文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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灰撒き虚妄 前 百九〜百十四


取り違え

 

戸の閉ざされた玄関口に俺達は立っていた。取手にも呼び鈴にも手を掛けずに、直前に顔を振り返らせたまま彼と向かい合った状態で其処に居た。云うべくもない異能の誤発である。

そろそろ俺の名前を出せば不法侵入の罪状が真っ先に挙げられるだろうくらいには懲りもせず罪を重ねていた。もはや住居押し入りのプロフェッショナルと自画自賛しても善いだろう。侵入と同時に一見で分った内装から何れにせよ今晩にでも訪問をと思っていた知人宅であるのは不幸中の幸いだが、瑣末な安堵を吹っ飛ばすほど事を格段最悪にしていたのは食事に誘った無関係の同伴者を偶さか共犯者へと仕立て上げてしまったことだった。 

 

「これは私の聞き間違いか?数秒前、お前に中華料理屋の話をされたばかりなのだが。」 

 

ほら。襟足までの長さの金髪と造形美をこれでもかと彼は顰めて俺の無能加減を馬鹿にした。嘲笑のない軽蔑が一番キツい。ハニカムシェードカーテンの隙間から巧く差し込む斜陽に横長の模様を生み出す米国式の家具を見て、奇麗な薄唇は益々皮肉に歪められた。 

 

「しかもまだ陽の沈まぬ夕まぐれに堂々押し入りとは大したものだ。」

「お前は一番言って欲しくないことを言う天才だな。」

「今度は何の悪巧みだ。私が付き合うとは思わないでくれ。」

「仮にも指名手配されてるからって一々俺の言動を悪事に結びつけるなよ。お前だって立派なS級犯罪者だろ。」 

 

泣けなしの反論は云い終える前に「此処は」という素朴な疑問によって遮られた。鎌倉だと答えれば球体関節人形めいた完璧な金色の睫毛の瞬きが細やかな夕焼け色と融合した。 

 

俺は玄関と間近のリビングへと踏み入る。陽気の薄められた室内は淡い橙と朧げな薄暗がりに泛び上がっていた。どうやら留守のようだ。密かに胸を撫で下ろして、やけに背中が突き刺されるような感覚がする。

…案の定、不本意の同伴者は俺の一挙手一投足をまじまじと凝視していた。己の失態を上手く誤魔化せやしないかと思い巡らして、ふと思いついて懐から手帳を取り出した。 

 

「そんなに疑うなら俺の予定を見せてやる。元から今晩この家の住人に用があったんだ。」

「カツアゲだな。」

「何処でンな言葉を覚えてきた。」 

 

如何にも外人が喋る拙い日本語の発音で紡がれた好ましくない隠語に目玉を剥きそうになった。せめて恐喝といえと云えば律儀に「では恐喝か?」と訊き直してくるものだから頭を振って否定する気も起きなかった。彼に手帳を見せようとして、よくよく思い起こしてみればこの世界に来てからは一度として手帳に何かを書き記したことはなかったことを思い出す。己の愚かしさを痛感した。

 

突然黙り込んだ俺に彼は怪訝な目付きになる。俺は手帳を閉じようとして、そでに挟まっていた何かが摺り抜けた。

ひらりと舞い降りたそれは彼の足元で拾って下さいとばかりに制止した。彼は拾い上げる。そして瞠目した。 

…俺は即座にそれを奪い取った。半ば強引な手付きだったのは否めない。

手帳を畳んで平常な意識を表明するように敢えて付近のテーブルに置けば、色素の薄い双眸がもう一度屡叩いた。 

 

「驚いた。お前も以前は人だったのか。」

「失礼だな、今も人だよ。」 

 

この世界では決して誰にも悟らせてこなかった人物像の証明とでも謂うべき写真をほんの一瞬見留めただけの双眼がこちらを見詰め上げて、そうか、そうかと独り得心する。妙な生温かさが由もなく肩身を狭くさせて非難の眼差しを送れば彼は素直に謝罪した。

 

「なら私もお前への認識を改めよう。で、恐喝でないなら強盗か、それとも警告か…何の為に此処に来た。場合によっては手伝ってやっても善い。」

「先ず俺の印象を一新することからやり直してくれ。」

「見たところ既に空き巣に入られてるようだな。となると住人の救済というのも考えられる。」

「…空き巣?」 

 

