文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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守護生者 弍

 

Qと聡太がランクに連れられ擂鉢街の次に訪った場所がこの輸送船…像どころか乗用車や大型バス、トラック等の大型車輌が収容された迫力満点の巨大駐車場もかくやの運搬船だった。通常、五千台以上の自動車がギャングと呼ばれる作業員らによって積み付けされるが、肉体の稼働を最大限に発揮して仕事に勤しむ男達に紛れて正真のギャングなる者達が監視する様は目に付いた。

 

到着早々食堂で屯する彼等とランクが到底世間話には聞こえるやり取りを交わし始めると、殊更保護者の闇取引を日常的に観察してきたQにとって男達の素性を推し量ることは難しくなかった。とどのつまりランクは聡太を当初の予定通り何処かへと売り払い、追跡者を回避せしめる奸計だったのだ。 

論壇風発の果てに威嚇的な餓鬼暴君二人を——実際は異能を発揮する機会を虎視眈々と牙を剥き出しにして狙うQのみだが——個室に監禁するばかりか縛り付け、監視者を付けて何処かへと去ってしまった。それから小部屋の丸窓から覗ける太陽光線が水平線に埋没する頃合になって監視役の交代が回ってきた。幻滅ものの天狗鼻で絶好の機会を祝ったQがその後取った行動は云わずとも察せられよう。 

 

ルーシーらの特訓の成果もあり増強された精神干渉は脅威的な速度で拡大し最初に運搬船の正規の従業員全員を感染させた。己の眼球を素手で抉り出し、裸体を車輪に引き摺らせ、生還したと思いきや奈落に舞い戻ってきたかの絶叫を上げ…各々の精神崩壊を表す狂人に本物の無頼漢達は徹底抗戦を迫られた。まさにこの世の混沌を煮詰めたような尨大な硬材の迷宮で方向を見失うQに腕を引かれて走り続けること彼此小一時間。 

 

——なんだよ…なんでこんなことになってんだよ…! 

逃避行の行く末よりも絶えず聡太の脳内を過ぎり胸を締め付けるのは矢張り昼過ぎの凶弾が散らした血花の現況だった。さもあろう、成人済みの大人であろうと酷な不条理の荒波に間断なく迫られて十五歳の子供がどうして現実を受け入れられようか。

最愛の者との関係が不意に永遠の終わりを迎え、縁のない筈の他人の情の厚さを死後になって思い知り、直後に身内に裏切られ、偶さか出会った善人もまた死の危機に瀕した。 

乱脈に促進されるように紅涙を絞りはじめる聡太に、殆倦ねた面相になったQは周囲を見渡して近場のトラックの荷台に飛び乗った。 

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。グレイが必ず助けに来てくれるから。」 

 

…もう一つの不幸は出会い頭から一蓮托生となった年下の少年が絶対的な信頼を置いている男をランクが模倣していることだった。聡太は亡き母親しか存知せぬ異能の特殊性故にグレイとランクの相違は一目で見抜いていた。だが社会的地位においては犯罪者という同一の肩書を有する何れもが聡太にとって佑助を与える存在として見做されることは罷り間違ってもないのである。譬え男の出世の軌跡を、彼の真正の凡庸性を理会していても、恒久世間が解消しえぬ魔神もかくやの慄然と甚だしく真逆な身内にとっての敦厚さを承知していても。それでも… 

 

「でもあの男、人殺してんじゃん。」

「必要悪ってあるでしょ。」 

 

よもや法や公共の福祉に背く自由を社会に必須の偽善と履き違える発言が、寸秒で十三の少年の口から吐き出されるなどとは、実際に聞かなければ何人も想像できまい。それも幾度となく己の命を救った張本人から。されどQの不幸な巡り合わせを知っていればこそ、彼が恩人に全幅の信頼を寄せて救助を待つのもまた理解の範疇にあった。況してや周囲が憂う邪な救済の意図がグレイ本人に無いことを承知していればこそ。血は繋がっていないのにグレイとQは聡太が最も望んだ親子の親昵をたった半年足らずで構築した、その事実が却って聡太にグレイに対する反発を生み出していた。 

 

「羨ましかった」 

 

誰にともなく嫉妬を零した。天地がひっくり返ろうとも叶わぬ草鞋の如き強固な絆が、どうしようもなく羨ましかった。

 

「母さん、ホントは病死なんかじゃなくって父さんに殴り殺されたんだ。」 

 

