やそれを取り囲む木で出来た何かの建物の残骸。
ここはかつて、ここに住まう民達の居住区、その活気ある憩いの場だったのであろう。
「……………」
空には灰色の雲が陰り、周囲の空気も心なしか淀んでいる、完全に人の営みは消え失せたその場所に、風を受けて立つ一人の人物が居た。
「ヤハリ…人ガ皆イナクナッテイルナ」
その女の風体は余りにも異質、服とは呼べぬボロ布が辛うじて恥部を覆っている、肌の殆ど全てを露出させ、裸足のまま地面を踏みしめる。
その顔は女の被るズタ袋で覆い隠され、開けられた二つの覗き穴から見えるその両目以外は確認出来ない。
そしてその右腕に握られた鈍色に光を反射するその刃物、鉄板を研ぎ澄まし、持ち手をつけたようなソレ、それは巨大な包丁であった、調理に使うには余りにも規格外の大きさを誇る肉断ち包丁であった。
「国ソノモノガ滅ンダトイウノカ?」
女の名はミルドレット、その姿は間違っても街の真ん中を歩いて何事もなく済むものでは無いが、生憎と今この街にその姿を不審に思うものも、咎めるものもいやしなかった。
するとその場にまた一人、廃墟群の奥から広場へと歩み寄る人影があった、その姿はミルドレットにも見えていた、歩いて来る人物からもミルドレットが見えている。
お互いに何の反応も示さない、自然な動作で歩くその人物の足はミルドレットの方へと向かっている、やがて目の前に来たその人物が口を開く。
「ドコモ…同ジダ、人ガ、居ナイ…」
「ソウカ」
現れたその女、ミルドレットと似通った風貌であった、体を纏うボロ布はミルドレットに比べれば大きく面積を増し、しかしそれでもまだ服とは間違っても言えない。
顔もボロ布の覆面で隠し、その片腕にはミルドレットの肉断ち包丁よりも更に重い、鉄塊の如き大斧を持つ。
女の名はマリダ、肉断ちの異名を持つミルドレットと同族の不死人である。
「ダケド…城ノ方、ハ…マダ見テナイ」
「フム、デハソコニ行コウ」
二人の不死人の狂女は揃って廃墟群を抜け、王城のある場所へと移動していく、彼女達がこの様な状況に身を置くのはある経緯があった。
数時間 下水道付近、居住区最下層─
「…………」
王都の最下層の民が住まう半ば打ち捨てられたスラム、そこにある使われていない古い下水道がミルドレットとマリダの住処であった。
かつて、そこに住まう先住の怪物を二人が排除して奪い取ったその場所、多くの時間は人目に付かぬ様に奥に潜み、極稀に興味から足を踏み入れる者を襲撃し糧とする暮らしをしていた。
だが今は二人共下水道の外へと出ている、久方振りの外の光を浴びるが、見上げる空は曇り、辛うじて太陽の光が届いていた。
「コレカ、ラ…ドウ、スル…?」
「ドウシヨウガ自由ダ、ダガ少ナクトモコノ街ニ居ル理由ハモウ無クナッタ」
二人の狂女が会話する、彼女らはこの街を離れるという決心をしていた、その考えに至る理由があった。
「篝火ガ消エルトハナ」
それは彼女ら不死人にとっては到底無視出来ぬ事情、下水道の奥、そこに現れた不死人の真に帰るべき場所とも言える安息の光が、ある日前触れもなく失われたのだ。
揺らめく炎が消え去り、残ったのは僅かに熱を残す灰と遺骨、それと篝火に刺さっていた捻れた剣。
「ココハ元ノ世界トハ別ノ世界、篝火ノ、アノ世界トノ繋ガリガ消エタノカモシレナイ」
「篝火ガ無イノナラ、人ノ住厶街ニ居ル意味ハ無イ」
「……解ッタ、ココヲ離…レル」
人の住む社会とは相容れぬ不死人の性質故、文明の地から自ら距離を置くミルドレットがこの街を拠点にしていたのは一重に篝火を発見したからだ。
この世界の何処を探しても、これ以外の篝火が見つかる保証は無い、なにせ元いた世界とは異なる別世界なのだから。
だがそれが消え失せた今、余計なリスクを犯してまでこの王国に隠れ潜む理由は無いのだ、真っ当な暮らし等への未練など無い、かの世界の不死人達の殆どと比べても、ミルドレットはその傾向が強かった。