磨き抜かれた陶器の如き冴え冴えとした眼が玄関を示す。主張を裏付けるようにダブルロックが開錠されたままだった。常人の数十倍聡い俺の同伴者は望まぬ押し入りの時点で視界に入る凡ての異変に気付いたらしい。俺よりも頭二つ分小柄な背丈を誤魔化す為の紳士靴のヒールがホールの大理石を踏み進めると、次いでコンソールテーブルを占領する大きな大きな花瓶…ではなく下に置かれた箱を遠目に凝視する。洒落た玄関には到底似つかわしくない収納箱はあからさまな迷彩色で、あからさまに家具の物陰に潜んでいる。恰も獲物を待ち構えるように。 

 

曲がりなりにも奸邪な各国の行政機関に追跡されている犯罪者とは思えぬ無防備な手付きが蓋を開ける。

度肝を抜いた俺に反して箱は沈黙を保っていた。だが、蓋裏に記されたいやに見覚えのある紋章がお決まりの危険感知センサーを脳内でけたたましく稼働させていた。 

 

「奇妙だな」

「おい——、待てっ!」 

 

またもや無防備な顔が箱を覗くように俯くと、今度こそ俺は彼に手を伸ばした。 

……等しく箱の仕掛けが起動した。

 

 

息を吸う。

白檀の線香と天然のい草の芳香がすぅと嗅覚を刺激した。 

 

視界は暗闇だ。完全な真暗闇ではなく、黄橙色の稲光にも似た光が万華鏡を除いた時みたいな不思議な模様を瞼裏に浮かび上がらせている。呼吸をするたびに鼻腔から侵入する独特な匂いが現在進行形で己の身に起こっている摩訶不思議な現実を突きつけてきた。 

 

マイクを通して音を拾いスピーカーを介して流れるくぐもった声が耳朶に届く。おまけに無機物を叩く音まで。 

『昨夜未明、横浜市××町に本社を置くマナセット・セキュリティに覆面の強盗が押し入り現金を奪いました』 

パンッ。

『警察庁は速やかな解決に向けて捜査官を派遣…』 

パンッパン。 

『マナセット・セキュリティは日本三大大手の警備会社として知られており半年前の十月に新社長が就任し僅か一ヶ月足らずで売上が一・八倍になったことで話題を呼びました。』 

バン! 

 

明瞭で滑らかな報知に雑音が混じった。

間断なく「あかんなあ、ついに壊れよった」と獰猛なドーベルマンですら聞いただけで伏せてしまいそうなバリトンがブラウン管を叱ると、程なくしてそれは画面を暗転させた。たった今の喧しい音源がなくなると、今度は静寂が五月蝿く響いた。 

 

ニュース番組の報道とチャンネル変換に悪戦苦闘し辛うじて僕から逸らされていた筈の注目が再び戻ってくるのを空気感というものの嗅覚と聴覚と聴覚とが犇と伝えてきた。愈愈このまま瞑目で現実逃避を貫くわけにもいかなくなって、頑なに閉ざしていた瞼を思い切って開けてみる。 

 

…視界いっぱいに虎と龍が昂然たる姿勢で威嚇してきた。正確には屏風に筆で力走された龍虎図屛風の贋作と、その前で居丈高に胡座を掻く巨体の威風に心が勝手に脅威を刺激されていたとも謂う。

 

繋ぎ合わせた襖のようなもので生み出された調度品に過ぎないのに鞭をしならせたような筆遣いで描かれた画風は本物と然程変わらない風格を醸し出している。水墨の濃淡で表現された黒龍は険しい目つきで今にも竜巻を引き起こしそうだ。縄張りの侵害を察知した雄虎の牙を剥き出しにして猛る様と謂えば、僕の白虎と張り合えるのではと思ってしまうくらいの烈しい生命力に漲っている。

僕みたいな一般人が本物と偽物を並べられたらきっと見分けはつかないだろうと謎の確信をしてしまう程に、百五十畳余りの大広間を二空間に隔てる屏風は迫力があった。

就中比類のない生命力を発揮しているのは、真正に血の通った人間だった。 

 

「すまんのう、喧しゅうて。」 

 

