文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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グレイゴースト  一〜三


本編
前置き


 

 

響き渡る筒の咆哮、辺り一面に充満する濃く錆びた匂い、彼方此方に立ち込める硝煙、視界を遮るほどの閃光。 累々と築かれる魂の抜け殻は、天麩羅みたいに凝り固まったものもあれば己の一部を大胆にも其処彼処に散らばらせるものもある。指の一つでも残っているなら断然ましな方だ。

 

「おい何してる!ぼさっとするな!」

「うわああア!」

「邪魔だ、どけっ」

 

泥と血と硝煙をごちゃ混ぜにした独特の饐えた臭いが烈しい疾風となって両脇を過ぎ去っていった。突撃する兵士のあまりの剣幕に猪に突進されたかのように衝突した体が踏ん張れずに二、三歩たたらを踏む。ぐちゃりと嫌な踏み心地がした。地面を見下ろしてみる。もはや土壌なのか誰かが投げ捨てた軍服なのかも分からない、原型を留めぬ赤黒いナニかが踏み鳴らされていた。それを認識した途端、酷い死臭を鼻腔に運んできた。

 

悪夢、妄想、幻覚…それならばどれ程救われただろうか。 見るも悍ましい有様となった死体や、怒号を挙げて戦場を駆け回る兵士の格好をした男達、視界に映る事象の全てが非現実的だった。唯二つだけ判っているのは、この混沌が明晰夢でも映画の撮影なんかでもなく現実だということと、何一つ特筆すべき特性もない凡人がある日突然戦場へと導かれたことのみ。

 

 

俺こと森田豊(もりたゆたか)は日本生まれ日本育ちのしがない市井人である。行政官でも何処ぞの金持ちの投資家でもない、妻にも子宝にも恵まれてありふれた日常を享受しているだけのアラ還だ。今日も今日とて妻と休暇に帰郷した娘息子に見送られて出勤、その日の仕事を淡々と熟していた。

正午あたり、丁度良い頃合いになって鞄を開いて愛妻弁当を忘れていたことに気付いた。いつもと異なる瑣末な出来事なんざこんなもんだ。仕方なしに近場の定食屋に寄ろうかと部下に声を掛け、数人を連れ立って職場を出た瞬きの間に景色が地獄絵図へと一変した。…いや、正確には会社の表あたりを歩いている記憶以降が吹っ飛んでいるといった方が正しいだろう。あまりに衝撃的な怪奇現象に前後の記憶が覚束無いのは無理もないことだ。

 

 

「臨場感どうなってんだ…」

 

眼前に広がる光景は現実と錯覚する程に生々しく、其処らじゅうでバトルフィールドなる場所を駆けずり回る者達の生死を賭した懸声が肺腑にまで響いてきた。

と、凄まじい爆音を轟かせて直ぐ近くに何かが飛来した。熱を帯びた狂飆がたちどころに襲い来る。雲の如く舞い上がる黄塵と黒々とした煙に視野が妨げられる。煩い、熱い、痛い。強烈な轟音がまたもや近辺で爆ぜると、到頭堪らなくなった俺はその場から駆け出した。 

 

 

さて、爆撃が偶さか与えた痛覚によって改めて己の身に降り掛かった異変が現実であることを突きつけられたわけだがはてさて如何したものか。遁走した先で辿り着いたのは数百年は文明に棄てられたのだろう旧址もかくやの廃墟群。戦争で家を失い着の身着のまま逃げ出したのだろう家族連れや、新たな入居者を待ち構える禿鷹の如き強か者達で溢れ返っていた。恐らく貪欲の赴くままにあたり構わず働いている一部を除いては誰も彼もが痩せ衰え、今日も我が身と此処にはない何か強大な抗いようのない運命に怯えていた。 

そんな彼等と同様に家や家族どころか世界までをも喪失した俺は、自称廃墟群の支配者とその金魚の糞どもと一悶着を起こしたものの友好関係を築き上げ、入居者に施される洗礼を受けることもなく仲間入りを果たした。

 

一先ず身の安全を確保できた俺はそれから一ヶ月程は廃墟を仮住まいとして、己の状況を確認する為に東奔西走を決意。手続き不要の穴だらけの廃屋——ごろつき曰く最優良物件らしいが甚だ信じ難い——に入居した翌日から俺は情報収集の為に戦場を含めた周辺の散策を始めた。これは割と早い段階で自覚したことだが、如何いうわけか年齢相応にガタがきていた肉体は血気盛んな二十代にまで若返っていた。挙動の機敏さや脳漿の回転具合においては熟年の老いさらばえた鈍間な躯とはえらい違いで、かつての溌剌と生命力の漲った若かりし頃を懐古しては胸がじわりと温かくなったものだ。

