文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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取り違え 参

 

それから程なくして警察が駆け付けた。僕は覚さんに事前に指示された通りに今朝から鎌倉に至るまでの経緯は伏せて一連のあらましを警官に伝えた。詳細な事情聴取は彼等に巧みに説明しくれた覚さんのお陰で彼だけが受けることになり、その間僕は玄関で待つことにした。 

 

廊下にしては短く広く、ホールにしては狭い細長い、アメリカの伝統的な建築様式のわりに、玄関は日本人の建築家が手掛けたようなデザインだ。

海の晴朗さを思わせる内開きの扉を入れば土間はなく、土足で五歩程進んだ先にコンソールテーブルが置かれている。暖色のオークとキャラメル色の突板を組み合わせた上質な形状の上に、曲線を優雅に手彫りにしたような透明な硝子製の花瓶が据えられている。透百合(スカシユリ)の気高そうに、この家で起こった悲劇など素知らぬ姿態で身を寄せあっていた。箱か何か、硬質な物を引き摺ったかの橇跡がテーブル下に残っていた。

 

「あれ、これって」

 

花瓶の影に黒い手帳が隠れていた。さっきダイニングで覚さんが開いていたのと全く同じものだ。

丁度、警官と覚さんが話し終えて戻ってきた。

 

「覚さん。これ、覚さんのじゃないですか?」

 

彼は自身の懐を弄ると、おかしいなと呟いて受け取った。刑事の到着を待ち侘びる巡査がほとほと弱ったと顬を掻いていた。

 

「いやあ、困ったなあ。こんなことがあるなんて。」

「何かあったんですか?」

 

太宰さんに書類を押し付けられた谷崎さんみたいな困窮の面相で彼は云った。

 

「それがこの家、空き家なんですよ。」

「え?」

 

耳を疑った。巡査はもう一度繰り返した。

 

「ですから、この邸宅は半年前に入居予定だった先住者が建てたもので、結局その人達は住まず終いでずっと不動産が管理してたんです。」

 

とりもなおさず、ダイニングで腰掛ける凄惨な死体已然に本来存在する筈のない家族連れが居たということである。それは一体どんなホラー映画だろう。

 

「なら誰が此処に住んでたんですか…」

「良い質問ですね。僕が訊きたいところです。」

「兎に角、ご連絡ご協力ありがとうございました。あとは我々の仕事ですのでもうお帰り下さい。」

 

暇を請うた巡査は従わざるを得ない口調の裏でそこはかとなくこの異常な現場に独り取り残される心細さを嘆いているようだった。

 

門を出ると、向いの家の窓から幼稚園児くらいの女の子がこちらを覗いていた。人影のない住宅街はどこかよそよそしくも感じられる。九区画しかないのだから当然といえば当然だ。

さっきとは別の自転車便の配達員がパトカーの停車する家に好奇心を注ぎながら去っていくのを見届けると、疲弊した声音が真横で呟いた。覚さんの草臥れた横顔は自然と僕の心身にも疲労を共鳴させた。

 

「良いですか、誘拐の件は私達二人だけで調査を続行します。」

「えっ、けど」

 

すかさず反論しようとした僕を、またあの太宰さんと重ねられる剣呑な眼差しが射抜いた。

 

「ここでそちらの探偵社や箕浦を引き摺り込めば事件が表沙汰になるのは避けられない。これは十中八九プロの犯行です。万が一にもメディアが嗅ぎ付ければ事態は複雑化して収拾がつかなくなる。何よりも御子柴さんは一度取り決めた条件を覆すことは許さない。」

 

彼等は人徳会ですよ。自分がジャック家の遺体と不審な住人の身元を洗うと、有無をいわせぬ声遣いで告げてくる。返答に惑う僕の肩に諭すように手が添えられた。

 

「中島さんは手掛かりを何でも探して下さい。」 

 

 

ガタン、と自動販売機が情の欠片もない鼓舞を鳴らした。取り出し口に手を差し込んでから初めて違うボタンを押していたことに気付いた。滑り込ませた硬貨が二枚のお釣りになって返ってくる。

仕方なしに珈琲缶を飲んでみる。意外にも搾りたての乳のようなまろやかさと黒糖の甘味が互いを引き立てあっていた。案外僕の頭が必要としていたのは糖分だったのかもしれないと思い至った。更には掌に触れたキンキンに冷えた缶が頭までもを冷やしてくれて、僕は一呼吸を吐いた。

 

「手掛かりって言ってもなあ」

 

思えば異能の世界へと足を踏み入れてからは怪奇千万な出来事ばかりだった。孤児を脱却して探偵社員として皆に巡り逢えたことは物怪の幸いだ、微塵の後悔もない。だけど思いがけない現実世界の不具合のような成り行きにはからっきし耐性が追い付いてこない。これからも殊今日みたいな猟奇的光景と直面することに対して免疫がついてくれるとは思えなかった。 

