文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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取り違え 弍

 

もはや拒否権もなく屋敷を追い出され武雄さんの孫探しに参加させられた僕は、目的地への道中覚さんに事情を知らされた。

愕くべきことに彼は箕浦刑事と懇意な間柄の元刑事さんという。曰く、嘗て薬物絡みの捜査で事情聴取をしていた彼の部下が不運にも摺鉢街で異国の犯罪組織構成員に絡まれてるところを救ったのが直蔵さんでずっと貸しを抱えていたそうだ。本来人徳会に呼ばれるべきは箕浦刑事だったらしく、けれども現役の警察官である彼が立場を度外視して堂々御屋敷に足を運ぶわけにもゆかず、以前相棒だった覚さんに代行の頼み込んだのだとか。

 

一家の住家は車で丁度一時間程度の横浜と横須賀の中間距離にある。鎌倉駅西側から徒歩とバスを合わせて十分足らずで行ける、謂わずとしれた鎌倉屈指の高級住宅街、御成町。今はもう廃された鎌倉御用邸もあり歴史の趣を感じさせる秩序だった閑静な区画だ。西に進めば笹目町というこれまた立派な邸宅が軒を連ねる御屋敷町となっている。先程の人徳会の大邸宅とも比しても遜色ないくらいに美事な日本家屋や洋式豪邸が不規則に混じって精細を放っている。

近辺には私立図書館や小学校もあり時折街の一角から耳朶に届く快活な掛け声が程良く活気を盛り上げている。利便性も良く日本特有の伝統と風情に充ちる住宅街は子供達だけでなく総ての住人にとって最高な地域環境に違いない。

ところで、欠勤の旨を伝える際に受話器を取ってくれたのが賢治君だったのは幸いした。 

 

兎角、一週間と少し前に警察の捜査協力の為に訪った茂木邸が構える山手町と鎌倉とをの溢れる気品と風格を無粋に瞼裏で引き合わせては感嘆していた。今回の依頼人——重ねて謂うが全く僕の意志に反する捜索——を煙たがる夫妻と成長ホルモンがゲーム並みのバグを起こしたとしか思えない息子の暮らす一軒家は瓦屋根を取り入れた現代では通俗的な数寄屋造りの邸宅だった。

他の豪邸と比べて門から玄関までの距離は然程なく、判子を得られなかった郵便配達員が端から開きっぱなしの門を通って表に出てきた。どうやら留守のようだ。 

 

「すみません、お話を伺っても?」 

 

いつの間にか覚さんが通り掛かりの近所の老人を呼び止めていた。蹌踉とした足取りの老婦は買い物カートに支柱として全面の信頼を寄せて、補聴器の付いている耳を何度も叩いた。 

 

「すまんねぇ、耳、遠いの。なんてぇ?」

「いえ、まだ何も聞いてません!此処に住んでるご夫婦をご存知ですか!」 

 

木霊でも返ってきそうな大声で覚さんが尋ねる。初手は成功したようだ。質問を回答に変質させて至近距離で老婦が山彦となった。 

 

「そりゃあアナタ、御子柴さんいっつもお留守よ。しょっちゅう旅行、しょっちゅう夜遊び。特に奥さんが酷いったらありゃしないの。唐人で別嬪さんだけど偉そうに男連れ込んで…燻んだサンドカラーで汚くて太ってて小柄な男を住まわせてるの。皆噂してますよっ。最近の若い子はああいうのが好いの?敵わないわあ。」

「あの、これ絶対息子さんが容姿の所為で愛人だって誤解されてますよね」 

 

恐らく世界の何処を探しても実の子供が夫婦の情人と間違えられる家庭なんてこの一家以外に存在しないだろう。人徳会で祖父による孫コンプレックスが発覚してからずっと十歳の少年が不憫でならなかった。それこそ彼に辿り着いた暁には国木田さんにでも相談して短期間の探偵社での避難保護を前向きに検討するくらいには。 

 

「では彼等は海外に」

「ええ?なんて?」

「では彼等は旅行にでも行かれたのですか!」

「違うと思いますよ。昨日の夕べ、私三人が手を繋いで帰宅したのを見ましたもの。ああ猥りがわしい…そういえば近所のアメリカンのご家族もいたわね。」

「アメリカンのご家族?」

「一ヶ月くらい前に越して来られたの。一人を除いて皆外人さんなんだから二世帯が揃ったら騒々しいのなんの。長閑を理解できないって…ねぇ、アナタ。」 

 

この高齢化社会に生きていれば頻繁に目にする機会のある眼差しが僕と覚さんを見た。上品で控えめな言葉の裏腹に絶対的な同意を求める、病院やら道端やらで世間話をしている口忠実な老人の眼差しだった。 

