秘書艦は羽黒さん   作:甚四郎

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『鎮守府殺人事件』

 

 

 

 工廠にて試作装備の説明会を済ませた羽黒が、廊下をひとり歩いていた。

 この長い廊下の先には執務室があるのみで、提督に用事がある人間しか通らない。今も、窓から差し込む夕陽に赤く染まりつつある板張りの廊下には、羽黒の規則的な足音だけが響いている。

 

 羽黒が形だけのノックをして、特に返事を待たずに執務室に入ろうとすると、ドアに鍵がかかっていた。

 おかしいな、と思う。

 例えばトイレであったり、ちょっとしたことで呼ばれたりの離席なら、提督は鍵をかけたりしない。急用が出来て外出することになったとしても、秘書艦である自分に連絡が来ないのは不自然だ。

 少なくとも羽黒が知る限りでは、こんなことは今まで無かった。

 

 違和感に後押しされているような気分で、彼女はポケットを探り、預かっていた合鍵を取り出す。

 周りが静かなせいか、かちん、という鍵を開ける音でさえ妙に大きく感じられて、思わず羽黒はきょろきょろと左右を見てしまう。勿論、誰もいない。

 

 深呼吸をしてから、そっとドアを開いた。

 

「しっ、司令官……さん」

 

 ドアのすぐ目の前で仰向けに倒れている提督の姿に、羽黒の息が止まりそうになる。

 素早く駆け寄って提督の側に膝を付き、その顔を覗き込むと、目が合った。

 

「僕は殺されたらしいよ」

「なにしてるんですか……」

 

 能天気な言葉に脱力しながら、羽黒は改めて提督の身体を見る。

 部屋のほぼ中央で仰向けに横たわり、切腹でもするように両手でお腹の上に持っているのは、ダンボール製の包丁。首からは「私は死にました」と書かれている紐の付いたダンボールの板を下げていた。

 

 羽黒がそのダンボール包丁を受け取ってみると、血を表現しているのか刃先に赤い折り紙が貼られていて、地味に芸が細かい。柄の部分には「大包平」と書いてあったが、それは包丁の名称じゃありませんよと指摘するだけの気力は、もう羽黒には無かった。

 

「と、とりあえずそんな所に寝ていないで、そろそろ起きて下さい」

 

 羽黒が提督を抱きかかえるように背中に手を回すと、そこで軽い何かに指先が触れる。

 

「あ、不用意に僕を起こすと……」

 

 提督が言おうとするのと同時に、その後ろから何かが転がり出た。

 それは紙コップで、倒れた拍子に中にあったらしい赤い紙吹雪が辺りに撒き散らされる。羽黒が紙コップを拾ってみると「発火装置」と書いてあった。

 

「ああ……」

 

 羽黒は何となく理解する。

 つまり、鍵のかかったこの執務室で提督が腹部を包丁で刺されて死んでいて、その死体を動かすか何かすると作動する、トラップのような発火装置が仕掛けられていた。そんな筋書きなのだろう。

 

 羽黒は飛び散った紙吹雪を眺めながら、じゃあこの部屋は今、燃えている最中なのかしらとぼんやり考える。

 

 起こす途中だった為、中途半端な体勢で抱き合うような格好のまま、羽黒は提督と無言で見つめ合う。もう何から言えばいいのかよく分からず、結局は

 

「なにしてるんですか……?」

 

 さっきと同じ質問を繰り返した。

 

「うーん……一応さ、僕は死体だからあんまり喋らない方がいい気がするんだよね」

「最低限の状況説明くらい、あってもいいと思うんです……」

「羽黒は、どういう風に認識してる?」

 

 提督に言われて、彼女は改めて考えてみる。

 血を流して倒れる提督。燃えている執務室。

 

「もしかして……防災訓練ですか?」

「そんなわけないでしょっ!」

 

 突然の大声に羽黒が振り向くと、開けっ放しだったドアの所に暁が立っていた。

 

「これはっ……これは殺人事件よっ!」

 

 手に持った帽子をぶんぶん振り回しながら、暁が言い放つ。

 

「えっと、でも……それだと犯人は暁さんですよね?」

 

 何気なく訊いた羽黒の言葉に、暁が明らかに動揺する。

 