その大兵肥満な恰幅の前では人間の創造した文明の利器なんて小人用に見えてしまう程に大きな手がリモコンを座卓に置いた。巨人みたいな大柄な人間は恐ろしい外貌とは裏腹に大らかな性格をしているという珍妙な話を聞いたことがあるけど、彼の手付きは正しくそのような装いだった。 

 

御子柴武雄(みこしばたけお)、名前からして猛々しいこの男は山口県に本部を置く指定暴力団人徳会の総裁である。そういった組織の勢力図に滅法疎い僕ですら耳朶に触れたことのある武闘派の急先鋒だ。団員達の間では抗争が長寿の秘訣がある種の合言葉となっているくらいに気性が激しく、中国地方では年柄年中血腥い報道がひっきりなしになされている。

 

加入したての末端ですら悪の芽を摘まんとばかりに警察が危惧の眼光を纏わり付かせる国内有数の暴力団、しかもその長が横浜入りとなれば上を下への大騒ぎに違いない。組織に異能者がいるなんて話は聞いたことはないけれど、幹部は異能者に匹敵する猛者だといつか探偵社の近隣住民の好奇心旺盛な方が耳打ちしてくれた。真偽の程は定かではないが、僕の眼前で極自然に権高な気配を漂わせる彼と向き合っていれば成程と果敢ない感嘆を胸中で漏らさずにはいられなかった。独眼竜政宗を聯想させる炯眼と僕の白虎、安土桃山時代の睨めっこだけなら何方が勝つだろうかだなんて埒もない疑問が頭に浮上した。 

 

普通に生きていればお目にかかることはないだろう反社会勢力の巨人、そんな人物に何故僕が一対一で相見えているのか。是非とも詳述したいところだけれど生憎三文以上掛けて述べられる程の理由はなかった。…少なくともこちらには。 

 

——ちょいと兄ちゃん、面貸してくれや。 

探偵社への通い路をいつも通りに歩いていた時のこと、住宅街の何処からともなく現れた黒塗りのセダンから覗けた禿鷹の如き目遣いに脅迫を受けるまでは至って普通の朝だった。突如として細道を塞がれて用事があるの一点張りで凄んでくる大柄の男達に、まだ十八歳の素人に毛が生えた程度の探偵社員にどんな抵抗ができただろうか。

 

今日に限って鏡花ちゃんとは出勤時間が違っていたし、露骨に携帯を取り出して助けを求めるわけにもいかない、何より指一本触れられてないのに警察なんて呼ぼうものなら痴漢冤罪を押し付ける自称被害者に対するような迷惑顔を向けられるのは考えるまでもなかった。正当防衛も成り立たず、けれど確かな圧迫感に心身を押し潰されそうになるという珍紛漢紛な状況に音を上げるのはそう難しいことじゃなかった。

一つ返事で車に乗り込み案内された先が鎌倉と藤沢境のドラマの撮影にでも利用されそうな御屋敷だったのだ。 

 

「失礼しやす。」 

 

溌剌とした調子とともに襖が開かれる。僕をこの場に連れてきた直蔵(なおぞう)さんだ。何でも執行三役の本部長に就いている重鎮らしい。

 

「直蔵、またテレビ壊れよった。」

「堪忍してください。オヤジが叩きすぎるさかい、業者が直すん嫌がって探すの大変なんすわ。」

「ぼったくられとるんちゃうか。何度来よっても壊れるから俺が叩くしかないんやないか。」

「ま、明日にでも修理屋呼びますわ。」 

 

あ、諦めた。僕は思った。 

 

こういう時、出されたお茶に口を付けるべきなんだっけ。国木田さんに一度でも聞いておくんだった。やくざの面前でのお茶碗の作法ってあるのかな、鏡花ちゃんって飲む前に回してたっけ。些細な無作法が不興を買ってしまいそうで、徐々に僕の指がポッキリパッキリと無くなっていく光景が脳裡を掠める。過去最高に居住まいの悪い空間で、嫌な汗を滲ませながら逡巡していると僕の様子に気付いた武雄さんが顎をそびやかした。高慢ちきな仕種なのに嫌味を感じないのはきっと彼の威厳が打ち消しているからだろう。 

 

「礼儀なんか気にせんと崩してくれ。何も尋問に呼んだわけちゃうねんから。」

「はぁ…じゃあ、お言葉に甘えて。」 

 