それから老婦が入れ歯なんて使ってませんといった明瞭な滑舌で与太話に移行すると、覚さんの機転で僕達は颯と身を引き、一家と親しいというアメリカ人の家族が住む裏の家へと回った。どちらも今小路の二丁目だ。 

 

武家屋敷、或いは古民家を想起させる今さっきの邸宅と違ってその家はクラフツマン様式のこれぞUSAといった造形をしている。名前の通り熟達の大工さんが意匠を凝らして建てたような木材に石材の素材の美点が最大限に活かされた建築だ。日本文化と異なり表札という概念のない欧州らしくも馴染みのないエントランスで、おまけに午前だというのにカーテンは外界を断固として拒むかの如く閉ざされている。吸血鬼だと告白されてもうっかり信じてしまいそうな蟄居ぶりだ。

 

予備鈴を何度鳴らしても現れる気配のない住人にそれでも粘り強く待ちぼうけているのは、老婦によるジャック家という勝手な紹介とともに附言された「あそこの人達は私もあまり知らないんですけれど、少なくともこの一ヶ月で家を空けたのは見たことがありませんよ。」という住人からすれば甚だ迷惑でしかない密告があったから。

 

「はぁ。面倒臭い。」 

 

居留守を決め込むらしいジャック家の前で根競べをする覚さんも覚さんだと思った僕は間違っているだろうか。そも、アメリカ人の家族が御子柴邸に訪ったのが昨日とはいえ、互いの動線を毎日把握している近所なんている筈がない。けれども刑事を辞職して矢鱈滅多に元職場を頼るわけにもいかない覚さんは何としてでも瑣末な手掛かりですら見逃したくないようだ。 

 

丁度、さっきも行き違った配達員の男がまだ近辺で働いていたので覚さんは彼を呼び寄せた。 

 

「あーココの外人さんね。俺もこないだこの地域の担当になったばっかであんま詳しくないんすわ。三人家族って近所の婆さんに聞いてたけどそうでもないのかな。」

「というと?」

「昨夜荷物届けたけど、出て来たの大柄な白人だったんで。」 

 

というと背中に垣根続きの御子柴邸の人間なのでは、そう尋ねた僕に配達員はかぶりを振った。 

 

「なんてゆーかな、もっとこう仕事仲間みたいな雰囲気っした。」

「因みに荷物を届けた時刻は?」

「十時くらいだったと思います。…もう良いっすか?」 

 

云いながらこちらが返事をする前に彼はトラックへと戻って行った。

 

覚さんは度の合わない眼鏡を——道中に訊いてみたら眼鏡屋が誤ってレンズを伊達用にしてしまったらしい。度数以前の問題である——しきりに弄って考察している。今の話のどこに思索の余地があるのだろう。

不思議なことに御屋敷での初対面時に僕を見詰めた眼差しと、現在も含めて時折思惟に耽る僅かな間でちらつく慧眼と表しても過言ではない虚飾のない涼しげな眼は僕が面する現実の更に心奥を覗いているような錯覚を起こさせた。現役時代はさぞ優秀な刑事だったのだろう。それにしても何がそんなに彼の両脚をジャック家の軒先に引き留めるのか、次第に情報収集以上の故が秘められているかの煩雑な心地になりはじめていた。 

 

僕は御子柴邸と同様に無防備に半開きになったままの門口を通って玄関の前に進んでみる。直接扉を叩いて反応がなければ覚さんも諦めがつくだろうと。 

 

……だから、玄関横の台形出窓の内側、レースカーテンに僅かに付着した染みを発見したのは全く予期せぬ展開だった。均一なヒダ状のレースの純白に、丁度人差し指大の赤褐色はよく目立つ。それが単なる汚目である可能性も念頭において、拳で戸を叩くよりも手摺を回した。 

 

鍵が空いている。僕は後ろに向かって声を張り上げた。 

 

「覚さん!警察を呼んで下さい!」

「はい?待ちなさい中島君、中に入っては…」 

 

制止を無視して中に押し入る。

 

途端、強烈な臭いに嘔吐きそうになった。悪臭のあまりに鼻が曲がりそうだ。

 

リビングへと続く廊下で際立っていたのは靴跡だった。只の足跡じゃない。余程の色盲でもなければ誰だって見分けられるだろう、流れたての血を踏み締めて歩いた痕が無数に白の大理石を不穏に彩っていた。 

ゴォゴォと換気扇が唸っている。それが余計に清浄しきれてない腐敗めいた悪臭を屋内に巡回させていた。

 

この先に待ち受ける光景が想像できて二の足を踏んでしまう。けれども今更怖気付いているわけにはいかないと、眦を決して歩を進める。

前進するにつれて赤を称える床汚れと血生臭さは増し、両脚は竦んで立ち止まりそうになる。それでも僕は懸命にリビングへと向かった。 

 

