ふと、
森の方から知らない誰かの声を聞き取って、立ち上がった。
「どうした?」
急に立ち上がった私に、つられるようにウソップが隣に寄って来て。そこで聞こえたのだろう、ウソップも耳を澄ます。
やがて森の木陰からその2人が現れた時、ウソップと私は息を呑んだ。
彼女のあまりに無残な姿に、動けなくなってしまった。
「っ……ぅ、お゛ッ、ざっ……」
上等な白いローブだったのだろう、美しい金糸のセミロングの髪だったのだろう、どちらも、土と泥塗れでボロボロになって乱れている。
覚束無い足取りで現れた彼女は私達を、いや、ウソップをその腫れ上がった瞼の裏で、涙を滂沱と流して見詰めながら……聞き取れない、異様に歪んだ声を向けてきた。
「──カヤ?」
目を見開いたウソップが掠れた声で彼女に返事をした。
カヤって、あの人が? 屋敷にいるはずじゃないの? それも、なんであんなに?
面影も何もないくらい、痛めつけられているのがありありとわかる。
それでも彼女はヨタヨタと、背中に突きつけられる五条の刃物から逃げるように力なく足を動かし、前進している。いやさせられている……!
「おいおいおいおい……こいつを連れてやっと海岸に着けたと思えば、ここまで誰一人としてすれ違わんと思えば、なんだこの醜態は……?」
カヤさんに刃物を……刃が尋常じゃなく長い鉤爪を突きつけて歩く執事服を着た眼鏡の男が、呟く。
執事服の男が何者か察した。
そこまで、そんなことまでできてしまうの? 3年も傍にいた相手にそこまで……!
彼女への暴行の跡に怒りと恐怖で震えていて。
弾かれたようにウソップが駆け出した事に、遅れて気付いた。
「カヤに何したんだテメェエエエエエエッ!!」
ウソップ!? ダメダメダメダメーッッ!!
意表もつかず、真正面からなんて無謀でしかない……!
流線で引き戻す──ダメだヘタに抵抗されたら無防備な的になる!
クロを狙って能力で──カヤさんに取り返しのつかない事をしそうで無理!
なら!
「ぬぁ、っ!?」
上手く、いった……!
ウソップが殴りかかる直前、能力で走る足下を後ろから掬うように音符で崩し、流線で背中を引っ張った。
狙い通り、勢いよく後ろに仰け反りながらバランスを崩したウソップ。
「ィヅアアッ!」
「っ!」
引き戻すには間に合わなかった……ごめんねウソップ。
仰け反ったその体を、下からの五条の閃きが切り裂く光景に唇を噛み締める。
勢いよくひっくり返って叩きつけれたウソップから流線も消えてしまった。
だけどああでもしないと、今のは顔か首を貫くような軌道だった。何となく察してはいたけどなんて容赦なく殺しに来る奴なの……!
「コケて致命傷を逃れるとは、悪運の強い奴だったんだな君は」
顔をしかめたクロがトドメを刺そうと、倒れて呻いているウソップに血が滴る鉤爪を振り上げる。
「ぃ、ァ゛ぁ゛ァーッ!!」
「……耳障りな。お前が変に条件を付けず、素直に遺書を書いておけば見なくて済んだんだぞ?」
倒れたウソップを見て硬直していたカヤさんが金切り声を上げて暴れ、クロが抑えつける。
今なら、とウソップを能力で回収……する寸前。
さらに新たな人影が3つ飛び出してきて、私の気が逸れた。
「ううぅあぁあああっー!」「キャプテェエエーン!!」「離れろ執事ぃあああーっ!」
飛び出した小さな影達、にんじんくん、たまねぎくん、ピーマンくんが一斉に叫ぶ。
まずい能力で止め──「やれやれ」……いや。
クロの視線が、動いた。
「ぃ、ぉ、おまえらなんづっづ……っ」
「アリが3匹……仕方ないよなまったく」
カヤさんを抑えていたクロが、まさかの登場をした、駆け寄って来る子供達に完全に振り向いていた。
あ──無茶過ぎ、だけどこの上ない陽動だよウソップ海賊団!
「なっ!? んだこれは……!」
即座にカヤさんとウソップを音符で引き寄せ、半秒遅れで動揺しつつも振り向くクロの正面に大音符を設置して視界を塞ぐ。
子供達も引き寄せつつ動こうとしたところで、体力の限界から膝が揺れた。
まずい……みんなを連れて、遠くにはとても無理だ。
せめて味方が、ルフィが居る方へ!
