秘書艦は羽黒さん   作:甚四郎

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『鎮守府大抗争』

 

 

 

 消灯時間も過ぎ、すっかり暗闇の中に落ちた寮の廊下を、足柄と羽黒が並んで歩いていた。

 鎮守府に隣接しているこの寮では、ほぼすべての艦娘が生活している。その為に必要なことは、基本的に自分達で行う。洗濯や掃除、そして今ふたりがしている夜の見回り等も、交替ですることになっていた。

 

「羽黒も大変ね。秘書艦の仕事だってあるのに」

「いえ、大丈夫です」

 

 足柄の言葉に、羽黒が微笑みで返す。

 

 寮の仕事は出撃や遠征の任務が無い艦娘の持ち回りであり、秘書艦はその人選や管理、最終的な確認をする立場だ。だから本来なら、羽黒がここまですることは滅多に無い。

 

 元々今日の見回り当番は、足柄と瑞鶴のはずだった。

 詳細は分からないものの、何となく想像出来そうな経緯を辿り、一航戦と五航戦の誇りとやらを賭けた対決が行われたらしい。

 わんこそば勝負で熾烈な死闘を繰り広げた加賀と瑞鶴はふたり共に動けなくなり、結果的にその代わりを羽黒が務めることになった。

 

「そういえば、あのふたりにも罰則みたいなものあるの?」

「罰……という程ではありませんけど……」

 

 窓の施錠を確認していた羽黒が、振り向く。

 

「加賀さんも瑞鶴さんもおそばが好きみたいなので、これから一週間、ふたりだけ夕食はわんこそばです」

「うわぁ」

 

 自業自得とはいえ、足柄はふたりに同情してしまう。

 そして改めて、自分の妹はすっかり強くなったものだと、実感する。

 

 小心者で、気が弱くて、いつも泣きそうな顔で謝ってばかりいた。自分が背中の後ろで守るべき存在だと思っていた。けれどいつの間にか隣に立ち、そして今では羽黒の背中を見ている。

 

 鎮守府では秘書艦を、海域では旗艦をずっと務めていることも、羽黒の糧になっているのだろう。

 でも、やっぱり、羽黒を変えたのは、提督だ。

 

 羽黒の左手の薬指にある指輪。

 いつだったか、ひとりで佇む羽黒が、その指輪を右手でそっと撫でているのを見掛けたことがある。とても嬉しそうで、幸せそうで、そして、どこか艶やかで。全く知らない妹の表情に、何故か凄く恥ずかしくなってしまった。

 

 きゃー、という声とばたばた争うような物音が、足柄の物思いを断ち切る。足柄と羽黒は顔を見合わせ、頷く。気のせいでは無いらしい。

 羽黒が持っていた懐中電灯を切り替えて光量を上げると、再び声が響く。ふたりはその方向へと駆け出した。

 

「あ、やっぱり」

 

 音の出所に気付いた足柄が、呟く。今も中からどたばた聞こえてくるのは、川内型三姉妹の部屋だった。

 

「ちょっとあんたら何時だと思って――」

 

 ノックもせずに部屋に踏み込んだ足柄の顔に、すぱーん、と清々しいくらい綺麗な音を立てて枕が直撃した。

 

「あ」

 

 何故か大量の枕が散らばっている部屋の中で、手に枕を持った川内と那珂が動きを止める。神通がおろおろしている。

 

 顔に貼り付いた枕をゆっくり外した足柄が、川内を見据えた。

 

「うっ、りゃあああぁぁぁっ!」

 

 足柄が全力で投げ返した枕を辛うじて避けた川内が、にやりと笑う。

 

「さすが、すごいパワーだね足柄さん。でも……負けないよっ!」

「上等よ。どんな勝負であれ、勝利は譲らないわっ!」

 

 再び足柄の投げた枕も、紙一重でかわされた。枕は重く、どうしても軌道が読まれてしまう。ならば、数で勝負する。

 足柄は腰を落とし、枕を矢継ぎ早に投げ放つ。右と左で交互に、時に同時に。規則性の欠片も無い無茶苦茶な動きだからこそ、対応は困難だ。

 

「わ、わわわっ」

 

 川内は枕を抱えたままで、回避に専念する。体を捻り、跳び、しゃがむ。白いマフラーが舞う。

 

 足柄は力に自信がある。速度を重視することで多少は威力が落ちたとしても、当たれば落とせると確信していた。

 二連続の枕を避ける為に中途半端な体勢で跳んだ川内に、次の枕が迫る。絶体絶命のタイミングで、けれど川内の顔に笑みが浮かんだ。

 

