文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

117 / 122
アルコーン

 

敦達三人が駆けつけた時には御屋敷の有様は手遅れな惨状だった。日常生活では滅多に嗅ぐことのない死臭が充満しており、最も嗅覚の優れている敦は門を潜ってすぐ嘔吐いた。一日に二度も、それもジャック邸の何層倍も怖気を誘う新鮮な死だった。 

 

殊に強烈な動揺を起こしたのは襲撃時一人屋敷外にいた若衆の田中だった。四脚門を通った先の錠口を点々と塞ぐ身内はおのがじし本屋に届く前に力尽きたかのように寝そべっている。人肌を失った血液はどこからか漏出し砂利色の地面を塗り替えていた。

門前で佇んでいたナオミと猪三郎により先にグレイが居ることを伝えられると、敦達はあわや気絶寸前の田中の肩を助けて歩み出す。生存者を求めて踏み入るも彼を塗炭から救い出すに足る人影はおろか、視界に広がりゆくのは累々の尸ばかりであった。 

 

終いに辿り着いた先は離れの書院、最も不芳な、底なしの絶望へと叩きつける武雄と直蔵の死骸があった。そこには面識のない壮年の男も死に絶えており、蜂の巣にでもされたかの酷たらしい容貌をグレイが精察していた。 

 

「ソフィ達とは違う奴だな、少なくともあの連中は殺す時は情け容赦のない一撃で済ませるがコイツは荒い。手口に一貫性がなく秩序がない。」

「グレイさんじゃないですか、なんだって此処に…」

「田中か、久しいな。お前の親分に呼ばれたんだよ。」

「直蔵の叔父貴にですかい?」 

 

電話を受けた際には呻吟の声音で閊えながら助けを求めていたが、グレイが状況を問い糺す前に強制的に通話は途絶えた。ナオミを探偵社に帰す間も惜しく屋敷へと急行したものの時既に遅し。敦達と同様に生残者を探し隅々を探し歩き、最後に至ったのがこの書院だった。 

 

聞きながら敦は人徳会とグレイとの奇妙な因縁を嗅ぎ取ってその関係性を思い巡らさずにはいられなかった。だがしかし、想定外の人徳会襲撃について辻褄を合わせることが余程重要だった。

敦が発言する前に金髪のグレイが口火を切った。自身とジャック邸との関係、セリアの青春期の安寧の為に一家を特務課と繋いだこと、その後の両者の秘密取引に関してはグレイの関知するところではないことを。更にはナオミと猪三郎の誘拐犯であるSASについてと顔剥ぎの犯人の哲儀と彼の異能についても詳述した。尚、異能を憎悪するSAS一部隊と異能力者哲儀が呉越同舟で横浜で蠕動しているのかについてはグレイも皆目検討付いていない。 

すると敦と半刻離れているうちにあらましを独自調査し終えていた金髪の彼が声を上げた。 

 

「お前はジョナサン・スティル・ジャックに招かれていたと言ったな。先程私が調べたことだが、一家が作成した異能者リストは情報管理部の電子倉庫に保管されていない。しかしデータ自体は確かに特務課の捜査官に渡されていたようだ。」

「つまり、彼等が殺されたのは」 

 

組織内で何らかの不正が横行し、己らが犯罪に知らず加担していた事実に勘付いた一家が取ろうとした行動は敦でさえ予想がついた。次いで三人の脳裏に明確に浮上するのは立て続けに生じた血腥い事象に喙を入れるのみならず、探偵社を巻き込んだ男…一人の特務課捜査官だった。 

 

「正直、信じられないです。」 

 

(まこと)に信じられぬのは泣く子も黙る暴力団の幹部の面前で、そして曲がりなりにも行政側に属する探偵社員に対して平然と嘯いたことではない、覚の虚飾にただの微塵も気付けなかった己の浅薄さに対してであった。だが其のような衷心を自覚することなく敦は鬱屈と項垂れた。 

 

「強いて言うならバッチグーとかモーマンタイとか、やたら死語が多くて変わった方だなっていう印象くらいしか抱いてませんでした。…不甲斐ないです。」

「今、何つった?」 

 

面を上げる。グレイが目色に驚嘆を滲ませている。隣では彼が仁王の如き顰蹙顔をしている。首を傾げつつ言葉を繰り返せば、不快な雰囲気が解消されることはなく渋面が横に並んだだけとなった。 