「わ、だっ」「づあ」「きゃぅあっ!」
坂道へと、下方へと。私も皆も、能力で体を投げ出すように跳ばして坂道を転がって落ちていった。
私1人受け身を取って体勢を立て直す。後ろへと、苦悶の声を上げて転がっていく皆を見ながら内心謝る。
痛い思いをさせることなく降ろしたかったけど、ごめん!
特に怪我をしているウソップとカヤさんに申し訳ないと思いつつも、これ以上能力で運んだら意識が落ちかねないのだ。
「ウタァアッ!!」
ルフィの叫びに、身体が勝手に動いた。
視界の隅に鉤爪をもう振り始めてるクロ……
「厄介だな、能力者がいたとは」
あ……っつづっっ!!
横っ飛びしたままどうにか避けようと身動ぎこそしたけど、私の足を掠めるようにして爪が振り抜かれた。
膝から下、鋭い痛みに震えそうになる。
でも今止まったらダメ……ッ!
痛みを無視。
飛び込んだ地面に手をついてバク宙、空中で翻りながらクロへと振り返る。
気怠そうな目つきと目が合った。直後、クロが
消えたように見えるくらい速い!? コレでさっきもアッサリ追いつかれたのか……!
直感的に着地するより早く、音符を足場に無事な片足で跳ぶ……その足にも鋭く冷ややかな感触が奔った。
──ヤバ、さっきの、より、深ィ……ッッ!
駆け巡るような激痛に頭が痺れる。
視界が白む。
思考が揺らぐ。
体勢が崩れる。
受け身を取る余裕はない。
応戦できない。
逃げられない。
次はない。
死──。
ただその言葉だけが頭に一杯になった瞬間、腰にぐるぐると巻きつく感覚に、心の底から安堵した。
急激に引っ張られる、いつもなら辟易する扱いの悪さが今は心地よい。
ほんの少しで急停止。痛いくらい、掻き抱かれた。
「ウタ」
抱きしめられながら、ほんの微かにだけ震える声て呼ばれて、笑ってしまった。
あーあ、なっさけない声出しちゃって。
どうせならいつもの調子で呼んで欲しい。
だけどそんな声を聞いただけで、足の痛みが和らいだ気がした。
◇
海岸と森とを隔てる坂の中腹にて。
ルフィがウタを窮地から救った、直後には、ゾロはクロへと斬りかかるべく猛進していた。
「あの小僧、腕が伸びたな。まさか能力者が2人とは面倒極まる」
「鬼斬り!」
三刀流の必殺を繰り出すもすでにクロはそこになく。
「そこらの
ゾロの側面、それも間合いから大きく離れた場所にいた。
「この場にいる連中は……あの小僧と女も、ひとまずテメェの後だな」
「ああ?」
ゾロに睨まれているにも関わらず、クロは平然と状況を俯瞰するように目を動かしている。
クロネコ海賊団はなぜか山積になって壊滅、ジャンゴも海岸際で気絶している。
すでに一対多数……いや今は1対1。
ルフィがウタを抱えて船へと走り出している今。クロと、ゾロの2人が対峙する構図になっていた。
「おっと」
他所を見るならとゾロが切りかかるも、再度、あっさりと間合いを離される。
「そう焦るな。俺の邪魔をする以上テメェもキッチリ殺すとも」
眼鏡の位置を直しながらの超然とした佇まい。
その余裕を崩そうにも攻めあぐねる現状、ゾロをしても舌を巻いていた。
「……速いな」
「テメェは遅いな。3年振りで些か衰えたが、コレでもこの場にいる全員を仕留めるには足りそうだ」
「3年分の錆だらけで俺達全員を相手か。舐めたもんだ」
「俺達全員か……海賊狩りに仲間がいたのは意外だった」
「海賊狩りは廃業した。今は故あって海賊だ」
「そうか」
クロを凝視するゾロは、背後を気にして立ち位置を移動しつつも、何時だろうと斬りかかれる。
その後方にはウソップとカヤを健気にも揺り起こそうとする子供達。海岸では、クロネコ海賊団の船に飛び乗っていくルフィと抱えられるままのウタ。……なぜ麦わら帽子の小僧がウチの船に? という疑問はさておいた。