 

異能開業許可証を有する民間企業という特性上、行政機関と不可分の繋がりのある探偵社だからこそ解決できる案件は数知れない。一般の探偵事務所が担うような浮気調査、ストーカー調査、盗聴器発見のみならず通例の民事、刑事事件の限界を遥かに超える国家秩序の危機の領域の仕事——この場合は大抵仕事というよりかは任務と形容した方が正しい——だって抱える、それが武装探偵社の強みだ。

裏を返せば、探偵社の持ち味を活かせない案件…極端に活動の能力が制限された特異な状況で一大事を担当するのは不可能に近い。乱歩さんや国木田さん、太宰さんなど異能や他組織との相互関係を抜きにしても個人の能力が逸脱している超人ならまだしも、僕のようなつい半年前に異能を自覚したばかりの、しかも頭脳明晰でもない社員がこんなヤクザと異邦の犯罪者絡みの誘拐事件を単独で担うのは正直蓋然性の範疇を超越している。どう足掻いても僕が余計に足を引っ張って、元刑事の覚さんが一人で奔走する未来しか視えない。 

 

大体手掛かりっていったって、警察と探偵社の救援もなしにどうやって見出せば良いんだ。誰かが現れて、ブラーマグプタがゼロを発見した時のような革命的な悟りを与えてくれないものか…なんて御都合主義な妄想を抱いたって妄想から現実世界へと飛び出してくれるわけじゃない。 

 

「せめてあの人がいてくれたらなぁ…グレイさん。」 

 

外から眺める駅舎には各々の目的地へと旅立つ為に電車を待ち望む人達が疎らに立っていた。線路敷と下道を隔てる立入防止策の向こうで特急列車が脇目も振らずに通過して行く。

名残惜しそうに鉄の尻を追っていたサラリーマンと目が合った。反射的に目線を落として身を翻した。…何かにぶつかった。 

 

程良く硬い感触が額に触れ、大きな影が差す。徐に顔を上げてみる。 

 

「よォ敦、今日も苦労してんな。今俺を呼んだか?」

「うわぁあああ!」 

 

思わず尻餅をついた僕にグレイさんは磊落に笑って手を差し出した。 

 

「ど、どうして此処が?」

「偶然通り掛かった。そしたらお前が相も変わらず冴えねェ背中で電車に熱い視線を送ってるもんだからつい声掛けのタイミングを失ってな。」 

 

達者か?条件反射みたいな愛想を泛かべて彼は手を翳した。

 

矢庭に瞼裏に蘇るのは一週間前の横浜港での竦み上がるような情景。人が人ならざるものへと成り下がってゆく過程、耳にこびり付いて離れない叫喚、人外の末路をまるで急速に枯れゆく花でも見るかのニル・アドミラリな目付きで見下ろすグレイさん。

硝煙と血に塗れたハロウィーンの夜、異能力者専用の店で乱歩さんを試した不徳義漢の面…幾度が直面したS級異能犯罪者としての一面を再認識させられる最悪の光景だった。だというのに、一ヶ月も経っていない出来事を完全に忘却してしまったみたいにグレイさんは普段の莞爾とした笑みを湛えている。それが却って捕捉し難い彼らしさを痛切に強調していた。 

 

いつもなら元気だと取ってつけたような返事をする僕だけれど、どうしてだか芥川と共闘しなければならなかった日くらいに壮大な疲労感を抱えていた今は素直に恙無いと返せなかった。 

 

「ちょっと参っちゃってて…」 

 

恩人を前にすると勝手に真情が引き出されてしまうのだから、矢ッ張りグレイさんは凄い。

立ち所に打ち萎れる僕を物静かな深海がじっと見詰めてくる。テレビでメンタリストが対象者の心理を看破するときみたいな面差しに、無意識に脚が後退した。

…否、しようとして踏ん張った。そうじゃないだろ、折角有力な助け舟が面前にいるのにどうして助言の一つでも得ようとしないんだ。しっかりしろ、中島敦。 

 

「御子柴さんってご存知ですか?人徳会の。」

「御子柴?」 

 

グレイさんはまじろいだ。「嗚呼、お前にいったのか。」と取り留めなく囁く。闇世界のである彼が隠れ無い暴力団を認知しているのは当然だというのに、彼の反応に僕は好感触を得たと勘違いした。前のめりになって翻弄され続ける奇妙な一日について気の利いた説明を施そうとして、けれどもグレイさんが言葉を発する方が早かった。 

 

「丁度良かった、お前に用があったんだ。」

「僕に、用事ですか?」 

 