 

「だから私は何度も言ってきたぞ、人付き合いには用心しろと。」 

 

グレイは露骨に口を尖らせた。それでいて参ったといわんばかりの弱った皺が眉間に寄せられていた。 

 

「確かにアイツは性格を拗らせてるがこんな捻くれた真似をするような奴じゃ」

「これが捻くれという評価で済むのなら所詮はお前の教徒というわけだ。」

「勘弁してくれ。」

 

これは最悪の展開だな、グレイは裡で愚痴た。反論しつつも彼の脳内にはけざやかな女の音色が蘇っていた。 

——誰が彼女を売ったのかしら。何が何でも見付け出さないと 

一人で納得するなと説明を求める彼にグレイは眴せで制した。断じて未成年の前で臆面もなく話すべき内容ではなかった。されどそんな枝葉末節にまで人間的情緒を兼ね備えているとは想像も及ばぬ彼は、つい昨日グレイの新たな一面を目の当たりにしたことを思い起こし、それから敦を見やった。

…何かを察した。無論、それは地球が三角になろうがあり得ぬ考察だった。 

 

「一旦、この場はお開きにしよう。敦、お前は入口の女学生を連れて探偵社に帰るといい。」

「え?でも」

「ここから先は大人の時間だ。」 

 

彼は続いて崩れ落ちたまま再起不能となった田中を見下ろした。 

 

「お前も、敵が人徳会の殲滅を目論んでいるのならば命が危うい。一度身を潜めるべきだ。」 

 

田中は伺うようにグレイを見遣った。グレイが彼の言葉に従うように繰り返すと渋々田中は起き上がった。突として居場所を失った者の背中は悲愴を被って萎えており、さも己の切り傷に触れられたかのように敦はくらくらと立ち眩みがした。 

 

「猪三郎君はどうするんですか。」

「横浜市内にこの間親を亡くした従甥を引き取った知人がいる。猪三郎が成人するまで一緒に面倒を見てもらえるように話はつけてあるから問題ない。」

「そう、ですか。」 

 

少なからずグレイの後ろ盾があるならば猪三郎の当面は安泰だろう。何よりもグレイが是というのならば是が非でも是に追従しなければならないという不可思議な義務感が敦の足を翻らせた。 

 

「うわぁ!」 

 

死後、直蔵の硬直した右手に握りしめられた携帯に躓いた。

ズボンのポケットに仕舞ったまま存在を忘れていたある物が飛び出てきた。照明に黄金が散光する。

 

くる、くるり。

四転、五転してそれは靴先に掛かり止まった。 黒布に覆われた指先が指環を摘み上げた。 

 

「これを何処で」 

 

平静を装うた早口な声遣いだった。 

 

「偶然拾ったんです、この間ベイ」

「ベイクォーターの歩道橋でか?」

「どうしてそれを」 

 

双眸が揺らめいた。置き場を失いかけた平穏が戻ってくる。友人の物だとグレイは溢した。 

 

「人から預かってたモンだ。無くしたと思ってたんだがまさかお前が拾ってくれていたとは」 

 

これは俺が受け取っておく。自身が銃の手入れを行う時よりもずっと丁重な、壊れ物を扱うかの仕種でグレイはそれを衣嚢に仕舞った。真隣で彼の紺碧の眼が一分ばかりに研ぎ澄まされているのには露ほども心付かずに。

敦は由なく気の効いた言葉を掛けようとして迷子になったかのように視線を彷徨わせた。他人の物というわりには握り締めた掌には名状し難い哀愁が込められているような気がした。 

 

…再び面を上げたときには飄々とした常の、傍観者さながらの面様が敦を見据えた。 

 

「またな、敦。今日はご苦労さん。礼は後日に必ず送ろう。」 

 

そう云ったグレイの声調には確かな拒絶が含まれていた。理由も定かではない違和感の為にそれ以上逐求めるわけにもゆかず、敦は二人に見送られるままナオミを伴い屋敷を去った。

 

 