高い天から白驟雨が降り注ぐ亭午、大雨警報の為に下校した聡太は帰宅早々、両親が玄関で激しく言い争う両親に遭遇した。常日頃より隆也が拳を振り上げようとも、姦淫を犯し一月余り顔を見せずとも、手心込めて作った食事を庭飼いの犬に投げやろうとも文句一つ溢さずに唯々諾々と従っていた母親がこの日は夜叉を憑依させたかの剣幕で夫と対峙していたのだ。

聡太は己の目を疑った。この場でこそ身を呈して間を取り持つべき召使はインフルエンザを理由に暇を取っていた。 

 

二人は玄関で唖然と佇む聡太の存在にも気付かず唾でも飛ばさん勢いで諍いやがて… 

 

「父さんが突然母さんの頭を家具や窓に叩きつけた。…一瞬だった。俺が駆け寄った時には母さんは息をしてなかった。」 

 

粉々に砕かれた星薊の柄のステンドグラスは数日後には醜い三本の薔薇へと嵌め変えられ、殴打の衝撃で罅割れた収納家具の戸は修復されることなく事故物件の名残と化した。何においても聡太を絶望の淵に突き落としたのは、父親が彼の異能を悪用して母親の死の瞬間を偽装させたことだった。

『フォトグラフィックメモリー』は脳内に記録された情報を鮮明に現像化するだけでなく、有りもしない、若しくは現実にあった事象を歪曲することができる。日常的に父親の顔色を伺う彼の並々ならぬ努力の賜物であった。此度の事件も、強制された聡太が証拠を捻じ曲げた為に隆也は重篤な病に蝕まれる妻を辛抱強く看病し最期まで看取った愛妻家として周囲に評価されたのだ。 

 

爾来、凡ゆる趣旨のカタルシスは聡太に依拠されることとなった。深更に叩き起こされることは驚くには当たらず、山手の丘の上に連なる豪邸の中で彼一人だけが凍てつく真冬中に庭で晩を明かす学生となった晩は数知れない。 

 

「召使が、きっと助けてくれてたんだ」 

 

聡太は腕を捲り、低俗な軋みと諦観と愁腸渦巻く茂木邸での半年間のうちに魂から滲んだ血涙が醜悪な傷跡となった一部を晒した。よくよく顧みれば、彼が虐待を受けなかった日には決まって召使が居た。生前は母親が、死後は召使が、そして今は辻村が…。 

 

『聡太、どんな時でも笑顔を欠かさずにね。』 

『聡太君、おはよう。』 

『聡太君、お家嫌いでしょ。笑ってる方が、ずっと素敵だよ。』 

 

もはや己を呼称する善人は悉く不幸に見舞われるのではと自己否定に陥る程である。

Qは終始聡太の独白に耳を傾けつつ、カウンセラーとしては清々しいまでに落第点の反応を示していた。宜なるかな、彼には風化するほどの血縁との縁もなく想いを馳せる程の幼少期を過ごしたわけでもなかったのだ。終わりにはふーん、と淡白な返事を寄越すと聡太は自嘲めいた口際をつくった。拙い慰めや同情を注がれるよりもよっぽど心安い。 

 

とまれ、現況への寒心の発露から堰を切ったように心情が流れ出したお陰で聡太の煩悶は幾分か鎮められた。閑やかにありがとうと告げた彼に何ら謝意の理由を理解していないQは適当に礼を受け入れた。 

 

頭上で烈しい音響が鳴り響いた。甲板に繋がる近傍のスロープから稲光(いなびかり)が闇を裂かんとしているのが覗けた。 

二人はトラックから降りる。今になって理性を失くした従業員の咆哮が聞こえてこないことに疑問を抱き始めていた。 

 

「うーん、もしかしてもう壊されちゃった?」 

 

ギャングが殲滅させた可能性をかくも恐ろしき無垢な言い草で言及したQにもはや聡太は呆れるだけだった。よしんば残党が何処かに潜んでいようとも銃弾に限りはあろうとも異能に限界はないのだと、一騎当千の強者達に鍛え上げられたと自負している少年は己の実力を疑っていなかった。

…故に背後に忍び寄る影に気付けなかった。 

 

「おいQっ!」

「なぁに」 

 

逸早くバットを掲げる大柄な図体を見留めた聡太が叫ぶ。間の抜けた小首がぐるりと回る。

聡太が咄嗟に手を伸ばした。しかし男が両腕を振り下ろす動作に入ったのが寸秒速かった。 

 