恐る恐るお茶を飲んだ。…何の変哲もない緑茶の味だ。無理に感想を謂うなら普通に美味しいってことくらい。

 

「探偵社員中島敦で合うてるか?」

「は、はい。」 

 

態々探偵社を強調されれば彼等の目的が僕個人ではないことに気付けない訳がなかった。反射的に背筋を伸ばした僕に武雄さんはこれぞ極道といった厳しさを貼り付けた。傍で直蔵さんはブラウン管を労うように撫でていた。 

 

「直蔵に君を呼んでもらったんわな、頼みたいことがあるんや。」

「僕に、ですか?」 

 

太宰さんや乱歩さんのような初手で王手を見越してしまえるような怪傑でもなく、況してや文武両道の手腕家たる国木田さんにも至れない未熟な新米社員の僕に、何千人もの豪傑達を纏め上げるやくざの親分が。奇怪な出だしと僕自身の物事への応対の器量への懐疑に首を傾げずにはいられない。そんな胸臆は承知していると謂わんばかりに武雄さんは頷いた。 

 

「俺には御子柴猪三郎(みこしばいさぶろう)っちゅう孫がおる。君には彼を探してほしい。」

「お孫さん、ですか?」

「せや。」 

 

長着の袖から取り出された写真を受け取る。

 

…最初に砂を被ったような汚い金髪が目に留まった。雀斑かシミか判別のつかない油ぎった素肌にヒアルロン酸の配分を間違えてしまったような鱈子唇。身の手入れには無頓着なのに衣装は流鏑馬で見るような立派な袴だ。青春を拗らせてる良家のお坊ちゃんといった印象を抱かせた。売れないストリートラッパーと紹介されても誰も疑わないだろう。一糸の乱れもない凝らされた装いと精悍な面構えの武雄さんの孫と信じるのは甚だ厳しかった。 

 

「まだ小四や。」

「じ…っ!?」 

 

思わず口から飛び出そうになった喫驚を堪えた。十歳?このバターをパン粉で揚げてパチモンのグラブジャムンを夜な夜な貪ってる様が容易に想像できる鏡餅みたいなお腹の青年が…少年?僕よりも八歳下の?

あまりに非現実的な言葉に僕はこっそりと何度も瞼を擦ってみる。けれども不憫な現実は変わらなかった。こんな体型になるまで周囲に無関心を貫かれた少年に対してか、将又意味不明な写真を突きつけられ孫だと主張されてる僕自身に対しての不憫かは分からなかった。しかし僕の動揺を他所に武雄さんは続けた。 

 

「何十年も前に家を出た息子夫婦の一人息子でな、二人と違うて唯一俺を慕ってくれる可愛い孫やねん。まあ詳しいことは割愛するが昨夜会う予定やったのに家に来ーへんくてな…せやけど人徳会率いらせてもらってる身の上で警察なんか頼れへんやろ?そこで昔夫婦の結婚問題で世話を受けた恩人に聞いたら探偵社がええ言うから調べさせて貰ったんや。」 

 

武雄さんは探偵社の構成員から異能力、更には僕が入社した経緯までを滔々と云い連ねた。警察に頼れないというわりには行政機関以外の部外者しか知り得ない情報を億劫もなく云ってのける彼に複雑な胸懐を抱いたのは無理もないことだ。とまれ、僕が此処に呼ばれた訳は人徳会ではなく武雄さん個人から、探偵社員という警察の情報網に繋がれそうな都合の良い人材への人探しの依頼だったわけだ。 

 

「勿論、確り礼もさせて貰う。…大した額は入ってへんがこれは費用に使うてくれ。あくまで君と俺だけの約定や。」 

 

座卓の上を静かに滑ったのは分厚い無地の白封筒だった。九割方予想が付いておきながら念の為にと中身を改めて…予想は裏切られなかった。どのような応えを返すべきかなんて悩むべくもなかった。 

 

僕は封筒を閉じると写真を重ねて返した。当然二人は顔中の神経と皺を凝縮させて僕を睥睨する。ついたじろいでしまいそうになるけど、段々と麻痺してきた両足を根性で畳に押し付けて僕は彼等を見詰め返した。 

 

「すみません、お断りします。」

「…理由を聞かせてもらおうか。」 

 

不快感を抑える声遣いだった。

 