「なんのっ、アイドルバリアー!」

「ちょっ」

 

 隣にいた那珂の腕を引き、その背後へと身体を滑り込ませる。枕は吸い込まれるように那珂の顔面に炸裂した。

 

「まさか……仲間を犠牲にするなんてっ」

 

 瞠目する足柄が思わず手を止めた瞬間、川内が枕を持った右腕を大きく縦に回転させる。咄嗟に真横に飛んだ足柄の耳元を、枕がとてつもない速さで掠め過ぎた。

 

「今のは、ウインドミル投法――!?」

「ご名答ー」

 

 ふらふらしている那珂とは対照的に、嬉しそうな川内が親指を立てる。

 

 強い相手だ。足柄は、ゆっくりと息を整えながら、思う。枕は重量があるから、遠心力を乗せて飛ばすことは理に敵っている。でも、速いからこそ肩にはかなり負担がかかるはず。連投は難しいだろうしモーションも大きい。脅威ではあるけれど、打開できる。

 

 足柄の口元が、緩む。それは、強者と相対することで気持ちを滾らせている狼の笑みだ。

 

「あ、あの……羽黒さん」

 

 羽黒の隣にやってきた神通が、恐る恐る声を掛ける。羽黒は神通を見つめ、何やら技の名前を叫びながら枕を投げ合うふたりに視線を移し、再び神通と見つめ合って……揃ってため息を吐いた。

 

「ご、ごめんなさい。何とか止めようとはしたんですけど……」

「はい……何となく想像はつきます」

 

 お互いに苦笑いを交わすことしか出来ない、羽黒と神通。

 

「ところで、この部屋にある沢山の枕は……?」

「川内姉さんがリネン室から持ち出したものです。今夜は戦争とか言ってました……」

「そ、そうですか……」

 

 脱力するふたりの目線の先で、足柄が大きく枕を振り被った。

 

「喰らいなさいっ! 必殺! ハウリングインフェルノ!!」

「甘いよ足柄さん。同じ技は二度も通じないんだからっ!」

 

 足柄の投げた必殺枕に川内は自分から飛び込み、その真下を潜り抜けた。今までよりずっと近い位置で、川内の腕が風車のように回る。全身全霊を込めた必殺技を放った直後の足柄は、体勢をまだ戻せない。

 

「私も、その技はさっき見せて貰っているのよっ!」

 

 川内が投げ放つとほぼ同時に、足柄は後ろに倒れながら足元の枕を蹴り上げた。空中で激突したふたつの枕は威力を打ち消し合い、そのまま落ちる。

 

 川内は後方へ跳び、足柄は素早く立ち上がった。静かに息を整えながら、正対する。

 

「さすがだね、足柄さん。私が夜戦でここまで苦戦させられるなんて、驚きだよ」

「それは光栄ね。でも、勝利を掴むのは私よっ」

「それじゃあ、私のとっておきを見せてあげるよ!」

 

 叫ぶように宣言した川内が、今までに無く大きく、高く、枕を振り被った。ウインドミルとは明らかに違う動き。

 

(まさか、何か奥の手が――!?)

 

 足柄の身体に緊張が走る。しかし恐れは無い。慢心も無い。この戦場のぴりぴりした感覚は、心地良いとさえ思う。

 相手の全力を自分の全力で叩き伏せてこその真っ向勝負。だからこその価値ある勝利。

 

 足柄は重心を低く落とし、川内の動きに集中する。

 川内は身体を捻りながらゆっくりと枕を背面に引き、左足を高らかに上げてゆく。まるで強弓を引き絞るような、ゆるやかで力強い投球動作。

 

 突然、足柄の肩に枕が当たる。

 

「なっ……!?」

 

 足柄は油断していなかった。確かにずっと、川内を注視していた。なのに、腕の振りどころか、いつ投げたのかさえ分からなかった。

 那珂と神通と羽黒は、戦うふたりから避難するように、ドアの近くに座っている。少なくともあの位置からでは足柄の正面に当てることは出来ない。

 

「今のは……背面投げ!?」

「知っているの神通ちゃん!?」

 

 声を震わせる神通に、那珂が問い掛ける。

 

「えっと、投球動作の途中というか、構えてボールが身体の奥に隠れたあたりで背中越しにさっと投げてしまう、ボークぎりぎりの投げ方のことです」

「おー、なんか卑怯」

 

 神通の説明を聞いた那珂が、ばっさりと切り捨てた。うぐ、と微妙にダメージを受ける川内。

 

「そんな……この私が、敗れるなんて……」

 

 ふらりと崩れる足柄に、羽黒が慌てて駆け寄る。布団の上に倒れ込む寸前で、辛うじて抱き止めた。

 