「──戦いも知らない女子供を庇う女と、それに気を取られてる小僧、余所者と言えばあの2人だがアイツらが仲間か? ハハッ、俺と違って
「バカなのは否定しねェが、下衆外道のテメェとアイツらとじゃ比較になんねェよ!」
ゾロが飛び掛かり、左右から挟み込むように2刀で斬りかかる。
紙一重を見切るようにして軽々と躱され、その避け際に貫手の一突き。
クチにくわえた1刀で貫手を強引に捌き、二刀で返す刃を振るう……既にそこにクロはいない。
──また《これ》》か。
姿が消えたように見える程の高速移動。
だがそれはこれで5度、間近で3度も見た。
驚きもなければ思考に隙もない。
気配の読めるゾロからすれば、姿を掻き消すほどの移動速度で背後に立たれようと、冷静に察知するのは造作もなかった。
「らぁあっ!」
「ぬ」
振り向き様に一刀を振るう。
ゾロの片手の一閃を、両の鉤爪全てで受け止めたクロの顔が歪んだ。
クロの武器の猫の手は、長刀10本を両の10指に嵌める獣革のグローブの指一本一本に一刀ずつ取り付けた特殊な鉤爪。
刃が長く攻撃力に優れているが、受けにはすこぶる不向きであり。クロの目にも止まらぬ速さあってこそ脅威となる、暗器だ。決して近接戦闘を挑むための武具ではない。
クロの得意とする戦術、高速移動、”抜き足"による翻弄からの爪撃。だがこの迷いのない一閃を見るに、どうやらゾロには通じないとこの一合でクロは察した。
ゾロが弾きながら追撃する直前、クロは”抜き足"により一瞬で間合いから外れる。
クロもゾロも、互いを忌々しげに見据えた。
移動速度が段違いなのは明らか。
ゾロからすれば追うは悪手、クロとしては攻め切れない相手。
どうする、と。
「──そういえばあの能力者の女が仲間と言ったか」
「だったらどうしたって?」
ルフィがウタを抱え、今度は小船へと走り去っていく姿をクロは見つめながら、ウタの行動を思い返す。
海賊であるらしい。だが、カタギには手を出さず護るような動きをしていたな、と。
「 なに。テメェは俺がこうしたら
クロは攻め手を変えるべく、ゾロの背後に目を向けた。
ゾロはその視線の動きから何をするか察して顔を強張らせた。
「やってみようか」
ゾロの焦燥を見てとったクロが嘲笑を浮かべて──"抜き足”。姿が掻き消える。
舌打ちしながら気配を探ったゾロは、回り込んでいく気を察知して踵を返した。
「アリから行こうかまず、1匹」
「え、ひっ」
「おぉっ!」
鉤爪を振りかざしたクロが狙うはたまねぎ、その合間に割り込むっ!
振り下ろしを遮二無二受け、
「ッハ」
クロに無防備を晒した。
胸に蹴り足が突き刺さり、ハンマーを鋭く打ち込まれたような衝撃がゾロの胸部を貫く。
抜き足”を可能とするクロの脚力は尋常ではない。打ち据えられればそれだけで即死も有り得た。
「タフなやつ、だ」
「ッッ……!」
吹き飛びそうになるのを全霊で堪え踏み止まり、追撃の
捌ききれない
「づェエアアッッ!」
何もかもを堪え、踏み込み、追い払うように2刀で払う。
当然のように、クロは大きく引き下がっていた。
「け、剣しのにいち゛ゃ……」
涙声に一瞥だけ向け、クロを睨む。
「まだ、ガキだぞ……っ!」
「ああ? うん? そうだな、護ってやらなきゃなっ!」
クロの足がブレる。ゾロの目には、蹴り飛ばされた石ころが超速で飛ぶ方向に子供が見えて。
「っ!」
にんじんへと飛んでいた石をゾロは弾いた。その、石へと向いたゾロの視線の裏をクロは走り抜ける──
「りぃあっ!」
それこそを待っていたゾロは反転し、強かに踏み込み、口と片手の2刀を振り抜く!
鋭い斬撃が、咄嗟にガードに回された"猫の手”の爪を半ばから砕く!