「探偵社は基本的に個々での依頼を承ってません。人探しといっても捜索対象の社会的身分や置かれている状況次第で喫緊か余裕かなど対応が変わります。それに…」

 

返した写真を今一度遠目に改める。

矢っ張り、目を懲らすとか直蔵さんと見比べる以前に容姿が懸隔している。血縁を感じる点といえばベクトルの異なる貫禄しかない。よしんば依頼を受けるとして、系譜か何らかの血縁を証明する公的書類を提示して貰わない限りは調査を始められない。彼等が族親を偽り少年を親元から引き離して僕に罪を着せようとしている可能性だって否めない。

 

約束をすっぽかしたくらいで探偵に依頼するという発想に転じるだろうか?密かに部下を親元に送って確かめるなど幾分も簡単な安全確認の術はあるというのに。態々探偵社の新人である僕を選んで——それも一朝一夕に周辺調査まで済まして——前金まで渡そうとする思考回路が理解できない。不透明な魂胆に思えてならないし、どうであれ譬え個人だとしても探偵社に籍を置く僕が軽率に肯んじるべき事案ではなかった。けれど諸々の個人的な事情を先方が考慮してくれるわけじゃない。だから僕は素直に臆病を曝け出すことにした。 

 

「約定という言葉にどれほどの重みがのし掛かっているかなんて僕には想像もつきません。僕個人ではなく探偵社に公に依頼して下さるならいったんこの話は持ち帰って上司に捜索依頼の旨を伝えます。」 

 

まいないの課された約束が悪い場合にはどれ程の悲劇を生み出すか、孤児院から解放されたばかりで世間に疎くても分からない僕じゃない。 

 

明らかに空気が澱んだ。通夜で独り棺と向き合っているような、経験したこともない沈痛さが重力となって僕を押し潰そうとしていた。

眼を逸らさない。そうしたら最後、彼等の背後に佇む龍と虎が一休さんみたいに襲いかかってきそうな怖れがあった。 

 

唾一つ飲み込めない瞬間が無限に重なっているような気がした。詰まる息を慎重に吐き出して居住まいを保つ僕に、不意に烈しい笑いが室内に響いた。 

 

はぁ!っはっは! 

憚りもせず突然呵呵大笑しだしたのは武雄さんだった。彼に釣られるように直蔵さんまでもが失笑するとあまりの雰囲気の豹変っぷりに当てられた僕は唖然とする。 

 

腹の底からひたすら愉快を表した武雄さんはまだ少し笑い足りなそうに云った。 

 

「大した度胸やなあ!感心したわ、合格や!」

「え?」

「ああ、さっきの話まあまあ嘘やから安心しい。」

「ぇえ?」 

 

怪しげな依頼の次に大爆笑、そして突拍子もない前言撤回。愈々揶揄われてるのではないかと戸惑う僕の前で、二人は眴せを交わす。

点頭した直蔵さんが襖に向かって「入って来い」と呼び掛ける。音もなく引き戸が引かれて、一人の若い男が入ってきた。 

 

不安が拭いきれない雰囲気に適した喪服と見紛うようなスーツ姿の若年くらいの男だ。僕と同じように空気の悪さを実感しているのか、眼鏡の着け心地が悪いのか、将又別な理由があるのか眼鏡をしきりに触っていた。

彼は足元を一瞥もせずに縁を踏まずに一直線にやって来ると僕の真ん前で止まった。僕よりも十センチ以上上背があり、過重労働で食事の暇すらないのではないかと心配になってしまうほどの白皙を超えた真っ青だ。もしかしてこの人も…? 

僕が興味本位の目線を送っているとしたら、彼はやや吊り目で僕を精察していた。 

 

「バッチグーですか?」

「はい?」

「バッチグーですか?」 

 

彼は一文字の付加もなく台詞を繰り返した。僕は目遣いで武雄さんに混迷を送る。返ってきたのは「助っ人の理宇覚(りうさとる)や。」などという何ら助けにもならないどころか余計に混乱させる一言だった。どうやら僕が人探しをするのは彼等の中では確定事項らしい。益々謎めいた色を眸に宿しているであろう僕に、助っ人は云った。 

 

「ご紹介に預かりました理宇覚です。そういうわけで宜しくお願いします。」

 

 

 

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