とまれ、近辺に放棄されていた哀れな武器を獲得して早速聞き込みを始めたところ、この世界では大層な規模の大戦が勃発したばかりだという。つまり世界大戦真っ只中ってわけだ。この程度なら第一次、二次世界大戦に時を遡ってしまったのではと予測を立てられたのだが、如何にも単なるタイムスリップとは明らかに異なる点があった。

異能力…火を、水を、土を、風を操り時には人間の心身に干渉でき、個別の超常現象を有する一定数の強者達がいるようだ。それどこのストレイドッグスとか思わなかったわけでもない。またしても幼馴染と漫画を熟読しては考察を繰り広げていたあの頃が懐かしくなった。 

 

廃墟群を一通り巡り、戦争や異能力者等の大まかな情報を把握した俺が次に向かった先は異能力者が跋扈し昼夜白兵戦を繰り広げるというある島だった。

 

物理法則を無視した五大元素が大地を揺らし、嵐を呼び、雹を降らせ、成層圏までをも焰で染め上げる。異能攻撃という災害に呆気なく呑まれ四肢を捥ぎ取られ、心臓を焼かれ、酸素を求めて喘ぐ若き戦士達。九割が例外なく無惨な肉塊と成り果て地面を憎悪と恐慌に染め上げていく様は凄惨だった。一度(ひとたび)立ち入れば軍艦以外の手段では離島できない最悪の征野で沸き起こる殺戮の狂気に巻き込まれまいと、俺は青年時代でもないであろう全力を尽くして争いの渦中へと飛び込んだ。ともすれば逼迫した状況に陥ることは必然。

 

 

戦場において命は紙屑よりも軽いというのは誰の言葉だったか。一部の血気盛んな兵士らがそうであるように、自身の命が危ぶまれた瞬間俺は殺人を躊躇わなかった。容赦無く引鉄を引き、時にはナイフだって振りかぶった。最初こそ殺した人間が祖国に残してきた家族のことを思い胸を悼ませど、昔から倫理観が他人と逸れていると指摘される機会もままあった己にとってはさして後込みする行為ではなかった。

兎にも角にも、生まれてこの方グロテスクな映画鑑賞はさておき血腥い戦闘なんざには無縁の地で安全の恩恵に預かってきた俺は、下手くそな銃とナイフ捌きで見よう見まねで西部劇もかくやの立ち回りを頑張った。断じて活劇を披露したのでは無い、必死こいて生き延びるのを頑張ったのだ。おかげで一度は死にかけたもののそれ以来致命傷を負うことがなかったのは奇跡の美談である。

けれども禍福は糾える縄の如し…

 

 

死と隣り合わせの闘の庭で疾駆していたある日、遂にそいつらが俺の前に立ちはだかってきた。その頃巷を騒がせていた猛者二人。巨人用の注射器を抱える看護師のコスプレをした少女と息を合わせてメスを振り回す医者擬き、人間業

を遥かに剣技を奮う世の辛酸を嘗めすぎた渋面の剣心。

端なくも対峙した三人は到底人間とは思えぬ形相で俺を仕留めんと攻撃を仕掛けてきた。全盛期の肉体じゃなけりゃ今頃あの島の養分になっていただろう。追いかけてくる二人に肝を縮ませながらも奮闘する俺はさながら悪知恵が働かないトムと何処かで人生を間違えたジェリー君といったところだろう。とはいえ、本物の戦野で繰り広げられる戦闘は冗談なとではなく、肺が破裂し目が回る勢いで独り死闘を演じていた俺だったが…何故か中盤あたりでイカれた三人は地面に転がっていた。いっそ壮大なコントだったとカミングアウトしてくれた方が気が楽になる展開である。

それはさておき、突然転倒したまま動かなくなった二人といつの間にか蜃気楼のように消えてしまった一人にありとばかりに俺はその場から逃げ果せた。そしてどうにかこうにかして安全圏たる廃墟に帰還したところでふと思い至った。あれ、森鴎外と福沢諭吉じゃないか? 