「人目ニ付カナイ様ニ抜ケ出ス、此方ニ使ワレテナイ出口ガアッタ筈ダ、静カニ移動スルゾ」
「………」
「ドウシタ、マリダ」
すぐにでも移動を開始しようとするが、押し黙って何やら辺りを見渡し始めたマリダを不審に思い、ミルドレットが声を掛ける。
「…アレヲ」
指を指して答えるマリダ、その方向を見れば下層から見上げるように居住区の民家が見える、だが何か違和感があった、立ち並ぶ家々に何かしらの違和感が。
「…ドレモ壊レ、テル…人ノ気配モ、無イ…」
「…ソウカ…確カニ」
ミルドレットもようやく気付く、元いた世界では健全な建物や設備などまるで皆無、この世界でも人の営みとやらを遠ざけてきた為に気付くのが遅れた。
少なくともこの付近一帯、ここから見渡せる街の一部、その全てが荒廃したかのような朽ち果てた有様だった。
現在、城へと続く道─
それからミルドレットとマリダは確かめるように街に繰り出した、初めは慎重に身を隠していたが、街を探索すればするほど、もうここに人間は居ないのだということが解ってくる。
そして今や堂々と道の真ん中を歩き、王城へと進む。
遠目から見えるその城も、壁や外装が朽ちて剥がれ落ちて所々内部を覗かせる、そこまでに至る道も雑草が隙間から生え伸びている。
「原因ハ恐ラク、篝火ダ」
「…時ガ、歪ンダ…?」
「アァ、キットソウダ、篝火ハ元ノ狂ッタ世界ト繋ガッテル、篝火デ休厶程ニ下水道ノ外ノ時間ガ進ンデイタノダロウ」
ミルドレットはそう結論づける、篝火が消えたことはともかく、時間の歪みについては経験がある。
元いた世界のあの場所ではそれが当然の事、百年前の伝説や遥か遠い時代の人間が同じ場所に存在していた。
最初の火が陰る事で生じた世界の異変、それと密接に関係しているあの篝火に触れる事でこの世界にもそれが生じたと考えても不思議は無かった。
「サテ、ココマデ来タガ、ヤハリ人ノ気配ハ無イカ」
話しながらも進み続け、城の目前まで到達する、市街地を抜け、造りが豪華な上流階級の居住区を抜け、辿り着いた場所にある大きな網目状に木材が組み合わされた門、そこ先に中庭と城が見えた。
「…デモ…ナニカ、イル」
「アァ、間違イ無イダロウ」
王城に入るつもりだったミルドレット達の足を止め、視線を向けさせたのは、王城の門付近の地面に転がるソレ。
人間の亡骸だった、皮も肉も腐り切って剥がれ落ち、干乾びた残骸と言うべき骨だけが残っている。
その死体の様子から、ここで起きた状況が見えてくる、死体はどれもその身に風化して布切れと化した服の他に、鉄鎧や革で加工した軽装備を纏っていた。
辺りにはすっかり錆びて使い物にならなくなった盾や剣や、朽ちて半ばから折れた弓の矢が転がっている。
数にして十は優に超える数の亡骸が、城門前の広場に散乱していた、それらの意味することをミルドレット達も理解する。
「ナニカト戦ウ為ニ此処ニ来テ、コノ場所デ死ンダヨウダナ、敵ニ殺サレタノカ」
「……恐ラク、コノ先ニ…」
「フム」
マリダが城の門を指差す、その門にミルドレットが触れると、門の向こう、城の方角から生温い向かい風が吹き上がった、酷く不快な湿度と纏わりつく異質な感覚を与えるその風。
その風にミルドレットには覚えがあった。
「ナルホド、コノ門ヲ退カソウ」
大きな木造の門を通過するために開けようとするミルドレット、しかし想像以上に門の木組は劣化して傷んでいる、ミルドレットが腕に力を込めて引き抜くように破壊を試みると、簡単にそれは達成された。
破壊した箇所から腐った木が割れる破壊音を鳴らして更に壊していく、やがて人一人通過できる穴の様な入口が門に出来上がった。
「行クゾ」
「アァ」
その入口を通過して城へと進むミルドレットとマリダ、二人共この先に何が待っているかは知らねど、何が起きるかの予想は出来ていた。