彼は点頭すると後方に見返る。離れたベンチに男の人が凭れていた。グレイさんが手招きをして、億劫な所作で男は立上る。 

寸法の距離に迫る頃には、僕は瞠目していた。

 

美髪の広告に採用されても頷けるくらいに輝く黄色の短髪、自然と和むフランキンセンスの薫り、性の境界が曖昧な造作、僕と差程変わらない背丈…。彼は記憶に新しい、見覚えのある出立ちをしていた。忘れられるはずもない未曾有の大時化に見舞われた暮夜、僕と絢辻さんの前に蜃気楼の如く現れて消えた不思議な男だ。

 

「貴方は…」

「用っつーのは彼のことでな、ちょっくら用心棒になってやってくんねェか。」

「ええっ!?」

 

とんでもない発言に素っ頓狂な愕きが転び出る。何より名指しされた張本人が甚だしく論外な面相をしているのにも関わらず、全くもって些事という風にグレイさんの目尻は歪んでいた。

 

「聞いてないぞ、グレイ。」

「信じろ、俺と居るよりもずっと安心出来るぞ。敦はまだ十八だが種田よりも有能だ。」

「まるで押し付けがましい父親だな。…それにしてもお前がそこまで他人を褒めるとは珍しい。」

 

男は不正を暴く試験監督さながらに僕を眇めて見た。僕の意思に反してとんとん拍子に進んでいきそうな雰囲気に慌てて断りを入れる。十歳児の捜索だけでも厄介だというのにこれ以上の面倒事は勘弁してほしかった。

 

「むむ無理ですよ!只でさえ難件に関わってるのに」

「事件か?なら一緒に連れて行って手伝ってもらえ。滅多に得られない助っ人だぞ。」 

 

更にグレイさんは耳打ちした。 

 

「彼は事情があって一時的に異能が使えない。力不足な俺が張り付いたところで守れる自信もねェし、万が一があれば多方面に迷惑を掛けちまう。複雑な立ち所で警察も探偵社も頼るわけにはいかねェが敦なら話は別だ。」 

 

なんだか今朝のデジャブを感じた。 

 

「因みにどんな迷惑を多方面に…」

「下手したら横浜が吹っ飛ぶ」

「ぇえっ!」 

 

即座に冗談だと撤回されるが云ってる最中の彼の音色は紛うことなき本気だった。首が捥げるほど振りかぶる。なんて災日なんだ…。 

 

「絶対頼む相手間違えてますよ!」

「彼の言う通りだ。こんなか弱い少年が私を守れるとは思えん。」 

 

何とも歯に衣着せぬ言い方で男が僕に賛同した。 

 

「第一、お前にだけ発動されなかった時点で魂胆が透けて見える。今度は何を企んでる。私に返しきれない恩があるのだから、お前が直接守ってくれれば良い話だろう。そもそも護衛はいらんがな。」

「だから種田と同じことを言うなって。良いか、これは決定事項だ。素直に敦を認めて、んで事件にでも協力してやれ。」 

 

語勢を強めて言い放つと、はたと男は神妙な面差しでグレイさんを正視する。僕を挟んで交わされる無言の目配せはそれだけで質疑応答を果たしたようだ。やがて男が目を逸らすと、僕を見据えた。色素の薄い双眼が僕を観念へと追い立てていた。 

 

「そういうわけだ、世話になる。中島敦。」

「僕、まだ了承して……はぁ、分かりました。不束者ですがグレイさんに頼まれたからには頑張ります。ええと、僕は今御子柴猪三郎君という少年を探してて」

「何だと?」 

 

端正な顔が突然顰められた。何か拙いことでも云っただろうか。 

彼は頭痛がするとばかりに眉間を揉んでグレイさんをそばめて見た。

 

「猪三郎だと?グレイ、なんでお前はこうも秘密主義なんだ。」

「なんでお前は一々角を立てるんだ。俺だって敦がアイツを探してるなんて初めて知った。」

「嘘をつけ、大体昨日だって」

「ちょ、ちょっとすみません!猪三郎君をご存知なんですかっ?」 

 

出鼻が挫かれる前に間に入れば、二人は我に返ったように僕を見遣る。折に触れて口論をしだす癖に、二人して煩わしげに後頭部を掻いて溜息を吐く仕種まで揃っていた。

グレイの相槌を受けて男は「はあ…知ってるも何も」と懐から何かを取り出す。眼前で掲げられたそれは武雄さんの孫の顔写真だった。猪三郎君の髪型を百時間掛けて美容院で灑掃して艶を与えたような短髪を靡かせて、男は言い放った。 

 

「私は知明(ともあき)海祇(わだつみ)知明。猪三郎の実父だ。」

 

 

 

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