「ごめんね、羽黒。私はここまでみたい……」

「足柄姉さん……」

 

 握った足柄の手は、驚く程に弱々しい。

 

「後は羽黒……あなたが戦うのよ。大丈夫、あなたならきっと勝てるって信じてる、から……」

「そんなっ……姉さん。普通に困ります」

 

 微笑む足柄の手が、ぽとりと落ちた。寝たらしい。

 

「姉さん……」

 

 足柄の手を祈るような形に組み合わせ、胸の上に乗せる。ついでに頬を左右に引っ張って、羽黒は少し溜飲を下げた。

 

「さあ、羽黒さん。ばっちこいだよー」

 

 足柄を倒すことで更にテンションが上がったのか、川内が反復横跳びをしながら羽黒を促す。

 その瞳はどこまでも真っ直ぐに澄んでいて――隙が無い。無邪気で、だからこそ残酷な猫を思わせた。

 

 羽黒は両手にひとつずつ枕を持ち、そろりと立ち上がる。

 

「不本意ではありますけど……足柄姉さんに託された想いを、無駄にはできません」

「いいよいいよー。私と夜戦しようっ」

 

 羽黒は左手の枕を無造作に放り投げた。

 綺麗な放物線を描いて飛んでくる枕を眺めていた川内は、羽黒が自分に背中を向けていることに気付く。

 

 逃げ出したくなるくらいの戦慄が、川内の脊髄を駆け上る。これは絶対にやばい、という予感であり、確信。

 

「負けないんだからっ!」

 

 山なりに放られた枕に、拾い上げた枕をぶつけて相殺した、その時

 

 想像を遥かに上回る速度で、川内に別の枕が迫る。スピードの限界を超えた枕は残像を連ね、白い線にしか見えない。それでも狙いが足だと感じ取った川内は、反射的に真上に跳んだ。跳ぶしかなかった。

 

 川内の足先を掠めた枕が、天馬の羽ばたきのように布団を打ち鳴らす。伝わる振動は窓ガラスまでも震えさせ、隣の部屋から「クマー?」と声が響いた。

 今の枕ビームを避けられただけでも、川内にとっては奇跡のようなもの。見えたわけではなく、読んだわけでもなく、ほとんど勘だった。

 

 自由落下する川内の背筋が凍る。着地点に向かい飛ぶ、次の枕。

 

(同じ軌道にふたつ投げていた――!?)

 

 艦娘も重力には逆らえず、飛ぶことは出来ない。

 

「だからってっ、諦めるわけにはあああああぁぁぁっ!!」

 

 川内は腰をぐるりと捻り、思いっ切り伸ばした足を旋回させた。足を振り回す。自分の状態を認識する。そうして川内は、運動エネルギーを『操作』した。

 距離にすればほんの一歩分。川内は、何も無い空中で自分の身体の位置を前方へとずらす。感覚だけで角運動量を制御した川内の身体能力は、野生動物のそれだ。

 必中のタイミングのはずだった枕は布団へと落ちる。川内は音も無く降り立ち――

 

 足が滑った。

 

「え」

 

 それは一番初め、無造作に放られた枕を迎撃する為に、川内自身が投げた枕。

 

「最初から、これが……狙いだったの――!?」

 

 愕然とする川内の顔面に、枕が直撃した。

 

「そんなっ、川内ちゃんが夜戦で瞬殺される……なんてっ」

 

 予想していなかった結末に、那珂が目を丸くする。神通が言葉を失う。

 

 川内は立てた親指を羽黒に向けて、あいるびーばっく、と呟きながら布団の上に倒れた。

 

 残心した羽黒が、ゆっくりと息を吐く。持っている枕を置こうとして、只ならぬ気配に気付いた。

 視線を巡らせた先には、神通の姿。

 それは例えるなら新月の夜。凪の海。どこまでも静かで、穏やかで、その水面下に恐ろしい何かを秘めている、予感。

 

 枕を手にした神通が、立ち上がる。茶道の裏千家のお手本のような、上品で無駄の無い所作。

 

「きっと……私達が間違っているのだと、思います……でも」

 

 神通の冷えた声。空気がざわつくような重圧感が、部屋に満ちる。

 

「姉さんの仇を、討たせて頂きます」

 

 言葉の物騒さとは裏腹に、神通の声音は坦々としている。表情も、安らいでいるようにさえ見えた。

 そんな神通に対して、羽黒は無言で枕を構える。

 神通は、姉が屠られたことに激昂しているわけでは無い。神通は羽黒に、憎しみも、怒りも、もちろん悲しみも、一切の感情を懐いていない。

 

 そこにあるのは、ただただ純粋で、曇りの無い闘志。

 

 澄んだ湖のような神通の瞳。うなじがぴりぴりする程の気迫。それを反故にする、という選択肢は羽黒の中に存在しない。

 

「受けて、立ちます」

 

 羽黒の言葉に、神通が感情を見せた。

 僅かに綻ぶ、口元。

 

 粛々と、神通が枕を構える。

 気負いも、憂いも、迷いも、心を乱すものは何も無い。己のすべてを賭した、真剣勝負。

 

「第二水雷戦隊、神通」

「第五戦隊、羽黒」

 

 行きます――――!!