かつては手入れがされていた中庭は今や雑草の温床となって見る影も無い、ミルドレットはそんな景色には目もくれず一直線に城へと進み、王城の扉に手を掛けて開け放った。
廃城 謁見の間─
城へと入り、最初に見えた両開きの扉を開くとそこは謁見の間であった、広い空間、部屋の両側奥から石柱が規則的に立ち並び、床には色褪せて虫食いの様に破れたカーペット、先へと進む階段は部屋の両隅にある。
そして中央奥に鎮座する石造りの王座、右の肘掛けが砕けて消失した以外は今も尚、堂々とした雰囲気を放っている。
だが、それら全てはミルドレット達の目に映らない、それよりも遥かに重要な、認識すべきモノにその視線は向けられている。
「うん? 何だ、お前達は」
王座の前の床に両足を組んで座り込む、薄灰色の毛皮で全身が包まれたソレ、一目見ると恰幅の良い猿か何かに見える。
謁見の間に踏み入ったミルドレット達に明瞭な声を放つ正体不明の獣、ゆっくりと上げた毛に覆われた頭部、その顔面は異形そのもの。
人間の髑髏に薄い皮を貼り付けた様な貌、唇は無く、ナイフの様な犬歯が剥き出しで並び、左右の前歯のうちの一本がそれぞれ猪の牙のように上向きに歪曲している。
その目、縦に細く伸びる瞳孔と黄ばんだ眼球は蜥蜴の目に似ていた、左側の目がある場所からは、山羊の様に捻れた角が内側から頭骨を突き破ったかのように天に向かって伸びていた。
「何者…いや、それよりも何故ここまで来れた?」
静かに組んだ足を解いて立ち上がる怪物、やはり首から下は大きな猿に似ていた、ただ手足の指から猿にはない鋭利な爪が長く伸びている。
その声は疑問を多く含んでいた、右目がミルドレットとマリダを交互に睨め付ける。
「オ前ダナ、コノ国ヲ今ノ姿ニ変エタノハ」
ミルドレットが相手の質問には答えずに言い放つ、目の前の怪物の出方を静かに伺った。
「貴様ら…その気配は同族か」
「なるほど、そういう事か、懲りぬ王に貴族共よな」
「その通りだ、噂に聞く魔女達よ、原因は我とこの国を治めた者達との契約の力だ」
「その事は聞いているか?聞いていないであろうな、かの愚王は己の間違いを間違いとも思っていない」
「この国の退廃は我との契約を侮り、自分勝手に破ったが故の罰よ、あれ程に契約の恩恵を受けながら…」
「しかも我を殺す為に魔女などと契約を交わすとは、愚者には反省などできぬという訳か」
怪物が得心がいった様子で王とやらの姿を思い描き、嘲りの高笑いを上げ始めた、地獄の底を這う悍ましい蟲の蠢く足音にも似た、低く不気味な響きの嗤い声は聞く者の精神をそれだけで削り取る。
だが当然の事、それを聞く二人の不死人は何の感情も無い、より悍ましい光景などかつては日常的にその視界を埋め尽くしていた。
「ココマデヨク喋ル怪物ハ珍シイ、ダガ…」
「オ前ノ間違イヲ訂正スル気モ、対話スル気モ無イ」
「コレヨリ旅ダタネバナラヌ身ダ、路銀替ワリニ頂イテイクゾ…オ前ノ溜メ込ンダ黒イ精ヲ」
「ほう、噂に聞く魔女ではないなら貴様らは何だ?人間ではあるまい、この地には契約の呪いがかかっている、今まで来た人間はこの城に踏み入ることすら出来ずに死んだ」
「ダロウナ、コノ国ニ吹ク風ハドコカ覚エノアル空気ダッタ、コレハ病毒ヲ乗セタ空気ダ」
「その通り、この国は未来永劫、土地そのものが病毒に犯され続ける、我が死のうとももはや人が住まうことはできぬのだ」
「関係ナイナ、オ前モ私達モ、誰モ居ナクナル」
「我に挑む気か、まぁいいだろう」
「我は魔獣、古き穢れの沼より生まれ、これまで数百の騎士の生き肝を食らった、病巣の獣よ」
「同族とて、肉の体を持つ限り、我にかかれば病に犯され、苦しみ、衰弱し、悲嘆の中で果てるのみ」
怪物がその言葉を口にすると同時に、謁見の間の出入り口を白い濃霧が何処からともなく立ち昇って塞いでいく。