…風を切る音がした。

何かが空気を素早く薙ぎ払った。反射的に瞼を閉ざした二人は痛みが襲ってこないこと、片や呻き声が野太かったことにおずおずと眼を開けてみる。崩れた男の代わりに其処に立っていたのは。 

 

「Q君、聡太君、無事っ?」

「お姉さん!」 

 

銃身をくるりと回してグリップを握り直すと、辻村は駆け寄って来る子供達に腕を広げた。特に聡太の突進は凄まじく子猪の頭突きさながらの衝撃を胸に受けると、あわや後ろに転倒しそうな体を踏ん張って堪えた。

間を置かずに漆黒のドレスが人肌の温もりを滲ませる。聡太は泣いていた。母の死にも、召使の死にも凍りついた砂漠を転がる石の如く硬質化して奪い去られていた感性が、最後の信頼の(よすが)との再会に遂に弛んだのだ。譬えQが大丈夫だと再三言い聞かせてもどうしても信じられなかった辻村の生存によって。 

 

「うわあああん!」 

 

決壊した堰堤のようにしゃくり上げる聡太を辻村は只々抱き締めてやった。怖かったね、遅れてごめんね、二人ともよく頑張ったよ。泣き止ますよりも女特有の無条件の仁愛を注ぐような慰撫に、聡太は勿論のことグレイとは一味違った温情を犇と感じたQも涙を滲ませた。 

孤軍奮闘の果てに警戒が解けて流涕する子供を撫で回すのには暫時を要した。それでも互いの安否を肌で感じられたことが何よりも三人の許なかった心に染み入ったのだった。 

 

それから程なくして追手がやって来ると辻村は晴れがましい抱擁を中断してQと聡太を伴い臨戦態勢を憑依させた。拳一つ分程の隙間にびっしりと陳列されている車輌をパルクールさながらに進んでゆき、甲板を目指す。Qの生み出した狂人はとうにギャングに始末されており、十五人の内二人が異能力者であることは早々に判明していた。というのも、グレイによって辻村が飛ばされた先は船の最下部の貨物室、部下を駆け回らせ自身らは一服を蒸すリーダー格二名の憩いの場だったのだ。

突として現れた辻村に反応の遅れた一人を打ちのめすことは容易かった。更に続け様残りを昏倒させようとして、男の姿は無くなっておりその颯の如き状況判断力と行動力が爾来の辻村の一抹の不安を引き摺っている。兎にも角にも、その他十三名の凶漢を相手取ることは対異能専門機関所属に所属し、危険異能者の監視管理役を努める一流捜査官にとって造作なかった。

 

ところで初めて辻村の華麗な奮闘——それも裾を引き摺る程のイブニングドレスを身に纏って可動に制限を与えられている——を目の当たりにした聡太とQは謂わずもがな彼女の美しさに目を奪われた。

高いヒールを煩わしげに脱ぎ捨てられ、鍛え抜かれた肩甲骨は鳳蝶の蛹が孵化する様を想像させるようにしなやかに動き、筋肉の翳りは船の振動に釣られて揺らめく質の悪い電球に危うげに照らし出されていた。瞬間的に視界に映じる敵の人数、力量、武力行使に際して必要な労力を暗算し、唯一の懸念の為に銃弾を温存させて素手で闘う辻村の活劇は恰も大胆な女もののアクション映画を観ているようだ。 

 

海は愈愈大時化となり船舶は大型台風並みの過酷な揺れに見舞われていた。沛然と降る雨と猛烈な波浪に見舞われ甲板に打ち込まれた海水がスロープを下って内部に侵入していた。当分は収まりそうもない嵐の中表に出るのは甚だしく無謀だが、到着当初の束の間の諍いが船内に籠城している方が余程危険だという不思議な危機感を辻村に抱かせていた。異能を自在に操れずとも辻村自身の能力があれば船首にさえ辿り着ければ離岸していない運搬船から脱出することは不可能ではない。迷っている暇はなかった。 

 

…三人は狂飆が支配する甲板へと身を移した。見渡す限り敵はおらず、彼程己の両脚を颯の如く動かしていた憂懼は幻だったのかと思う程に丈高の畝りだけが足場に迫っているだけだった。気の所為に留まったのならばそれが最良だ。 

辻村は船首に移動し脱出の支度に取り掛かろうとした。 

 

——強烈な怖気が辻村の衷心を貫いた。本能的な感知を脳漿が秒速理解するよりも素早く辻村は真横の子供達を突き飛ばした。 

 