「な、ななっ、何を言ってるのかしらビグロさん」

「羽黒です」

「わっわっわたしが犯人なわけないでしょっ。第一、この部屋は密室だったのよっ」

「あの、密室だったとしても、それは特に問題には――」

「そっ、そんなことよりもっ」

 

 話す羽黒を遮って、暁が大股で執務室に入って来た。

 持っていた帽子を被り、机の上に置いてあった赤い紙コップを手に取る。

 

「と、とにかく火を消さないとっ」

 

 赤く塗られた紙コップには白い文字で消火器、と書いてあり、暁はその口を塞いでいる黄色い蓋を外した。それが安全ピンを意味していると気付いた提督と羽黒が、細やかな表現に、おー、と小さく拍手する。

 そして暁は中の白い紙吹雪を振り撒いた。どうやら消化剤のつもりらしい。

 

「そういえばずっと燃えていたんですね、この部屋」

「大惨事だね」

 

「ていうか、その、いつまで抱き合ってるのよ……」

 

 暁に言われて、思い出したように提督と羽黒の目が合う。寄り添うふたりの距離は、猫も通れないくらいに近い。

 羽黒が居住まいを正し、提督が身体を起こす。

 提督の服を、羽黒がぱたぱたと軽く叩いて埃を払っていると、廊下から複数の足音が聞こえてきた。

 

「さっきから何の騒ぎだい?」

 

 第六駆逐隊の残りの3人、響、雷、電が連れ立って執務室に顔を見せる。

 

 雷の後ろから部屋を覗き込んでいた電が、提督と羽黒を見て表情を凍らせた。

 

「ひっ、ひっ……人殺しーっ!」

 

 床の上に座ったままの提督と羽黒が、ゆっくりと顔を見合わせる。

 提督の首に下がる「私は死にました」のダンボール板と、羽黒が何となく預かっていたダンボール包丁。状況で言うのなら、羽黒は死体の隣に血の付いた包丁を持って佇んでいる、ということになるのだろうか。

 

「暁、どういうことなのかな?」

「わたしが来た時には、もうこうなってたわ」

 

 問い掛ける響に、暁が短く答えた。

 

「そんなっ……羽黒さんは司令官とケッコンしてからもずっと仲良しで……私もふたりには憧れていたのに、どうして……こんなことをっ……」

 

 藁半紙で作った簡素な冊子を読みながら、電が声を震わせる。

 

「あの、電さん……もしかしてそれって台本ですか?」

「はい。そうなのです。台詞が覚えきれなくて」

 

 羽黒の問いに、電が素になる。

 

「まあ、それっぽいことを言うのなら……」

 

 死体らしく、あまり話さずにいた提督が、口を開いた。

 

「特殊な状況でもきちんと冷静な判断ができるように訓練、みたいな感じかな?」

「それで手作り感たっぷりの推理ゲーム、ということですか?」

「うん。そうだね」

 

 満足気に頷く提督に、羽黒は納得するよりも気が抜けてしまう。

 けれど、ほとんど遊びのようなものであったとしても、皆で全力で楽しみながら取り組む、ということには大きな意味があるのだと、羽黒もよく理解していた。

 だからこそ、彼女にとってこの鎮守府は、提督の隣は、心地良い場所なのだから。

 

 一歩踏み出した雷が、座っている羽黒と目線を合わせるように腰を屈めた。

 

「羽黒さん……もしかして、司令官が電の靴下を盗んで匂いを嗅いでいたことが許せなくて、こんなことをしちゃったの……?」 

「ふええっ!?」

「そんなことしてたんですか?」

 

 驚く電と、思わず提督に真顔で訊いてしまう羽黒。

 

「冤罪にも程がある」

 

 提督は顔を横に振りながら、暁に向き直った。

 

「ところでこの台本書いたのって誰かな?」

「龍田さんよ」

「あいつめ……」

 

 それじゃあ、と雷が顎に指を当てる。

 

「この前、司令官が出張した時に、旅の恥をかき捨ててきちゃったとか……?」

「いやいや、そんなのないよ? 確かに出張はあったけども」

 

 提督が苦笑いしながら否定した。

 

「ところでこれ、どういう意味なの?」

「雷はまだ知らなくてもいいんじゃないかな。そして不安そうな顔で僕を見ないで下さい羽黒さん」

 