そして戦闘の意思を決めた怪物が動き出す、犬歯で満ちた口内を張り裂けんばかりに開き、そこから赤錆色の煙のような吐息が噴出された。
それは瞬く間にミルドレット達に迫り、その全身を包み込んだ、そして尚も広がり、やがて獣の吐息は謁見の間を充満させていく。
「ウグッ…!」
「……ッ」
穢れで満たされた煙の中で、二人の敵対者の呻く声と跪く様に崩れ落ちる影を怪物は確認した。
「他愛無い、同族とてこの程度か」
「耐え難い苦しみの中で息絶えるがいい、貴様らの病に犯された内蔵を喰らい尽くしてくれるわ」
怪物がまたもや気味の悪い高笑いを上げようとした、両手を上に広げ、その顔は天を仰ぐようにしてもうミルドレット達には向けられていない。
怪物の言う通り、酷く他愛無い決着の瞬間だった。
淀んだ煙の中から何かの影が飛び出し、鈍色の煌めきが怪物目掛けて奔った、それは吸い込まれる様に怪物の腹部に到達して通過する。
「……むっ?」
怪物が気付いたのは数秒の間を置いて、激痛がその身を襲う数瞬前にはその腹部から夥しい淀んだ鮮血が吹き上がった。
「ごっ、ごああああっ!」
煙の中から現れたのはミルドレット、そして振り抜かれた肉断ち包丁が簡単に怪物の厚い毛皮と脂肪を断ち切った。
何の抵抗もなく切り裂かれた傷口からは、やがて鮮血のみならず怪物の内蔵までもが異臭の湯気を上げながらこぼれ落ちていく。
「オ前ノソノ内蔵ハ…喰ラウ価値モ無サソウダナ」
「ぎっ…貴様…ぁ…!」
「“病ミ村”ノ瘴気ノ方ガ数倍ハ強力ダ」
ミルドレットが健在なのも至極当然、元いた世界でミルドレットは怪物の吐息より遥かに悍ましく、強力な病と毒の温床に足を踏み入れている、そしてその場所の病毒の瘴気でさえミルドレットを弱らせるには至らなかった。
何せミルドレットが拠点としていたのはその場所のすぐ真上、そこから昇る空気で満たされた場所、他の不死人と比べてミルドレットは病毒への耐性が抜きん出ていた。
「ゆっ…ゆ、許さぬ…!」
「好キニシロ、ダガ前ヲ気ニシタ方ガ良イ」
「…! なっ」
そしてその煙を意に返さぬ不死人がここにもう一人居た、煙の中からグレートアクスを振り上げる肉断ちのマリダだ。
マリダもまた穢れの温床たる、全てから見捨てられた忌み地を住処としていた、ミルドレット程では無くとも、この煙で肉体が衰弱する様な事はまるでない。
それ程までに環境に適応した不死人の肉体は強靭にして頑丈なのだということを怪物は知らなかった。
「コレ、デ…終ワリ」
「やめろ…っ」
怪物の言葉などまるで無いものとし、マリダはグレートアクスを振り下ろす、鉄塊の重量と巨大な刃、そこに不死人の人外の膂力が合わされば、同じく人外の頭骨なども容易く叩き割り破壊できる。
頭部を通り越して胴体にまで食い込んで二つに裂いた、マリダがグレートアクスを強引に引き抜けばそれに合わせて怪物の体も床に倒れ、数度の痙攣の後に永遠に停止した。
謁見の間に立ち昇った赤錆の煙が消えていく、出入り口を覆っていた白い濃霧もまた、同じ様に気付けば消えていた。
数時間後 棄てられた王都、王都正門前
棄てられた王都を堂々と出入り口の正門から出るミルドレットとマリダ、目の前には遥か先へと伸びる古い道や、何処までも広がる草原があった。
何方を選ぶのも、どちらでもない道を行くのも、自由であった、雲に隠されていた空が僅かに晴れて光が指し始める。
「行クカ」
「アァ…」
簡潔な会話と返答を残して出発するミルドレットとマリダ、あの後、怪物の溜め込んだ人間の精を取り込み、使えるものを探し求めてしばし散策した二人。
やがて本当にもう様は無くなり、新たに住処となる新天地を求めて棄てられた王都より旅立つ、願わくばその先に、もう一度あの安らぎの炎が魅せる光に見えることを願いながら。
ここに遠い異郷の地にて、再び二人の不死人が解き放たれた、その行く先を知るものは誰一人居ない。