時刻は午後八時、俺は猪三郎を連れて東京千代田区に佇むある一軒家に訪問した。三番町の四方角地に空高く聳え立ち、日本屈指の摩天楼に寄与する二十階建ての高層マンションに。企業や教育施設が密集する充実した環境に恵まれた区域の一画、百五十戸以上もある高級不動産の一階を丸々購入できる大尽はそう多くない。態々マンションの一部を部分購入なんかせずに一軒家を新築すれば良いのだからある意味変人とも謂える。だがたとえ変人でも良識の範疇の変人である、それが俺が彼等を頼ることにした理由だ。 

 

「この度は隆也が大変なご迷惑をお掛けしました。」 

 

関東でも名高い族議員から一日にして家庭内暴力汚職議員に転落した茂木隆也議員の親戚は至って真っ白な…といえば嘘になるが精々賭博程度で子供好きの夫妻だ。間違ってもペドフィリアの類ではない。不妊治療を長らくしていたものの子を授かることはなく、養子縁組を組もうかと相談していたところに従兄弟の不祥事があり、一人残された茂木聡太を快く引き受けたという経緯がある。

 

猪三郎の両親は曲がりなりにも元暴力団員幹部と中華マフィア関係者なので探偵社が彼の後見人を見出すのには苦労するはずだ。俺が引き取り手を探すとなった時に真っ先に思い付いたのがこの夫婦だったってわけだ。金塊でできた枕にでも寝ていそうな拝金主義者だが、こうして筋違いな身内の不始末を我が事のように詫びる二人だから信頼出来るのだ。

俺は夫妻の不必要な謝罪を軽く制して猪三郎を前に立たせた。

 

「この子が御子柴猪三郎だ。話しといた通り、海祇と王の一人息子だ。」

「まあ、この子が!ご両親にそっくりねぇ」

 

初見の人間が揃って目を剥き片方の不義を疑うというのに…恰もハリウッドスターに(まみ)えたといった恵比寿顔で二人は手招きした。

猪三郎の気弱げな眼差しが俺を身上げる。袖を引かれた。 

 

「グレイ、儂は此奴等と同棲するのか。」

「同棲じゃなくて同居な、こんな時までなんちゃって日本語喋るなよ。」

「本当にグレイと一緒じゃ駄目なのか?」 

 

猪三郎を養うことは難しくない。家にはQもいるし互いに良い遊び相手になれるかもしれない。だが養うことは簡単でも守ることは容易ではない。何故ならこの世界では味方が最大の弱点成り得るのだから。

 

法や行政に頼れない立場の依頼人を相手にしている以上逆恨みや謂れのないいちゃもんをつけられることはざらにある。種田みたいな堅物の高官の腹いせに国際指名手配犯に認定されただけだが、それでも肩書きを真に受けてうざ絡みしてくる奴らは後を絶たない。ドストエフスキーとか、ゴーゴリとかフィッツジェラルドとかドストエフスキーとか。

余談だがゴーゴリというのは後の物語で登場するドストエフスキー寄りの男である。現実世界では『検察官』や『死せる魂』を著したロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリ、この世界では哲学一筋で人生と己の存在意義に懊悩する道化だ。

 

兎も角、市井人の道から外れてしまっているQはまだしも俗世間から離れることなく育ってきた小学生を薄氷の上で生活させるわけにはいかない。

背中を押せば猪三郎は心ならずといった様子で夫妻の手を取った。鍵が回る音がした。

奥さんが喜色を漲らせる。猪三郎の兄が学校から帰宅したようだ。 

 

足音が近づいてくる。小さな影が廊下の先にちらついた。 

 

「あら聡太!さっきお話したでしょ。新しい家族にご挨拶なさい。」

「家族?」 

 

家族という単語に反応した影は鬼ごっこで初めの一歩を踏み出すみたいに顔を覗かせた。

 

……拝んだのは二度きりの綾辻瓜二つの面差しとかち合う。雷にでも打たれたかのように聡太は硬直した。

俺は手を振ってみる。反応はない。 

 

「うふふ、緊張しちゃって」

「あー。まーなんだ、猪三郎はゴツいが間抜けで扱いやすいやつだ。仲良くしてやってくれ。」

「あれ?拙者今馬鹿にされた?」 

 

夫妻の養子は石像化したまま動かない。相当の人見知りのようだ。部外者の俺がいつまでも居座ってるより最初の家族団欒をする方が良いだろうと腰を上げる。

二人の頭を軽く撫でて、今一度夫妻に宜しく頼むと家を出た。 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。