 それでも羽黒は無言のまま、提督を真っ直ぐに見つめ続ける。提督は口を開きかけて、結局はただ黙って彼女の眼差しを受け止めた。

 羽黒が、そっと微笑む。

 

「ごめんなさい。ちょっと意地悪をしました」

 

 提督も表情を緩めて、羽黒の髪をわしゃわしゃと掻き回した。羽黒は甘える子犬のように、小さく吐息を漏らす。

 

「どういうことなのかな?」

 

 横から響が問い掛けた。

 

「私は司令官さんのことは、そもそも疑っていません。そういう意味です」

「つまり……羽黒さんには司令官を殺す動機がないってことかい?」

「そうですね」

 

「でも、それじゃあ……誰が司令官を殺したのですか?」

 

 いつの間にかほうきとちりとりを用意した電が、紙吹雪を掃除しながら訊ねる。

 

「犯人は暁さんですよね」

 

 あっさりと答える羽黒に、暁がうぐ、と息を呑んだ。

 

「で、でもっ、この部屋は密室だったのよっ」

「確かにドアには鍵がかかっていました。特に確認はしていませんけど……暁さんがそう言うのなら、窓もきちんと施錠されているのですよね」

「そ、そうよっ」

 

 羽黒はゆっくりを部屋を見回して、再び暁に視線を向ける。

 

「えっと、執務室が密室状態だったとして、それは問題になるものなんでしょうか?」

「司令官が自殺したって言いたいのかしら?」

 

「いえ、私が鍵を開ける前からずっと、暁さんはこの部屋に居ましたよね?」

「そっ、そんなっ、ことっ、は」

「目の前に死体があって、しかもそこが燃えたりしたら誰だってそっちに意識が行ってしまいますし、ドアの陰あたりに隠れてこっそり背後を通っても気付かれにくいかもしれませんね」

「仮に……仮にそうだったとしても、わたしが犯人だってことにはならないわよね?」

「根拠としては弱いかもしれませんけど――」

 

 そう前置きして、羽黒が言葉を止めた。じっと見つめられた暁が、無意識に一歩下がる。

 

「暁さんは、執務室に来るのが早すぎたと思います」

「えっ?」

「響さん、雷さん、電さんはここに向かって来る気配と足音がありました。私が鍵を開ける時には周囲に誰もいなかったはずなのに、暁さんは突然現れた感じでした」

 

 押し黙る暁に向かって、羽黒が囁くように続けた。

 

「最初に暁さんが姿を見せた時、帽子を手に持っていましたね。もしかしてあれは、包丁を帽子越しに持つことで指紋が残らないように配慮した名残だったりするのでしょうか?」

 

「そ……そんなことまで、見抜かれていたなんてっ……」

 

 力尽きたように崩れ落ちた暁が、床に膝と手を付く。

 

「電、12ページよ」

「うん。ありがとう……暁ちゃん、本当に……司令官を?」

 

 ほうきを持った電が、心配そうに暁に駆け寄った。

 

「司令官が……司令官が悪いんだからっ」

「何が、あったのですか?」

「わたしだけ……萩の月が食べられなかったのよっ」

 

 蹲ったまま独白する暁を、提督と羽黒は思わず二度見してしまう。

 

「司令官さんが出張の時に買ってきた仙台銘菓ですね」

「というかあれの数が足りなくなったのって赤城のせいだったような……」

「動機としては理不尽というか……割と酷いというか……」

「そうか……龍田の中では僕の命は萩の月より軽いのか……あいつめ」

「世知辛いですね」

 

「羽黒さん」

 

 響が、羽黒に右手を差し伸べる。

 

「見事な推理だったね。幸運の武勲艦の力を見せてもらったよ」

「あ、えっと……はい。恐縮です……?」

 

 戸惑いながら、羽黒は握手に応じた。響は更に左手も重ねて、うん、と小さく頷く。

 

 これで良かったのだろうか。

 羽黒がそう確かめるように提督を窺うと、彼は力強い微笑みと共に、立てた親指を羽黒に向けた。

 それだけの肯定で安心した羽黒は、静かに目を細める。

 

「あの、私もお手伝いします」

 

 掃除している電と雷に声をかけながら、羽黒が腰を浮かせた。

 

 普段と何も変わらない執務室と、提督と、仲間達。羽黒は今日も秘書艦として、いつも通りの穏やかな日常を過ごしている。

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