 

というわけで図らずも文豪ストレイドッグスの世界に訪れてしまった俺が次に取るべき行動は戦線離脱だった。朧げながらも異能大戦という原作に大きく関わる一大イベントから徐々に先行きを思い出せた以上、勃発したばかりの無期(むご)の戦場でいつまた降りかかるやもしれぬ戦禍に怯えて生きるなんて真っ平御免である。幸いにも神の計らいか、森鴎外と福沢諭吉との激闘の最中に瞬間移動という異能力が己にも与えられていることを知ったので使わない手はなかった。

そう決めるや否や、慣れ親しんできた廃墟群からおさらばするべく異能を発動させてみた。…が、そう易々と事が運ぶ筈もなく異なる戦場に飛ばされてまたもや人間を卒業した超人と鉢合わせる羽目に。しかもアイツら、俺を捉えた途端揃いも揃って袋叩きにしようとしてくるもんだから心の中で噎び泣いた回数は数知れない。

そうして幾度なく命の危険に晒されながらも試行錯誤を繰り返すこと数十回、漸く俺達は忌まわしき戦線離脱することができたのだ。…俺達、というのは戦場の片隅で遭遇した敵前逃亡希望の日本出身の青年と前線からの退却を図るべく手を繋いだだけの話である。

 

軍場以外の初めての離脱先は祖国日本ではなく欧州。残念ながら異能は熟期待を裏切ってくれたことで下手にあの地獄へ逆戻りするよりもと話し合った結果、俺たちは戦争の終結までは大々的な移動を避けることにした。当然、パスポートはおろか俺に至っちゃまともな身分証の一つもない。必然と暗部に足を踏み入ることを余儀なくされたが生き延びる為にはやむなし。定額から高額ランクへ、業種としては万能屋に分類される自由な職種を営み多種多様な浮世の塵と関わっていくうちに、次第に欧州もあの略奪の巷たる廃墟群と大差ないことを悟った。寧ろ戦時中東西南北から発露した怨念や未練の聚合体のような、世紀末さながらの廃墟群の方が余程複雑奇怪で末恐ろしい場所だった。今更になって生き延びれた奇跡に溜飲が下がる思いである。

とはいえ欧州の法の及ばぬ地下も負けてはいない。清の阿片窟が現代に存在すればこのような場所だったと想像できるようなスラム街は勿論、ブラックジャックも目玉を飛び出させる程の悪徳医や寝業に巧みな政治家など、生き馬の目を抜く弱肉強食の世が一歩踏み外した路地裏には潜んでいた。俺も負けじと見縊られないよう人生云十年で培ってきた鉄壁の嘲笑仮面と威圧感——正確には老人の貫禄を若かりし姿に憑依させるギャップ——とで狡獪な奴らと折衝していくうちに、そこらの半グレどもからは畏怖の篭もった眼差しで見られるようになった。尚、遺憾の意である。耳の早い行政から厄介な追手に絡間れるようになったのも悩みの種だ。 

 

 

待ち侘びた大戦終結から数年後、長らく衣食住を共にしていた青年は立派な大人になって一足先に故郷へと帰ってしまった。血の繋がった子供達の大学の入学式を思い出して目頭が熱くなったのは言うまでも無い。近いうちにまた会おうと約束した俺達は早くもその数ヶ月後に顔を合わせることとなる。

 

何時しか俺は自称永遠の三十九歳、心は仙人の中年となった。更に時代が下った或る日、お決まりの修羅場に巻き込まれたことで俺は忘れかけていた現実を再認識させられることとなった。

それは日課と化していた異能力の操縦練習で起きた事故…。無頼の徒と交渉する機会の多い仕事柄、()()()()()()は一目で見抜ける観察眼を獲得していた俺は数十年の歳月を得ても忘れようのない登場人物との遭遇に口から臓物が飛び出そうになった。見覚えのありすぎる包帯まみれの長身とイカした中折れ帽の短身という性格も揃いも揃って両極端な青年達。その通り、太宰治と中原中也である。何においても眼光炯々とする彼等の先には白髪赤目の風邪を拗らせたのかと見紛うほどに顔色が最悪な男、澁澤龍彦。彼等の囲う夥しい死体の山までもを目撃して、よもや時間軸に疑問符を浮かべるわけにはゆくまい。

突然の俺の登場に澁澤は驚きのあまり殺気の籠った異能攻撃を仕掛けてきやがったので反射で鉛玉を浴びせてしまったのだった。蒼卒な第三者の乱入に不満を抱くどころか瞠目する美丈夫二人には適当な決め台詞を吐いて、あとは若者と地元の管理者に任せて立ち去った。よくよく振り返ればあれが久方ぶりの故郷横浜への帰郷だったと思うと泣きそうになる。

 

それから六年後、良くも悪くも忙しない日々を過ごしていた俺は偶さか里帰りの機会に再び恵まれることとなった。

 

 

 

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