 

 神通の身体が、大きく沈み込む。踏み締める足、回転する腰、しなる腕。地を這うようなアンダースローで解き放たれた枕は、砲弾と見紛う程の速度で羽黒に迫る。

 重く低く建物を鳴動させる音響は、空気の断末魔。

 

 羽黒が神通に手を差し伸べる。

 

 そうとしか見えなかった何気ない挙措で、羽黒は竜巻を生まんばかりの勢いで飛来する枕を無効化した。螺旋を描くような腕の動きで受け流された枕は、急速に力を失って落下する。

 

 次の枕を拾おうとした神通の全身が総毛立つ。枕を逆手に持った羽黒がしなやかに回っている。優雅とさえ言えるその動きは、押し潰されそうなまでの脅威を孕んでいる。

 

「……っ!?」

 

 目を見開いた神通の前で、羽黒が更に回転を重ねた。円盤投げのフォームにも似た、二回転目。

 神通は咄嗟に手を伸ばす。あれは、投げさせてはいけないものだ。回避する、という行為の埒外に存在するもの。投げ放たれた瞬間に敗北が決まるもの。

 避けられない、受け流せない、撃ち落せない。なら残されている手段は――

 

「アイドルバリアー!!」

「ちょっ」

 

 首が心配になるくらいの轟音を立てて、枕が那珂の顔に激突する。羽黒の狙いが正確であったからこそ、紙一重で間に合った。

 

「顔は駄目なんだよぅ……」

 

 そんな呟きを残して目を回した那珂を布団に横たえながら、神通は尊い犠牲に心の中で手を合わせる。本当はもっときちんと葬ってあげたい。けれど、ここは戦場だ。

 

 枕を手に立ち上がった神通が、再び羽黒と相対する。羽黒が追撃をしなかったのは、余裕か、温情か、あるいは敬意か。何にせよ、全力を尽くす以外の道は無い。

 

 ひとつ、ふたつ。神通は呼吸に合わせて数え、慎重に間を量る。ななつ、で飛び出した。滑空するような速さで、部屋を駆け抜ける。

 

 投げた枕が対処されるのなら、そう出来ない至近距離で勝負を挑む。二回のフェイントを重ねて肉薄した神通が、裂帛の気合と共に枕を振り下ろした。

 

「やあああああぁぁぁっ!」

 

 唐突に神通の袖が手前に引かれ、襟が締められ、背負うようにするりと潜り込んだ羽黒の腰が神通の腹部に密着する。蹴り上げられる足、流される腕、空を飛ぶ、身体。

 

 神通が「掴まれた」と気付いた瞬間には、既に天地が逆転していた。

 

 意外なほど安らかに、神通は布団の上に落とされた。その優しさに、神通はぞっとする。

 今の技は柔道の一本背負いとも払腰とも違っていた。

 

 山嵐。

 

 本気で放てば、蹴り上げる足で膝を砕き、相手に受身すら取らせず脳天から叩き落すことが出来る。正確な技術と速度があって実現する、高難度の投げ技だ。

 

 放心する神通のお腹に、ぽんと枕が乗せられる。見上げた羽黒は少し困ったような顔で、微笑していた。

 

 手心を加えられ、錬度の差を見せ付けられた神通であったものの、その心に悔しさは無い。

 

「参りました……」

 

 むしろ心地良いくらいに清々しい気持ちで、素直に負けを認められた。

 

「えっと、枕については明朝の8時までに片付けておいて下さい」

「はい……」

 

 神通に指示しながら、羽黒は部屋を改めて見渡す。

 

 川内は満足気な顔で眠っている。問題なし。

 神通は疲れたのか布団の中でうとうとし始めている。問題なし。

 那珂は大の字で倒れている。布団を掛けておく。

 足柄は自分の部屋のようにすやすや寝ている。放っておく。

 

 よし、と口の中で小さく呟いて、羽黒は照明を落とし、部屋を後にした。

 

 こうして今日も、鎮守府の夜は更けてゆく。

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