椅子が三脚、LDKのダイニングテーブルの前に据えられていた。三人が座っていた。天井を仰いで、手足を力なく弛緩させて。まだ湿っている金髪が点けっぱなしの空調に微動している。もはやそれが鼓動を止めた死体であるという認識を誤魔化すことはできなかった。 

 

三人共こちらに背を向けている。恐る恐る前に回ってみる。そうして一家と対面するや否や、僕は外へと飛び出した。 

 

………。 

 

数分後、一頻り胃の内容物を吐き出した僕は覚さんに支えられながら殺人現場へと戻って来た。

 

「ぅっ、ェ」

「モーマンタイですか?」

「う…なんとか」 

 

度々乱歩さんの仕事に随伴して老若男女の遺体を拝むことはあるけれど、顔の剥がされた死体…しかも内一人は年端もいかない子供を目の当たりにするのは初めてだった。対面の瞬間、気が触れなかったのは奇跡に等しい。

酷く胃が痛い。こういう猟奇的殺人の捜査に頻繁に呼ばれる乱歩さんや国木田さんに改めて畏敬を抱かずにはいられない。覚さんも、引退しているとはいえ顔色を変えずに精察に入るのだから感服しかなかった。 

 

「じきに警察がやって来ます。その前にざっと調べてしまいましょう。」 

 

胸ポケットから取り出したペンで彼は男の顎を持ち上げた。喉が横一直線に掻き切られている。直接の死因だろうか。それにしても脱がされた裸体に殘る悍ましい拷問痕とリビングダイニングから廊下にまで続く夥しい血痕は失血死と断定してもおかしくはない。

換気扇は死体の発見を遅らせる為に犯人達が付けたのだろう。犯人達、というのは足跡の数が単独犯ではないのが一目瞭然だからだ。覚さんの目算では少なくとも四人以上の平均的な日本人らしからぬ巨躯が犯行に及んだ見込みが高いという。軒先での配達員の口述から勘えるにジャック家ではないのに宅配に出た「大柄な白人」が怪しい。

 

糅てて加えて被害者らには顔がないので本当に三人家族でこの家の住人なのかは明らかでない。趣味の悪い殺人鬼気質の加害者が別の場所でおのがじし殺害した獲物をこの場に集めて、自身らの芸術的な感性に恍惚としたなんて揣摩憶測だって考えられなくもない。

 

「三人共全指が削がれ、歯も抜かれてますね。鑑識を煩わせる為かと。死後の顔剥ぎは…まあ怨恨でしょう。はっぱふみふみっと…」

「あの…」

「はい、なんでしょう。」 

 

覚さんは然有らぬ顔で流し目を寄越してくる。僕は敢えて言及はしないことにした。多分、見た目よりも実年齢が高いか、幼い頃から前世代の生活体にどっぷりと浸っていたのだろう。ドラマなり漫画なり先輩なりで。そうに違いない。 

 

兎にも角にも、玄関口では乱暴に脱ぎ捨てられた靴が屋内を指して転がっていた。急いで家に帰ってきたか、或いは住人でない場合は入るように仕向けられたとか。 

入口の時点で悲愴な現場を具に検分していると、つと外から声が掛かった。先程の老婦だ。 

 

「どうしました?」

「そうなの!思い出したのよ。昨夜(ゆうべ)に御子柴さんの家、ものすんごい大声で叫んでてね、私びっくりして顔を覗かせたら巨人みたいな男の方々があの不倫相手を大きな黒い車に乗せて走っていくじゃありませんか。お友達だからアメリカ人だから唐人だか知りませんけど、ああいうのは迷惑だからやめてほしくってね。しかも悲鳴じみてるんだから不気味なのなんの…」

「それ、もしかして修羅場なんじゃ」 

 

老婦はさも僕の返しが心外とばかりに萎びた首を捻らせた。まあ、そんな感じにも見えなくもないですけど。 

 

「最近の若者は野蛮ねぇ。アナタたち、ちょっと彼等に伝えといて下さる?お祭り騒ぎも程々にしないと好い加減こちらにも考えがあります、とね。」

「あの、その男達って」

「確かにお伝えします。ありがとうございました。」 

 

掘り下げようとした僕を遮って覚さんが礼を告げると、老婦は細かい線の走った面輪に満足を滲ませて今度こそ去って行った。僕は怪訝に計りかねる真意を直接彼に問うてみる。大層な溜息が彼の倦怠感を表した。 

 

「ここまでくれば言を俟たず誘拐でしょう。」

「つまり…?」

「要するに、御子柴さんのお孫さんの誘拐に必要数以上の外部の人間が関与したということです。公になれば四課が出張ってくるでしょう。」 

 

 

 

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