「ぐっあ゛」
しかし、もう片方の"猫の手”は攻めに振るわれていた。残る一刀で致命傷こそ防いだが、ゾロの脇腹から鮮血が吹き出た。
「っは、ははは、なるほどやるじゃねェか!」
"猫の手”から血を滴らせながら、悠然と、しかし獰猛に笑いながらクロは後退していく。
再び、子供達をカヤを、未だ倒れ伏すウソップを庇える位置に陣取り、ゾロは構えた。
「どうした? 追撃するなら今だろう? 爪はほらこの通り、片方割れちまったからよ」
「で、俺が踏み込んだらまた、アイツらを狙うんだろ?」
「だからってまた待ちの一手か? 今みたいにゃ行かせねェが?」
「──
そも自身が追わずとも、「ワル執事ぃいいっ!!」──どこまで逃げても逃げた先まで殴りつける手足がゾロの味方にはある。
訝しんだ顔をしたクロが舌打ちし、ゾロは小さく笑みを浮かべた。
ゾロの脇を、ルフィの拳がすり抜けてクロへと突き出される。
最小限の動きで避けられ、拳が坂に突き立ち轟音と共に罅が入る。
ただそれだけで終わらない。
「おおおおおおあああああっっ!!」
引き戻っていく手の次に
次から次へとクロの行く先々へ突き立ち、何度となく轟音を鳴らす。
坂が鳴動するほどのルフィの猛攻。
「溜息がでるぜ。海賊のクセになんなんだテメェらはよ? カヤはともかくガキ共をなぜ庇う? そんな小僧をなぜ助けた? なんで俺の邪魔をする? 3年もかけたこの俺の計画の邪魔をする。そこの海賊ごっこする餓鬼どもやカヤとなんの関係がある。こうも刃向う理由がある。せいぜい昨日今日の顔なじみだろうが。なあおい海賊小僧」
しかし掠りもしない。
決して遅い攻撃ではない。ただ、クロは速すぎた。
「くっにゃろ! ゴムゴムの
「年下相手に恥ずかしげもなく質問してんだぞ? せめて」
更なる追撃と拳を突き出す。が、やはり躱される。
「1つくらい答えてくれよ」
「ぃい!?」
突き出したルフィの腕にさも当然と佇むクロに、戦いを見守る誰もが目を剥いた。
ルフィの身体はゴムの性質がある。その性質上、伸びきった腕は、引き戻る。
その勢いに追随し、クロが疾駆した。
待ちの構えでいたゾロが援護とその軌道に跳んで割入る。クロの速度を見切って刀を振るう!
だがクロの"抜き足”は、足の踏み場を選ばなかった。
嘲笑うようにクロが突如として加速し、猫の手を振るいゾロを切り裂く。そのまま、ルフィの眼前に辿り着いて足を一閃、顔面を蹴りぬき吹き飛ばした。
「わ゛っ!?」
「ぐ、が……!」
胸を切り裂かれたゾロが呻くも、立つ。眼光をより鋭くしクロを睨んだ。そして、ウソップ達とクロの合間からは離れないと立ち位置をずらす。
打撃は効かないルフィは即座に起きる。蹴りの衝撃で切った口内の血を吐き出し、クロの素早さに歯ぎしりしながら果断なく構えた。
「結構切られてんじゃん、大丈夫か?」
「余計な心配だ。そっちこそ、帽子は?」
「ナミの所で……ウタに預けてある。しかしあんにゃろすばしっこいな。全然見えねえや」
「泣き言言うくらいなら休むか?」
「いいや、絶対にブッ飛ばす!!」
「そうか。──だが俺にもやらせろ。文句は聞かねェ」
「言わねェよ」
胸を抉られ倒れ伏すウソップを、両足を切り裂かれたウタを、その借りを返す戦意に微塵の揺らぎなし。
「……はぁ」
「クロ、クロ、きゃぷ、くろ……!!」
「さっすが、だぜ、俺たちの、キャプテ、クロ!」
「へ、へへへへー! やっちま、ぇえ゛っ」
坂を降り切り。
ぶちのめされて山積みのまま動けないでいる元部下たちの要らない声援に、理由も分からずこうも立ち塞がるルフィ達に、計画がもはや当初の予定を大きく逸脱しているこの事態に。
もはや何もかもに、うんざりしながらクロは苛立ちを超えて呆れを覚えていた。
どこから手をつけたらいいものか、と。独特な手つきで眼鏡の位置を直しつつ、執事務めの業務でも考えるように一秒瞑目して。
こういう時は一つ一つの作業をこなすに限る、と結論付けた。
だから──手始めに。
「……せっかく一纏めにしてくれたのなら、しっかりトドメまで刺してくれれば楽だったのによ」
やたらと囀り煩わしい
怪我人と非戦闘員放ったらかしが違和感強くて辞めますた