…眩耀な光を編み込んだかの鳥籠の中に彼女は居た。

Qと聡太が声を張り上げる。辻村は目線のみで駆け寄ってこようとする二人を制して自身を取り囲む光の格子に触れてみた。指先がジュウと焼灼した。熱か、高圧電気のような力が働いているようだ。 

 

辻村は周囲に眼を走らせる。妙に余分に感じていたアンテナに注目する。

数秒の間があって、睨めっこに根負けしたアンテナは形を崩した。案の定、それはアンテナなどではなく光の加減を巧妙に細工した別な格子だった。内から雌蕊の如く現れた男は擬態を見抜いた辻村に話し掛けた。耳慣れぬ言語なものの、やおらに拍手をする様からは己の擬態を見抜いた彼女の洞察力を賞賛しているのは判った。 

 

一人分の鳥籠を挟んで男は歩みを止めた。目睫の間に迫って辻村は臆せず睥睨する。怒り狂った雷雨が夜天を跋扈するなかで二人の眼光は鋭く絡み合っていた。 

 

「お姉さん!」

「ッ、良い!来ちゃ駄目よ!」 

 

不意に数本の光が鞭のように撓って辻村のドレスを深く切り裂いた。すかさず叫んだ聡太に笑いかけて辻村は拳銃を仕向ける。頬ばかりか全身を濡れそぼたせる氷柱にも似た冷色に慥かな生温かさが混じってゆくのを感じた。 

子供達の安堵の為に笑みを湛えたもののこれは拙い。辻村は寒心していた。詮ずるに男の能力はレーザー切断機もかくやの高出力の光を自在に操るものだろう。

 

鳥籠の形状に[[rb:変化 > へんげ]]させたり、光の色をカメレオンさながらに背景色と同化させる意匠の凝らされた使用法は男が凡手ではないことをありありと証明していた。邂逅一番辻村の背負い投げを受けた煙使いと異なり、瞬く間に扉を切断して行方を一時的に暗ました男に対する辻村の一種本能的な危機感知能力は誤っていなかったのだ。

男の気分次第ではいつ肉塊と化してもおかしくない、それが尚更異能を自在に扱えない辻村を窮地に陥らせていた。男の眉間を狙って引鉄に指を掛けているが、少しでも力が込められようものならば己は息を吐く間も無く攻撃されるだろう。それが余計に彼女の殺人への試みを躊躇わせていた。 

 

無愛想な影の仔は依然として現れる気配はない。そも、彼女にとっての彼の存在は一度として自身を援助したこともなければまともに向き合ったこともない、そればかりか事ある毎に野放図に殺人衝動に見舞われては鎌を取り出し辻村の社会的立場を貶めんとする業魔であった。実のところ、母親が異能生命体と交わした「辻村が本気の殺意を向けた対象を直前に殺す」という制約を本人が知らなければこそ、今更自身の異能に期待を賭けることはできまい。 

 

轟轟と砲撃の如き雷が場の緊迫感を最大限に高めていた。 

退路を塞がれた辻村は逡巡する。男に勘付かれずに発砲するべきか、将又別の手段を考案すべきか。いやそれよりもこの隙に聡太とQを逃すべきだ。

 

…その時、遠方で爆音が響いた。

疳高い衝撃音も重なった。

船が大きく傾く。足場がぐらつき辻村の身体が倒れた。半歩ほどもない光の格子の方に。 

 

思わず身構え、だがしかし碌な体勢も取れぬまま両手を床に付いて。高熱を感じないことに面を上げる。鳥籠は消えていた。それどころか発動者の男が喉に風穴を開けて斃れていた。己の誤射などではない。

自身の認識の外で短期に終わった決闘に大いに困惑する辻村に、聡太とQが寄って彼女の功績を称えた。 

 

「格好良かったよお姉さん!グレイの次にだけど。」

「す、凄ェ!どうやって?何時撃ったの?捜査官って皆辻村さんみたいなのばっかなの?」 

 

只管に持て囃す若々しい歓声の中で辻村は周囲を見渡してみる。

本運搬船と並んで係留する中型コンテナ船の積荷が炎上している。あの瞬間には発砲音も二度連なって聞こえた。拳銃では有り得ない、空気を何百メートルも劈くライフルの音だ。間違いなく影の仔ではない。

この悪天候下で?一体誰が…。 

 

解を得られぬままにグレイが現れた。ランクではない、本物のグレイが。模倣者が何処に潜んでいるやも知れぬ危険地帯で、保護者との再会を幾許の緊張も孕まず歓喜雀躍できる者はQのみであった。

 

 

 

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